宰相と侍女2
その後宰相執務室から逃げる様に侍女の控え室まで戻ると、侍女頭から正式に宰相付きの侍女になったとの通達があり、更に夕方お戻りになった姫に事のあらましを伝えたところ『潜入捜査ね! さすがリディアだわ!』と大絶賛されその日は終わった。
翌日。姫付きの時よりも二時間も早起きしたリディアが真っ先に向かったのは、宰相室でも無くクロウェルの私室でも無く王宮の裏庭の花壇。
庭師が丹精込めて育てた庭の花々は競うようにその美しさを全面に押しだし朝露に濡れていた。
前日に庭師に話を付けていたリディアは、丁度見頃になった花を一抱え分長さを揃えカットすると、急ぎ本館の大会議室に飛び込み活けていく。
今日は朝から隣国の騎士団との会議があり、宰相付きの侍女のリディアは宰相と同じように外交関連の準備は全て行う事になっている。
装飾品にははたきをかけてテーブルと椅子は磨き、床は水拭きした後に水垢が残らないようにすぐに乾拭きをする。
慌ただしくリディアが動けば動くほど喉元のベルは跳ね小さな音を立てる。
他の侍女とは違い政治的な来客対応が多い宰相付きの侍女だと言うのに、このように音が鳴ってしまうチョーカーはいかがなものかとつい溜息をついてしまう。
が、ふと顔を上げればもうクロウェルを起こしに行く時間。
丈の長いコートの様な宰相服を、あらかじめ洗濯女中から受け取っておいて正解だったと思いつつ、大急ぎでクロウェルの私室に向かう。
リディアは一度クロウェルの私室の前で呼吸を整えると、小さくノックをし一拍おいてから扉を開ける。
するとクロウェルはすでにシャツを着てソファに座り書類の山に目を通していた。
一瞬宰相室かと思わせる書類の量にリディアの表情は固まりかけたが、何事も無かったかのように微笑むと一礼する。
「おはよう御座いますリディア。思っていたより早いのですね、おかげで会議の前に終わらせようと思っていた書類はまだまだ手付かずですが」
そう言うと手に持っていた書類を机の上に伏せて置く。
山積みの書類に戻すのでは無く、一枚だけ別にして置いた辺り、クロウェルが言ったようにまさに今書類に手を付けたばかりかと推測される。
「おはよう御座います、クロウェル様。本日朝食は不要と伺っておりますが、お茶はお淹れいたしますか?」
【どうか私の為にももっとゆっくり起きて下さい】とは口が裂けても言えなかった。
宰相服をハンガーにかけ、頭を下げクロウェルの返事を待っていると、ふっとリディアの足下、視線の先に影が落ちた。
少しだけ頭を上げると、結い上げたリディアの髪を触りながらクロウェルが口を開く。
「眠気覚ましに頂こうと思いますが……朝からどこに潜って来たのですか?」
リディアの髪から離れたクロウェルの手には、真っ白な薔薇の花弁が一枚。
先程花を採った時か掃除の時か、いつの間にか髪の間に挟まっていたらしい。
薔薇の花弁を取った時にほつれたのか、花弁をもったクロウェルの指にはリディアの髪が数本絡まっていた。
リディアは何とも気まずそうな笑顔を見せさっとクロウェルの指から花弁を抜き取りポケットに入れると、そのまま持って来ていた茶器に近付きお茶を煎れ始める。
少し目を細めしばらくリディアを眺めていたクロウェルは、ハンガーから宰相服を取りばさりと羽織ると、その様子が視界の端に映ったリディアは、ほぼ反射的にクロウェルに近付くと一言断りを入れ着付けを手伝いだした。
袖のシワを伸ばし後ろに回り襟を正し、再びクロウェルの正面に戻り襟元の留め具をはめようとリディアが手を伸ばすと、頭の上から小さな笑い声が聞こえて来た。
「それは姫付きの癖ですか? 流石に私は着付けて頂かなくても結構ですよ?」
留め具に絡みそうなクロウェルの少し長めの後ろ髪を持ち上げていたリディアは、その言葉にぴしりと固まってしまった。
王族は性別や年齢を問わず侍女が着付けるのが当たり前だが、宰相や官僚、貴族に至ってはさっさと一人で着てしまう人も中には居る。
昨日宰相付きの侍女になるにあたり、侍女頭から言われた事の一つに【現宰相のクロウェルは世話焼きを好まない】と言うものがあった。
