009. 勇者様御一行の入国 - Ⅶ
「はぁ、はぁ…………こ、殺してやるっ……!」
「オォッ!! やれるものならやってみろッ!!」
クロドと優斗の一騎打ちが、とうとう幕を開けた。
優斗がいくら最強の大剣豪の強さがあるといっても、それは体調が万全だった場合の話である。
単純な戦闘力だけで言えば、今のクロドと優斗はほぼ互角であった。
毒で弱体化していても異能道具の分だけ圧倒的有利である優斗と、万全の体調であるが優斗を倒すための決定打に欠けるクロド。
……この闘い、どちらが勝つのかは誰にも予想がついていなかった。
クロドはハルバードを巧みに操って、突き、払い、殴打を織り交ぜながら攻撃を加えていく。
対して優斗は、毒で手足が麻痺して立つことすら辛い状況のはずなのに、刀の異能力のお陰か、あるいは執念によるものなのか、クロドの攻撃をぎりぎりでいなして、刀が届く距離まで詰めようとふらつく足を進めていった。
(クソッ! 毒で弱らせてもこの強さかッ!)
傍から見れば、優斗の防戦一方のように見えているが、攻撃が当たってもダメージの無い優斗と、防具を身に着けておらず、一撃でも受ければ致命傷は免れないクロドがこのまま戦い続ければ、どちらが有利かは明白である。
クロドの方がハルバードのリーチ分だけ安全ではあるが、いくら攻撃を繰り返しても受け流され、ゆっくりと歩み寄ってくる優斗との距離を維持するために、クロドは少しずつ後退せざるを得なかった。
クロドと優斗の間に繰り出される斬撃は凄まじく、他の兵達は援護するどころか近寄ることすら出来ない。
その姿をシロイは、手に汗を握りながら見守ることしか出来なかった。
(もう少し、もう少し耐えてくれ……クロド!)
しかし、シロイの応援も虚しくクロドはどんどん後ろに下がっていく。
そして、とうとう建物の壁際までクロドは追い詰められてしまった。
「はぁ、はぁはぁ……、おい詰めたぞ……。お前を殺したあと、……僕が正義だって、この国に叩き込んでやるっ!」
(クッ……シロイ、まだか!?)
優斗はクロドの攻撃を捌き切って接近し、あと一歩踏み込めば、刀の届く範囲にクロドを捉えられようとした、その時──、
「シロイ様ァーー!!」
大声に反応してシロイが振り返ると、そこには荷車を押しながら戻ってくる兵達の姿が見えた。
押していた荷車には、大量の瓶と木箱が敷き詰められている。
「市場であった物を、あるだけ接収してきました!」
「よし、これだけあれば十分だ。荷車ごと異世界人の近くまで運んでくれッ!」
「承知しました!!」
兵達はそのまま荷車を押して優斗の方へと向かっていった。
そして、入れ替わるように別の兵がシロイの元へ報告を上げにやって来ていた。
「シロイ様、ヘルマン様の魔術師隊が到着しました」
「わかった、火魔法を使える者は私と一緒に来るよう伝えてくれ」
「ハッ!」
ひと通り命令を出し終わったシロイは、優斗の方へと向かいながら伝達魔法を詠唱し始めた。
(クロド! 今そっちに荷車を向かわせている。そこに積んである瓶をソイツにぶつけろ!!)
