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宰相と侍女3

 三時ぴったりにリディアは宰相室の扉をくぐった。

 放っておけば寝ずに机に向かい続けるであろう、己が主にお茶を勧めに来たのだ。

 相変わらず書類が山積みの宰相机に向かっていたクロウェルは、リディアの手元の茶器を見つけると壁の時計に視線を移し、背中を伸ばすように背もたれに体を埋める。


「もうこんな時間ですか」

「はい。少しご休憩下さいませ」


 リディアは来客用のテーブルの脇に両膝をつきしゃがむと、お茶と一口サイズのマドレーヌを準備し始める。

 走り回れば喉元のベルは澄んだ音色をどこまでも響かせるが、侍女らしく優雅な振る舞いをすれば音が鳴らない事に気付いたリディアは、ベルが鳴らないように所作に気をつけ、宰相室に入ってからは一度もベルを鳴らしていない。

 ペンを置いたクロウェルがソファに座るのを待ってお茶をお出しする。


「ありがとうございます。私付きの侍女はあなたしか居ないのですから、姫に接する時のようにもっとくだけた話し方で良いのですよ?」

「いえ、そのような恐れ多い事は」

「ホルン殿とはするのに?」

「……?」

「中庭で楽しそうにしているのを見かけまして。どうやら私はホルン殿に嫌われている様ですが、まだ怒っているようでしたか?」


 トレイを膝に乗せたまま、リディアは先程のホルンとの会話を思い出そうとするも、お互いに普段通りの何ともない会話だったせいでいまいち思い出せなかった。


「クロウェル様を嫌うなんて事……。怒ってなどおりませんでした」


 しばし考えた後笑みを浮かべそう答えると、リディアは壁まで下がろうと少しだけ腰を浮かせた。

 するとその直後、クロウェルがぐいっとリディアの腕を引っ張り先程よりも近い位置へ座らせた。

 驚きすぐに立ち上がろうとするも、クロウェルはそれを許さないかの様にリディアの腕を掴んだままだった。


「侍女達は笑みを向けてはくれますが、やはり目を見てはくれないのですね 

「そっそんな! クロウェル様のご尊顔を直視するなんて、そんな御無礼な事……!」


 基本的に侍女は主の顔を直視したり視線を合わせる事は失礼にあたるので御法度とされている。

 ものの弾みで視線が合っても、すぐに頭を垂れやり過ごすのがマナーとされている。ただまだまだ甘えたい盛りの姫は例外であり、クロウェルが言っていたように本当の身内の様に接する事が許されていた。

 クロウェルはわざとらしくリディアの顔を覗き込むものの、リディアはきゅっと目を閉じ必死にもがき何とか逃げだそうとする。


「クロウェル様、どうかお許し下さいませ……」

「顔なんていくら見つめられても怒りはしませんよ。それに昨日一度私を見つめていたじゃないですか。ほら、あの時みたいにもう一度」

「あれは……!」

「ほら」


リディアの顎に手をかけぐいっと持ち上げると、クロウェルは逃げないようにチョーカーと首の間に人差し指を滑り込ませ更に引き寄せる。

 びくりと体を震わせながらリディアはせめて直視だけでも避けようと、必死に目を伏せクロウェルの口元に視線を移す。

 すると視線の先の唇は、妖しく口角を上げると薄く開かれた。


「なんです? 視線は合わせないけどこの唇は欲しいのですか? しかたありませんね」

「!?」


 更に強くチョーカーを引きリディアを寄せると、息が掛かる程の距離でささやく。


「ホルン殿が怒っていないなど、分かり易い嘘をつくからですよ。ほら、私とくだけた話が出来ないならこのまま本当に触れてしまいますよ?」

「っ……! ク、クロウェル様は意地悪です……!」


 リディアはたまらずクロウェルの胸に両手をつき、いやいやと頭を振り勇気を振り絞った。

 すると少しだけ身を離したクロウェルは、楽しそうに目を細め肩を震わせ笑い始めた。


「クロウェル様は意地悪です……大人な顔で悪戯っ子みたいな意地悪をいっぱいされます……。宮中には他の目も御座います、あまり侍女をからかい過ぎますと変な噂が流れてしまいます」

「私の噂なんて極端で胡乱なものばかりじゃないですか」


 クロウェルの噂。

 独身だが実は隠し子がいるや正妻の他に何人も愛人がいる、一生独身の誓いを立てている等々。妖艶で歴代最高峰の宰相に付きまとう噂は一貫性のないものばかり。

 侍女の間だけではなく宮中全体、噂好きの貴族の間でもそんな噂が飛び交い、その都度取り入ろうとする官僚やその娘がクロウェルの元に殺到する。

 実際、着任から今まで侍女を付けなかったクロウェルがリディアを宰相付きにしたと言う話は瞬く間に広まり、一夜明けた今日、次の宰相付きの侍女にと王宮仕えを志願する者が現れ出していた。

 リディアが今日廊下ですれ違った見慣れない数人の娘はそう言った類のもの。勿論そういう者はリディアに直接接触し情報を得ようとしていたらしいが、そこは浮かれた娘とは違いしっかりと教育がなされた侍女、主の事を易々と人に話す事は無いしその事をわざわざ主に報告する事も無い。

