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ヌヌッカとロロッカ 1

破損シリーズ☆☆

 風に乗り微かに聞こえてくるのは、誰かの名を叫ぶ声。

 慟哭と言った方が良いであろうその声は、幾つかの小さな声が聞こえた後、次第にただの泣き声へと変わっていった。

 もう何も感じない、心底疲弊した。涙も涸れ果て、今年に入り何人目かなど、とうに数えるのも止めてしまった。

 また死者を送る葬儀用の供物が必要かと、クンはどうにもならないため息をつき、昨夜浅瀬の岩の隙間に仕込んでいた仕掛けを引き上げ家路につく。

 一昨年頃だったか、それ位から餓死する者が出始めた現状で、亡き者を送る為に供物を用意するなど――死は、集落の者を代表し神の元へ供物と願いを届けると言われているが、はたしてそれは本当に意味があるのだろうか。

 本当に神がいるのなら、本当に供物と共に願いが神に届くのなら、変わらぬこの集落の現状は一体何なのだろうか。

 何度も頭に過ぎる言葉だが、それは決して口には出せない。

 クンは頭を振ると、海から集落へと続くなだらかな道をふらふらと小石を踏み締め上って行く。

 集落に入ってすぐ、なぞえに並ぶ一軒の家の前に数人の大人が集まり、家の中を覗き込んでいるのが見えた。

 確か数日前、あの家の働き盛りの男手二人が、籠を担ぎ集落の裏手の絶壁を登って行くのを見た。

 どうやら食料に窮し、絶壁を越えた先に食料を採りに行ったらしいが、どうやら間に合わなかったようだ。

 なるべく人だかりの方を見ず、クンは自宅を目指し歩を進める。

 それぞれの家の窓や戸口から、光を失った目が外の騒ぎをぼんやりと見ているのが確認出来る。

 また、数件の家では、荷物をまとめ集落を出る準備がされているのも見えた。

 自宅の戸を軽く押すと、海風に晒された木戸は虚しく軋み、いとも簡単にクンを家の中へと通す。

 家の奥では、母親が葬儀用に使うと思われる布を、いくつか引っ張り出していた。


「ただいま。……クアンは?」


 入り口脇のかまどに仕掛けを置いたクンは、家の中を見回すと、弟の姿が見えない事に気付いた。

 クンの声で顔を上げた母は、いくつかの布をまとめると立ち上がり、笑顔でクンを出迎えた。


「おかえり。クアンはまだ族長様の所。もう帰って来ても良い頃だけど……そのまま準備を手伝っているかも知れないわね」


 準備とは葬儀の事だろう。

 集落中から必要な物を集め、神の元へ送る儀式を取り仕切るのは族長の役目だ。

 母は布を準備していたが、きっと今頃他の家でも布や板など、供物以外の物を用意しているだろう。

 どこの家も、とうに食料は尽きているのだ。

 クンは母の言葉に一つ頷くと、一度外の様子を確認してから戸を閉めた。

 そして、引き上げてきた仕掛けから、ほんの一口程の大きさの魚と貝を数える程度、木桶の中に放り入れる。

 水を張った木桶の中に沈む、腹の足しにもならない獲物を前に、クンはため息を飲み込み顔を上げた。

 するとそれとほぼ同時に、クンのすぐ隣で数度戸を叩く音がしたと思うと、戸が勢い良く開いた。


「クン、帰ってるか?」

「なんだ、ムティか」


 戸口から顔を出したのは、幼馴染みのムティだった。

 服の裾を太ももまでまくり上げ、砂で塗れた草履を履いている所を見ると、ムティは家に戻らず、海から真っ直ぐクンの所に来たらしい。

 ムティは家の奥に居るクンの母に笑顔で挨拶すると、そのままクンの腕を引き外に連れ出した。


「また供物が必要になったみたいだけど、クンの所は出せそうか?」

「出せるわけ無いだろ。今日もチチカの子どもが数匹獲れただけだ」


 クンの返事に、ムティはやっぱりなと笑い、その場に座り込んでしまった。

 既に何人かが族長の家に荷物を届けている姿が見えるが、やはり供物を持って行く人は見当たらない。


「この前籠を担いだ二人が山を登るのを見た。その二人が戻ってから送れば良いじゃないか」

「あぁ、あの二人はいつ戻るか、そもそも戻ってくるかすら分からないって噂さ。食い物を採りに行ったと思ってたけど、男手が二人しか居ないってのに、その二人とも行っちまった所を見ると……言いたくは無いけど家族を捨てたんじゃ無いかって」


 クンはなぞえに並ぶ家に視線を向け、頭をかきむしるとムティの横に腰を降ろした。


「磯じゃもう獲れるのは貝くらいだ。山に登るか舟を出して少し沖に出るしかない」

「もうロロッカとヌヌッカが来る時期だ。湾の中でも波が荒くなる。山に登るって言っても、あんな岩の壁、歩き続けても一番上まで登るのに丸二日はかかるって話じゃないか。……もうこうなったらロロッカを供物にしてやれば良いんだ。本当にカミサマってのが居るってんならな」


