六話 神隠し事件
◇ ◆ ◇
「た、ただいま~」
「あ、お帰り。遅かったわね。もうご飯できてるわよ?」
ドアを開けると、そこには今日も当たり前のように初姫がいた。♥の散りばめられたあざといエプロンがよく似合っている。どこの若奥様。
部屋の中は、焼けた肉の良い匂いで満ちていた。にんにくの匂いも僅かに混じっているか。
「で、どうだったの? テ・ス・トは?」
分かってるくせに。ムカつく……!
「最初は2点で、結局追追追試までいきましたよ。こんなに遅くまで学校いたのは久しぶりだぜ……」
腕時計を見ると、もう六時三十分を過ぎていた。帰宅部同然なオレにとってはかなり遅い時間だ。
「あ、れ、れ? まさか、浅葱くんは小テストが不合格でいらっしゃると?」
「くそっ、否定できないところが辛い!」
や、やればできるんだ……やればできる子なんだオレは。だって小学校の頃何回も言われたんだもん!
すると、初姫は何を思ったのか。
「あー、なんか暑いわね~。汗出てきちゃった~」
「? 何言ってんだよ、汗なんか出てねーじゃねーか」
「あー暑いわー。汗拭かないとー」
そう言って、彼女がハンカチ代わりにポケットから取り出したのは。
──あの、小テストの紙だった。しかも、満点。わざと点数が見えるように折りたたんである。
そのまま、初姫はその紙で額の汗を拭う真似をする。普通札束でやるだろそれ。
「あーこれだけじゃ足りないわー。だってあたし一枚しか持ってないしー? あ、浅葱、良いところに。小テストの紙貸してくれない? どーせいっぱい持ってんでしょ?」
「く、くそ……っ。これみよがしに馬鹿にしやがって! ムカつく~!」
逃げるようにして、オレは部屋に入る。だが、初姫の攻撃は終わらない。
「そんなアホの子浅葱に朗報です! 今日は記念にステーキを焼いてみました!」
でーんと、テーブルの上に置かれる肉。
「ま、あたしの入学記念っていうか? それに小テストも素敵な点数を取ったから、今夜はステーキ! なんちゃって☆」
「……」
実は……S、なんだろうか。何、みじめなオレを煽って愉しんでらっしゃると? 金欠なオレは本来なら泣いて喜ぶはずだが、今日はステーキを目の前にしても全然嬉しくなかった。よだれは口の中で過剰分泌されていたが。
「ぜ、全然悔しくねーし? 勉強すれば良いだけだし。ついでに言えばステーキで機嫌を直す程オレは安い男じゃねーし」
「よだれ出てんだけど……」
あれ!? 口の中だけだったはずなのに!
「安い男……」
少し初姫は呆れているようだった。何でオレはこんなに初姫の手玉に取られてんの。
「くそ……今の所初姫に勝てるものが身体的な成熟度しかない……っ」
「なにそれ。あたしが幼児体型とでも!?」
「おぉ、自覚してらっしゃるとは!」
「う〰〰っ! なんかムカつく────〰〰っ!」
Sっ気はありそうだが、弱点が丸わかりなので恐るるに足らずであった。
とにかく、目の前にでーんと置かれた大きなステーキを食らうことにする。
「く……っ、どうしてこんなに美味いんだ……!」
「何で悔しがってんの?」
焼き加減はレアと思われる。余程良い肉を使っているのだろうか、口にいれた瞬間に肉がとろけ、噛まなくても──何なら舌で転がすだけで綻んでしまう程にやわらかい。肉から滲み出る油は旨味が凝縮されていて、思わずにやけてしまう。
「この肉……高かったんじゃないのか?」
「良いのよ、別に。お金なんていくらでもあるし?」
実は、初姫は料理以外に洗濯や掃除もしてくれている。おまけに金まで持ってるとか……文句の付け所が身体しかない。まぁオレ、ロリコンだからそれも高評価なんだけれども。……どこに文句付ければ良いの。
「それに、一応あたしはこの家に住まわせてもらってる立場だから。それくらいのことはして当然でしょう?」
「そう……かな。もうオレが初姫の家に転がり込んだって言った方が自然なくらいの状況にはなっちまってるけどな」
「あぁ……ならそうする? 家の名義変えちゃう?」
