005. 勇者様御一行の入国 - Ⅲ
クロドと優斗達は市場から少し離れ、酒場が連なっている通りへと向かっていた。
まだ日も落ちていない時間帯ではあったが、通りには既に人の姿がポツポツとあり、賑やかな騒ぎ声の聞こえる店もある。
店前には娼婦のような格好をした女性達がうろつき、クロドや優斗を優しい目で眺めていた。
一瞬、女性達と目が合った優斗は照れ隠しで目を背けてしまったが、クロドの方は呑気に手を振って挨拶をする。
「あら、クロドさん。今日は遊んで行かないの?」
「すまないが、今日は先客がいるからな。また今度飲みに来るさ」
「残念……。その子供達がお客さんなの?」
「そうだ。コイツらが……、そういえば、お前達の名前を聞いてなかったな」
「えと、僕は優斗っていいます。で、三人が」
「私はアリシアだよ」
「ボクはベラだ」
「ネリーと言います……」
「だ、そうだ。今からコイツらにとっておきの店を紹介してやろうと思ってな」
「……まぁ予定があるなら仕方ないわね。じゃまた今度で」
そう言って、酒場の姐さんはそそくさと何処かへと行ってしまった。
あっさりと引き下がってくれた客引きに優斗は少し安心したが、クロドの方は少しだけ笑って見送っていた。
その後も何度か客引きに捕まることがあったが、その度にクロドがそれとなく断り、一行はさらに奥へと進んでいく。
しかし、周りの風景がどんどんと未成年向けではない場所になっていくことに、優斗は戸惑いを隠せなかった。
三人娘の方も、約1名を除き訝しげな表情をし始めている。
クロドに対して疑念の晴れていない優斗は、とうとう声に出してクロドに問いただした。
「……あの、クロドさん」
「ん、どうした、金の心配か? それなら安心しろ! それぐらい国が出してくれるさ」
「えっ! ホント!? やったじゃん優斗! さすが私の勇者様♪」
「アリシア、お願いだからほんとにちょっと黙ってて……。お金は心配してなかったんですけど、このままどこへ向かっているのか少し気になっちゃって」
「それなら心配ないぞ。ほら、もうすぐ目の前だ」
クロドが指差した方向に開けた場所があり、そこに一つの店があった。
周りの建物と比べて少し古めかしい感じはあったが、年代物の煉瓦造りで出来た建物は老舗の雰囲気を漂わせている。
達筆な字で掲げられた看板は何屋なのかも読み取れないが、素人には到底入ることの出来ない深い趣のある店構えであった。
「お~、けっこう良いじゃん!」
「なるほど、ボク好みだな」
「周りが静かなのも良さそうですね」
「だろう? 知る人ぞ知る隠れた名店ってやつだ」
クロドが自慢げに語り、三人娘にも好評そうで喜んでいる。
その様子を見て優斗の方は、とりあえず変な場所に連れて行かれるわけではないと安心した。
クロドはそのまま店の方へと足を進め、4人はその後をついて行く。
そして、その少し離れた街角で5人の様子をじっと眺めている黒い影がひっそりと佇んでいた。
クロドは店の扉を開けて入っていくと、後ろからついて来た4人は恐る恐る店内を見渡した。
灯りも少なく薄暗い店内であったが、中は想像以上に広く、数十人は飲んで騒げる広さがあった。
カウンターの裏に並べられた酒の数から品揃えも豊富であることが窺える。
店内にはテーブルがいくつか設置されており、そこでは老練した行商人や旅人が口数少なく会話して酒を嗜んでいた。
店に入ってきたクロド達を一瞥はしても、場違いな優斗達4人を茶化すようなことはしない。
分別を弁えた大人達の社交場が、そこにはあった。
クロドは何事もないように店の奥へと進んでいき、カウンターの前に座って優斗達もその隣に座った。
カウンターの内側にいた高齢の店主らしき人物は、客に対して極力干渉しないのがこの店の持ち味と言わんばかりに、クロド達が座ったことも気にせずコップを拭き続けている。
「よぅ、久しぶりだなジイさん」
クロドが店主に声をかけても、店主の方は手を止めず次のコップを拭き始めている。
