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魔獣牧場2

 山笑う。

 朝晩の冷え込みが嘘のように暖かな日差し。

 ようやく春の訪れを感じさせる陽光に心躍らされるのは人も動物も同じようだ。


 良く使い込まれた革製の、可愛らしい小さな花の刺繍が施された鞄を肩から下げ、ウルルの毛を織った布に丁寧に幾重もの刺繍を施したこの地方特有の衣装を纏い、その服とは対照的に刺繍のないシンプルな布を頭にすっぽりと被せたリディアは、普段より少しばかり浮き足立ち気味に店の商品を手に取っていた。

 秋口に備蓄していた食糧などの在庫が心もと無くなって来た頃、第二層の長い冬がようやく終わりを告げたのだ。普段は節制を勤めるリディアも、この時とばかりに大いに財布の紐が緩んでいた。


「このオシグルを三匹と、ラダの干し肉をぉ……半分下さい」


 リディアは露店ではなくしっかりとした木製の戸建ての店の前で、特に店内を見渡す事無く決まり文句の様にそう店主に注文をした。

 店内には毛皮や毛皮のついた、仕留めて来たままの姿で置かれた動物や野鳥の他に、大きく切り分けた生の肉の他に、店内の壁に沿って天井から吊る下げられているラダの干し肉。

 リディアの家でも飼育しているラダは、体長一メートル程の草食の動物で第二層ではありふれた動物の一種である。

 体毛こそは短く使用用途は無いに等しいが、特定の餌しか食べないという事でもなく、少ない草でもすくすくと育つ事から一番家畜として扱いやすい動物とされている。

 ただ体こそ肉付きが良い動物だが、四本の足は細く引き締まっている為か、生肉としてではなく足の付け根から丸ごと干し肉にするのが基本とされている。

 昨年は一年を通してあまり気温が上がらなかった為、冬は例年にもまして厳しい寒さが予想された。

 その為リディアの家で育てていたラダも必要最低限の数だけを牧場に残し、殆どが出荷され街の人達の冬の助けになっていた。

 今日リディアが買ったのも綺麗に吊り下げられた足一本の干し肉の半身分。少量をスープにし軽食に程度の食べ方をするのなら一ヶ月以上、賢く食べれば二ヶ月以上はゆうにもつ量だ。

 この時期冬の間に消費してしまった食材の確保でこう言った大きな買い物で賑わう店としては、半身だけではなく一本丸々買って行って貰いたい所ではあるが、リディアが生まれた頃から知っている店主としては当たり前のこの光景は、また新しい春が来た事を告げる行事の一つであった。


「はいはいっと、オシグル一匹おまけしておくぜっ! それと八百屋の女将が気合入れて仕入れ過ぎたとかで、今行くとかなり安いしおまけも貰えるぞ」


 店主は店の入り口に並べられていた手の平大位の魚を4匹、小さな木製のバケツに水と一緒に入れながら、他の客から聞いた情報を得意げに話す。

 ここ、リディアの住む街――エミリエルスは大陸の北東に位置するごく小さな街。

 街と言うよりは村と表現した方が良い規模の街は地図によってはその名前すら乗っていなかったりもし、これと言った特産品がある訳でも無く、ただただ酪農や畑作や狩猟で生計を立てるのどかな場所だ。

 そんな場所だからか街全体の結束が強く、一つの家族のような感覚なのか食事のお裾分け所か一緒に食卓を囲む事もざらである。

 そう言うわけもあり、この店の店主からしたらリディアは本当の娘のような存在だった。

 それはもうリディアが成人を迎えた時は、実の父を差し置いて喜び勇みリディアを連れて近所の店に挨拶にまで行った程だ。

 今は十六になったリディアの結婚相手探しに勤しんでいるらしい。


「ほんと? ちょっと行って来るね! あっ、じゃあお土産用にオシグルもう一匹っ」


 買い物に行くのにお土産を持って。

 この不思議な文化もエミリエルスならではの物。

 鞄と同じくよく使い込まれた革製の財布からお金を支払い、ついでに今朝作ったククルパンのお裾分けを渡した後、バケツの水が零れない様にしっかりと持つと店主に向かって元気に手を振り八百屋を目指す。


 春めいてきた陽気に誘われたのはリディアだけではなかったようで、暖かな日差しに顔を上げると、はるか上空に見える第一層の周りを渡り鳥達がけたたましい鳴き声を上げ行き交っているのが見えた。

 繁殖か餌を探しにか。

 何にせよ生物が一様に動き出すこの時期は、リディアはお祭りの前日の様に心踊らされるかのようで一番好きな季節だ。

 慣れ親しんだそんな光景を眺めつつ砂利を敷き詰めただけの簡素な道の感触を楽しんでいると、市場の端、共用の井戸の側で街の女性達がかしましく話に花を咲かせていた。

 話好きの近所の女性達がそこで立ち話しているのもいつもの光景。

 くすりと笑みが零れつつ軽く会釈をしてからその場を通り過ぎるが、なにやら女性達は興奮している様で話が漏れ聞えてしまう。


「それ本当なの?」

「本当よ! 何でも奥の山の開拓の下見……だったかしら?」

「奥の山? それってミクトラン山脈の事?」

「そうそうそれでね……」


 ミクトラン山脈はエミリエルスから歩いて二日程の場所にある第一層にも届きそうな高い山脈。

 その山裾も広く、ミクトラン山脈の端を知る者はなく、まさに世界の壁であった。

 エミリエルスではその荘厳な姿から『神の座、霊峰ミクトラン』と呼ばれ、神はミクトラン山脈とその向こう側に住まい、ミクトラン山脈より吹き降ろす風に乗り実りや生命への祝福をもたらすと信じられ信仰の対象とされている。