 リディアはそんな事を考えつつ、自身から少し身を離したクロウェルがくすくすと笑いながらお茶を口に運んでいるのを何となく視線の端で確認する。

 書類に向かっている時も会議中も、何があっても慌てる事無く顔色一つ変えず常に冷静なクロウェルは、お茶を口に運んでいる今さえも普段と変わらない様子。

 リディアからしたら果たしてクロウェルはお茶の時間を必要としているのか、息抜きになっているのか、クロウェルが断らないので普通の侍女の仕事をこなしているが正直良く分かっていない。

 クロウェルは静かにカップをソーサーに戻すと、ソファから腕を伸ばし宰相机の上の書類を一枚取りそのまま書類に視線を落とす。

 長い足を組み書類に視線を落としていたクロウェルはテーブルの上のマドレーヌを一つ摘み上げると、そのまま少しだけ頬張った。

 ただ、手に取ったのが難しい書類か何かなのか、マドレーヌを持ったままそれを噛み切る事無く一部咥えた状態で固まっている。

 クロウェルのすぐそばの床に座るリディアの位置からは、書類の隙間からそんなクロウェルの顔を仰ぎ見る事が出来る。

 リディアはクロウェルを直視をしないようにすっと視線だけ上げると、真剣な面持ちとは対照的な、お菓子を咥えたまま他事をする子供のような違和感にたまらず口元が綻ぶ。

 

「クロウェル様……。大切な書類が汚れてしまいます」

 

 極力平静を装いそう口にしたリディアだったが、どこか少し声が上ずってしまっている。

 リディアは誤魔化すように微笑むと、クロウェルに両手を伸ばし書類をすっと抜きとりテーブルの端に置き頭を下げる。

 

「あぁ、すみません。お恥ずかしい所をお見せしましたね。気になるとつい」

 

 そう言うとクロウェルは組んでいた足を戻すと持っていたマドレーヌを半分頬張り、満足そうにカップに手を伸ばす。

 音も無く上品に租借する口元に、お茶を飲み下す時大きく上下する喉。きっちりと首元まで留められたシワ一つ無い黒の宰相服と、両肩と腕を包み込むようにし胸元で留められたなんとも動き悪そうなグレーの羽織りと手袋。華美な剣帯はしているが帯刀はしていない。

 リディアは徐々に視線を下ろしながら、初めてまじまじとクロウェルの顔以外を観察すると、貴族令嬢とその親達が必死に取り入ろうとしている理由がうっすらと理解出来たような気がした。

 元々恐ろしく整った造形美のクロウェルが、無駄に華美に作られた宰相服を纏っているのだ。それは親としても娘としても申し分ない物件なのだろう。

 リディアはそのまま視線を移し、クロウェルの膝の上に置かれた右手を見つめる。

 黒い手袋に覆われているがしなやかで長い指だという事は確認出来る。そして右手の中指の先を同じく右手の人差し指でさするのは癖だろうか、デスクワークが主体の宰相だけに、指先には大きなペンだこが出来ているのが手袋越しにも伺える。

 その右手が持ち上がるのを考え事をしながらぼうっと眺めていると、手袋を外した右手はリディアの口元に添えられた。

 

「口が半開きですよ。欲しいのですか?」

「! いえっ、ぐっ……!?」

 

 非礼を詫びようと開きかけたリディアの口の中に、もふっとマドレーヌが詰め込まれた。

 

「小さな口ですね。ほら、もう少し大きく開けて……そうそう上手」

「んっ!? ん、ぐ……っ……!」

 

 一口サイズとは言えリディアが一口で食べるには大き過ぎる。実際に今半分も口の中に入りきっていない。

 わたわたと手を振り抵抗するものの、目の前で面白そうに目を細め微笑むクロウェルの手は止まらない所か、再びチョーカーに指を滑り込ませリディアの動きを封じる。

 失礼を承知でクロウェルの腕を掴み、もう片方の手でぐいぐいと胸を押し返すように力を入れる。が、残念な事に力もリーチの差も違いすぎるのかびくともしない。

 リディアがむぐむぐもごもごと口ごもりながら助けを請う様に視線を上げると、思いがけず間近で紫の目と視線が合った。

 長い睫だな頬に影が出来てる、艶やか涼やか意地悪そうな笑い方、肌綺麗だなやっぱり力は強いんだ等々、それ所ではない状態だと言うのに失礼を承知で見上げればそんな感想がぽんぽんと浮かんでくる。

 小さな唸り声を上げながら自身の見上げてくるリディアの姿に、クロウェルは一瞬目を大きくしたが、すぐ目を細めると口角を上げなんとも楽しそうな穏やかな笑みを浮かべた。

 

「少しいじめただけでそこまで従順になるんですね。いや、反抗的と言うべきでしょうか」

 

 クロウェルは満足そうに呟くと手に力を入れマドレーヌを半分に折る。

 するとその直後、突然ノックも無しに宰相室の扉が開いた。

 

「クロウェルちょっといい……なんだ侍女いじめか?」

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