願いの導き手 砂漠の精霊《ジン》4
全てを焼き尽くさんとする昼の容赦ない暑さから一変し、日も落ちると心地よい風が頬を撫で髪をさらう。
何処までも続く砂の海とさざ波を思わせる音に耳を傾けながら、ハーディは紗幕で仕切られただけのガゼボに体を横たえていた。
数週間前まで滞在していた日の国とは打って変わり、砂と太陽の国の照りつける暑さに、ハーディは少し調子を崩していた。
昼夜関係なく風のよく通るガゼボに寝そべり、水か水分の多い果物ばかり口にする。
ハーディの側使えと屋敷の主があつらえた女奴隷も、寝てばかりのハーディの身を案じ、少しでも身になる物をとせっせと運び込むものの、ハーディは笑顔で断り果物にばかり手を伸ばす。
今も、気晴らしに菓子でもと女奴隷が銀の皿に盛られた焼き菓子を差し出すも、ハーディは皿を覗き込んだまま唸り声を上げている。
そんな時ふと、ガゼボのあるハレムに続く柱廊を小さな光が滑って来るのが遠目に見えた。
ハーディが首を伸ばし光を確認し出すと、それまで仕えていた女奴隷はすっと立ち上がるや、食器を手に紗幕の向こうへと消えて行った。
「どうにも、私の愛しい精霊は偏食で困る。私の腕の中で死ぬつもりかい?」
俯せに寝ていたハーディが体を起こすと同時に、紗幕の隙間から、褐色の肌をした西端な顔立ちの青年がするりと静かにガゼボに入って来た。
青年は頭に巻いている砂避けのターバンをささっとガゼボの入り口で払うと、服の裾を払い雪花石膏の長椅子に半分体を横たえるハーディの隣に体を滑り込ませる。
そのまま青年はハーディの背中に腕を回すと、軽々と横抱きにしてしまった。
「久し振りに顔を見せに来たと思ったら……。さぁ、寝所に行こうか愛しき人」
「船旅の疲れが出ただけだよ。ついこの前まで真冬の日の国に居たんだ。それと……」
ハーディを横抱きにしたまま歩き出した青年は、話を聞いているのか居ないのか、うっとりとハーディの顔を見つめ頭に頬を寄せる。
それをハーディが煩わしそうに頭をふり嫌がる素振りを見せるも、青年は特に気にした様子も無い。
「それと、何度も言ってるけど私は君の物になったつもりはないよ。毎朝毎晩欠かさず睦言を言いに来るけど、そう言うのはハレムの女達に言うもんだよ。そもそも私は男だしねぇ」
呆れたようにそう溢すと、ハーディは青年の腕の中でひらりと身を返し隣に下りる。
尚もハーディを抱えようと腕を伸ばす青年を軽くあしらうと、ハーディは柱廊を外れ、庭の池の縁に飛び乗り、ふらりふらりと危なげな足取りで一歩二歩と踏み締める。
「生まれた時から地位も権力も美貌も全て持ち合わせた砂の国の王子が、今更私に願う事も無いでしょ。私をただ飼うのは良いけど、それだけじゃお互いつまらないじゃないか」
日の国で炎帝が言っていた、ハーディを手籠めにしていた奴と言うのは、何を隠そう今目の前に居る砂の国の王子。
何年か前に砂の国を訪れた時、散々放浪して来たハーディはどこか適当な場所でしばらく過ごそうとふらふらと街中を彷徨っていた。
そんな時、奴隷買いから逃れて来たと勘違いしたこの砂の国の王子がハーディに声を掛け、そのまま自分の屋敷に置くことにした。
今でこそ日の国砂の国西の国と、あらゆる国の服が入り乱れた、不思議だが小綺麗な格好をしているが、王子が見付けた時は奴隷と見間違う程、服装に頓着せず着の身着のまま放浪していた有様だった。
そんなハーディを湯殿で磨き上げ服を与え、ハーディがふらりと屋敷を出て行ってしまうまで甲斐甲斐しく世話を焼き身なりを整えた、いわば恩人の様なものである。
そんな王子の元に再び何も連絡をせず現れたハーディに、王子は気分を害するどころか諸手を挙げて受け入れたのだ。