「勘弁してください」
お肉を食べる初姫は、とてもにこにことしていた。その笑みを見ると、何故かこっちも笑ってしまう。
「む……何よぅ」
するとオレの表情に気づいたらしく、アヒルみたいな唇を突き出して、初姫はむっとする。
「いや……何でも」
その表情がちょっと想像を想像を超えた破壊力だったので、オレはつい目を逸らす。目を逸らした先にテレビがあったので、オレはリモコンを手にとってテレビを点けた。
【……ではここで、神隠し事件のおさらいをしておきましょう】
テレビではニュースをやっていた。
「『神隠し事件』? 何それ」
「一年前から起こってる事件だよ。人が忽然と姿を消すんだってさ。ニュース見てりゃあ分かるだろ」
【事の発端は今から十年前。A市で一人の男性が忽然と姿を消しました。後の調査で、通路にAさんの衣服と、Aさんのものと思われる血液だけが大量に地面に流出していたというものです。それからB市、C市と事件の現場は移り変わり、一年前、D市で同様の事件が毎週金曜日に起こっています】
「金曜日……今日じゃん。しかもD市ってここよね?」
「そうだな……」
【村上さん、この事件、未だに犯人が捕まっていないということについてはどう思われますか?】
【あのですね、この事件は被害者が毎週金曜日の夜、衣服と大量の血痕だけを残すという不可解な事件ですが、一番問題なのは、それ以外一切証拠が残ってないということなんですよ】
【証拠……ですか?】
【えぇ。何にも残ってないんですよ。目撃証言も無いんですよねぇ。たぶん見た人も被害に遭ってるんじゃないかとは思うんですけれども。警察もパトロールをしたりしているんですがね? その警察まで被害にあってしまう始末です】
【では、外に出なければ良いということでしょうか?】
【そうなりますかねぇ。でもね、夜間外出禁止令が出てはいますが、それでもどうしても夜外に出ないといけない人はいるわけです。それに、全員家にいたら、今度は犯人は家に侵入する可能性も無いとはいえないでしょう? 夜間は外出せず、施錠をしっかりする。それしか無いと思いますねぇ】
【ありがとうございます。えー、本日は霊能者の斉藤一樹さんにお越し頂いております。斉藤さん、この事件どうお思いになりますか】
【この事件は間違いないですね。『幽霊』の仕業ですよえぇ】
幽霊。その言葉に、初姫は反応する。
そして……オレの方を見て、にやりーんとした。
「な……何だよ気持ち悪い」
「チャンスね」
「え?」
「呪いのノルマを達成するチャンスよ。運が良ければそのまま呪いが解けるかもしれないわ」
ニュースは今、コメンテーターの村上さんと霊能者の斉藤さんの間で議論が紛糾している。いつの間にか幽霊は存在するのかしないのかということに議題がすり替わっていた。
「そーいえば、オレ、呪いのことについて何にも聞いてなかったな」
オレの右腕に封印された邪なる呪いよりも、初姫との会話を優先させてしまった。反省はしていない。後悔もしていない。
「ちょっと話は変わるけど、浅葱。アンタって『幽霊』を信じるタイプ?」
「幽霊? あー、いても良いかなとは思うな」
「いても良い……ね。つまり、信じるってこと?」
「んー、まぁ、そうなるかな」
「そう。なら話は早いわ。アンタに掛けられた呪いはね。幽霊や亡霊といった類──要は、怪奇現象に関与できるようになるっていうものよ」
「怪奇現象……。それって、ポルターガイストとかも?」
「そうなるわね。一般的な概念では説明できないものに、アンタは関与できるようになる。ただ見えるだけの霊感の強い奴とは違うわ。その怪奇現象に関与して、それを解決したり、もしくはより現象の力を強めたり、そんなことができるの」
分かるような、分からないような、分からない。
「つまり……どういうこと?」
「分かんないの……?」
初姫は呆れていた。ぱちくりした目がジト目に変わっている。し、しかたねーだろ! 邪龍召喚とか地獄の業火とか、想像してたモンと全然違うんだもん!
