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スパイスの手(仮)

 言うに事欠いて大切な客人とやらは、こんな寂れた山奥の集落で、もっと甘い物をと要求して来た。

 どうやら、食事の時間までに摘まんで貰おうと、茶と一緒に出した麦芽糖飴程度では満足できなかったらしい。

 その飴にどれ程手間暇がかかっているか。

 麦を発芽させ、手ずから杵でつき煮立たせ幾日も時間かをかけ作った物だ。

 自慢の飴を出したのにと、シンイーおばさんは鼻息荒く、畑までファランを呼びに来た。

 見事、厄介事に巻き込まれたファランは、シンイーおばさんを宥めつつ、一言その客人とやらに文句でも言ってやろうかと内心思っていた。

 根ごと引き抜いた大豆の束をまとめて背負うと、二人はお茶請けを作る為家路につく。

 

「甘い物甘い物って、あの虫野郎め。黒蜜でも舐めさせておけば良いんだよ。いや、黒蜜が勿体ないね。サトウキビで十分だ」

 

 未だ怒りの収まらないシンイーおばさんは、客人のいる長の家の方へ毒突く。

 

「それは流石に……。そうだ、丁度うちにゼリーの実があるから、それに黒蜜をかければ良いよ。上に干し果物を砕いて乗せれば、味も黒蜜ばっかりじゃなくなるし」

 

 谷間の広場からは、客人の夕餉の準備の煙が上り始める。

 どうやら豚を一頭潰したらしく、広場はまるで今から祭りでも始まるかの賑わい。

 豚一頭など、正月位なもの。それ程歓迎される客人なのか。

 高々と燃え上がる炎の中に、しめた豚を丸々放り込み、黒焦げになるまでじっくり焼き、体毛を取り除く。  

 丁度今火の中に放り投げるのが見え、ファランは夕餉までの時間をおおよそ判断した。

 土を踏み固めただけの道の湿った感触を草履越しに味わいながら、二人は上へ上へと道を上っていく。

 下へ下へと流れていく家の屋根には、どこも大きなざるに乗せた豆や野菜くずが置かれ、目一杯陽光を堪能している。

 家に着くなりファランは玄関先に大豆を放り投げ、手を洗うと真っ直ぐ台所に向かい、竈に火をつける。

 目一杯両手を伸ばし巨大な丸底鍋を竈に置くと、すぐ瓶から水を移し、煮立たせる。

 

「客人は一人だけだよ?」

「丁度黒蜜が少なくなってたから、ついでよついで。おばさんも少し持って行ってね」

 

 水を入れた丼を持って来たシンイーおばさんは、鍋を覗き込み眉を上げる。

 一人分のゼリーに使う黒蜜など、精々匙二、三杯分程度。

 しかし、いくらか煮詰めるとは言え、鍋に注いだ水はゆうにひと壷分はあったのだ。

 シンイーおばさんは、軒先に並べて干していた、完全に水分が飛んだゼリーの実を砕き、種を取り出しはじめた。

 ぱらぱらとゴマ粒大の種をザルに集め、余分なゴミを風で飛ばす。

 ある程度の量が集まった所で、目の粗い布で包み、先程用意した丼の中に漬け、ようく種を揉みしだく。

 すると、徐々に生成り色に色付き始めた水は、次第にとろみを帯び、瞬く間に薄山吹色のとろりとしたゼリーの素が出来上がった。

 悪態はついていたが、特別な客人に出す物だからと、シンイーおばさんは出来上がった物を更に布で漉し、涼しい場所に置いておく。

 このまま固まるまでしばらく置いておけば、ゼリーは完成。

 すっかり手持ち無沙汰になったシンイーおばさんは、小箱を引っ張り出してくると、台所の隅に置き、ファランの黒蜜作りを眺め始める。

 ファランはそんなシンイーおばさんの姿にひっそりと口角を上げると、竈の脇に置かれた、縁の欠けた古ぼけた茶碗を手に取る。

 煮えた鍋の上で、茶碗をひっくり返し軽く二回、底を叩く。

 すると、ばらばらと絶え間なく黒糖が湯の中に降り注ぐ。

 程よい量の黒糖が入ったことを確認すると、ファランはもう一度茶碗の底を二回叩き、元の場所へ戻す。

 後は煮詰まるまで時折かき混ぜれば、黒蜜は完成だ。

 

