七話 そういう輩をね、『殺人鬼』って呼ぶのよ
◇ ◆ ◇
「誰も……いないな……」
外に出てみると、人っ子一人いない。まるで気配が無かった。何なら動物の気配すら感じないレベル。いや今まで気配を察知できたことなんて無いんだけど。
「当然でしょ。出たら殺されちゃうって皆分かってんだから」
今日は満月。家も明かりも少ない道路で、月明かりに照らされた初姫の姿は幻想的だ。鬱金色の髪が光を反射して煌めいている。ここが丘の上とかなら完璧。
「気をつけなさいよ」
初姫は、エメラルドグリーンの瞳を鋭くする。
「金曜日の夜に堂々と歩いてるあたしたちは、相手からすれば格好の獲物よ。油断してると殺されるわ。まぁあたしは大丈夫なんだけど」
「……。あの、突然だけど七時からアニメの放送が始まること思い出したから今すぐ帰って良いかな? 今ならまだ間に合う」
「ダメに決まってんでしょこのヘタレ」
お、オレがヘタレ? ……言い得て妙だと思った。
さっきも言ったが、この辺りは明かりが少ない。一寸先は闇──ではないが、仮にどこかから誰かが走ってきたとしても、すぐには気づかないと思われる。
遠くに見える街灯は、寿命が近いのか、チカチカと明滅を繰り返していた。カツン、カツンと、オレと初姫の足音が響く。闇に飲み込まれる。そんな感覚がオレの不安を駆り立てた。
「──帰りてぇ……」
つい、本音が口を衝いて出た。
「情けないこと言わないの、男でしょ?」
すると、初姫がオレの独り言にそう返答する。上目遣いだったが、可愛いと思える程の心の余裕は無かった。
「……なんてね。怖いのは分かるわ。これから何百人と人の命を奪ってきた『何か』と会いに行くんだもの。怖くないなんて言う奴の方がおかしいでしょうね」
「初姫は、怖くないのか?」
「うん。あたしは、おかしいから」
自嘲気味に、彼女は笑う。その笑みを見て、オレは何故か悲しいと思った。
思えば、オレは初姫のことを何も知らない。過去に、何をして不死身の身体となったのかを。
初姫は、それを『呪い』だと言った。なら、彼女は過去に指輪の力を使ったことになる。つまり、誰かを生き返らせた──
「うッ!」
ズキン。その時、一瞬だが何かを思い出しかけた。瞬間的な、頭痛と共に。
「? どうかしたの?」
「いや……何でも」
だが、何も思い出せはしなかった。何だ? 今、大切な何かを思い出せそうな気がしたのに。
「……」
初姫は、暫くオレの顔を見ていた。あの、そんなに見つめられると照れるっす……
「あ、あのさ!」
その視線に耐え切れなかったオレは、必殺技の話題転換を発動する。
「何百人って人を殺してきた奴って、何者なんだろうな。まさか、本当に幽霊とか?」
もしそうならぼくはすぐおうちにかえります。
「う~ん……」
初姫は顎に手を添えている。何か考えているのか、思い当たる節があるのか。
「いくつか想像はできるけど、一番怖ろしいのは、相手が『ただの人間』であった場合よ」
「ただの……人間? 幽霊じゃなくて?」
「幽霊なんて怖くもなんとも無いわ。でも、人間が相手だったら、あたしたちは勝てないかもしれない」
「それは、どうして?」
初姫は不死身だし、こっちは二人だぞ? 相手が複数犯だったらやばいけど、一人なら何とかなるんじゃ?
「あのね。相手は何百人という殺しの実績を持つ相手よ。そういう輩はね、見た目は人間だけど、中身は人間じゃないの」
「見た目? 中身? ……意味が分かりません」
「つまり、人間はそんな大量の人間を殺戮することなんてできないってこと。そういう輩をね、『殺人鬼』って呼ぶのよ」
少し、初姫はニヤリと口角を持ち上げて言った。
殺人鬼……。耳から入ってきたその言葉は、オレの心にドシンと確かな重みを持って落ちる。
「相手は人間じゃなくて鬼なの。昔話じゃないんだから、人間が鬼に勝つなんてそうそうできやしないわ」
「鬼、か……」
オレは、何故か初姫の言葉の全てを納得することができなかった。人を殺した人間は、もはや人間ではない。……本当に?