「また無茶なことを簡単に言いやがってッ!」
口から出た言葉とは裏腹に、なんとか足止めが間に合ったと理解したクロドは、ニヤリと笑っていた。
そして、優斗の遠く後ろに荷車を押す兵達の姿が見えると、ハルバードを構え直して優斗と向き合う。
「ほら、かかってこいよッ!!」
「い、言われるまでも……! これで、トドメだっ!!!」
優斗はふらつく身体に気合を入れ、片方の肩で刀を担ぐように構えると、そのまま身体ごとぶつかっていくかのような踏み込みを行いながら、全身全霊の袈裟斬りを繰り出した。
だが、タイミングを合わせたかのように、優斗の袈裟斬りに合わせてクロドは後ろへ跳躍して避け、そのままの勢いで壁に足をかけた。
そして、地面にハルバードを突き立て、思いっきり壁を蹴って三角跳びを行うと、優斗の頭上を飛び越えて反対側に見事着地した。
「よっと! 惜しかったな!!」
優斗の攻撃を避けたクロドは、そのまま一目散に荷車の方へと走っていった。
「はぁ、はぁ……に、逃がすかっ!」
クロドの後を、優斗は息を切らせながら追いかけ始めたが、毒で弱った優斗ではクロドに到底追いつくことはできない。
頑張って一歩ずつ一歩ずつ追いかけるが、そうこうしている内にクロドは荷車を運んだ兵達と合流していた。
「クロド様! お待たせしました!!」
「おぅ! ……で、なんだこれは?」
クロドは瓶を手に取り、瓶に付けられていた荷札を確認する。
「……なるほどな。よし、お前らもこの瓶をアイツにぶつけてやれ!」
「ハッ! 承知しました!!」
クロドが手に持った瓶をしっかり掴み、おおきく振りかぶって優斗めがけて投げつけた。
「……そんな、攻撃なんて……効くかっ!」
優斗はふらつきながらも刀を構え、飛んできた瓶を難なく両断する。
しかし、瓶の中に入っていた液体状の物が周囲に散らばり、優斗にもその液体状の物体がベッタリとかかった。
「うっ……なんだ、この臭い……」
液体状の物体は妙なヌメりがあり、独特の生臭いニオイを発していた。
気分が悪い状態の上に悪臭を嗅いだ優斗は、再び吐き気を思い出して嘔吐きそうになる。
優斗は臭いを嗅がないよう手で鼻をおさえ、口から臭いが上ってこないよう呼吸も最低限に我慢し始めたが、そんなことはお構いなしにクロド達は次々と瓶が投げつけ、瓶は優斗にぶつかって中身を飛び散らせていった。
「クロドッ!」
クロドが瓶投げを楽しんでいる最中、背後からシロイが走って来てクロドと合流した。後ろには魔術師隊を引き連れている。
「おっ、シロイか。ちょうど良かった、そろそろ箱の方を投げつけてやろうと思っていたところだ」
「よく私の作戦を察してくれたな、流石クロドだ」
「お世辞はいらねぇからやるぞッ!!」
「あぁ! 魔術師隊、準備を!」
シロイの掛け声とともに魔術師達は詠唱を開始し、それを待たずにクロドは荷車に乗っていた木箱を優斗の方へ投げつけていった。
『ガァンッ!』
悪臭にヤラれて動けない優斗は回避も防御もできず、頭に木箱が直撃する。
「ぐっ!!」
木箱をぶつけられても痛みは無いが、それでも頭痛が唸っている頭を揺らされるのは相当キツく、優斗から思わず声が漏れる。
そして、ぶつかった木箱の方は空中分解し、木片を散らしながら中身をばら撒き始めていた。
優斗は激しい頭痛の最中、目の前に飛び散っていく箱の中身を見た。
それは白く、細長く、優斗でも見覚えのあるものであった。
──木箱に積められていた物は、大量の蝋燭であった。
「……放てッ!!」
シロイが号令を出し、それに合わせて魔術師達が魔法で創った火球を次々と発射した。
火球は目で追える程度の速度でしかなかったが、真っ直ぐに優斗の方へと直進し、そして、そのまま優斗に命中した。
火球が優斗に命中すると、優斗を中心に火が激しく散らばり、優斗の周辺に落ちている蝋燭や木片に火が燃え移っていく。
そして更に、優斗の身体にへばりついていた液体状の物体までもが燃え始めていた。
(……こ、これは!)
最初にぶつけられた瓶に詰められていた物体の正体は、家の灯りなどに使われる魚油であった。
シロイの目論見どおり火球が魚油に引火し、大量の煙と悪臭を撒きながら炎は大きくなって優斗を包み込んだ。
「おぉ、また豪快に燃え上がったな!」
「よし、いいぞ! 火を決して絶やさないように、どんどんくべていってくれ!」
クロド達が燃料を投擲し、魔術師達が火球を追加で撃ち込んでいく。
炎の勢いは増すばかりで、既に優斗の姿は炎に隠れて薄っすらとしか見えない。
だが、火中の優斗は悪臭に耐えつつも、炎によるダメージは一切受けていない様子であった。
(……無駄なことを! こんな火で僕を倒せるわけがないのにっ!)
