06 美少女ペット、寝る
アクトは布団に横たわり、今日という激動の1日を終えようとしていた。
オレンジの薄明かりに照らされた寝室内。
すぐ隣にある布団からは、クスンクスンと、ぽちのわざとらしい泣き声が聞こえる。
彼女が顔を埋めているのは、人間のほうのアクトではなく、カカシの『アクトさん』。
畑の番人である『アクトさん』のことを、アクトは最初見たときからなぜか気になっていたのだが、こうやって室内に持ち込まれてようやく理由がわかった。
アクトが前世で勤めていた『ハジキマート』の制服を模した服を着ていたからだ。
たぶん、ぽちがアクトをイメージして作ったカカシなんだろう。
そしてぽちがなぜ、嘘泣きをしながらその『アクトさん』と寝ているのかというと……。
「……ええっ!? ご主人様と一緒のお布団で寝ちゃ、ダメなんですか!?」
「うん。僕は居間で寝ようと思ってたんだけど、ぽちがどうしても一緒に寝たいっていうんなら、この寝室でもいいよ。ただし、布団は別」
「そんな……! あっ、そうだ! うちにはふとんが一組しかないんですよ! だから……!」
「嘘。あそこの押入れから、いっぱい布団が見えてるじゃないか」
「ああっ!? 開けっ放しにしてただなんて……! このぽち、一生分の不覚です……! 我が生涯に一片の悔いありです……!」
「……とにかく、布団は別。いいね?」
「いっ……いいですよ! だったらぽち、いつものように『アクトさん』と一緒のお布団で寝ます! ご主人様とは寝てあげません! それでもいいんですか!? ぽちが『アクトさん』にNTRされても!」
「うん、いいよ別に」
「ガァーンッ!? いま、ぽちの額に幾重もの縦線が入っているのが見えますか!?」
「入ってないよ。それに、いつもそのカカシと寝てるんだったら、NTRじゃないでしょ」
「細かいことはいいんですよっ! もう知りませんっ! ぽちはアクトさんの胸を、涙で濡らします!」
……というやりとりが、就寝前にあったのだ。
アクトはスネ続けるぽちの背中を眺めていたが、視線を外し、ゴロンと仰向けになった。
……まさか、こんなことになるなんて……と思う。
今朝、ゴミ山と化したアパートの一室で、大台の誕生日である今日を迎えた。
起きてすぐ、『今日から本気出す』って意気込んだんだ。
そして、20年間勤めていた『ハジキマート』に最後の挨拶に行って……それから、自分を変えるために街へと繰り出した。
髪の毛を、初めて入った美容院で赤く染めて……そのあと、オシャレな紳士服の店で、ワインレッドのベストとスラックスを買った。
全身を、好きな色である赤でコーディネートするのが夢だったから。
それに……『チョイ悪オヤジ』というヤツに憧れてたんだ。
いつもは切りそろえた黒髪に、白いワイシャツにネクタイ、グレーのスラックスだった自分が、生まれ変わったような気がした。
心なしか、周囲の人たちも僕に注目してくれているような気がした。
本当はオシャレのあとは、初風俗に行くつもりだったけど……どうしても度胸がでなくて、後日にすることにしたんだ。
そのあと、コンビニで誕生日を祝うためのケーキを買った。
さんざんクリスマスケーキを自腹で買い続けてきた『ハジキマート』のものではなく、別の系列店のカットケーキ。
店を出たあとに、ちゃんとしたケーキ屋のを買えばよかったと気づいたけど、まあいいかと思った。
だって何十年かぶりに、自由になった一日だったから。
だって何十年かぶりに、初めてのことだらけの一日だったから。
将来への不安はあったけど、なんだか嬉しかった。
いつもと同じ風景のはずの帰り道も、なんだか輝いて見えた。
キラキラした世界で……僕はトラックに轢かれた。
そして……さらにキラキラしている、ぽちという少女に出会い……今に至る。
まさか、高校を卒業してから、何十年と女の子と手も繋いだことのなかった自分が……ぺろぺろされたうえに家に招待されて、夕食をごちそうになって……。
それどころか風呂まで一緒に入って、のぼせたのを膝枕で介抱されて、そしてこうやって、ひとつ屋根の下で寝ているだなんて……。
出来事が目まぐるしすぎて、考える余裕もなかったけど……。
このぽちという少女は、いったい何者なんだろう?
彼女自身は、前前前……とにかくすごく昔に、僕に飼われてた犬だって言ってたけど……。
そんな記憶、僕にあるわけがないから確かめようがない。
それとぽちは、このままだと僕が結婚できず、僕の一族が滅びてしまうから、この幻想界に呼び寄せたと言っていた。
……なぜ、僕が飼っていた犬が、僕の一族のことを心配してくれてるんだろう。
飼っていた恩返し、ってヤツなのかな? ……なんだか、昔話みたいな話だ。
それに、どうしてこの世界に呼び寄せたら、僕の一族が滅ばなくなるんだろう。
こっちの世界は結婚率が異様に高かったりするんだろうか。
それともぽちが、結婚相手の世話でもしてくれるんだろうか。
いや……もしかして……!
結婚相手というのは、ぽちのことだったり……!?
ぽちは僕と結婚して、子孫を残すために、この世界に呼び寄せた……!?
そう考えるといままでの、好感度の高すぎる接し方も、嘘までついて一緒の布団で寝ようとしていた理由も、すべて説明がつく……!