だが、声で誰が来たのかわかったのか、店主はクロドの挨拶に言葉を返し始めた。
「……クロドか。また生きて帰ってきたんだな」
「当然だろ! だから、今日もこうして酒が飲める」
「……私の店に金を落としてくれるなら誰でも構わないが、数少ない常連が減らなかった事は、あとで神に感謝しておくよ」
「そこは俺に感謝しろ、俺に!」
「…………それで、今日はどうした? 見知らぬ顔がいるみたいだが」
「あぁ、今日はコイツらと飲みに来たんだ」
「……ほぅ」
店主はコップを拭き続けながら優斗達の方へと視線を向け顔を見る。店主の視線は鋭く、とても客商売をしているような人間には見えない。
睨まれた優斗は少し怖気づいてジッと固まってしまう。
店主は4人の姿を凝視しながら、再び物静かに言葉を発した。
「……残念ながら、ここは子供の遊び場じゃない」
その言葉を聞き、優斗達は少しだけムッとして、アリシアに至っては反論の声を張り上げようとしたが、
「だから、ここに来た奴は誰であれ子供扱いはしない。さて諸君、何が飲みたい?」
店主はカウンターの裏からメニューを取り出し、優斗の方へと差し向けた。
「あ、ありがとうございます」
メニューを受け取った優斗は開いて中身を見たが、店の看板と同じように達筆な字で書かれており、異世界人の優斗どころか三人娘でも読み取れない。
店主は優斗の方も見ずにコップを延々と拭き続けている。
このまま、何を頼むか悩んで時間が経っていくだけに思えたが──。
「私、甘いやつで!」
アリシアがメニューを無視して答えた。
こういう時、後先何も考えず対応できるアリシアはやっぱり凄いなと優斗は心の中で思った。
クロドも、意表を突く注文に少し驚いている。
「じゃあ、ボクは強くて少し苦めのものを」
「……私はあまり酔わなくて済むものをお願いします」
アリシアに続いてベラとネリーも適当な注文を繰り出す。
まるで怖いもの知らずの集団であった。
「……わかった」
店主は短くそう言うと、後ろの酒棚から何本かボトルを取り出しコップに注いでいく。
程なくして酒が用意できると、それを三人娘の方へ丁寧に振り分けて渡した。
「うん、美味しい!」
「確かに、期待どおりの良い味だ」
「…………」
アリシアとベラは出された酒を一口飲み、その味に感嘆している。
ネリーもチビチビと飲んでいるが表情からは満足そうだ。
その様子を見て安心した優斗も適当に頼んでみようと思い始めていたが、その注文をする前にクロドが優斗に声をかけた。
「決められないようだな。なら俺のオススメでいいだろ?」
優斗は、変なものでなければ何でも良かったのであったが、せっかくなのでクロドの申し出を受けることにした。
「じゃあ、おまかせします」
「よし、わかった! ジイさん、いつもの奴を2杯で」
「……あぁ、わかった」
店主がクロドの注文を受け付けると、カウンターの下から大きな木樽ジョッキを2つ取り出した。
その大きさは、3人娘が飲んでいる酒の量を合わせて倍にしても優に超える。
「えっ?」
この時点で、優斗は目の前に現れた木樽ジョッキが何なのか一瞬わからなかった。
元いた世界にあったパーティー等に用意されるピッチャーかと思ったが、だとしても2つ出てきたのはおかしい。
普通に考えれば答えは容易に導き出されるが、優斗はその答えを本能的に拒否しているかのようであった。
そんな優斗を気にしない様子で店主が木樽ジョッキに蜂蜜酒を注ぎ終わると、二人の前にドンッと差し出した。
隣りにいる三人娘は(うわぁ……)という表情で二人の前に置かれた木樽ジョッキを見ており、優斗の方は更に輪にかけて(うわぁ……)という表情をしている。
対してクロドの方は、待ってましたと言わんばかりの嬉しそうな顔になっていた。
「さぁ、乾杯しようか!」
「あ、あの~……」
「どうした? 味は保証するぞ」
「いえ、その、この量はいったい……」
「ん、これくらい普通だろ?」