「果物はパインと、あとは何を入れるかね。豆でも煎って砕こうか」

「そうね。タマリンドもあるけど、流石にくどくなり過ぎるよね」

 

 ぼんやりと黒蜜作りを眺めていたシンイーおばさんは、重い腰を上げると、ファランの隣で豆を炒り始めた。

 

「そう言えば、お客さんってどんな人? あの長がずっと腰を曲げてにこにこ手揉みするなんて、よっぽど偉い人なの?」  

 

 ふと、思い出したようにファランは口を開く。  

 客人の姿こそはよく見えなかったが、今朝客人を連れ歩く長の、普段の姿からは想像も出来ない甘えた猫のような姿は見ていた。

 

「どうだろうね。私もお茶を持って行っただけだから、細かい事は分からないねぇ。でも、この辺の顔立ちじゃ無かったし、とても平民とは思えない綺麗な服だったね。もしかしたら中央から来た役人かも知れないよ」

「役人? 何で役人なんかがこんな山奥に」

「さあ。そう見えるってだけさ」

 

 煎った豆を乳鉢に移し、砕く。

 ファランはどうにも納得がいかない顔をしつつも、固まったゼリーを匙で掬い、家で一等綺麗な器に盛り付け、黒蜜をたっぷりとかける。

 黒蜜はかけ過ぎてもくどく、少なすぎても物足りない。

 人により好みはまちまちだろうが、丁度良い塩梅を見計らうのは毎回苦労する。

 とろりとした黒蜜が、ゼリーの表面を撫でゆっくりと器の底へと溜まっていく。

 真剣に黒蜜の量を推し量るファランの姿に、シンイーおばさんは呆れたようにため息をつく。

 そしてファランの肩を押すと、もうお終いとばかりに砕いた豆と干しパインを振りかけた。

 

「はい、出来た出来た。さ、さっさと持って行っちゃいなさい。長の客人の相手なんて、ささっと終わらせて、関わらない方が良いに決まってるさ」

 

 まだ物足りなげに黒蜜を見下ろすファランに、シンイーおばさんは器と匙をおぼんに乗せぐいっと押し付ける。

 赤茶けた、欅で出来た丸盆に乗せれば、豆の白さと黒蜜のしっとりとした黒、ゼリーと干しパインの仄山吹色が淡い陽光で引き立ち、一枚の絵にすら見える。

 顔を上げれば、シンイーおばさんは手頃な丼に鍋から黒蜜を移し、帰り支度を始めていた。    

 シンイーおばさんに軽く声をかけると、ファランは長の家に足を向ける。  

 山道をゼリーを持って下る。  

 最初こそは慎重に慎重に両手でしっかりとおぼんを掴み、ゆっくりと下っていたが、すぐにまどろっこしくなり、右手で丼を、左手におぼんをと持ち替え、足取り軽く下っていく。  

 長の家は広場に面した、集落で一番平らな所に位置する。  

 ファランは長の家の脇まで降りてくると、おぼんに丼を乗せなおし、一呼吸付いてから敷居を跨いだ。  長の家に入るなり、今か今かと玄関に待機していた長の妻、○○が、ファランを客人の元へと案内していく。  

 客人は玄関とは反対側の、中庭に面した縁側で、籐の丸椅子に座り優雅にお茶を飲んでいた。  

 きっちりと首元まで留められた艶のある服に、丈の長い、流水を思わせる柔らかい深緑色の上衣。  

 肩を越す長い髪は、半分だけ纏められ、決して華美では無いが、素人目にも上品さが分かる髪留めをしていた。  

 甘い物を要求して来たと聞いていたので、ファランはてっきり客人は女性だと思い込んでいた。

 広場を眺める客人の姿を見た瞬間、想像していた事が一気に覆され、立ち止まってしまった。

 

「おお、ファラン。ようやく来たか」  

 