必要以上に自分に対してあれこれ世話を焼かれるのは、きっちり段取りを決め仕事をこなすクロウェルにとって邪魔になるものらしいとのこと。
リディアはその事を失念していたわけでは無いが、つい染み付いた癖が突発的に出てしまったのだった。
まるで猛獣か何かを刺激しないよう離れるかの様に、クロウェルの髪を掴んでいた手をゆっくりと放し、じりじりと身を引く。
するとすっと伸びて来たクロウェルの手が、リディアの喉元のベルを掴みぐいっと自身に引き寄せる。
「もっ申し訳ございま――」
まるで胸ぐらを掴まれたかのように引き寄せられたリディアは一瞬身を固くし口を開くが、直後、息が掛かる程の耳元でクロウェルが呟くと、さっきとは違った意味で体が硬直する。
「折角着付けて頂けるのであれば、はじめからシャツも脱いで待っていた方が良かったですね。明日からはそうさせて頂きます」
「……っ……っっ……!」
脳に直接響くような艶のある低音がリディアに直撃し、思わず腰から砕け落ちそうになる。
だがその時、扉をノックする音が部屋中に響いた。
ぱっと身を放したリディアは、お湯を入れたままだったポットに手をかけると、そのまま壁まで下がり頭を下げ待機する。
クロウェルは少し残念そうに襟の留め具に手をかけながら扉に向かって返事をする。すると入って来たのは騎士団長のホルンだった。
「おや? おはよう御座いますホルン殿。会議まではまだ時間がありますが……私室に来る程急ぎの用件でしたか?」
どっちみちこの後会議で顔を合わせると言うのに。
不思議な面持ちでクロウェルが問いかけると、ホルンは大きく溜息を一つつき口を開く。
「今、大会議室を見て来たのですが、準備されたのは閣下で?」
「いえ?」
「……じゃあ本当にリディアを宰相付きにした。と言う事ですか?」
「ええ。何でしたら、そこに居る本人に直接確認して頂いても良いですよ」
「えっ?」
クロウェルの視線を追って振り向いたホルンの目に、壁際で空気に徹するリディアが映り、直後、その喉元に吸い付くチョーカーと静かに揺れるベルが視界に入った。
リディアは兄のように慕っている幼馴染みのホルンが嫌に昨日から突っかかってくるなと、不思議そうな面持ちで見上げている。
ホルンはそのまま大股でリディアに近付くと、マントを翻し金属の手甲をはめた手でリディアの腕を掴みぐいっと引き寄せる。
その反動でリディアが持っていたポットは手から滑り落ち、盛大な音を立てて床で砕けてしまった。
「リディアお前、その首……本当に姫付きじゃなくなったのか」
「ちょっと、どうしたのホル……ホルン様。どうか力を抜いて下さいませ」
ぎりっと音が鳴るほど強く腕を握りしめるホルンに、たまらず幼馴染みとしての口調が出そうになる。
慌ててホルンが手を放すと、その直後リディアは割れてしまったポットの破片を拾い始めた。
ちりんちりんと小さな音を立て動くリディアを見ていたホルンは、再びクロウェルに向き直る。
「閣下、どう言ったご判断でリディアを宰相付きにされたかは存じませんが、姫以外に仕えた事も無い侍女一人に任せるには、あまりにも閣下の仕事量は多すぎるかと思われます。せめて召し抱えの侍女を増やして頂きたい」
幼馴染みの口から飛び出した意外な言葉に、リディアは床に膝を付いたまま呆然とホルンを見上げていた。
「それは幼馴染みとしての意見ですか? それとも官僚として?」
「その両方です」
クロウェルの質問にきっぱりとそう答えるホルン。
するとクロウェルは一度目を伏せ溜息をつくと、再び視線を上げホルンを見据える。
「そうですか。ですが私は彼女の能力を買ったまでです。侍女頭の許可も得てますし、成人し立派に仕事をこなす女性に対し些か過保護過ぎでは無いですか? 同じ様に、もし彼女が危険だから騎士を辞めるよう言ってもあなたは聞き入れますか?」
柔らかな笑みをたたえそう言うクロウェルに、ホルンは自分でもそう思っていたのか、反論する事は無かった。
そのまま目を伏せリディアに視線を向けた後『失礼した』と小さく言い残すと、ホルンは部屋を出て行ってしまった。
*
