食用ケルピー2
セオドアは、鞍もつけず錦鯉ケルピーの背中に乗り、あれよあれよと天高く連れていかれ落下する……夢を見て寝台から転げ落ちた。
出窓をアルコーブと言い、無理矢理布団を敷いただけの寝台。
元出窓という、随分高い位置から落ちたセオドアは、床に大の字で寝そべったまましばらく動けなかった。
体も痛いが、まだ夢から覚めきっておらず放心状態。
見慣れた天井と床板の隙間に詰まった埃、どこか雨漏りしているのか壁のじわりとしたシミ。
見渡し自宅だと確認し、ようやく夢だと確信し大きなため息をつく。
のそりと体を起こせば、打ち付けた右肩と背中がズキリと痛む。
壁に額をつけ痛みを逃しながら、今日の仕事は何があったかと、痛む体でこなせるか算段する。
フグピーに餌をあげ、必要分見繕っていつもの料亭と宿屋に卸す。
餌作りやフグピーの運動を兼ねた放牧、新しい販路の開拓や副業探しなど、やりたい事は山のようにあるが、今は必要最低限の事しか出来そうにない。
何度か肩を回してみて、動くことを確認する。
痛むのは右肩と背中だけ。
その事にひとまず感謝しながら立ち上がり、寝台の奥のカーテンを開ける。
すると、窓の外の光景に、セオドアの頭はまた停止してしまった。
監視の為、窓は倉庫の入り口が見える位置にある。
倉庫には異変は無い。
問題は倉庫の前。
昨日セオドアが殻イカを焼いて食べていた場所に、タコケルピーがごろりと寝そべり、地面に背中を擦り付け遊んでいたのだ。
一度カーテンをしめ、寝台に肘を付き目頭を摘まみグリグリと揉む。
振り返りテーブルの上の餌の仕入れ伝票を確認し、すぐ隣に投げ置かれている乾燥しきったパンを確認する。
いつも通り、なんの異変もない。
意を決し勢い良くカーテンを開けると、それに気付いたタコケルピーが顔を上げ、元気に駆け寄ってきた。
開けろと言わんばかりに鼻で窓を叩くタコケルピーの勢いに押され窓を開けると、タコケルピーは昨日のようにセオドアの顔に鼻先を擦り付けたてがみの足でぴちゃぴちゃと叩き吸い付く。
「……おはよう。なんだ、朝飯の催促か……?」
予期せぬ熱烈な朝の挨拶に、セオドアの頭は急速に冴えていく。
張り付いた吸盤を引き剥がし、試しに乾燥豆を数粒タコケルピーの鼻先に近付けてみる。
すると、確認もせずタコケルピーはセオドアの手のひらに吸い付き、一息で食べてしまった。
手のひらに当たるザラリとした舌と鋭利な牙に、昨日の光景がよみがえる。
巨体に豆数粒では無いのと同じで、タコケルピーはもっともっとと窓に顔を突っ込んでくる。
「待て待て窓が壊れる。ちょっと待て」
セオドアは羽織をひっ掴むと家から飛び出し、ガタガタと倉庫の扉を開ける。
相変わらず網の中を漂うフグピー達をさっと確認し、今日の分の餌を網の隙間から放り込む。
フグピー達が機敏に餌を追いかけているのを確認したセオドアは、フグピーに蒔いた餌の入っていた箱の隣の箱を持ち上げ、よたよたと外に出る。
痛めた背中と右肩に響き、セオドアは数歩も歩けず箱を置く。
一旦倉庫の扉を閉めてから箱を開けると、中はフグピーの餌の一つの貝だった。
人の顔ほどもある大降りの貝を砕き、他のものと混ぜフグピーに与えている。
セオドアは貝を一つ取り出すと、タコケルピーの鼻先にかざしてみる。
「これ、食えるか? でかかったら砕くけど、どうするよ」
タコケルピーは差し出された貝を鼻先でつつき、匂いを確かめ、たてがみの足でしっかりと握る。
しばしたてがみの足でくるくる持ち変えたり振り回したりした後、突然そのまま握りつぶしてしまった。
タコケルピーのはじめて知る一面に、セオドアは箱を抱えたまま凍り付く。
タコケルピーはバキベキと殻を割ると、昨日と同じように座り込むと、また前脚の間に貝を挟みゴリゴリと貪り始めた。
何度見ても心臓に悪く、愛らしさと荒々しさが共存した不思議な魅力を持つ生き物。
