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魔獣牧場4

「もう時間も時間だから無理はするなよ。無かったら明日皆で行けば良い」


 荷造り用の縄と弓矢を背負いレマルクが簡易的に作った鞍を乗せ、改めてスレイプニルに跨がると、父が防寒用の布を一枚手渡しながらしつこく言い続けてくる。

 それは今までも散々聞かされた文言であるし、まだ朝晩は酷く冷えるこの時期、リディアは言われなくても無理はしないつもりだ。

 心配そうな顔で見上げる父に笑顔を返し、夕餉の準備だけ頼んでおく。

 すっぽり被った防寒布から目だけ出し、スレイプニルの首を一撫でし裏の森に向かう。


「間違っても霊峰の方には行くなよ! 近付き過ぎて天罰が下るといけないからな!」


 森から数羽の鳥が驚いて飛び立つ程の大声で、心配そうに大きく手を振りながらリディアの姿が見えなくなるまで牧場の脇に立ち尽くしていた。

 少し楽しそうに駆足で進むスレイプニルの背から手を振り返し、薄暗い森を分け入っていく。

 霊峰なんて馬で二日はかかる距離、いくらスレイプニルだからと言ってそんな短時間では行って帰ってこれないのに。

 過剰なまでに心配性な父の言葉と表情を思い出し、たまらず笑みが零れてしまう。

 声は出さず空気が漏れ出る程度の小さな笑みだったが、それをいさめる様にスレイプニルが身震いし、自身の背中に乗るリディアに一瞬だけ視線を流した。

 スレイプニルと一瞬だけ目が合ったリディアは息をのみ、瞬時にスレイプニルの言わんとすることが分かった。

 いくら慣れ親しんだ自宅の裏の森とは言え、日も暮れ始めて来た時分、いつ獣や魔獣が出て来てもおかしくはないのだ。

 むしろこれからの時間は獣や魔獣の時間と言っても過言では無い。

 スレイプニルでさえ足音をたてずに進んでいるというのに、乗っているリディアが無防備なら、ただ襲ってくれと言っているのと同じ事だ。

 リディアは静かに深呼吸をし、いつでも使える様に弓を準備する。

 一瞬だけ見えたスレイプニルの目は普段の甘えん坊の目ではなく、魔獣の目だった。

 心を落ち着け、冷静に獲物と柵や薪になりそうな粗朶を探さねばならないと言うのに、先程の目が頭に焼き付いてはなれず、心臓が早鐘を打つ。

 静寂な森の中だからか、一際うるさく体内に響き渡る心音。

 どうにか鎮まれと胸を押さえながら、動揺からか無意識にスレイプニルの首筋を撫でると、視線こそは真っ直ぐ前を見据えたままだが、いつもの嬉しそうな鼻息だけはしっかりと返って来た。


「ごめんね。ありがとう」


 一瞬だけいつものスレイプニルに戻ったおかげか、変な緊張をしていたリディアもいつも通りに戻る事が出来た。

 だが、スレイプニルの耳元でリディアがそう呟くと、スレイプニルは突然歩を止め一点を見つめ動かなくなった。

 弓を持つ手に力を入れ、スレイプニルの視線の先、薄暗い森の中に意識を集中させる。

 木々が枝葉を揺らす音と、どこか遠くから鳥や獣の鳴き声が響いてくる。

 薄暗くいせいで視覚から得られる情報は少ない代わりに、耳から得られる情報は多い。

 突如先程まで慎重に一歩一歩進んでいたスレイプニルが、視線を向けている方に速歩で進み始めた。

 スレイプニルからしたらスキップ程度の速さかも知れないが、普通の馬が全力で駆け抜ける以上の速度はあるかも知れない。

 簡易的な鞍と手綱をつけていたおかげでどうにか落馬は免れたが、普段より高い視線と行き先をスレイプニルしか知らないと言う不安からただただリディアは歯を食いしばってしがみつくしか無い。

