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蟹の脱皮士(仮題) 4

 士長が一足先に現場に戻ると、訓練をしていた候補生達もそれに習うようにぞれぞろと移動して行った。

 士長の話を聞いた今、使ったまま放置されている縄を直すのが馬鹿馬鹿しくなり、キコは今日の訓練は終わりだと、○○と共に訓練棟を出た。

 道すがら、張り付くように蟹の下を覗き込む幾つかの後ろ姿を見た。


「キコも、もっと貪欲になっても良いんじゃ無いか? さっきの士長の話、自分を売り込む絶好のチャンスだったのに」


 顔を上げれば、○○は予想に反して真剣な表情でキコを見つめていた。


「何だか士長も気に入ってくれてるみたいだし、幼馴染みのあんたも居る。売り込もうって思ったら売り込めるかも知れないけど……」


 キコは一度言葉を区切ると、候補生の背中に視線を流す。

 脱皮士が作業中なら取り入るも何も無く、ただああして見学しているほかは無い。

 事情を知らずにあの光景だけ見ると、とても熱心に見学しているように見えなくも無い。


「それも実力かもしれないけど、それでも私は脱皮士としての純粋な実力で総士長に認められたい。初の女脱皮士がコネだなんて、次に続く子もだけど、私自身一生何言われるか分かったもんじゃないしね」

「そっか。気が強いのも考えもんだな。まぁ、何か困ったら幼馴染みで頼れるお兄様であるこの俺に相談しに来いよ」


 言い出しておいて、○○は意外にもあっさりと引き下がった。

 大方キコならそう答えるだろうと分かっていたのか、○○は暢気に手を振りながら、候補生達をかき分け現場へと戻っていった。

 キコも、折角なら自分も見学だけでもと一歩踏み出す。

 しかし、すぐ何事も無かったように引き返すと、このまま飛び込みでバイトにでもと、そんな事を考え始めた。


 翌日。訓練棟に来た候補生達は、朝から一つの部屋に集められていた。

 事前連絡も何も無かった為、集まっているのは数える程度だけだ。

 

「この大陸の蟹の脱皮周期と、脱皮の必要性は――」


 何の説明も無いまま待たされる事数分。

 突如として総士長により基本知識からの復習がはじまり、部屋の中がざわつく。

 キコは今まさに訓練をはじめようとベルトを着けた所だったので、足が圧迫され座っているのも億劫だった。

 

「新しい殻の上に貼り付く薄皮のような古い殻、この脱皮殻を剥がす道具がこのノミと言われる物で――」


 明らかに動揺する候補生を無視し講義を続ける総士長は、ノミを実際の脱皮殻の破片に突き刺した。


「これは表面のほんの薄皮の殻だが、それでもノミを弾き返す程に硬い。全てを剥がすとなるとこの何十倍もの厚さになり、中心に行くに従いより硬くなる」


 メモをとる物も無く、候補生達はただただ講義に耳を傾けるしかない。

 キコは一番後ろの席で、何度もノミを突き刺し執拗に硬度の説明をする総士長に、早々にうんざりしていた。

 

「その為、荒く見えるが反動をつけ踏み付けることで、表面に切れ込みを入れ剥がす準備をしていく。剥がし方は切り出した箇所にノミを滑らせ取っ掛かりを作り、数人で息を合わせ足で踏み少しずつ剥がしていく」


 詳しく説明しながら図解を描いていく総士長に、候補生達も動揺が収まったのか、真剣に話を聞いている。

 説明は省いていたが、総士長はしっかりとノミのストラップを手首に通し、更にそれが見えやすいよう腕まくりをしている。

 切り出しから剥がすまでの流れを丁寧に復習し、総士長はペンを置いた。


「切り出し午前に剥がし午後。午前中、あまり蟹が動かないうちに正確に切り出し、午後蟹の動きに合わせ殻を剥がし落とす。漁師は午前の早いうちから海に降り昼には上がってくる。これは脱皮殻に当たらないようにする為であり、蟹が動き出してからでは漁師は上に戻れない為でもある。決して脱皮士だけの間の決まりではない」