 そのミクトラン山脈も然り、そこにたどり着くまでの道のり自体通常馬車や馬では行けない様な獣道を通る為、おのずと自分の足で向かわねばならない場所だ。

 その為昔からその山脈を越える方法や道を作る方法等が考え出されているが、今日まで目立った発見などは無く、勿論その広大で険しい山脈の向こう側に到達した者は無い。

 エミリエルスはそんなミクトラン山脈に一番近い街の為、開拓や下見の際にはおのずとエミリエルスに立ち寄る事になるが、無謀な冒険者等がミクトラン山脈を目指すのは日常茶飯事な事なので今回のように噂話が出るのならそれなりに名のある人が来るのだろう。

 小耳に挟んだ噂話が少し気になりつつも、誰が来ようが儲かるのは宿屋か雑貨屋あたり。家族で牧場を営んでいるリディアは直接関係無い物と思っているので、わざわざ女性達の立ち話に参加するつもりも無くそのまま通り過ぎたのだった。


 馴染みの肉屋から道なりに進み、緩いカーブが始まってすぐ右側にあるのがこれまたリディア馴染みの八百屋。

 ここの女将さんもさっきの肉屋の店主同様に、早くに母親を亡くしたリディアを我が子同然に愛してくれているありがたい人だ。

 店先からいつも通りリディアが顔を出すと、奥で接客中だった女将さんもいつも通り接客をよそに笑顔で手を振って来た。


「女将さんお久しぶりです! さっき肉屋さんでオシグル貰ったからお裾分けに来たよ-。あと、今日は何がおススメですか?」


 女将さんはリディアしか目に入ってないと言っても過言ではない。

 接客が終わったのかどうかすら怪しい雰囲気のまま、嬉しそうにリディアに駆け寄る女将さんは、駆け寄る途中で色々な野菜をかき集め満足そうに口を開く。


「久しぶりだねぇ! お互い無事に冬が越せて何よりだよ! なんとまぁ立派なオシグル、今日はおばちゃん奮発していっぱい仕入れたから、いっぱい持って帰りなね!」


 規則的に葉が密集しずっしりと重いケチャ菜に、土が付いたままの立派なプロメリ、真っ赤に熟し丸々と艶やかなベヘラン等々、あれもこれもと女将さんは店中の野菜を集めてはリディアの買い物カゴに詰め込んでいく。


「ありがとう! だけど流石に持ちきれないよぉ。まだ高山麦も買いに行かないと行けないから量はそんなに……そのかわり飛びっ切りのやつが良いなっ」

「あっははは! 全くしっかりしてるねぇ。よし! 飛びっ切りのやつを包んでやるね!」


 そう言うと女将さんは迷う事無くケチャ菜一株とエリ芋を一山包み始めた。

 ククルパンの代わりに主食にもなるエリ芋はいくらあっても困らない。

 むしろ父はククルパンのあのぼそぼそとした食感があまり好きでは無いらしく、三日に一度はエリ芋が食べたいと耳にたこが出来る程言っている。

 そしてケチャ菜は弟が大好きだ。

 ケチャ菜の大きな葉をざくざくと切り、干し肉とミルクとで煮込んだスープは一人で一鍋丸ごと食べてしまう程だ。

 女将さんはその事は知っている。だからこそ長い冬を耐えた今みんなの『飛びっ切り』を包んでくれた。


「そう言えばミクトラン山脈にまた調査団が向かったのは知ってるかい?」


 女将さんが包んでくれている間、店の野菜を眺めたり他のお客さんの対応をしていたリディアだったが、作業を止め振り返る。

 『ミクトラン山脈に調査団が向かった』先程女性達が井戸で話していた事だろう。小耳に挟んだ位しか知らないリディアは何か知ってそうな女将さんの次の言葉を待つことにした。


「知らなかったんだけどね、もう六日も前に街に来てすぐに出掛けちまったらしいんだよ。あまり大々的にしてないけど、どうも今回は第二王都のれっきとした調査団らしいよ」

「第二王都の?」


 『王都』と言えどそれは本当に王族が住んでいるのは第一王都で、第二王都は第二層を取り仕切る役所の様なもの。

 ただ便宜上王都と呼ばれているだけだ。

 その第二王都から正式な調査団が派遣される事自体は大して珍しくは無いが、そういった場合はあらかじめ情報が送られ、調査団が街に着いた時には街を上げて歓迎しなくてはならないはずだ。

 それが今回に限り、噂話が集まる店の女将さんですら五日遅れで知ったらしい。

 女将さんの話に大きく頷き、会話に華を咲かせ始めた他のお客さんの隣で、リディアはなぜだか今回の調査団には関わりたくないと言う、確信の無い思いが沸々とこみ上げてきた。

 頭にそんな考えが浮かんだ矢先、ふとリディアは先程の女将さんの言葉を思い出した。

 確か調査団が出発したのは六日前と言っていた。調査の期間や内容は分からないが、騒ぎになる前にすぐに街から出掛けてしまったならあまり長期に渡って調査するとは考えにくい。

 とすると調査団が街に戻ってくるのはそろそろかも知れない。

 幸い街から少し離れた場所にある牧場に住んでいるリディアは、街にさえ顔を出さなければそれも可能だ。

 予定より気持ち多めに食材を買って早く帰ろう。


「良く分からないけど気味が悪いねぇ、何にも無きゃ良いんだけどね」


 リディアのそんな考えが分かったのか、女将さんはそんな事を言いつつ、よく熟れたマダンの実もおまけで一山包んでくれた。

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