 服の間に入ってくる風が身が裂ける程冷たく、いくら手や顔を防寒布で覆っても徐々に力が入らなくなってくる。

 それ程時間は経ってないはずだが、リディアにしてみれば一晩中森の中を走り回ってた位に思える。

 ようよう手綱を握っていられなくなってきた辺りで、薄暗い森の中、前方の木々の間がうっすらと明るくなってきた。

 スレイプニルが速度を落とさずそのまま走り続けると、森は終わり平野に抜けた。

 平野に抜けすぐにある崖の上でスレイプニルは歩を止め、鼻息も荒くその場を忙しなくぐるぐると回っり始めた。

 スレイプニルとぐるぐる回りつつ、来た道を確認すると遠くの崖の上にリディアの家が見える。

 どうやらここはリディアの家の脇にあるなだらかな崖の中腹あたりらしいが、家の展望台から見える範囲から死角になっている方角の崖らしい。

 あまりにも夢中でしがみついていた為か、下ってるのか上っているのかさえ分からなかったようだ。

 それにしてみても、少し速駆をしただけで随分遠くまで降りて来てしまったものだ。

 鼻息荒く興奮気味のスレイプニルの首筋を撫で続け、どうにか落ち着きをとり戻し始めた時、リディアはふと一つの疑問が浮かんだ。

 スレイプニルは何をしにここまで来たのだろう。

 いくら周りを見渡してみても粗朶どころか狩りの獲物さえ見当たらないうえに、崖の中腹は風が強くほとんど風の音しか聞き取れない。

 全く見当もつかないリディアは一先ず崖の上に戻ろうと手綱を引いたが、スレイプニルは何かを訴えるように首を振り前足で土を掘りばかりでその場を動こうとしない。


「なに? まだ帰りたくないの? よく分からないわ、教えてよ」


 かじかんだ手をすり合わせながらじっくりと様子を伺えば、スレイプニルは平野の先の一点を見つめ、せかすように頭を上下に動かしている。

 リディアは手綱をしっかりと握りしめバランスをとりながらスレイプニルの上に立ち上がると、目を細めスレイプニルの見つめた方角に神経を集中させる。


「あれは……人……? 何かに追いかけられてる!」


 リディアのいる平野の先、ミクトラン山脈の麓に広がる広大な森、その森から平野に数頭の馬とそれに乗る人達が飛び出してきた。

 最近は街に来た冒険者はいなかったはず。となればあれは街で噂されていた第二王都からの調査隊だろうか。

 リディアの居る位置からでは距離があり服装等がよく見えないが、まず間違いない。

 さらにその調査隊が森から飛び出してきたかと思った矢先、今度は白い獣が群れをなして飛び出してきた。


「狼……!」


 群れをなす真っ白な獣はミクトラン山脈に生息する固有種の狼。

 人よりも大きな体格を有するその狼は一頭で馬をも軽く噛み殺せる程強靱な顎を持ち合わせている。それが十頭近く群れをなし調査隊を追いかけているのだった。

 調査隊は狼を迎撃する余裕が無いのか、必死な形相で馬にしがみつきがむしゃらに鞭を振り回している。

 リディアは再びスレイプニルに跨がると、無我夢中で手綱を握った。

 すると先程まで動こうとしなかったスレイプニルが、崖や小川などの地形を無視しひたすらに真っ直ぐ調査隊に向け走り出した。

 あのままではいずれ追いつかれてしまうだろうし、もし街まで逃げ帰れたとしても今度は街の皆が危ない。

 狼達を止めなければ誰かが被害にあってしまう。

 本気で走るスレイプニルはまさに風。魔物そのものだった。

 簡単な鞍を乗せただけのせいでリディアの足はスレイプニルが一歩踏み出す毎にスレイプニルにぶつかり、血が滲み始めていたが、今立ち止まるわけにはいかない。

 深く防寒布を被り弓をつがえる。

 徐々に調査隊に接近する狼の群れ。

