IT'S MY LIFE 2
だらだらと昔話に花を咲かせながら、山積みの書類を端から処理しているとあっという間に夜が明けていた。
まだ書類があと一山あると言った所で本部からの規則的な電子音に時間を告げられる。
「もう朝か……って、着替え! マジで制服種類多過ぎんだよ!」
紘王は散らかした書類もそのままに、昨日着替えた謁見用のマントの金具に手を掛けカチャカチャと外し始めた。
「えーっと……選定の義用の正装って白でしたっけ? 赤でしたっけ?」
「選定が赤で、セレモニーが白……って、じゃあもう一回着替えないといけないの!? 選定も白じゃダメかな?」
「お前のセレモニー用ってあのウエディングドレスみたいなヤツだよな? 選定でそれは無いわー」
アクア建国以来の最高実力者達の会話とはとても思えない程軽い口調の三人。
三王がその見た目同様若者らしい口調で話せる人はごく僅か、国民や元老院をはじめ自分の率いる部隊の者にさえ本来の口調で話すことはない。
それは単純に立場的な要素が起因である訳ではなく、他の生物兵器や人間とは違う存在である事に由来する。
三王に定年や退職制度が無いのは、その力を手放すのが惜しい訳では無く、出来ないのだ。
他の生物兵器達はその身に力を宿しても、ただ戦える力を得ただけで体の作りや見た目は変わらない。
だが、三王は違う。
三王は強大な力をその身に降ろした時、文字通り『人間』では無くなった。
憐王を例にすると、彼女は選定を受ける前まではありふれた黒髪に黒い瞳の女性だった。
選定の際、神を降ろすでは無く融合を果たした彼女は、その見た目と寿命を代償にし憐王となったのだ。
すでに人では無くなった三王は、いずれ寿命を迎える者と親しくする事を避けていた。
強靱な精神と肉体をもってしても、それだけは慣れなかった。
「俺の靴どこ?」
「それ僕のですって! 自室は?」
「優ーチョーカーはー?」
「俺の靴どこ!?」
ともあれ普段世界中を飛び回る三王は、直接人と会話すらする機会はそうそう無い。
たまに情報交換やちょっとした世間話を精神感応力を使ってする位なので、取り立てて不便はしていないようだ。
そうこうしているうちにようやく準備が整った三王は、憐王の瞬間移送でどうにか選定の儀に滑り込むことが出来た。
過去にささやかな湧き水しか無かった選定場は、枯れる前に保存しておいた湧き水を、すり鉢状の部屋中に隙間無く散りばめられた浄化装置達により何とかその鮮度を保ち維持していた。
その床に埋め込まれた蓋付きのシャーレのような透明な容器に入れられた湧き水は、絶えず装置内と容器の中を行き来し、川のせせらぎの様に涼やかな音を響かせていた。
三王が選定の間の扉の前に到着した時には、本日選定を受ける者と教員や関係者が一同に介し、慎重に今日の段取りを確認していた。
先に到着し待機していた元老院に遅いと小言を言われつつも、そ知らぬ顔でその時を待っていると、選定の間の扉が開き選定の儀が始まった。
言葉を発するどころか、呼吸すらしてはいけないのかとさえ錯覚する程に仰々しく開かれた扉の先に進む選定者達は、一様にこの世の終わりとさえ思える程青白い顔をしている。
兵物兵器が誕生した時から、自身や身内が生物兵器になるのは一般的にはとても名誉な事とされているが、誰しも本心からそれを望んでいるものは居ない。
誰だって人並みに生き、人並みの幸せを手にし、人の生を全うするのが良いに決まっているのだから。
だからこそ選定者達は、自分以外の何者かの意思で今後の自分達の人生が決まってしまうこの瞬間は処刑されるのと同義なはずだ。
本日選定を受ける者は五人。
真っ白な一枚の布のような服に身を包んだ五人に続き、選定の間に教員、元老院、三王の順で入室すると、見計らったように水の品質管理をしている技術者がゆっくりと透明な床を開け沸き水を解放する。
何のことは無い、ただ蓋が開いただけだというのにいい大人たちが息を呑み緊張しているのが分かる。
(なぁ、今年は何人いけると思う?)