「まぁ、怪奇現象をアンタが解決できるってことよ。幽霊が見えるっていう解釈でも良いわ」
「え……幽霊が、見える……?」
「? どうしたの、そんなに青い顔をして」
「いやだって、オレってば遊園地のお化け屋敷で号泣する人だぞ? そんな、無理だろ……」
「ちなみにそれって何歳の時?」
「聞いてくれるな」
「あ……」
初姫は何かを察したような顔をした。そ、そんな哀れみの視線を向けるなよ。てゆか幼女に憐憫の情を抱かせる高校二年生ってどうなん? いや初姫同い年だけど。
「まぁ呪いの話に戻すけど、この神隠し事件、もし幽霊か何かの仕業だとしたら、解決できるのはたぶん浅葱しかいないわ。それに、浅葱はこの事件を解決せざるを得ないのよ」
「よく分かりませんが、何故命の危険が伴う場所にオレが自ら赴くと断言できますのん?」
「指輪の呪いってね、ノルマがあるの。週に一回、人一人の命を救うか、もしくは奪うっていう」
「! う、奪う……?」
「そうよ。元々アンタは死んでるの。その命も、この世のどこかから持ってこなきゃいけない。だから、今ある命を奪うか、もしくは消えてしまうはずだった命を救うか。どちらかをしなくちゃいけないの。しかも週一のペース」
週一て。アニメかよ。てか週一と聞いて最初にアニメが思い浮かぶオレって凄い。
「人の命ってね、重いのよ。一人の命を支える為には、人一人を捧げた程度じゃあ足りないの。何百何千という犠牲の元で、初めて一人が生き延びられるってことよ」
その言葉は、妙な響きと重みを持っていた。初姫だからこそ言える。何となくだが、そんな感じがした。
「あたしが言いたいのは、ノルマは週に一回一人だけど、二人以上助けても良いってことよ」
「……。ん? そりゃあそうだろうけど、何のメリットが?」
「察してよ」
「無理だ」
「そ、そんなにはっきり言わなくても……」
初姫。そろそろオレのスペックを推し量れ。英単語テスト二点だった時点でオレの記憶力と要領の悪さは分かるだろう? ……言ってて悲しくなってきた。
「あのね。仮にこの神隠し事件を解決したら、後々殺されるはずだった何百人って人の命を救うことになる。そうは思わない?」
「確かに……。でも、それがどうした?」
「それだけの命を救ったら、暫くはノルマのことを考えなくて良くなるでしょう? この先数年間はアンタは呪いのことを考えなくて良くなるの」
しかも、と初姫は少し身を乗り出して話を続ける。初姫は今制服を着ているが、最もミニマムな制服でもやや大きく、おかげで制服の隙間からぺたんこな胸が見えそうで見えない。
「呪いはね、ノルマを達成し続ければ、いつかは解けるの。どれくらい人を救うか殺すかすれば良いのかは分かんないけど……何百人という規模で一気に助ければ、呪いが一発で解ける可能性も高い──って、聞いてる? どこ見てんの?」
「え? いやいや、聞いてる聞いてる。うんうんなるほど、確かにそうだな!」
「本当に聞いてたのかしら……。ま、良いわ。質問とかある?」
「いや、今の所は特に──」
無い。そう言おうとした時、右腕の殆どを覆い尽くす刻印を見た。オレはとある疑問をぶつける。
「……あのさ。今思ったけど、この刻印って何の意味があんの?」
「あぁ、それ? ……さぁ? まぁ、私呪い持ってますよーっていう証……的な?」
「う、嘘だろ……? じゃあ、オレはこの大した意味もない刻印のせいで、これから一生銭湯に入れないってのか!?」
「そうなるわね」
近所の銭湯には結構お世話になってんのに……。これからずっとこのボロ家の寒々しい風呂を使わなくちゃなんねーのかよ。
「とにかく、行きましょ? ステーキは食べ終わったんだし、呪いのことも説明したし」
初姫は自分とオレの分の食器を持って立ち上がる。結局胸の先っぽは見えなかった。──一応記しておくが、変態ではない。ちょっとロリコンなだけ。