会議中は会議室の壁に貼り付き風景の一部になりきる。
大きな楕円形のテーブルに向き合うように座るホルンと隣国の騎士団長は、いくつかの資料をテーブルに広げお互い文官にメモを取らせ話し合いを進めており、リディアはただ扉の横にたたずみ終わるのを待つ。
国境沿いの警備や整備が必要そうな箇所の報告、最近の国内の犯罪内容など定期的に行う打ち合わせのような会議だった為、話し合いはものの三十分位で終わった。
立ち上がり談笑しながら歩いてくる二人の騎士団長に一礼しつつリディアが扉を開けると、ふと目の前で隣国の騎士団長が立ち止まった。
「騎士のもそうだが、やはりこちらの王宮の服は全体的に見栄えが良いものですな。さすがは開かれた王宮。紫のチョーカーは騎士団付きで? ディアンドルの侍女はうちにも採用して欲しいものですな!」
「いや、さすがに騎士団専属の侍女は無いでしょう」
そんな軽いやり取りを騎士団長二人が目の前で繰り広げ、最後に隣国の騎士団長はリディアの頭をぽんぽんと叩き、豪快に笑いながら文官を従え退出し、溜息混じりに一瞬リディアに視線を移したホルンも、それに続き退出して行った。
無骨で豪快な騎士団長に驚きを隠せずに居たリディアだったが、部屋に響き渡る柱時計の音で我に返ると大会議室の片づけを猛然と開始した。
会議室のテーブルクロスを抱え中庭を突っ切るリディアに声をかけたのはホルンだった。
ホルンは中庭の中央にある噴水で足を止めると、正面から走ってくるリディアに向かい、自分の首元をトントンと指差し口を開く。
「侍女がバタバタ走り回ってんじゃねぇよ、リディア。ベルがうるせぇ」
「なによ。ホルンだって歩くとガチャガチャうるさいじゃない。と言うか昨日からなに怒ってるの?」
リディアは抱えていたテーブルクロスを肩にかけると、目の前で腕を組み仁王立ちしているホルンの手甲と足甲、マントの留め具と剣と剣帯を指差しすぐさま反論する。
隣国の騎士団長が言っていた通り、この国の王宮は【開かれた王宮】と呼ばれている。
最初こそは実力があれば身分に関わらず官僚になる事が出来ると言う意味合いで、実際に騎士団長を努めるホルンの家柄も代々騎士の家系と言う訳ではなく、ただの下流貴族の一つに過ぎず、姫付きの侍女として王宮に上がったリディアも同じだ。
だが派手好きで自慢好きで浪費家だった先代の王が、王宮の一部を一般解放し、それに伴って官僚や王宮仕えの服はあまり実用的ではない見た目重視の華美なものとなっていた。
リディアとホルンはお互いの服の隅々に視線を這わせると、ほぼ同時に溜息をついた。
「女の園しか知らないリディアがなぁ、まさか一人であの嫌みったらしい女ッたらしの宰相付きになるなんてなぁ。お兄ちゃんは心配してんだぞ?」
「【嫌みったらしい女ッたらし】って凄く語感が良いわね。その事で怒ってたの? んー……確かに宰相付きは忙しいけど、やんちゃな姫様二人の世話で大分体力も付いたみたい。それに、女たらしと言うか、自然に出る大人の色気? 妖艶? って感じじゃ無い? それに今までクロウェル様の浮いたお話は聞いた事無いよ?」
リディアの肩からテーブルクロスを受け取りながらホルンは再び盛大な溜息をつく。
「妖艶なんて響きの良いものかぁ? 全く、リディアはそう言うとこ鈍いからな。何かされなきゃ良いけど」
「クロウェル様に? 何も無いでしょー。たまーに、からかわれたりして遊ばれる位よ」
「遊ばれてんのか!?」
「多分、仕事の息抜き?」
三度溜息をついたホルンはどかっと噴水の縁に腰を下ろすと、赤い髪をかき上げぐしゃぐしゃと頭をかく。
「んだよ、仕事の息抜きで遊ぶって……じゃあ俺と遊べよリディア。昔みたいに棒きれ持って向かって来いよ。剣術ごっこしてやるよ」
「騎士団長相手にそんな無謀な事やる暇はありませんー。遊ぶなら一緒におままごとする? マフィン作ってあげるよー?」
「ふっざけんな。ただ、作って持って来たなら騎士団長自ら食ってやらん事も無い」
「あら、承りました。近々お伺いさせて頂きたく思います」
軽口をたたき合い、そのまま二人は笑顔で手を振り各々の仕事に戻る。




