二話 目が覚めたら美幼女がいた
◇ ◆ ◇
朝が来た。
オレ──朝霧浅葱は、いつものように目を覚ます。
目覚まし時計を見ると、七時五十分。いつも通りだ。
キッチンから、何か美味しそうな匂いがした。これは、味噌の香り?
現在、私立麗光学園二年生。名前の割にレベルは高くない。
現在、一人暮らし。別に両親が海外出張とか海外旅行とか実は死んでるとか、そんな事情は存在しない。普通に生きている。ただ、実家がド田舎すぎて近くに高校はおろか、中学校すら無いので、仕方なしに中学生の頃から街中で一人暮らしをしているというわけだ。あ、勿論血も繋がってますよ?
ジューと、何かを焼いている音がした。これは……何だろ。朝ごはんだから、ベーコンエッグとか?
残念ながら可愛いブラコン妹はいない。一人暮らしな上に一人っ子だ。一人大好き。
「あ、やっと起きたー? ちょっとテーブルの上片付けておいてくれない? ヲタグッズばっかりで邪魔だからー」
キッチンから女の子の声がした。ヲタグッズって何だよ。お気に入りのイラストレーターの画集だし。言い直せ!
ベッドから起きて、周囲を見渡す。うん。当然だけど、いつも通り一人──
……ん?
そこで、オレは異常に気づいた。
──オレ、一人暮らしだよね?
急いで起き上がり、キッチンへと駆ける。そこには。
──幼女がいた。
エプロンをした見慣れぬ幼女が、当たり前のようにそこにいた。しかもせっせと料理を作っていた。
身長は一三○以上一四○以下と見た。幼女専門家(自称)のオレにかかればその程度の情報を読み取るのは容易いことだ。世の人間はオレのことを畏怖の念を籠めてロリコンと呼ぶ。
「やっぱり起きたんだ。もうちょっとしたらご飯できるから待ってて」
幼女が、振り返った。
少しつり目気味の、エメラルドグリーン。その瞳が、上目遣いにオレを見つめる。背が低いから自然とそうなるんだ。
さすが幼女だと思った。つり目気味とはいえ、大きな目はくりっとしていて、純粋さや無垢さや庇護欲や劣情を感じさせる。……あ、最後二つはオレの本音だった。
髪は黒──ではなく、二次元にありがちな金色。鬱金色、と呼べばしっくりきそうだ。その髪を耳より上で二つに縛っている。ツインテールと言いたいが、長さが足りない。こういう髪型をビッグテールと呼びます。
幼女なので当然ながら小柄であり、従って胸という概念は存在しない。なのでここではその描写は控えるとする。
……とにかく。見たことのない幼女が、当たり前のようにオレの家のキッチンで料理を作っていた。
「……ふぅ」
オレは一つ、溜息をついた。どうやらオレは動揺しているらしい。落ち着けよ。目が覚めたら美幼女がいたとか、普段からオレがよく妄想していることじゃないか。うんそうだ。ここは一旦落ち着いてだな──
「誰だお前────────!?」
「きゃぁぁぁあああああああ!?」
オレの叫び声と、幼女の悲鳴が重なった。オレも幼女も尻もちをつく。
三次元では、不法侵入してきた相手と落ち着いて話をするなんて不可能だった。
オレは急いで部屋に戻り、携帯を取って。
「もしもし、警察ですか!? 家に不法侵入者が!」
「わー! わーわーちょっと待って──────っ!」
「うわっ、何か来た!」
やばい、殺される!
相手は幼女だが、同時に不法侵入者。オレは混乱していた。取り敢えず警察に引き渡そうと思っていた。
「話聞いて! ちょっ──」
「お願いします話聞いて下さい!」
すると。
幼女は、オレの脚にひしっと抱きついた。幼女の温もりが脚に伝わる。
「……」
オレは、唖然としていた。
【……もしもし? どうかしましたか? もしもし!?】
耳元では、携帯のスピーカー越しに男の人の声がする。
訳が、分からなかった。
◇ ◆ ◇
「つまり、あなたはオレの命の恩人だと、そう仰るわけですか」
「そう! あたしはアンタの命の恩人なの」
テーブルを挟んで、オレと幼女は向い合って座っていた。
「覚えてないの? 昨日、アンタ死んだじゃん」
「死んでたらそもそもオレここにいねーよ……」
とはいえ、うっすらとは覚えている。
昨日の夜、部活で遅くなった帰りのことだった。
「覚えてんのは、お前が走ってきて、その後ろから黒づくめの男たちが走ってきたっつーことだ。そしてそいつらが、銃のようなものを持ってたってことも覚えてる」
「そうよ。そしてアンタは撃たれた」
目の前の幼女はそう断言した。でも、そんな記憶は無いし、身体に異常も無い。
「じゃあ何でオレ生きてんの」
「だから言ったでしょ。あたしが生き返らせたって」
いまいちピンと来ない話だった。生き返る? 人が?
