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ギヤマンの音に


 湿気を含んだ生温かい風が ちりりん、と風鈴を鳴らした。夕立でも来そうな空模様である。

 通り沿いには商店が幾つか軒を連ねている。そのうちの一軒で、日用品を扱う小さな店があった。店の中には、食器や箸、置物、女性用の櫛や鏡、それから箒などの掃除用具なども置かれている。万屋(よろずや)に近い小間物店だ。
 店先に吊るしたそれは、風に身を任せてゆらゆらと揺れる。ビィドロ製の、吹きガラスで作られた表面には金魚の絵が描かれている。風にそよぐ姿は、まるで自由に泳いでいるようだ。

 はたきを持って店の掃除をしていた雄作(ゆうさく)は、この風鈴が好きだった。音といい、形といい、模様といい、そのどれもが気に入っており、風にゆらめき音色を立てれば手を休めて見入ってしまうほどに。
 この時も例に漏れず目を向けると、そこに一人、少女が立っていた。長い髪を後ろに束ねてリボンを付けた、袴姿の少女だ。年の頃は十六、七といったところだろうか。雄作よりも二つ三つ下に見える。女学校の生徒らしく、手には通学用と見られる鞄を提げており、布製ではなく革でできた鞄が雄作には物珍しかった。

 突如、バラバラと激しい音が響き渡った。夕立だ。容赦なく斜めに降り注ぐ雨粒は店の床まで濡らし、みるみるうちに、斑点が水たまりへと姿を変えようとしている。
 戸口に立っていた少女にも、雨は降りかかっていた。雄作は慌てて「すみません。そこ閉めますね」と言って少女を店の中へと引き入れ、入口の戸を閉めた。雨は激しさを増すばかりで、ガラス戸にぶつかる音は風鈴の音色をかき消してしまっていた。

「濡れませんでしたか?」

 雄作は少女に問いかけると、店の奥から手拭いを持ってきて差し出した。
 少女は雄作に見向きもせず、ただじっと風鈴を見つめている。

「あの……」

 それ以上、会話は続かなかった。少女の持つ雰囲気に圧され、話しかけることを諦めたのだ。気安く接してはいけない、住む世界が違う――そんな壁を感じたのだろう。
 少女が纏っている着物や袴、それからブーツに鞄。そのどれもが上等であるということは一目でわかる。その上、烏の濡羽色のような艶やかな髪が裕福さを強調させていた。栄養状態が良くなければこうはいかない。雄作の家の近所にも年頃の娘はいるが、大抵はごわごわしており、今日のような湿気の多い日にはボサボサ頭になっているはずだった。
 雄作は仕方なしに店と居間とを仕切る(あが)(かまち)に腰掛け、少女を眺めることにした。
 一向に止む気配を見せないうるさい雨音に対し、静止している風鈴と少女。膝の上に頬杖をつきながら、なかなか悪くないなどと思ったその時、少女がふいに雄作のほうへと顔を向けた。

「この風鈴、くださる?」

 突拍子もなく発せられたその言葉に、雄作は頭が真っ白になってしまった。唖然とし、何か言わなくてはと焦るが言葉が出て来ない。しびれを切らしたのか、少女が続ける。

「おいくらかしら。とても素敵だから、いただきたいの」

 そこで初めて雄作は、無償(タダ)で欲しいと言われたのではないと知る。年下の年頃の女の子、しかも金持ちとなれば我儘に育っているだろう、という偏見が雄作にはあった。まわりの大人は意のままになる――それが当たり前だろう、と。

「申し訳ありません。売り物ではないんですよ」

 雄作が少女のご機嫌を損ねないよう愛想笑いをしながら答えると、少女は残念そうに眉を下げた後、再び風鈴へと顔を向ける。

「そんなに気に入りましたか?」

 少女は黙って首を小さく縦に振った。

 金持ちのことだ。うちのような粗末な小間物屋に置いてある品が珍しいのかもしれないが、手に入れたらそれで満足して、どうせ三日で飽きるだろう。そんなことで大事な風鈴を手放すわけにいかない――。