 すぐ昨日の事を言っているのだと気付いたキコは、この講習はやはり士長の働きかけにより実現した事だと理解した。

 しかし、と言う事は現場に代わりの人材を送る気は無いと言う事だ。

 そして、事前連絡も無く数える程度の候補生に対し講義を行っただけで、要望通り再教育したと言い張るつもりであろう総士長の考えが目に見える。

 だが、長年脱皮士を務め教育の場に収まったと言う経歴を持つだけに、総士長の講義はノミの使い方や殻の剥がし方のコツなど、驚くほどに分かり易い。

 それは今までの臨時講師によるあの講義はなんだったのかとさえ思える程だった。

 何故そういう決まりがあり、守らなければどうなるか。

 具体的だが理詰めとは思わない無駄の無い説明は、昨日士長が言っていた問題の全てを網羅している。

 数人の候補生が驚いたように息を飲んだのが分かった。

 知識としては知っていたが、理由を知らなかったのだろう。

 本来ならここに居ない候補生にこそ聞かせたい講義だが、少なくとも何人かの意識を変える事は出来たらしい。

 キコも分かり易い説明に、今までの偏屈な総士長のイメージが薄れゆき、復習とは言え知らず知らずに知識を欲し前のめりになる。

 その時視界の端、窓の外でこちらへ走ってくる人影がいくつか見えた。

 他の候補生達も気付いたのか、一人また一人と外へ視線を向け、総士長も話を止め顔を上げた。

 走って来たのは脱皮士らしく、腰にはベルトを着けたまま。

 脱皮士達は総士長に気付くや、扉を指差し右往左往し、割れんばかりに窓を強く叩き始めた。


「何だ騒々しい。子どもじゃあるまいし、礼儀はどうした」

「すみません総士長! ですがその、すみませんが至急右第三脚に来て下さい! 怪我人です!」


 苛立ちながら窓を開けた総士長にすがるように、脱皮士達が群がり矢継ぎ早に口を開いた瞬間、部屋に緊張が走った。

 息を切らせ言葉もままならぬ脱皮士の姿に、総士長をはじめ候補生もすぐさま事の重大さを理解した。

 

「何人だ。状態は」


 総士長は即座にストラップを外しノミを手元の箱に戻すと、上衣を脱ぎながら窓枠に足をかける。

 

「二人です。一人は蟹の脚に叩きつけられ失神し、助けに入ったもう一人は足にノミが刺さり出血しています」


 窓を潜り外へ出た総士長は、その報告に眉を寄せると、無言のまま現場へと走り出した。

 残された候補生達も反射的に窓を潜り走り出すと、放心している脱皮士達を置き去りにし総士長に続く。

 現場までの狭い道には野次馬が集まり、思うように先に進めない。

 焦りと苛立ちからか、総士長は野次馬が転ぼうが何しようが関係なく、人を押し寄せぶつかりながら真っ直ぐに突き進む。

 置いてかれまいと必死に食らい付く候補生達だったが、倒れた人や総士長の剣幕に圧倒されパニックになる人達に押され、殆ど前に進めなくなっていた。


「おい! えっと……キコ、そうキコ! 押し上げるから先に行ってくれ!」


 人の波に飲まれ壁際に押しやられたキコだったが、候補生の一人が声も辛がらに叫び、力尽くでキコの腕を引いた。

 

「えっ、なん――」

「小柄なお前なら屋根伝いに走れるだろ! おい、ちょっとお前ら手を貸せ!」


 顔は知っているが話した事も無く名前も知らない。

 キコはそんな男が何故自分の名前を知っていて、何故先に行かせようとしてくれているのかが心底理解出来ないでいた。

 狼狽えるキコの周りにさっと集まった候補生達は、示し合わせたようにお互いの体を組み土台を作ると、軽々とキコを持ち上げ屋根の上へと押し上げる。


「後処理は任せとけ! その代わり総士長には上手く言っておいてくれよ! 俺達は後からゆっくりと追い付くから!」


 屋根にへばりつき振り返ると、候補生達は口々に声を上げると、総士長が薙ぎ倒していった野次馬に手を差し伸べる。

 キコは何も聞かず一度頷くと、屋根を伝い甲羅の端へと急いだ。

 現場に近付くにつれ人は更に増え、狭い通りは押し寄せる人に押され身動き出来ない人達が溢れ、完全に道を封鎖していた。


「総士長!」


 屋根の上から総士長の姿を見付けたキコは、反射的に叫び手を差し伸べていた。

 総士長も人に押し潰され身動き出来ず、更に何があったのかと何人かに問い詰められていた。

 総士長はキコを確認するや、人を押しのけキコの手を取ると壁を蹴り屋根へと登った。


「他のはどうした」

「混乱が起きないように誘導してます!」


 示し合わせた訳でも無く二人は走り出す。

 時折屋根瓦を踏み割る総士長に、家の中から抗議の声を上げる人も居たが二人は立ち止まらなかった。

 脱皮士達のブーツは、蟹の脚に食いつけるように細かな歯がついている。

 今日たまたま講義の為脱皮士の装束を纏っていた総士長は、上手く足の裏で瓦を掴み地上と何ら変わらぬ速さで走る。

 訓練用の簡易ブーツを履いていたキコだが、その身軽さからどうにか総士長に食らい付いていった。

 屋根が間もなく途絶えるといったところで、押し寄せる人を食い止めようとする脱皮士の姿が見えた。

 幾人かの脱皮士と居合わせた候補生達で壁を作り、野次馬根性を丸出しにして迫る人達を跳ね返している。

 瓦を踏み抜く音に気付いた何人かの脱皮士が総士長の姿を見付け、こちらですと手を上げる。

 キコと総師長は躊躇わず屋根を蹴ると、脱皮士達の壁を飛び越え地面へと転がった

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