プロローグ
「……あーあ、やっと授業が終わったか。」
浅間生はそう言って座ったまま腕を真っ直ぐ上にあげた。そして深い深呼吸をした。
「ハァ……。」
「本当に長いよな〜。それにしてもさ、授業の最初にやった小テスト難しくなかった?」
後ろから生の肩に手を置いたのは桐山秀一だ。生と席が近くで、高校二年生からの友人だ。秀一は髪がサッパリしていて体の体型はまさしくスポーツをやっている体型だ。事実、テニス部のエースで関東大会にも出場している。人当たりも良くとても話しやすい。顔も悪くなくそこそこ女子からも人気である。今は3年生の6月。これからいよいよ部活をやっている人は最後の大会に挑む時期に来ている。秀一はその為の練習で大忙しだ。対して、生はそもそも部活には入っていない。従って基本的には授業が終わったらそのまますぐ家に戻る生活をしている。ところで今日は数学の小テストだった。生はこの小テストが出来なかったということで、落ち込んでいる。
「ホントそれ。特に5問目。あれの答え何になった?」
秀一は「ほんとそれ」とは言っているが、秀一は頭が良いからそんなわけないだろうと、生は思いながら、ノートに挟んだ小テスト問題用紙を取り出す。
「確か2π√3じゃなかったかな。」
「まじ⁈やっべ絶対間違えた。ここをこうやるんじゃないのか?」
「いや、多分だけどこれ回転体だから二乗してインテグラルの前にπをつける筈だよ。」
「マジか…。終わった…。」
生は頭を抱えた。小テスト間違いなく点数をかなり落としたと分かったからである。
「座れ。座れー。ホームルームすぐ始めるぞー。」
体育教師でもある担任の新山先生が大きな声を出して教室に入ってきて教壇に立った。
「早いなぁいつも。どんだけ早く終わらせたいんだよ。」
「まあでも良いじゃないか。少なくともタラタラと長い時間ホームルームで喋る先生よりは。」
「まあな。」
そんな会話をしつつ生と秀一はそれぞれの席についた。信はめんどくさそうではあったが、ゆっくりと自分の席に戻っていった。
ホームルームはすぐに終わった。
「きおつけ、礼。」
ホームルームが終了し、部活動がある人達がそそくさに教室を出ていく。会話しながら出て行く人も多い。中には部活の集合場所について教えあっている人もいる。そんななか生は部活動をやっていないので皆が教室を出て行くのを待ってから出ていく事にしている。わざわざ急いでもいないのに混んでいる所に行きたくは無いと生は考えているのだ。
「あれ?桐山?今日部活は?」
桐山が制服を着ている上に部活動に必要になるテニスラケットを持っていない事に気付いた。部活があるのならいつもこの時点で制服は着ていない。運動用のジャージを着ているはずだ。
「今日はちょっと用事があるんだ。それに今日は昨日試合だったから休みだ。」
「なるほどな。用事は学校であるのか?」
いつも秀一の部活が無い時は、一緒に帰る事が多い。生と秀一の帰る方向が同じなのだ。
「まあね。暫くかかると思うから先に帰ってなよ。」
「俺も部活だわ。じゃあな。」
「おう。分かった。じゃあな。また明日。」
そんな会話を済ませると秀一はそそくさと教室を出て行った。そんなすぐに用事があるのだろうか?そんな事を考えながら生はマイペースに帰りの仕度をした。
「とっとと帰るか。帰ってゲームでもやろう。はぁ…。いや、勉強マジでしないとなぁ…。」
秀一が何の用事か気になったが詮索する気にはならなかったので生は家へ帰る事にした。家は電車でおよそ15分かかる。しかし、学校から駅までと駅から家までの歩く時間が約30分かかるので合計すると片道45分はかかる。生は現在お腹が空いている。正直45分も空腹を待てないと思った生は帰りにコンビニに寄ろうと考えた。しかし…。
「あっやっべ。これ提出するのを忘れてた。」
提出する紙を見つけて、大急ぎで職員室へ向かった。多分めちゃくちゃ怒られると生は覚悟した。それは当然である。なぜなら、その紙の提出期限はとっくに過ぎている上にさらに今迄提出するのを完全に忘れていたのである。
「はぁ…。絶対に怒られる…。」
生は溜め息をついた。階段を降りて、二階に来た。そしてこの階に職員室があるのだ。足取りが重くなるが無理矢理足を前に出す。これを提出しなければ帰れないし、食べ物もコンビニで買えないのだ。
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「…失礼しました。」
職員室から出る際に小さな声で言うと職員室の扉をゆっくりと閉めた。予想通りこっぴどく叱られた。それもかなり長い時間だ。まあ毎回忘れてしまっているのだから仕方は無い。しかし、叱られるのはやはり嫌だ。今度は絶対に提出物を忘れない様にしようと生は心に誓った。
「はぁ…。」
大きな溜め息をつきながら、自分の教室のある四階へと階段を上がった。四階の南側の窓からは海が見える。夕日に照らされてオレンジ色に光っていた。観光のパンフレットに掲載されていそうな夕日の風景だ。そして、生の教室は廊下が北側にあり、窓から広大な海が眺められる。一階から三階は海の手前に防風林がある為、海を見る事は出来ないがここからは良く海が見える。
ガラガラ…
生は教室の窓を開けた。海から来る風が入ってくると同時に海特有の塩の匂いも風の運ばれて入ってきた。
気分が落ち込んでいる時はいつもこうやって窓を開けて海を見る。
「ん…?あれは…桐山か?」
海から目線をずらして下の方に目を向けると校舎の端の方で秀一が誰かと話しているのが見えた。相手は女性だ。ここからでは当然違いの声は聞く事は出来ない。
「用事ってのはこの事なのか?」
生は独り言を呟いた。相手が女性。そして正面の昇降口から丁度裏側にある場所で二人で話す内容。これは告白?なのか?