「そんなバカな〜」
「何で信じないのよ!?」
「逆に誰が信じる」
二次元の世界でもあるまいし。
「……じゃあ、証拠を見せてあげましょうか?」
すると。
幼女は立ち上がり、無い胸を張った。
あの、Tシャツが捲れ上がって、見えてますよ? ぽっこりお腹が。
「証拠?」
「そう。右腕捲ってみて」
言われた通り、オレはパジャマの長袖をまくる。
そこには。
「なん……だ、コレ……」
いかにも中二くさい、禍々しい刻印が。手首辺りから肩の近くにまで刻まれていた。
「呪いの証よ」
幼女は、またしても中二ワードを口にする。
「右手。指輪が嵌ってるでしょ」
「! ホントだ」
気づかなかった。右手の中指に、見たことのない指輪が嵌っている。赤い宝石が特徴的だ。
「その指輪があれば、人の生死を操れる──って言ったら、信じる?」
「信じない」
オレは断言した。そんなもの、神の所業だろ。
「そう。なら、証拠見せたげる」
「今までのは証拠じゃなかったんですかい?」
おんなじこと二回言ったよこの人……
幼女はキッチンへ行く。そして、何かを持って帰って来た。
それは、包丁だった。
「今から証拠、見せたげるから」
三回目のセリフだった。
そのまま幼女は、オレが何か言うその前に。
──自分の喉に、刃を突き刺した。
グチャリ。そんな音が聞こえた……ような気がした。
「な……にを……?」
突然の出来事すぎて、訳が分からなかった。自殺という単語が脳内に浮かぶ。
「だから、証拠見せたげるって言ったじゃん。これが証拠よ」
死体が、喋った。
いや……
「お前、何で喋れる……?」
包丁を抜いた後、幼女は普通に口を開いた。傷口は、見当たらない。
「だから、これが証拠」
「!?」
「あたし、死なないのよ」
手で包丁を弄びながら、幼女は言う。
「昔、呪いに掛かってさ。不死身になっちゃったのよね〜」
幼女の言葉は、オレの右耳から入って左耳から抜けていった。
──こんなことが、有り得るのか?
有り得ない。でも、現に目の前で起こった。なら、有り得なくは……ない?
「アンタにも、呪いが掛かってるの。不死身の呪いでは無いけどね」
オレは、右腕の刻印を見る。オレに……呪い……?
たぶん、オレは混乱していたんだと思う。混乱すると別の世界にトリップしてしまうのはオレの悪いくせだ。
つまり、この刻印から察するに、オレの能力は……
「邪龍召喚!?」
「何が」
「じゃあ、地獄の業火を使えるようになったり!?」
「呪いの話? なら違うわね」
「えと、だったら、波動砲が撃てるとか!?」
「んなわけ無いでしょ。そんな戦闘力高い能力なんて存在しないから」
「そ、そんな……」
一瞬で夢が打ち砕かれた。オレは肩を落とす。
「……意外と取り乱さないのね。てっきり気を失ったりするかと思った」
「結構取り乱してるぞ? ……まぁ、実感が湧いてないだけだ。いきなり不死身の能力見せつけられても、よく分かんねーよ」
「そう。ま、その内嫌でも現実を見ることになるわよ。元々消えてしまった命を、無理やり延ばしてるわけだからね」
そう言うと、幼女は再びキッチンへ行く。そして、朝ごはんを持ってきた。
「冷めちゃうから食べましょ? 詳しいことは食べながら話せば良いし」
「あ、あぁ……」
タイミングを見計らったように、オレの腹の虫が鳴った。くすっと、幼女が笑う。
「……そういえば、名前聞いてなかったな。なんて言うの?」
「……」
すると、幼女は沈黙。一瞬、暗い顔をした……ような気がした。
ん、何だ? オレ、マズいこと聞いたか?