確かにクロドにとって、目の前に置かれた木樽ジョッキ程度は"序の口"レベルであった。
しかしそれは、クロド以外の人間には数時間後の嘔吐を約束し、翌日の二日酔いを確信させるには十分過ぎるほどの量であった。
未成年であることは置いておくとしても、現代知識を持つ優斗からすれば急性アルコール中毒の危険も頭を過ぎり、出された酒はとても受け止められる量ではなかった。
「すいませんけど、流石にこの量はちょっと……」
「……んん、仕方ねぇな。じゃあこれは2つとも俺が飲むとして、もう1つ別のを頼むか。ジイさん! 確か、赤と青の荷札が付いた酒があっただろ? 今度はそれを頼む」
クロドが再び酒の注文を出したが、その注文を聞いた店主は一瞬だけ、動きがピタリと止まった。
そして、そのままクロドの方に顔を向けて睨み、先ほどより低い声でクロドに応えた。
「……そうか、わかった。隣の部屋に置いてあるから取ってくるよ」
店主は店の奥に行き、しばらくして手に酒瓶を持ちながらカウンターまで戻ってきた。
クロドが注文したとおり、酒瓶には赤と青の荷札が括り付けられている。
戻ってきた店主はカウンターの裏から銀の杯を取り出すと、それに酒を注ぎ出した。
不思議そうに見ている4人のために、店主は少し解説を加える。
「……この酒はな、銀の杯で飲むのが決まりなんだ」
「へぇ~、そうなんですか」
店主の解説に、クロドが続ける。
「もう少し補足すると、この酒は国が醸造している酒でな。"特別な客人"が来た時しか出せない酒だ。だから、銀杯なんだ」
「それは、……なかなか楽しみですね!」
クロドの"特別な客人"という発言に、優斗は自分が特別扱いされているのだと理解して少し気を良くする。
特別なお酒と聞けば、その味にも期待が増した。
更に目の前に見えている銀の杯は小ぶりで、先のように異常な量が出てくる心配もない。
まだ心配があるとすれば、酒自体飲み慣れていない優斗にとって、味が判るものなのかという少しの不安だけである。
「俺も1杯貰おうかな。ジイさん、俺の分も注いでくれるか?」
「……いいのか?」
店主は少しだけ驚いたような表情をしたかに見えたが、クロドが頷くと元の表情に戻り、すぐに別の銀の杯を取り出して注ぎ出す。
そうして、クロドと優斗の前には2つの銀の杯が並べられた。
封を開けたばかりの酒からは芳醇な香りが漂い、匂いを嗅いでいるだけでも幸せな気持ちになる。
色は黒に近い赤紫であったが、その色合いが高潔さと上品さを引き出しているようにも思えた。
「じゃあ、気を取り直して乾杯といこうか!」
「えぇ、そうですね!」
優斗も美味しそうな酒を前に気分が乗り出している。
クロドと優斗はそれぞれの銀の杯を掴み、乾杯の用意を取った。
「ここではな、合図とともに杯を3回ぶつけ合うんだ。周りの皆全員に聞こえるくらい大きな音を出すために思いっきりぶつけるんだぞ」
「わかりました。……では、乾杯!」
『カァン、カァン、カァァンッ!』
店内中に、金属を打ちつける音が三度鳴り響いた。
音に気づいた他の客達もクロドと優斗の方を向いている。
そして、クロドはそのまま銀杯に口をつけ、中の酒を一気飲みした。
その様子を見て、優斗も負けじと酒に口をつけた。
酒を口に含んだ途端、口内で苦みが少し走り、それを過ぎると甘酸っぱい果実の風味が広がる。そして、そのあとから更に追いかけてくるように口の中がじわじわと熱くなっていった。
飲み込んだ後は喉の方が少し熱くなったが、今度は揮発した香気が鼻孔からすぅっと抜けていき、味覚で味わうのとはまた違った味わい深い風味を嗅覚で感じ取ることができた。
「……これは、おいしいです! その……、すごく!!」
まだ酒を飲み慣れていない優斗でも、この酒がどれほどのものか理解し、表現力が乏しいと言われたとしても率直な感想を言わざるを得なかった。
「そいつは良かったな、まだたっぷりあるからガンガン飲めよ!」
「はいっ!」
こうして、クロドによる饗宴は幕を開けたのであった。