『絶対防御』の加護により、当然ながら優斗に火炎は効かない。火は燃え移る事無く服の表面を撫でるだけで、服内部には一定以上の温度を超えた熱は通さない。
そのため、このまま燃やし続けたとしても優斗が焼死することはあり得なかった。
そう、焼死することは……。
優斗は片手で鼻を押さえながら、ゆっくりと前へ歩き出した。
炎で前が見え難いが、なんとなく人影らしきものが見える方向を目指して足を進めていく。
「……少しずつ、動いてやがるな」
クロドが投げる手を止め、目の前の火柱を睨む。
確かに、わずかずつながら大きな火柱は揺れ動きながら移動していた。それを示すかのように、火柱の歩いた後には燃える道ができている。
「クロド、気にしなくていいぞ。そのまま燃やすことに専念してくれ」
「ん、いいのか?」
「あぁ、私の考えが正しければ……、アレはもう死んだも同然だよ」
「……まぁ、シロイがそう言うんなら確かなんだろうな」
クロドはゆっくりと向かってくる火柱に少し警戒しつつも、シロイの要望どおり燃料を投擲し続けた。
そして……。
(あの軍師みたいな奴、何かしてくるのかと思ったけど、この程度の作戦だったのか。やっぱり現代人の僕と比べると、異世界の人間はバカなんだな……)
優斗は、内心シロイを小馬鹿にしつつ、燃えながらクロドの方へと歩み寄ってきていた。
周りの悪臭にもようやく慣れ始め、そろそろ息継ぎしようと、口を開けて大きく息を吸おうとした、その瞬間──。
「ん? ……止まったぞ?」
先ほどまで動いていた火柱は、突然その場で固まって動かなくなった。
周りに炎でよく見えないが、何か炎の中で藻掻いているような姿が遠巻きに見えている。その姿をじっくりと注視していると、火柱はしばらくして横に倒れていった。
兵達も不思議がって見ているが、シロイの命令どおりに火を絶やさないよう燃料と火球の追加は続けている。
「……頃合いだな」と、シロイがボソリと呟く。
「何が頃合いなんだ?」
「クロド。アイツはね、息を吸っていたんだ。私達と同じようにね」
シロイのヒントを聞いてクロドは少しだけ考え始めたが、すぐに一つの答えに辿り着いた。
「……あぁなるほど。てっきり、燃やして殺すつもりかと思っていたが、お前が狙っていたのはそれじゃなかったんだな」
「そうだ、私が狙っていたのは──」
炎の中で、優斗は倒れながら藻掻き苦しんでいる。
いつの間にか武器の刀まで手放し、必死になって喉の周りを両手で掻きむしっていた。
(い、息が……っ! 息が、出来ない……っ)
優斗の周りに広がる炎は止めどなく空気を燃やし、煙を噴出する。
その煙は優斗の呼吸を妨げ、窒息させるには十分過ぎる量に達していた。
生命維持するために必要な酸素が足りず、あらゆる攻撃を防ぐ『絶対防御』でも、無い物はどうしようも無い。
『底無しの収納鞄』に酸素ボンベでも入っていれば話は別だったかもしれないが、流石にそんなものは持ち歩いていなかった。
(ち、く……しょ………)
優斗は、ボヤけていく意識の中で次第に身体の力が抜けていき、やがて心臓も動くことを止めた──。
その後、優斗は丸一晩中燃やされ続けた。
その晩は兵達が交替しながら監視を続け、時折、燃料を投入しては炎が激しく踊り、朝を迎えることとなった。
そして翌日、クロド達は燃え続けている優斗を改めて包囲してから鎮火させてみると、優斗は何の火傷も怪我も無く、燃やされる前と何ら変わらない様子であったが、白目をむきながら口を大きく開けた形相で窒息死していることを確認できると、一同はようやく優斗を倒せたのだと胸を撫で下ろした。
シロイの判断により優斗の遺体から身に着けているものを全て押収し、残った遺体は辟易の箱に沈めて封印することになり、これで異世界人の討伐はすべて完了となった。
「あぁ、ようやく終わった……。結局、非番じゃなかったか」
「一応、酒は飲めたんだろう? それでいいじゃないか」
「よくねぇよ、酒ってのは気心知れた連中と飲むから美味いんだよ」
クロドは昨晩あまり寝られず、寝酒も飲めなかったので不機嫌そうな様子だ。
そのクロドの隣に立っていたシロイも少し眠たそうではあったが、それよりも国内に侵入してきた異世界人を無事倒せたことに喜びを感じていた。