餌場と思われているようだが、敵対されるよりは良いと、セオドアは次の貝を準備しはじめる。
頭の片隅に餌代の伝票の存在がちらつくが、今更多少赤字になったところでと、半ば自暴自棄気味に一番大振りで実入りの良さそうな貝を見繕う。
その間お利口に脚を揃え静かに待っているタコケルピーに、愛着が沸かないわけがない。
貝の口にナイフを差し込みぐるりと回し、貝柱を切断しガパっと貝を開ける。
予想通り、開けてみれば身がパンパンに詰まった良い貝で、タコケルピーもまだかと首を伸ばしてくる。
タコケルピーの前に貝を並べて置くと、タコケルピーはセオドアが座り直すのを確認してから食らい付く。
勢い良く食べるタコケルピーを横目に、次の貝はと箱を探りはじめると、遠くから低い鳴き声が近付いてくる。
どこから聞こえるのかと空をぐるぐると見渡すと、タコケルピーがある一点を見詰め動かなくなった。
タコケルピーの見詰める先に目を向けると、遠くの方からセイウチケルピーに乗った海老ケルピー農家のティモが近付いてくるのが見えた。
やけにセイウチケルピーが大騒ぎしているなと思い見守っていると、乗っているティモもほとほと困ったように笑いながらセオドアの倉庫の脇に降り立った。
「なぁ、ティモ。どうしたんだ、そのセイウチケルピー」
降り立ってもなお大声で鳴き続けるセイウチケルピーに、慣れないセオドアはおろおろとティモとセイウチケルピーの顔を交互に確認する。
「それがさ、そのタコケルピーを見付けてからずっとこれでなぁ。威嚇してんのか何なのか真っ直ぐ家に帰ってくれなくて。悪いな騒がしくして。それにしても、どこで手に入れたんだ? そのタコケルピー。こんなでかいのはじめて見る」
セイウチケルピーの顔をくしゃくしゃに撫で回しながら、ティモも不思議そうにタコケルピーをまじまじと眺める。
そんなタコケルピーだが、本人は騒ぐセイウチケルピーにもティモにも全く興味は無いとばかりにつんっとそっぽを向き、優雅に食事を再開させる。
「なんて説明したら良いか。やっぱり立派だよな? そうだよな? なんて種類のタコケルピーか分からないけど、やっぱり立派だよなぁ」
セオドアもティモと一緒になってうんうん頷き、立派だ立派だと繰り返す。
「その様子だと、運搬用に買って来たんじゃないんだな。まぁ、品種が分からないから何とも言えないけど、毒性のタコケルピー以外は飼育に資格もいらないし、このまま飼っちまったら良いんじゃないか? なんか大人しいし、フグピー食わないと思うし」
更に騒ぎ始めたセイウチケルピーをなだめながら、ティモは何とも無責任に言い放つ。
それは昨日から何度頭をかすめた事かと、セオドアは言葉を飲み込んだ。
妙に懐いてしまった珍しいタコケルピー。
目の前で倉庫を開けてもフグピーに反応を示さず、フグピー達も気にしていなかった。
しかしこのまま飼ってしまいたいが、大赤字のフグピー農家にそんな余裕は無い。
ティモの扱う海老ケルピーも、料亭なんかで使われる高級品の大振り海老ケルピーで、セオドアと同じように新しい販路を開拓しないと近々セイウチケルピーを手放さないといけないと、この間の『第三浮島食用ケルピー農家の会』で愚痴っていたばかりだ。
冗談なのか、他人事だから無責任に言い放ったのか、それとも新しい販路を開拓して余裕が出たのか。
セオドアはちらりとセイウチケルピーが背負う出荷用の箱に視線を向けると、それに気付いたティモが箱をパカッと開けた。
「なんだなんだぁ? もしやタコケルピー用に買ってくれるってのか? けどわりぃな、今日の分を卸して来た帰りで、なぁんも残ってないんだ」
豪快に笑うティモは、空っぽの出荷箱を軽快に叩く。
そう言えばさっき「真っ直ぐ家に帰ってくれない」と言っていたなと、ぼんやり思い出したセオドアだったが、その直後「卸した帰り!?」と大声を上げる。
「待て待て今何時だ!? まずい遅刻だ! まずいまずい急いで行かないと、いや、まずは出荷するやつを見繕って、ああその前に着替えて……餌はあげたし、ああ、今日こそ餌代を払いに行かないと」
完全にパニックになったセオドアは、ぶつぶつと一人言を言いながら同じ場所をぐるぐると回り続ける。
そしてパニックのままセオドアは唯一の移動手段の手漕ぎたらい船に乗り込み、櫂を右左と捻りはじめる。
「落ち着けセオドア! お前はまず着替えて来い! その間に俺が出荷箱の準備しておくから落ち着け!」
ティモに言われようやく我にかえったセオドアは、たらい船から飛び降りると、一直線に自宅へと戻っていった。
今までで最速の出荷準備を終えたセオドアは、財布は持ったか伝票は持ったかと口煩く言ってくるティモに深々と頭を下げる。
荷物を全て積み込み、たらい船を漕ぎ出す。
櫂を左右にきこきこ捻れば、たらい船はくねくねと左右に揺れながらゆっくり浮かび上がり、進んでいく。
その速度があまりにも遅く、見送っていたティモが腹を抱えて笑い出す。
笑いやがってと歯軋りをするが、自分でもこの姿は滑稽だろうなとがむしゃらに漕ぐ。
徐々に離れていくセオドアを見送っていたタコケルピーだったが、食事を終えたのかくねくねと尾を揺らしセオドアを追いかけて来た。
ほんの二・三度空を掻いただけであっという間にセオドアに追い付いたタコケルピーは、必死に漕ぎ続けるセオドアの周りを不思議そうにくるくる回る。
終いにはたらい船に足を絡め、ガタガタと揺らし始めた。
「分かってる、食い足りないんだよな。でも、先に、卸してからな。飯の続きは、帰ったら、な!」
ふうふうぜぇぜぇ漕ぐだけで息が上がるが、セオドアはどうにか声を絞り出す。
セオドアの言葉に小首を傾げたまま動かなくなったタコケルピーに、念を押すように「分かったか?」と呟き鼻先を撫で回す。
するとタコケルピーは何を思ったか、前脚でセオドアごとたらい船を抱え込むと、ぐぐっと尾を縮め力を溜めると、空を弾くように尾をぐっと伸ばす。
セイウチケルピーや錦鯉ケルピーの比ではない速度で走り出したタコケルピーに、セオドアはたらい船の中でごろごろと転がり続ける。
ぐっと力を溜め空を弾き、また力を溜め空を弾いて進む。
一定の速度じゃないせいで、セオドアは一定感覚でたらい船に体を打ち付ける。
「お前、そんなに腹減ってたのか。悪かったなぁ、帰ったらもっとやるよ」
タコケルピーの首を労うように叩いてやると、満足そうに鼻を鳴らした。
あっという間に中央浮島が見えて来た。
中央浮島からの帰りであろう人達が、高速で移動しながら補食されているように見えるセオドアを唖然とした顔で見送る。
一様にみな同じ顔をするものだから、少し恥ずかしくなったセオドアはたらい船の中に屈み一人で笑う。
はっきり見えて来た中央浮島の船着き場を指差せば、タコケルピーは瞬時にそこへ向け方向を変える。
船着き場で交通整理をしていた人が、高速で突っ込んでくる巨大なタコケルピーにバタバタと逃げ出していくのが見える。
船着き場の端、一番人の少ない桟橋に、タコケルピーは勢い良く着地する。
その衝撃は良く折れずに耐えたと桟橋を褒めちぎりたいほどで、隣の桟橋に繋がっていた他の船が衝撃でぐらぐら揺れている。
注目を浴びしてまったセオドアは、唖然とした表情で硬直する人達ににこにこ笑いながらペコペコと頭を下げると、さっさとたらい船を桟橋に固定し荷物を背負うと、タコケルピーのたてがみを引っ張り走り出す。
全力で走るセオドアに大人しく並走して飛ぶタコケルピーは、今度はたてがみの足でセオドアを器用に持ち上げると、背中にどすんと乗せてしまった。
色々な事が同時に起きすぎて、出来れば立ち止まってお茶でもして一回落ち着きたいものだが、今のセオドアにそんな時間はない。
タコケルピーが乗せてくれたのをこれ幸いと、目的の納品先を順番に回っていった。