「萩森初姫よ。下の名前で呼んだんで良いわ」
次の瞬間には、暗い顔は消えていて、代わりに笑顔があった。
「初姫、か。オレは朝霧浅葱。こっちも浅葱って呼んだんで良い」
「ん、分かった」
こくりと頷いて、初姫はごはんを食べる。オレも運ばれた朝食に手を付けた。うん、美味いな。普通に。
「で、何でオレの家にいる?」
本来一番最初に聞くべきことを、オレは今聞いた。いや本当は聞いてたんだけど、それより聞いて! と、昨日命を救われたことを語られたのだ。
「え、いちゃあダメなの?」
初姫はお目々をぱちくりさせて小首を傾げた。やっぱ幼いなぁ……
「普通はダメだろうな。不法侵入だしな」
大体女の子が一人暮らしの男の家に簡単に入るもんじゃあ……あ、幼女だからその辺はすっ飛ばせるのか。男がロリコンでなければ。
……やっぱ、ダメなんじゃね?
「あたし、昨日死んだことになってんのよね。頭撃たれたし」
あけらかんと、初姫はとんでもないことを口にする。だがさっきの光景を見たオレは、然程驚きはしなかった。
「それは……あの黒づくめの奴らに?」
「そうよ。パパの手先かしらね」
「……パパ?」
ちょっと、嫌な予感がした。
「その、パパはどんなご職業を……?」
「え? ヤクザだけど」
「やっぱり……」
ビンゴだった。日本で拳銃を持ってる集団なんて、警察とヤクザ以外オレは知らない。
「でも、普通娘を殺すか?」
「殺すわね。パパなら殺るわ。てか実際あたし殺られたし」
「確かに。でも、何で?」
「あたしが指輪を家から持ち逃げしたからよ。娘よりも、その指輪が大事だったのね、パパは」
ぶっきらぼうに、初姫は言い放った。表情から辛さは読み取れない。きっと演技が上手い子なのだろう。役者とか向いているかもしれん。
「ま、そーゆーことだから。これからよろしくねっ」
パチッと初姫はウインク。あざと可愛い。
「ちょっと待て。いくつか気になる点がある」
「何?」
「金。どうすんだ?」
毎月実家から送られてくる雀の涙程しかない仕送りのおかげで、結構ギリギリな生活を送らせて頂いてます。
「え? 一応当分のお金には困らないだけ持ってきたけど」
そう言うと、初姫は部屋の隅に置いてある(今気づいた)キャリーバッグらしきものから、何かを取り出した。
札束だった。
「……合格です。というか、家から持ってきたろコレ」
「てへっ☆ 初姫ちゃんったらイケない子っ」
こつんと、初姫は自分で自分の頭をこづいてみせる。あざとい。つか『てへっ☆』じゃねぇよ。このガキ、イタズラで済まない金額家から持ち出してやがる。
「それともう一つ。オレが死んだ理由だよ」
「理由?」
「そうだ。オレは少なくともヤクザに恨まれることはしてない。なのに撃ち殺された」
確かに人には言えないやってはいけないこともいくつかやってますよ? 中二の頃からR18のゲームやってたりしますよ? でもそれで命取られるとかたまったもんじゃない。
「……オレ、巻き込まれたよね?」
「ギクッ」
「自分で効果音言う奴初めて見たよ」
少なくとも三次元では。
「……はぁ。まぁ、良いや」
何かもう考えるのが面倒くさくなりました。
オレは、『まぁ良いや』で目の前の問題に匙を投げる。
「え、良いの?」
「今生きてるから取り敢えずは良しとするわ。つかね、問題はそれじゃねーんだよ」
オレは今日、いつも通りに起きた。そしてオレは、いつも遅刻ギリギリである。
つまり……
「遅刻……しそうなんだよね……」
只今八時十五分。始業のベルが鳴るのは八時二十分。そして──家から学校まで、普通に歩いて十五分だ。しかもオレは、朝食はおろか、着替えすらろくに終わっていなかった。