 そこに、丁度良く客人の向こう側から長が声をかけて来た。  

 長の声で我に帰ったファランは、今更ながらにノラ作業をしていた服のまま着てしまった事に気付く。

 些か急ぎ足で客人の前におぼんを置き、そそくさと下がってしまった。  

 驚いたようにファランを見上げる客人の後ろで、長の目は見る見るつり上がっていく。  

 客人に見えないところでは、いつも通りだなと呆れつつ、ファランはそんな長の姿になど気付かなかったふりをする。  

 客人はすぐにふっと口元に柔らかい笑みを浮かべると、目の前に置かれた器に視線を落とし、一掬い口に運ぶ。  

 少し離れた場所に立つファランの所にまで、豆を噛む小気味よい音が響いてくる。  

 均等に煎れた証拠だ。  

 流石、シンイーおばさんは火を扱うのが上手い。  

 もう一匙口に運ぶ客人の姿に、長は安堵からか顔を緩める。  

 ファランは、そんな長の表情を確認すると、軽く一礼し、くくるりと振り返り歩き出す。  

 すると、そんなファランの背中に、ことりと匙を置く音がした。

 

「どうやら、噂は正しかったようですね。探しましたよ『甘味の君』」  

 

 振り返ると、客人は相変わらず柔らかな笑みを浮かべたまま、真っ直ぐにファランを見つめていた。

 恋人にでも呟くような呼び方や、そもそも何故初対面の客人が自分の事を知っているのか、噂とは何の事か。  

 ファランは、頭の中を駆け巡る疑問と、客人の後ろでこれぞ百面相と言うに相応しい、不安疑問怒り焦りを表した顔に、完全に思考が停止してしまった。  

 小さな衣擦れの音にファランが我に帰ると、客人がゆっくりとこちらに向かって来ていた。

 

「自己紹介がまだでしたね。私は中央で浄化の姫の守護をしております、○○と申します」  

 

 ○○は緩やかに胸に手を添えると、流麗な仕草で軽く頭を下げる。  

 中央の人間。

 しかも浄化の姫の守護者など、辺境に住むファラン達にはお伽噺や神話の登場人物と同じような存在。

 これで、朝から長の様子がおかしかったのも頷ける。  

 しかし、本来なら豚を一頭つぶした位では済まない、遥か雲の上の存在が、何故か今ファランに頭を下げている。  

 これには長も驚きを隠しきれず、駆け寄るやファランの腕をとり数歩下がると、座り込み床に頭をつける。  

 反射的にファランも長にならい床に頭をつけると、今度は慌てたように○○が二人の前の床に膝をつけ、しゃがみ込む。

 

「○○様! いけません! どうか、どうか……!」

 

 長は床に頭をつけたまま、じりじりと後退しはじめる。

 先程まで、本当にこの世に存在しているのか疑うほど、靴音もさせなかった○○が、しゃらりと金属音をたて膝を折った。

 長の隣でファランは、○○は何にそれ程慌てたのだろうと、暢気な事を考えていた。

 

「二人とも頭を上げなさい。私は『甘味の君』にお願いがあって来たのです。これでは話が出来ません。どうか顔を上げ、私の話を聞いて下さい」  

 

 ○○は諭すようにそう語りかけると、まずは長の手を取り立ち上がらせる。  

 頭と一緒に両手も床につけていた為、手は土塗れ。  

 腰が引け立つ事もままならない長だが、○○はそんな事は気にしていないのか、長を縁側の縁に座らせると、今度はファランに向き直る。  

 ○○は長と同じように自分を立たせるつもりだ。  

 そう直感的に判断したファランは、考えるより早く、その場に棒のように直立した。

 

「そ、それで! お話とはっ!」  

 

 最大の緊張から、失礼すぎるほど端的な言葉したファランの口からは出て来なかったが、幸いにも普段なら真っ先に咎めるはずの長の耳には、なんの音も聞こえていないようだ。

 

「話すと長くなりますので、詳しい話は道中に。『甘味の君』、私と中央に行きましょう」  

 

 端的過ぎるファランの言葉に、○○は端的に言葉を返し、にっこりと微笑む。  

 話、とは。  

 ファランの頭の中に浮かんでいた全ての疑問は、今この言葉一つに置き換えられてしまった。

調味料を産み出せる人を集めて最高のごはんを作らせる話の予定でした。

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