三話 さくらもちっ!
◇ ◆ ◇
「はっはっは。なるほど、それで少年は遅刻したのか。愉快愉快、いやむしろ痛快だよ」
「何がですか……」
今のオレの気分はユカイでもツーカイでも怪物くんでもなかった。
ご推察通り、オレは遅刻した。何なら朝のHRにすら間に合わなかったぐらい、盛大に。これがオレの高校史上初の遅刻。
放課後になり、オレは自身が所属する部活、漫画研究部の部室にいた。無論、絵は描けない。というか漫研に漫画描ける人いない。今更ながら何してるんだろこの部活。
「良かったじゃないか。朝目覚めたら幼女がいたなんて。私ならそのままR18展開に持って行くよ?」
「くるりん先輩女なのに?」
名前が出てきたので、ちょっと紹介。
今オレと会話を交わしている女性は、葛ノ葉くるり先輩という。つい先日十八歳という高き壁を乗り越えついに大人の仲間入りを果たした、高校三年生にして一応の漫研部長。え、何。受験生? この人が? まっさか〜。
……まぁ、そう言うしかないくらい学力の方はアレなんですけどね。
頭がアレではあるが、くるりん先輩のルックスは抜群だと思う。あ、名前がくるりだからくるりん先輩な。
そこで、オレはくるりん先輩の身体を見た。
どっかの幼女とは違い、出るトコは出てひっこむトコは引っ込んだ、まさに『女』を感じさせる肢体。
ポニーテールに結わえられた黒髪は、男どもの視線を逃さない。
やや黄色みの入った、赤いスカーレットの目は見た者を離さず、
真っ白な肌。そして思わずくらっとするようなバラの香りが、獲物を呼び寄せて、
鮮やかなローズレッドの唇が、獲物を捉えるのだ。
……そこで、オレはふぅと小さく溜息を吐いた。
頑張ってちょっとエロく描写してみたが、実際は頭と発言がアレすぎて、エロのエの文字すら感じさせない。というかくるりん先輩に寄り付く人自体いない。
つまり、ぼっち。当然ですよね変人でオタクなんだもん。こう言うとちょっと墓穴を掘っているような気がするのはどうしてだろう。
「む。少年よ、何故笑っている。いつもの妄想癖が私に炸裂かい?」
……微妙に的を射ていて否定できなかった。
「というか、いい加減『少年』は勘弁してくれません? 他の皆には君付けで名前呼んでるじゃないですか」
なので、話題を変えに行く。話題の転換の仕方が強引なのは、決してコミュ症だからとかではない。決して。
「何を言う。私と話すのは少年とうらら君だけだぞ」
「あ、そうでした」
うららというのは、漫研に所属する一年生、上野原うららのことだ。ちなみに漫研はオレ含めてこの三人しかいない。来年は確実に同好会に降格することとなるだろう。暗雲の差し込め始めた漫研に訪れる未来は、破滅のみなのだ……!
「てゆか、くるりん先輩そろそろ友達を作る努力したらどうです? 幸いにも春は出会いの季節ですし、良い友達になれる子と出会えるかもしれませんよ?」
もう、くるりん先輩をオレとうららで支えるのは無理がある。
「春、か……」
すると、くるりん先輩は、どこか遠くを見るような目をした。春という言葉に、何かノスタルジアを感じているのだろうか。
「──さくらもちっ!」
「!? ……あぁ、はい」
「さくらもちだよ少年」
「そうですか、そうですね」
「私はまださくらもちを食べていない。ということは私はまだ春を迎えていないよ!」
「へぇ」
「下校中に買って帰らなければ……!」
……取り敢えず、友達を作るという話は無かったことにしよう。この人には無理だ。危うくくるりん先輩との会話に慣れているはずのオレですら真面目に対応しかけた。くるりん先輩の話にマトモに応対すると日が暮れる。
「ところで、うらら君はまだなのかな? 今日ラノベとエロゲーを貸すつもりだったのだが」
もうさくらもちの話は終わったらしかった。
くるりん先輩はきょろきょろと狭い部室の中を見渡す。漫研なのにラノベとエロゲーを貸し借りするあたり、この部活の自由度が伺える。というかエロゲー後輩に貸すなよオレに貸せ。
「もうすぐ来るんじゃないですか? というか、うららはいつも来るの遅いですし」
オレや先輩と違い、オタクとはいえ真っ当な性格をしているうららは高校生活をエンジョイしている。……い、いや。決してオレが真っ当でないとは言ってないんだけどね!? あの、言葉の綾ですよええ。
そんな話をしている最中だった。
狙ったようなタイミングで、ドアが開かれる。
「先輩方、こーんにーちわーっ!」
思った通り、入ってきたのはうららだった。
ハイテンションを保ったまま、うららはくるりん先輩にジャンピングハグ。
「くるりん先輩久しぶりですっ!」
「あ、あぁ。というか二日ぶりだぞうらら君」
「二日って長いじゃないですか! 四八時間ですよ!? 十七万ニ八○○秒ですよ!? 久しぶりじゃないですかぁ!」
「う、あ……うむ。そ、そうだな……」
うららの前では蛇に睨まれた蛙のように大人しくなる、コミュ症なくるりん先輩だった。やっぱこの人友達作るとか無理だ。
「うらら、その辺にしとけ? あんまりやりすぎるとくるりん先輩バタンQするぞ?」
「あ、そうですね。では」
うららは一旦くるりん先輩から離れる。すると。
「ていっ!」
今度は、オレに向かってハグしてきた。
──そういうことじゃない……
視界がうららのガーネットブラウンな髪の毛で覆われ、シャンプーの仄かな香りが鼻腔を擽る。ついでに首筋も髪の毛に擽られてこそばゆいです。
オレは黙ってうららをひっぺがす。うららはどうして? という風にきょとんとしていた。淡紅色の瞳がオレを見つめる。あのねぇ……
「やめておけうらら君。コミュ症の少年にそれはハードルが高い」
すると、くるりん先輩が小馬鹿にするかのように小さく笑いながら言う。自分のことは棚に上げる最低なくるりん先輩だった。
「ほー。なるほど、今までさんざん私のハグをリジェクトしてきたのはそういう理由があったんですね〜。先輩ったら可愛い〜」
「うるせぇよ……」
後輩にからかわれる先輩。朝霧浅葱、十七歳です。あとリジェクトってどういう意味でしょうか。というか何語。
「ところで朝霧先輩。何で指輪なんかしてるんです?」
「!」
目敏い。隠していたつもりだったのに。
授業中に指輪を外そうとしたのだが、結構ピッタリ嵌っていて、抜けなかった。おかげで今も中指に嵌っている。指輪は鈍い光を放っていた。
オレが返答に困っているのを見て、うららは。
「……なるほど。そういうことですか」
その目を、鋭くした。ギラリと、瞳が輝く。何────…
「……さては、婚約指輪ですね!?」
……ん?