朝日に照らされながら、クロドは身体を伸ばしてほぐしていた際に、ふと目の前に広がる焼け焦げた地面と、熱で溶けて変形した刀の成れ果てに視線が移った。
「……もし、コイツと平地で戦っていたら勝てなかったかもな」
「あぁ、市場付近で戦えたのは不幸中の幸いだった。今後、討伐遠征に持っていく道具をもう少し見直す必要がありそうだね」
「また覚えることが増えるのかよ、ただでさえ混成部隊は辛いってのに……」
爽やかな朝には考えたくない話題にクロドは嫌気が差し、別のことを考えようとしたところ、優斗と一緒にいた女三人組の存在について思い出した。
「そういや、女三人組の方はどうだったんだ? シロイのところで預かったんだろ?」
「昨晩のうちに事情聴取まで済ませたよ。彼女達は三人とも南にある村の出身者で、あの異世界人に誘われてここまでついてきたらしい。『世界中を冒険して、世界の謎を解き明かそう』とか言われてね」
「くだらねぇ……。世界の謎ってなんだよ、そんなものを解き明かしてどうするつもりだったんだよ」
「そう言ってやるなよ、クロド。娯楽の少ない田舎育ちの彼女達には、随分と刺激的な提案に思えたんだろう。異能力のお陰で快適な旅を約束されていると思えば断る方が難しいさ」
「ふぅん……それで、処罰はどうするんだ? 異世界人に協力していたとなれば、極刑でも不思議じゃないが……」
「まぁ、彼女達が何かやったわけでもないから穏便に済ますよ。異世界人に騙されて誘拐されたと報告すれば、上も黙認するだろう」
「そうか、シロイ様はお優しいことで」
「茶化すなよ。それに、お前が私の立場でも同じようにしただろ?」
クロドは、シロイからの質問に直接答えなかったが、その緩んだ微笑みは十分に答えとなっていた。
「ところで、クロド」
「ん?」
「異世界人に毒酒を飲ませるところまでは、上手く仕向けていたらしいね」
「……あ、あぁ」
アルスから聞いていたのか、シロイは優斗が毒酒を飲んでいたことを把握していた。
決闘の最中より焦った顔を見せるクロド。
「どうして、そのまま毒で身動き取れなくなるまで引き伸ばさなかったんだい? そうしていれば、もっと楽にアイツを倒せたはずなのに」
「…………それは、まぁアレだ。俺が酔っ払っててだな……」
クロドの下手な言い訳に、シロイは無言のまま目を細めて睨みつけた。
「あ~わかったよ! 俺が悪かった!!」
「……正直に認めるなら私も目を瞑っておく。だが、次は酒場内で決着をつけてくれよ」
「あんまり異世界人と一緒に飲みたくはねぇけどなぁ……って、あぁそうだ!」
クロドは何かを思い出したかのようにシロイの肩を掴んで笑みを浮かべた。
「新しい酒だ! 飲みに行くぞッ!!」
「行くぞって……もしかして、今からか? まだ朝だぞ?」
「構うものかッ! 異世界人はちゃんと倒したんだから、後は残った奴らに任せておけばいい!!」
「……まったく、しょうがないな。クロド、お前のおごりだぞ」
「あぁ! それで毒酒の件はもう言いっこ無しな!」
クロドの熱意に折れたシロイは後始末を部下達に任せ、二人は酒場へと向い始める。早朝とはいえ、探せば開いている店が見つかるはずだ。
そう考えた二人は朝から街中を練り歩き、そして……。
「あった! 開いてるぞッ!!」
クロド達の目の前にあった酒場は宿屋に併設されているもので、早朝に旅立つ冒険者向けに店を開けて朝食の提供をしていた。
店内にいる冒険者達が酒を頼んでいる様子は無かったが、無理にでも店員に頼めばきっと出してくれるだろう。
「さぁ飲み明か……、いや飲み深そうか!」
「夜まで飲むつもりなのか……、流石に昼までには帰してくれよ。……と、あぁ待った。また通話魔法だ」
「おぅ、早く済ませちまえよ!」
シロイは額に指を当てて通話魔法を唱え始め、二言三言と話してすぐに通話を終える。
そして、クロドの方に向き直し、真剣な眼差しで言葉を投げかけた。
「クロド、良い知らせと……、悪い知らせがある」
そのシロイの言葉を聞いたクロドは、深い溜め息を吐きながら赤髪の頭を掻きむしり、答えた。
「……良い知らせから頼む」