十四話 彼女は、あまりに知りすぎていた
◇ ