7:これが……クッキーですって……?
厨房を覗き込んでいた理由を素直に話すと、ヴィゴは小鼻を膨らませ必死に笑いを堪える。
申し訳ないことに、その話は厨房の中で行われており、回りの従業員達もニコニコと暖かい雰囲気で作業をしている。
「そう言えばベルさんは魔道技師でしたね。すっかり忘れてました。しかし、魔道具ですか……。今は修理する物も無いですし、かといって何か新調する物も無い、はず……」
話を聞き終えたヴィゴは、真剣に厨房内を見渡し考えてくれる。
はじめから覗き見なんてせず、こうして聞いた方が良かったと、ベルは顔を真っ赤にして縮こまっていた。
「いえ、すみません。特に無ければそれで良いんです。と言いますか、無いに決まってますよね……お騒がせしましーー」
乾いた笑い声を上げながら、無意識に手元にあったペーパータオルを動物の形に織り込む。
すると、これまた無意識に魔力が宿ってしまったのか、ペーパータオルの動物は独りでに歩きだしヴィゴの前でごろんと寝そべってしまった。
「いやー、面白い力ですね。ご本人からしたら気が抜けなく大変でしょうけど。あ、ちょっとベルさん、これで何か作ってみてくださいよ」
ヴィゴは心底楽しそうにペーパータオルの動物を撫で回した後、従業員にパン生地とクッキー生地、パイ生地の三種類を持って来させた。
「勿体ない! 普通に焼いて食べたい……普通に焼いて食べたいんですけど!」
「普通に焼いた物なんてその辺にごろごろありますから、お気になさらず作ってみて下さいよー」
そう言うや、ヴィゴは焼き立てのクッキーをひとつひょいっとつまみ上げ、そのままパクリと頬張った。
確かにその辺にごろごろありますがと、ベルが反論しようと顔を上げると、ヴィゴは「焼き立てですよ」とクッキーを差し出してきた。
ふとヴィゴの後ろに目をやると、手が空き始めた従業員達が二人の為にお茶を用意したりあれこれ茶菓子になりそうな物を選んでいた。
早くここから撤退しないと、最高のお菓子で餌付けされてしまう。
ベルは急いで手を洗い心を決めると、クッキーをぱくりと咥えクッキー生地に手を伸ばした。
その直後、焼き立てクッキーのあまりの美味しさに泣き崩れそうになる。
「私のクッキーの概念がぁ壊れたぁ……今まで作って来たのはただの色んな物が混ざった小麦粉を焼いた物だったんだぁ。いや、これはクッキーじゃなくて贅沢なサブレ贅沢なサブレ……さくっとホロッとたっぷりバターとバニラオイル……。天使が口に舞い降りたよぉ」
ベルの情けない声に、すぐ後ろに立っていたシエルと遠目で見ていた従業員達が、一斉に顔を反らせるのが分かった。
ぐすぐずと涙声のベルは、ぶつぶつとクッキーの感想を呟きながら一心にクッキー生地で何かを作り上げていく。
均等な厚みにしなくては焼き加減が、と思いつつ、好きに作って良いと言われたので、気にせず手のひら大の立体ゴーレムを作っていく。
触っているうちにバターが溶けて来て上手く形成出来ず四苦八苦したが、そこは魔道技師。
自立するようバランスをとり、額に焼成後稼働する印を彫り込み、ヴィゴに提出する。
すると、厚みやバランス、大きさをさっと確認したヴィゴは、従業員に細かく温度と時間の設定を伝え、ゴーレムクッキーを天板に乗せ慎重に渡す。
従業員はすぐさまオーブンの設定をし、クッキーを焼き始めた。
「あ、そう言えばですね、さっき言っていた新作なんですが、ラングドシャを器にしたトライフルなんですよ。クッキーを気に入って下さったなら、これもお好きかも知れないですね」
ヴィゴは思い出したように手を打つと、試作用のショーケースから一つ取り出してくる。
さすがにあれもこれも頂くわけにはいかないと断るも、ヴィゴはベルの新鮮で素直な反応が嬉しいのか、是非に是非にと言って聞かない。
ちらりと横目でシエルを確認すると、諦めろと言わんばかりに首を横に振られてしまった。
「で、では、頂きます……」
ヴィゴだけでなく、なぜか従業員達も注目する中、ベルは匙を取った。
スライスしたイチゴが可愛らしく盛り付けられ、その下のクリームの中には他のベリー達が見えかくれする。
遠慮がちにベリーとクリームをひとすくいし口に運び、次にクリームの下にあった小さく切られたスポンジケーキを頬張る。