 クンのその言葉に、ムティは目を見張り息を飲む。

 少し腰を浮かせた体勢で、数回口を開いては閉じるを繰り返したムティは、思い出したように周囲を確認し口を開く。


「お前……それ、他で言ってないよな? 神の使いの、土地神のロロッカに手を出したら……。そもそも、この不漁とヌヌッカが狩れなくなったのも、ロロッカを食ったから――」

「食ったのは五年も前の話で、しかもそれは子どもだった。確かにあれからぱたりと何も獲れなくなったけど、食った奴は集落を追放され代償を払った。天罰ばかり与えて護りもしない土地神をありがたがった所で、生きて行けないんだよ」


 徐々にクンの語気が強くなっていく。

 物心つく前から教え込まれている、土地神ロロッカと悪神ヌヌッカの話。

 だが5年前、とある子どもが沖に出ず湾内に留まっていたロロッカの幼体を捕まえ、好奇心と悪戯心から食べてしまった。

 どれ程強く言い聞かせても、子どもは子ども。それがどれ程禁じられていようが好奇心にかなう物はない。

 子どもはロロッカを手に家に戻ると、興奮気味に両親にロロッカを見せた。そして事が明るみになった。

 当初は磯ガニと間違えたのだろうと言う声も上がった。それはそうだろう、まさか誰もロロッカを食べる者がいるとは思いもしなかったのだから。

 しかしどう考えても、普通の磯ガニより、はさみが一対多いロロッカを見間違えるはずが無い。

 悪神ヌヌッカにそそのかされたや、取り憑かれた等と言う声が強くなり、結果、その子どもは一人集落を追われ、集落ではその子どもの名を口にするのも禁じられ、その存在自体、無かった事にされた。

 それでも子どもだからと、断罪されず追放で済んだだけ、異例の事と大人達は口を揃え言い聞かせていた。

 当時まだ十歳の、クンとムティと同い年の子どもだった。


 クンの言葉に慌てて立ち上がったムティが、クンの口を塞ぐ。

 止めなければ、クンがまた何を言い出すか分かったものじゃ無かった。

 すると不意に、二人の後ろにある戸が、ゆっくりと開いた。


「二人ともそんな所で何してるの? 戻ったばかりで悪いけど、これ、族長様の所に持って行って」


 戸口から顔を覗かせた母は、家の前に座り込む二人の姿に呆れたような笑みを浮かべ、まとめていた布を差し出す。

 その様子を見る限り、先程の話が聞こえていなかったらしく、ムティは心底安堵の笑みを溢し布を受け取ると、未だ眉間にシワを寄せたままのクンの頭の上に無造作に乗せる。

 それでも尚不満そうなクンの姿に、母は一度、軽くクンの背中を押す。

 それでようやく立ち上がったクンは、ムティと二人村長の家に向け歩き出した。

 道すがらすれ違う人達は、よそよそしく軽く会釈をすると、皆急ぎ足で家に戻って行く。長く続く不漁は、確実に人の心を蝕んでいる。

 族長の家の玄関先は既に、荷物で溢れかえっていた。

 そしてその荷物を一つ一つ確認し、必要な物から順に運び込んでいるのは、予想通りクアンだった。

 

「クアン、草布持って来た。あとは……魚皮も二枚ある」


 入り口にしゃがみ込むクアンに声をかけながら、クンは渡された荷物を解き中を確認する。

 すると顔を跳ね上げたクアンは、あからさまに家の中を気にしながら、クンから荷物を受け取る。


「ありがと兄ちゃん……魚皮は無かったから丁度良かった」


 俯きよそよそしい態度のクアンに、クンとムティは一度顔を見合わせた後、自然と家の中へ視線を移した。

 すると中では、族長と集落の男衆数名が、何やら口論をしているようだった。


「前回は供物が足りなかったのだ」

「死人が出る度にそればかり! 族長、いい加減目を覚ましてくれよ! 供物の量がどうとかじゃ無いんだ!」

「いや、盛大に送れば、ヌヌッカ狩りも上手く行き、湾に魚も戻るだろう。ヌヌッカが獲れれば、それだけで三年は食料に困らない」

「もう諦めろ! もう、もうヌヌッカを狩れる奴は居ない! ヌヌッカ狩りの伝統はもう滅んだ! 一体何人死んだら目が覚めるんだ……そんな世迷い言ばかり、俺はもうこの土地を離れる!」