「……ご主人様」
不意に耳元で囁きかけられ、びくうっ!? となるアクト。
思考に夢中で、ぽちが側まで来ているのに気づかなかった。
「……わっ!? ぽ、ぽち、どうしたの!?」
見ると、ぽちは新婚初夜の花嫁のように、緊張気味の表情でアクトの腕にすがりついていた。
「あの……ご主人様の躾どおり、ぽち、ちゃんと別々のお布団で寝ますから……せめて、寝る前だけでも……ご主人様のこと、ぺろぺろしちゃ……ダメ、ですか……?」
「これが断られたら、死にます……!」という必死さを、言外から感じる。
いつもの輝く瞳は、今は行灯のオレンジの明かりを受け、不安そうに揺らいでいた。
こんな表情をされたら、女性に免疫のないアクトはイチコロ。
「いいよ」と言うほかなかった。
すると、泣いたカラスがもう笑うかのように、顔をほころばせるぽち。
「あ……! ありがとうございます、ご主人様……! このぽち、不束者ですが、ご主人様のために、一生懸命ぺろぺろします……!」
そしてさきほどの貞淑さが嘘のように、実は経験豊富だった花嫁のように、顔めがけて飛びかかってくる。
「実を言いますと、ご主人様のお鼻は最後にぺろぺろしようと思って、ずっととっておいてあったんです……!」
興奮で息を荒くしながら、残した好物にかぶりつくみたいに、はむっ、とオッサンの団子っ鼻を口に含んだ。
哺乳瓶にむしゃぶりつく、腹ペコの赤ちゃんのようにチュバチュバと音をたてて吸い上げる。
オッサンの鼻は少女の口にすっぽりおさまっていて、中ではべろべろとひっきりなしに舌が動き、ブツブツの肌を撫であげていた。
オッサンの鼻は典型的なイチゴ鼻というやつで、店長をやっていたコンビニのバイトの女子からは汚物のような扱いを受けていた。
しかしこの少女は……そんな女子たちとは、全然違っていた。
……ちゅぽん! と、ぽちはいったん口を離すと、
「ああ、これはまさに、あまおうか紅ほっぺ……! もぎたての果汁のようです……!」
うっとりとした表情で、イチゴ鼻の品評をはじめる始末。
しかも至高の一品のような、高評価をくれた。
「そ、そんな味、しないでしょ……!?」
アクトの突っ込みにも、気にせず「わんっ」と頷くぽち。
「ご主人様のお鼻、しょっぱいです。でも、ぽちにとってはそのくらい素敵だという意味です。……んむっ」
そして唇を塞ぐように顔を近づけてきて、再び熱心に舐めしゃぶりはじめる。
ときおり瞼を開けて、大きな瞳を合わせてきて……エヘヘ、とはにかんだように微笑む。
ただでさえ高まっていたアクトの鼓動が、そのたびに大きくドクンと脈打つ。
ただでさえ熱くなっていた身体の芯が、さらに燃え上がり……血液が一箇所に集まりそうになる。
や、やっぱり……!
やっぱりこの子は、僕のことが好きなのか……!?
僕と……僕と……一緒になりたいと、思っているのか……!?」
アクトがぽちの肩に手をかけると、ぽちは一瞬驚いたように目を開いたが、やさしく微笑み返してくれる。
それは、天使のような笑顔だったが……同時に悪魔の笑顔を彷彿とさせる、引き金となった。
「……体臭ですか? ぜんぜん気になりませんよ?」
「あたし、男の人の体臭ってけっこー好きなんですよね。店長のって、むしろ好みかもー」
アクトが店長をつとめる『ハジキマート』に入った、バイトの女子高生コンビはそう言ってくれた。
しかし、バックヤードでは、
「クッセェ……あのオヤジ、ほんっといい歳して社交辞令もわかんねぇのな」
「空気読めねぇから、あの歳でもコンビニ店長どまりなんだって!」
「でもさぁ、我慢しなきゃね。ちょっとおだててやりゃ、ウチら立ってるだけでよくなるし」
「そーそー! あの童貞丸出しのオッサン、ちょっとブリッ子するだけで、ほとんどやってくれんだもん、チョロいよねー!」
ふたりとも、笑うと八重歯がこぼれる、素敵な笑顔の少女だった。
こんな自分に、こんな素敵な笑顔を向けてくれる少女たちは、きっと純粋で、無垢なんだろうと思っていた。
「あのオヤジ、ぜってー勘違いしてるって! ウチらが気があるんじゃないか、って!」
「そーそー! 童貞こじらせると、どうしてああなるんだろうね? ちょっと笑いかけるだけで勘違いするなんて、マジキモいっての!」
「きっとさあ、ウチらがレジのカネ抜いても、ぜってーウチらのこと疑わないよ、アイツ」
「えーっ、さすがにそれは……」
「だってこの前、レジのカネ抜いたの、ウチだもん」
「ええーっ!? マジ!? あれ、アンタがやったん!?」
「そーそー、あのオヤジ、ハナからバイトの留学生疑ってて、チョーウケるんですけど!」
「アッハッハッハッハッ! それ、マジウケるー! だったらさあ、金庫のカネとかもいけんじゃねぇ?」
……気がつくと、ひっきりなしに鼻を濡らしていた、舌の動きは止まっていた。
かわりに、安らかな寝息が漂ってくる。
ぽちはぺろぺろの最中、眠ってしまったようだ。
アクトはぐったりしたぽちを抱き起こし、隣の布団に寝かせた。
きちんと肩まで掛け布団をかける。
「むにゃむにゃ……ご主人様……だいすきですぅ……ぽちは再び、ご主人様のペットになれて、幸せですぅ……」
満足そうな寝顔に、アクトは思う。
たぶん、ぽちもあの女子高生のように、なにか目的があって、僕に好意を寄せてるフリをしてるんだろうな……。
そう考えるほうが、自然だ……。
だって僕は、四十年間ずっと、モテなかったんだから……。
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