「羨ましいなぁ。俺にも告ってくれる女性が現れたらなぁ。」
生は残念ながら彼女いない歴イコール年齢なのである。今迄告白された事は当然一度も無い。
「あっ。」
秀一と話している女性が抱き合う瞬間を見た。どちらが告白したかは分からないがどちらにせよ告白が成功したのだ。
「おめでとう秀一。俺は君を恨む。クソー!リア充爆破しろー!」
生は聞こえないのを良い事に秀一と女性のカップル成立を罵った。
「ったく羨ましいなぁ。ホント。はぁ…。顔を合わせたくないし…、さっさと帰ろう…。」
生はそう呟きながら窓を閉めた。もう特に見る必要は無い。そして用事を済ませてある生は学校に残っている必要も特に無い。窓を開けたところまでは、よかったが秀一のカップル成立のシーンを目撃してしまった事に対しては、ため息が出た。よく一緒に帰る友人として、やっぱり比べてしまうのだ。
俺は誰も居ない教室を出て昇降口へと向かった。夕日はもう沈みかけていて、校内は節電の為か、もしくは授業が終わったからか、廊下まで電気を消していた為、辺りはもう大分暗くなっていた。
「…?あれ…?なんか急に…。」
生は自分の視界が少しおかしくなっている事に気づいた。目が回っている感覚に近い感じである。でも実際に目が回って、酔っている様な感覚はない。つまり視界だけが変になっている様な気がしているのだ。特にそこまで疲れるような事を今日やった覚えは無い。強いて言うならば小テストの時に頭をフル回転させたくらいである。
「…視界が…歪んで…る?」
なんというか視界がグニャリと曲げられている様に見える。その曲がり方は一定でなく常に動いている感じがする。気が付くと、生の目の前に等身大の大きさの大きな黒い円が出来ていた。周りの淵は歪んでいて、まるでこの世界に穴が開いた様な感じである。
「あの穴は…、強制召喚のゲート?生!まさか…。」
秀一の声がした。振り返ってみると、秀一と先程秀一に告白したと思われる女性がこちらに向けて廊下を走って来ているのが見えた。
「桐山!助けてくれ!なんか…。なんか吸い込まれそうなんだ!」
生は体重を後ろにかけて黒い円に吸い込まれそうになっているが、耐えている。しかし、黒い円へ引っ張られる力は強くなる一方だ。生はどこか捕まれる場所を探した。しかし、丁度運悪く捕まる場所が無かった。
「これは…巻き込まれてる…。何故…?それよりも、何故学校に緊急用のゲートが開かれたんだ?」
「そんな事考えている暇は無いよ。秀一。早く、ゲートが閉まっちゃう。」
「分かった。行こう。」
生の視界はどんどんおかしくなる一方で、校舎の廊下、人がいる事さえ判別が出来なくなってきた。平衡感覚も曖昧になってくる。
「よし。掴めた。おい、生大丈夫か?」
確かに腕に掴まれた感触がある。すると、みるみる内に視界は正常に戻っていった。
「は?ここは?」
次に見た光景は校舎の中では無かった。学校の校舎、周りに広がる住宅街も無い。完全に森の中だ。夕方の5時は過ぎていたはずだが、太陽は高い位置にある。太陽の光が木の葉っぱの隙間にから射し込んでいる。周りには街道らしきのも無い。
「ここは一体何処?」
生は呆然としてしまった。