 急ぎ鏑矢に持ち替え適当な方向に射放つと、矢は甲高い音を立て舞い上がり平野のどこかに落ちていった。

 その音で調査隊も狼もリディアの存在に気付いたようだが、だからと言って現状が変わるわけではない。

 もう一度矢を放とうとリディアが腰の矢筒に手を伸ばした時、スレイプニルが突然頭を下げたかと思うと、勢いよく頭を上げ大きく飛び跳ねた。

 それは空に舞い上がったかと錯覚する程高く、何度かそれを繰り返すと、豆粒に見える程遠くにいたはずの狼の群れとの距離は瞬く間に縮まってしまった。

 リディアは今度は普通の矢に持ち替え、先頭を走る狼目掛け射放つ。

 狼の群れの真正面からからでは無く、やや左側から射た矢は真っ直ぐ突き進み、先頭を行く狼の右前足の付け根に命中し、仲間数頭を巻き込みながら激しく倒れ込んだ。

 複数の仲間が地に倒れた瞬間、残りの狼達は一斉に立ち止まり血走った目をリディアに向けた。

 呼吸も荒くうなり声を上げる口からは鋭い牙が見え隠れし、頭を低くしリディアの動きを観察している。

 狼の獲物は完全に調査隊からリディアに移ったようだ。

 正直な所、狼と調査隊を引き離す事しか頭に無かったリディアにこれといった策は無い。

 今も狼達に気付かれない様、視線を外さず足の振るえを押さえ平常心を保つように心がけているが、悲鳴を上げたくてしょうがない。

 そうこうしているうちに弓を受けた狼も体勢を立て直しこちらの様子を伺っている。どうやら分厚い冬毛と脂肪で矢は深く刺さらなかったらしい。

 しかも調査隊も狼達が自分達に興味を失っている今のうちに街に避難すれば良いものを、なぜか遠くから傍観する事に決めたらしい。

 街に続く崖の上、小高い丘のようになっている場所で立ち止まっている馬が数等視界の端に確認出来た。

 とっさの事だったので調査隊が何人居たかは記憶に無いが、火を熾すか援軍を呼んできてくれれば良いものを……。

 さすがに馬から降りる様な蛮行はしていないと信じるが、王都の人間は普段から自分の手を汚さないのか気が利かないのか、どちらにせよ高みの見物を決め込むその姿が今のリディアにはあまりにも鼻に付く。

 確かに頼まれもせず勝手に助けに入ったのは自分だが……と、なんとも言い切れぬ思いからぎりっと音がなる程強く歯をかみ締めると、そんな雰囲気を察したのか狼達が更に牙をむき、遠吠えを始めた。

 仲間を呼んでいる。

 リディアがそう理解するよりも早く、スレイプニルはリディアを乗せたまま猛然と走り出していた。

 先程までの物音一つ立てない走り方とは違い、重く轟く地響きのような足音を立て進むスレイプニルの存在感はまさに圧巻。

 スレイプニルの勢いに気圧された狼達は一瞬動く事が出来なかったのか、スレイプニルが先頭の二頭を跳ね上げるまで鳴き声一つ上げず立ち尽くし宙を舞う仲間を静かに見送っていた。

 それはリディアも同じ事で、スレイプニルに乗ってはいるが何が起きたのかは良く理解出来ておらず、むしろよく落馬しなかったものだ。

 ようやく何が起きたのか理解出来た残りの狼達は、跳ね上げられた仲間を助ける事無く、一目散にミクトラン山脈の逃げ帰って行き、リディアが状況を理解した頃には平野にいるのはスレイプニルとリディアの二人だけであった。

 スレイプニルがリディアに褒めて欲しそうに鼻を鳴らし、自身が仕留めた狼二頭を前足でつつき始めたのでリディアも反射的にスレイプニルを撫でたが、未だに実感は沸いて来ない。

 一先ず、今はまだ崖の上で傍観している調査隊の視線から逃げたい一心で、スレイプニルがつついている狼二頭を回収し、もと来た道を戻って行った。

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