「約束して」
「何を」
「もし相手が人間だったら、歯向かわないって」
「どうして」
「決まってるでしょ。勝てないからよ」
初姫の目は、まさに真剣そのものだった。オレは答えなかったが、取り敢えず、頷いておいた。
それから、数分後のことだ。
──現場を、見てしまったのは。
◇ ◆ ◇
「こ……れは……」
凄惨。簡単に描写するとすれば、その二文字で済む。
ニュースで言っていた通り、身体はどこに見当たらない。あるのは、地面に広がる大量の血と、地に染まった衣服。
吐き気がするような、光景だった。
「たぶん、首を切られたのね」
初姫は、同じように血で染まった壁を見ながら言った。
「よく見てみて。壁に迸った血、波線を打ったようになっているでしょ? 頸動脈を切るとね、ああなるの」
確かに。言われてみれば、そんな模様をしている。
「でも、何で頸動脈って分かったんだ?」
「まず、勢いよ。相当な量の血が吹き出てるし、それに地面も。まるで、雨が降ったみたいに、血の斑点ができているでしょう?」
「う……ん」
気分が悪くなってきた。地面を見て、オレは顔をしかめる。
「頸動脈を切るとね、血が三mくらい噴出するの。そして舞い上がった血は、地に落ちる。その光景は、まるで──血の雨」
初姫は血痕を見ながらそう言った。彼女の言葉には妙に説得力があり、まるで。
──そんな光景を、見たことがあるかのようだった。
「気をつけてね浅葱、まだ犯人が潜んでるかも──浅葱?」
そこで初姫は、初めてオレの異常に気づいたようだ。
死体を直接見たわけではない。しかし大量の血痕を目の前にし、死を間近に見たオレは、平常心を失っていた。猛烈な吐き気と浅く繰り返される呼吸。早まる鼓動。視野は狭まり、身体は震える。カチカチと歯が噛み合って、耳障りな音を立てていた。
「……なるほどね。浅葱、口開けてみて」
初姫はそう言って、しかし、オレが何の返事も動作も起こさないことを確認すると、強引に口を開ける。そして、
喉に、初姫の小さな腕が入った。
「!? う────…」
吐き気が、そのまま嘔吐という行為に繋がった。
地面にぶちまけられる吐瀉物。それらは血と交わった。
「ア、かは……ッ」
「どう? 少しは落ち着いたかしら。吐いたら、すっきりするでしょ」
咳き込みながら、オレは初姫の声を聞いた。背中を擦るその手に、オレは安心する。
「まぁ、ちょっとだけな……」
「深呼吸しなさい。そうしたら落ち着けると思うわ」
言われた通り、数回深呼吸。早まっていた鼓動が落ち着き、それに伴ってオレの心も平生を取り戻した。
「初めてだったらこうなるわよね。大丈夫?」
「あぁ、もう大丈──」
そこで、オレは異常に気づいた。
──何か、いる。
慌てて周囲を見渡す。しかし、何も無いし誰もいない。
「? どうしたのよ、そんなにきょろきょろして」
オレにつられて、初姫も辺りを見渡す。
その視線が、一箇所で止まった。
彼女の瞳孔が、開いている。
ダメだ。見ない方が良い。分かってる。でも……
オレは、見てしまったんだ。
──誰かが、見ている。
暗闇の中で、確かに誰かがこっちを見ていた。
電柱に身を隠している様子ではあったが、明らかにこっちを見ている。
顔は──よく見えない。しかし、着ている服は麗光学園の制服だった。女生徒らしい。
そして──手には、指輪。
その時、オレの頭を何かがガツンと殴る。
【血で全てが赤く彩られた部屋】
【夏】
【僕みたいに四肢の裂かれた人間】
【僕の腕は、どれだ】
【右手の指にはどす黒く輝く指輪】
「良い、浅葱。相手が少しでもこちらに近づく素振りを見せたら、すぐ逃げるのよ。全力で走ればたぶん撒けるわ。相手は女みたいだし」
初姫が小さな声で言う。しかし、オレはそれどころでは無かった。
現れては消えていく断片的な記憶。その記憶の中に、オレは一人の少女の姿を見た。
「あっ──」
初姫がそう言葉を漏らす。こちらを見ていた誰かは、こちらへ背中を見せ、闇の中に消える。どうやら姿を見たオレたちを殺す──というつもりは無いようだった。
──【緑色の瞳】
何か、決定的な言葉が、記憶の海から湧いて出た。
「……浅葱、先に帰ってて。あたしはもうちょっとここで調べてみるから」
そう言って振り向いた、初姫の瞳はエメラルドグリーン。
──オレの背中を、冷や汗が伝った。