ぽっかりと隙間の空いたラングドシャをサクッとかじり、半分ほど食べたところでベルは嗚咽混じりに泣き出した。
「ヴィゴさんに祝福を……!」
ベル独特の賛辞の言葉に、満足そうなのはヴィゴだけ。
他の従業員達は笑いを堪えるのに必死で、顔を背けたり水を飲んだりとそわそわしている。
「良かった。トライフルなので中は何を入れても良いので不安は無いのですが、それとは別で少し悩んでるんですよ。ガラスの器で持ち帰りにすると手配も手間ですし、器分の値段も加算しないといけないでしょ? でも、ラングドシャを器にするとヨーグルトやアイスなどはすぐに食べて貰わないと、ラングドシャが崩れてしまうんですよ」
泣きながら残りのトライフルを食べるベルに、ヴィゴはため息混じりにそんな事をこぼす。
確かに、試作品棚に残っているトライフルは、もうすでに下の方の色が変わってきている。
スポンジケーキを入れ水分が出るのを防いではいるようだが、それでも限界があるようだ。
従業員が紅茶をベルの前に静かに置く。
にっこりと会釈し、これまたのたうち回りたいほど良い香りのする紅茶を口に含みながら、ベルはふとある事に気付く。
紅茶を置き、キョロキョロと辺りを見渡し、一番小さな麺棒を手に取る。
しばし麺棒を見つめ唸った後、自分の服のボタンやシエルの服の飾り、厨房にあった木の匙など手当たり次第に集め、再び唸る。
しばらくし、考えが固まったのか、ベルはポケットから小さなナイフを取り出すと、ヴィゴに一言断りを入れて木の匙の後ろを平らに切り落とす。
程よく切り落とした箇所を整え手に刺さらないか確認すると、ベルは一度ノートに何やら印を描き始めた。
二つ三つ印を描き、また少し唸り修正しよしっと腕をまくる。
そのまま切り落とした匙に、今描いた印を二つ、丁寧に彫っていく。
厨房で木を彫るなんて衛生的に怒鳴り散らされてもおかしくない行動だが、ベルが彫り始める前に従業員達が対応してくれ、どうにか許されている。
失敗するわけにはいかない。
ベルはひと彫りひと彫り慎重にナイフを入れ、ふぅとため息をつくとようやく彫り終わった。
「この上の印が保湿で、下のが除湿です。この印を袋か何かに捺せば、その中はヴィゴさんの思った通りの湿度になります。印を分けてありますので、トライフルの用に上のフルーツは保湿したいけどラングドシャは除湿しておきたいって時に、臨機応変に設定できます。なんにでも使えるよう印鑑にしましたので、お持ち帰りの箱にも袋にも、ショーケースのガラスにもお使いいただけます」
ベルはそう言うと印鑑を軽く洗い、さっき食べたトライフルの残りのソースをつけると、試作棚のガラス戸にぺたりと押し付けた。
ガラス戸にくっきりとソースで印が捺されると、たちまちフルーツは瑞々しくなり、ラングドシャに染み出ていた水分はカラリと乾いていった。
「ブレッドケースみたいな物に直接刻印する事も出来ますよ。そこのオーブンみたいにしっかりとした高級魔道具にするなら、大分時間をいただかないといけないですが……」
ベルが一通りの説明を終え振り向くと、いつの間にかヴィゴだけではなく従業員達も試作棚に集まり食い入るように中を覗き込んでいた。
「匙の横に、始めに入っていたお菓子を取り出したら魔道具としての効力が切れるように印彫り混んでおきますね……?」
殺到する人からどうにか逃げ延び、匙を指差すと、ゆっくりと振り返ったヴィゴが思いきりベルを抱き締めた。
「ベルさんに祝福を! さぁお前たち、落ち着いたところ悪いがもう一仕事だ! 忙しくなるぞ!」
先程自分が送った言葉がそのまま返ってきて、恥ずかしいやら喜んで良いやら、ベルの顔は一気に赤く燃え上がる。
「ベルさん、この匙を買い取らせてください。それと、同じように鮮度を保てる小さなショーケースと、保冷出来る印鑑の作成を依頼させてください!」
「は、はい。ですが、報酬はいりません。どれも宿代として作らせてください」
気に入ってもらえたようで良かったと胸を撫で下ろしていると、ヴィゴは絶対に報酬は払うと言って聞かない。
ベルも宿代と頂いているお菓子代で相殺だと、絶対にそこは譲れないとヴィゴと小さな言い争いを繰り広げ始めた。