王子は今にも池に落ちてしまいそうな不安な足取りのハーディを見守りながら、その長い指先で庭先になっている木苺を一つ摘まみ上げる。
「飼うだなんて、一体誰にそんな言葉を教わったんだい? 私は愛しい人との時間を退屈だなんて思わないよ。この国では同性婚も可能だし、出来なければ法を変えるだけ。……だが、地位も権力もありながら、得られないものだってあるよ」
指先で摘まんだ木苺に王子が唇を寄せ、悩ましげに言葉を発すると、ハーディは細い目を僅かに見開き驚きつつもどこか問答を楽しむかの如く眉を下げ笑う。
しかし、振り向いた弾みで案の定足を滑らし、石を敷き詰めた人口の池の中に落ちてしまった。
腰まで水に浸かった状態の自身を引き上げる王子と、ハレムの方から布を手に慌てて駆けてくる女奴隷を横目に、ハーディは笑いを隠そうともしない。
「なぁに? まさかそれは愛だの愛しい精霊だのって言うんじゃないだろうね?」
何か含みを込めた王子の言葉にハーディは再度思い出したように笑う。
砂の国とは言え夜は冷える。
ましてや体調を崩しているハーディが冷たい水なんかに落ちれば、また寝込んでしまう恐れがある。
ハーディはあまり自分の事に頓着しない。
導き手と呼ばれるハーディには、寿命という物が存在しない。
事故死や何者かに殺害されて人生を閉じる事があっても、人の世の疫病などでは死ぬ事は無い。ただただ死ねず完治するまで長く床に伏すだけである。
そんな事が日常茶飯事のハーディは、周りの者が気に掛けてやらないとすぐに風邪を引く、どうにも困った存在だ。
王子自らハーディを助け上げ、すっかり濡れ重くなった西の国の外套を脱がしてやる。
そのまま相も変わらず楽しそうに笑い声を上げるハーディの口に木苺を押し込むと、王子はハーディを抱えハレムに足を向ける。
「出来れば君の身も心も真に私の物にしてしまいたいのだが……」
そこで言葉を句切った王子がハーディの胸元に手を伸ばすと、陶芸家の娘の時の様に手はするりと胸の中に吸い込まれていく。
それまで楽しそうな笑い声を上げ木苺を頬張っていたハーディだったが、やはり手が己の中に入ってくるのは苦しいのか、顔を顰め小さな呻き声を漏らすと、無意識に少女のように王子の腕にしがみつく。
「やはり、私の求めるものは授けて貰えないようだ」
王子は眉根を寄せしばしハーディの中で手を彷徨わせていたが、ふっと諦めたようにため息交じりにそう溢すや、何も掴まないまま手を引き抜いた。
「毎日、無遠慮に人の胸を弄っておいて、何て顔してるんだか。望みを教えてくれたら早い話なのに、君ったら変なところばっかり強情で……」
「本当に、どこでそんな言葉を覚えたんだい。……今日はもうおやすみ。また明日、自分の力で掴んでみせるよ」
王子はハーディの頭を撫で無理矢理話を終わらせると、奴隷から受け取った布でハーディの体を包み、壊れ物を扱うように大事にハレムまで運んでいった。
*
「お願いだ、私を拒まないでくれ」
「そう言う文句は、女人相手に褥で言うものなんじゃないかい……?」
翌朝、ハーディが目覚めると寝台の脇には既に、王子が腰掛けハーディを見つめていた。
昨夜の紺碧色の上衣とは違い、浅葱色の、褐色の肌に良く栄える上衣を纏い、ハーディを柔らかく見つめていたのだが、王子はハーディの意識がまだはっきりとしないうちから、昨夜のように胸に手を吸い込ませていた。
予期せぬ苦痛に起こされたハーディは、王子の腕を掴み強制的に胸から引き抜くと、王子を押しのけ寝台から起き上がる。
眠りが深かった為、ハーディはてっきり寝過ごしたものかと思ったのだが、紗幕の隙間から外を覗けば、日はまだ地平線から顔を覗かせたばかりだった。
冒頭の陶芸家の窯の前の描写は、以前九藤朋さんが主催された耽美コンテストに出そうと書いたものの一部です。