「婚約指輪というものは左手の薬指につけるのが常識ですが、結婚式が済んだら中指につけるという説もあるそうですからね。さっすが朝霧先輩、周りの目を気にしてファッションっぽく見せておきつつ、実はちゃんとルールに則っている。素敵です!」
うららは一人、舞い上がっていた。盛大に勘違いしている。
「で、誰なんですかお相手は!? 私の知ってる人ですか!?」
「いやいや。無いから。まずオレ十七だし、結婚できねーよ」
「でも……なら、この指輪は何なんです? そこらの店で売ってそうなタイプの指輪では無さそうですけど。殆ど装飾は無いですし、目立つのはこの中央の石だけじゃないですか。ルビー、ですか? これ」
うららはオレの右手を取り、じりじろと指輪を眺める。その指輪は、妖しい光を放っていた。あとさりげないボディータッチやめれ。
「これは……その、貰ったんだよ」
「貰った? こんな高価そうな指輪を? 誰に?」
「そ、それは……」
うらら、ぐいぐいくるな。食いつき良すぎだろ、釣り堀の魚かよ。
まさか本当のことを話すわけにはいかない。話しても信じてもらえないだろうしなぁ。オレだって信じなかったし。
「……か、家宝。そう、家宝なんだ!」
「家宝……ですか?」
苦し紛れについた嘘。案の定、うららは釈然としない表情だ。
「何故家宝を学校に?」
「いや、この前親から貰ったんだけどな? 試しに嵌めてみたら抜けなくって!」
「え? でも確か先輩一人暮らしでしたよね?」
「あ……アレだ。この前帰ったんだ」
咄嗟についた嘘などさながらハリボテのようなもので、少しでも矛盾を突かれるとすぐに綻び崩れてしまう。なので、オレは必殺技を使うことにした。
「そういえば! くるりん先輩うららに貸したい物があるんでしたよね!?」
奥義、話題転換!
「ん? あぁ、そうだったな。この前頼まれてたラノベと、それからエロゲーを一本渡そうと思ってたんだ。忘れてたよ」
「誰もエロゲーなんか頼んでないんですけど……」
うら若き後輩の声は無視。くるりん先輩はバッグからラノベとエロゲーを取り出す。パッケージのイラストからしてアウトなんですけど……
うららはラノベだけを手に取り、エロゲーは無視。
「な……っ。この『マジで私とxxxしなさい!』は借りてくれないのか!?」
「大きな声でこっ恥ずかしいこと言わないで貰えます……?」
うららは軽く引いていた。さすがくるりん先輩だ! オタク仲間を引かせるなんて、まさに悪魔──いや、変態の所業だぜっ。というか、タイトルパクリのくせして内容ド直球すぎんだろ。思わず伏せ字にしちまったよ。
うららはラノベだけをバッグの中に仕舞ってから、
「じゃ、私、帰りますね! 用は済みましたし」
部室を出て行く。去る間際、チラッとオレの方を見たが、そのままドアを閉めた。
──気を使ってくれたのか?
オレがあからさまに話題を変えたのは分かってたはず。あんまり突っ込んではいけない話なのだと察したのかもしれない。触れない方が良い秘密には見てみぬ振りをする。それが、友達と上手くやっていく秘訣なのだろうか。いや違うか? エロゲー借りたくなかっただけかもしれない。
「く……ぅ。良いゲームなんだけどな……」
そして、あからさまに落ち込んでいる変態が一匹、オレの視界の隅にいた。いやだから、そのゲーム、パクリでしょう?
とはいえ、布教に失敗した際のオタクの心境は痛い程分かる。
だから。
「じゃあ……そのゲーム、オレが借りても良いですか?」
そう言うと、くるりん先輩はぱぁっと表情を明るくする。
「ほ……本当か!?」
オレはこくりと頷く。
「……あ、ありがとう……っ。やり終えたら、是非感想も聞かせてくれ!」
ガシッと肩を掴まれる。暑苦しい……
でも、くるりん先輩の嬉しそうな顔を見ていたら、思うんだ。
──下心で言いましたとは、言えないよね?