 雄作にとってその風鈴は、心の拠り所とも言えるものだった。代わり映えのしない平凡な毎日を彩り、清々しさと安らぎとを与えてくれていた。あと一、二年すれば、兵役に服さねばならない。徴兵制度のためである。それを考えると、日に日に鬱々とした気持ちは増していくばかりであった。

 しかし少女は、どうにも諦めきれないといった様子で愛おしげに見つめている。

「それのどこがそんなに?」

 雄作が尋ねると、少女は控えめな声で「金魚鉢」と呟いた。
 雄作はハッとした。
 確かに金魚が描かれているが、金魚鉢とは考えも及ばなかった。しかし、言われて見れば なるほどと、少女の発想の豊かさに感嘆の息を漏らす。

 ややあって、雄作に一つの考えが浮かんだ。彼女は何も風鈴でなくとも良いのではないか、と。

「それなら、金魚鉢はいかがですか?」

 一瞬、間を置いてから、少女が勢いよく振り向く。目を輝かせて「あるの?」と。

 雄作はうなずき、店の隅に置いてあったガラス製の金魚鉢を持って来た。仕入れてからだいぶ経っているため曇ってはいるが、きれいに拭けば売り物として通用するだろうと、少女の目の前で磨き始める。
 胴の部分は球体のように丸く、青く色が付けられた開口部は大きく波打った形になっている。

「昔は『金魚玉』とも呼んだそうですよ」

 拭きながら雄作が言うと、少女はこの時 初めて、ほんの僅かにだが笑みを浮かべて「この丸い形が素敵」と答えた。
 店にあった砂利やビー玉を集めて来て、鉢の中へと入れる。

「あとは水と金魚を入れるだけですね。水草もあったほうが風情も出て良いでしょう。少し重いですが、持って帰れますか?」

 しかし、雄作が問いかけても少女は反応せず、ただ金魚鉢を見つめるのみ。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「どうかしましたか?」

 踏み込んではいけないとわかっていながらも、雄作は訊いてしまった。金魚鉢を調えている間に、何故か少女との距離が縮まった気がしたのだ。同じ風鈴を好きだという、共通点があったからなのかもしれない。

「ここに入る金魚は、幸せなのかと思って……」

 そう言って、少女は金魚鉢の丸みを帯びた部分に手を添える。店先で立っていた時の凛とした姿とは打って変わり、憂いを帯びた弱々しく儚げな様子に、雄作は戸惑いを隠せない。

「幸せ、ですか……」

 雄作には、少女が何故そんなことを言い出したのか理解できなかった。少し前まではあんなにも目を輝かせて見ていた彼女が何故、と……。
 しかし無理もない。まだ出会って数分しか経っていないのだ。先程まで感じていた親近感は一気に消え失せ、自分はこの少女が置かれている状況も何もかも知らないということを改めて認識させられた気分だった。

「私には許嫁(いいなずけ)がいて……準備だけは着々と進められていくの。この鉢を見ていたら、綺麗に調えられた家に入る金魚は、まるで私のようだと……」

 少女の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
 雄作はどうして良いかわからず、あたふたしながら先程彼女に渡せなかった手拭いをずいっと差し出した。

「金魚が幸せかどうか僕にはわかりません。でも、伴侶がいるなら……独りじゃないだけマシだと思うんです。そこから出られないのなら、仲良くするしか道はありません。だから……」

 そこまで言うと、雄作はすくっと立ち上がり、店先に吊るしてあった風鈴を取り外した。

「これ、差し上げます。その中に入る金魚よりは自由ですから」

 雲間から差す光が風鈴を照らす。
 雄作がガラリと戸を開けると、雨上がりの爽やかな風がちりんちりんと心地よい音を呼び、そこに描かれた二匹の金魚は生き生きと空中を泳いでいた。





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