部屋の入り口近くの貴賓席に座った紘王が、顔段を降りていく選定者の背中を眺めながら精神感応力で端的に聞いた。
憐王も優王も紘王の顔は見ず、すり鉢状の部屋の中心に祭られる湧き水に吸い寄せられるように進む五人を眺めつつ、ゆっくり時間をかけてから答えを出す。
(変な話ですけど、全員不適合がいいですね)
五人が湧き水の前に並んで立ち、元老院が選定の口上を述べ始める。
無駄に仰々しい仕草や言葉を使ってはいるが、ただ水に浸かって予め準備されている蟲と戦う意思を宣言する言葉を唱えるだけの事。特に元老院の口上など形式ばったこと等必要も無い。
(ここ何年か適合するやつ居なかったしあるかもな。ジジィとか政治家なんかは血眼で適合候補者の発掘やら教育に力入れてるらしいがな)
全員が水に浸かり、ゆっくりとその場に跪き準備をする。
変なところばかり厳格に形式ばった事をする反面、選定は一人ずつでは無く、全員が水に浸かり心の準備が出来た者から自己判断で宣言をすると言う緩いもの。
五人全員が腹をくくったのか、水面が穏やかになり部屋中から一切の音が失われた。
(うん……でも一人いけそうだって『グリ』が言ってるよ)
水の中で口々に宣言開始する五人。
例年通り何も起こらずただ静かに揺れる水面だったが、最後の少年が宣言をした瞬間それまで静かだった水面がうねり、一気にその者の体を包みこんだ。
その光景に一緒に選定を受けていた四人は勿論、元老院や教員も驚きと喜びを隠せずにいた。
「……長い」
紘王がポツリと零した言葉でその場に居た者は一瞬で我に返り、同時に息を呑んだ。
今まさに適合した者が神降ろしを拒んでいるのか、いつまでも体に纏わり付いた水が治まる気配が無い。
このままでは溺れると口々に何かを叫び慌てふためく教員や研究者達を尻目に、三王を一瞥する元老院。
しかし元老院が三王の顔に視線を合わせるよりも早く、舞い上がった三王は真っ直ぐに溺れそうになっている適合者の横に制服が濡れる事も厭わず静かに降り立った。
水の中にうずくまる様にもがく適合者を軽々持ち上げた鉱王は、その水を顔の部分だけ引き剥がすように搔き分けるとすぐに優王に合図する。
大量に水を飲に意識が朦朧としている適合者を優王が治療し、気道を確保している間にも、水は体を包み込もうと這い上がってくる。
這い上がってくる水に皆が騒ぎ立てる中、憐王がとった行動はあまりにも単純なことだった。
「ねぇ、大丈夫だから嫌がらないで。退職出来る日まで守るから。絶対守るから」
紘王や優王に話すように普段通りの口調で語りかけ、そのまましっかりと抱き締め上空に舞い上がった。
水から体が離れた事で溺れる心配が無くなった適合者は、すぐに我に返り自分を抱きしめている人物が誰か理解し動揺を隠せずにいた。
「ったく。早くそいつを大人しくさせてくれないと俺達セレモニーに遅刻するぞ?」
「本当ですよ。こんなに全身ずぶ濡れじゃ着替えも時間かかりそうですし」
憐王に抱きかかえられていると言う事実だけでも適合者には信じられない事だったのに、いきなり頭を掴まれたと思いきやすぐ隣で話しかけてきたのは紘王と優王。
「えっ……は……?」
「いいから早く終わらせろって!」
パニックに陥りそうだった適合者の頭を軽く紘王が小突きつつ、神降ろしを完了させるように促すと、先程まで拒んでいた事よりも三王に揃って手間をかけさせた事に危機感を覚えたのか、すぐさま神降ろしを完了させる為最後の言葉を紡いだ。
突然起こった非常事態はあっけなく収束し、地上に下ろされた適合者は頭の上に今その身に降ろしたばかりの可愛い『猫又』を乗せたまま、唖然とする技術者や教員達の視線を申し訳無さそうにその身に受けている。
『憐、もう着替えないと間に合わないぞ』
沈黙を破ったのは突如として憐王の後ろに現れた巨大な鷲獅子。
大鷲のような上半身に獅子の下半身をもつグリフォンと呼ばれるその神話の獣は、後ろから憐王の頭にもたれ掛るように自身の顎を乗せながら呆れたように一言そう零した。
「もうそんな時間? っていつ出たのグリ?」
立て続けに起きる予想外の事に一同が言葉を失っていると、その空気をぶち壊すかのようにあっけらかんと普通に対応する憐王。
その憐王の右手の甲は、赤いロンググローブ越しでも分るほど仄かに発光していた。
『ずぶ濡れじゃねーかよ紘。中にいる俺らも寒ぃんだよ』
『優もですよ! 早く着替えて下さいなっ!』
紘王の横には炎で形作られた人、優王の横には翼と角が生えた真っ白な馬が現れそれぞれが口々に急かす様に自身の宿主に詰め寄り、ズルズルと入り口まで引きずっていく。
「へっ陛下!?」
「えっと……ようこそ我らの新しき仲間、これより貴方は人類の為その身をぉ」
『憐早くしろと言っておるだろうが!』
新しい仲間に対する決まった口上を述べようとする憐王だったが、自身の襟元をしっかりと銜え歩くグリフォンに一喝されそのまま部屋から連れ出されてしまった。