 男の怒声の後、何かが割れる音がした。

 近付いてくる乱雑な足音に、クンは咄嗟に入り口にしゃがみ込んでいたクアンの腕を引き端に避ける。

 三人が端に避けると、入り口からは口々に文句を垂れる集落の男衆達がぞろぞろと出て行き、その男衆の中には、ムティの父親も居た。

 ムティの父は、三人の姿を見付けると、バツが悪そうに顔を背け、クアンに手伝いはもう良いから帰れと一言だけ伝えると、そのまま行ってしまった。


「海を覆う蛇神ヌヌッカが居る限り、湾に魚は戻らない。ロロッカ様がヌヌッカを連れて来て下さる今の時期しか、ヌヌッカを狩る事は出来ないと言うのに……」


 家の中からぽつりと、族長の声が聞こえたが、三人は一切振り返らず、散乱した荷物をまとめ、入り口の脇に置くとその場を離れる。


「クン、クアン。お前達の父は本当に勇敢な戦士だった」


 歩き出した三人の背中に、族長はそんな言葉を投げかけた。

 思いの外近くから聞こえたその声に、足を止めたクアンが振り向こうとすると、ムティがそれを制し、クンが手を引く。

 背中に族長の視線を感じながら、集落の中程まで来た頃、ムティが体中の全てを吐き出したかの様な、盛大なため息をつき足を止めた。


「飯食ったら供物を獲りに行くけど、クンはどうする?」

「……俺も行く。舟を組んで行ける所まで行ってみるか」


 ムティはクンの返事を聞くと、軽く二人に手を振り、自宅の方へと走っていった。

 

 家に戻っても口数が少ないクアンを気にしつつ、クンは食卓を整える。

 と言っても、二人が族長の家に行っている間、母が作った物をただ運ぶだけだ。

 朝食はチチカの塩焼きが四尾と、貝の汁物。それと山から落ちて来た木の実の種をすり潰し固めた団子と、いつもと代わりばえしない食卓だ。

 そんな変わらず質素な食事だが、まだ九歳のクアンは不満も漏らさず、一心に食事をかきこむ。

 集落全体が食糧難になったのは五年前。クアンからしたら、この食事が当たり前であり、当たり前の贅沢であった。

 クンは自分の分のチチカをクアンの皿に入れてやり、団子の欠片を口に放り込み、母の椀に汁物を注いでやる。

 

「食べ終わったらムティと供物を獲りに行ってくるよ。まだ湾の中くらいまでなら行けるかも知れない」


 もう一欠片団子を頬張りながら、クンは今日の予定を母に告げる。

 すると、母は椀を手に一つ頷くと、クンの口に貝を放り込んだ。


「気を付けなさいよ。波もだけど、早めにいらしたロロッカ様のはさみで舟底に穴が開いたら大変よ」

「ねぇ、ロロッカ様とヌヌッカって、美味しいの? 何でロロッカ様は食べちゃ駄目なの?」


 二人の会話に突如、クアンが割って入ってきたのだが、母はその質問に危うく椀を取りこぼしそうになった。


「族長様と年寄り衆がよく聞かせてくれるんだ。ヌヌッカ狩りの話。昔はこの時期に獲って食べたって話なのに、何で今は獲らないの? ロロッカ様も、食べた人が居るんでしょ?」

「クアン、静かに食え」


 クアンの言葉に動揺し、言葉が出ない母に代わり、クンが端的に制すも、クアンの言葉は止まらない。

 何故、何故と、執拗に聞きたがるクアンに、クンと母は顔を見合わせたままどうしたものかと眉根を寄せる。

 クアンには勿論ロロッカとヌヌッカの話は言って聞かせていたが、現物を見た事の無いクアンには、どうにも理解が出来ないのだろう。


「ロロッカは土地神だけど、生き物だ。毎年この時期この湾で産卵し、子育てをしてまた沖に帰っていく。ヌヌッカも悪神だけど、生き物だ。ヌヌッカの好物はロロッカで、この時期丸々と太ったロロッカが集まるこの湾にやって来る。ヌヌッカはロロッカを狙い、常に湾のすぐ外に居る。そのせいで魚達が怖がって湾に寄りつけないんだ。だから年に一度育ちきったヌヌッカを悪神として狩って、数年分の食料にしてたんだ。ロロッカを食べると、悪神の力が強くなって手がつけられなくなるんだと」


 どれだけ制してもクアンは聞き入れようとしなかった為、クンは村の伝承と現実の両方を一度に説明したのだが、その説明に母は顔を顰める。

 伝承だけで言えば、ロロッカとヌヌッカは神であり生き物では無い。

 海を荒らす悪神ヌヌッカを、遣わされたロロッカがその身を犠牲にし引きつけ、選ばれし戦士――集落の男衆に狩らせると言うものだ。

 

「じゃあ、ヌヌッカが獲れれば皆食べ物に困らないって事? じゃあすぐに狩りに行こうよ!」

「落ち着けクアン。狩りが出来る男衆がもう殆ど残ってないだろ? 食う物も無くて皆立ってるのもやっとだってのに……。さっき族長の家で聞いただろ。狩りに行くより、この集落を捨てた方が良いって」

「男なら兄ちゃんとムティ兄ちゃんがいるじゃんか! 父ちゃんはヌヌッカと戦ったんだろ!? なら兄ちゃんだって――」


 食卓に両手をつき、身を乗り出し声を上げるクアンだったが、話を遮るように大きな音を立て母が椀を置いた。

 

「なんだよ、……父ちゃんの話になるといつもそれだ。ただヌヌッカが怖いだけなんだろ! 意気地無し!」


 母のその行動とクンの沈黙から、クアンは状況を理解したのか、顔をくしゃりと歪ませると、皿をひっくり返し家を跳び出して行ってしまった。

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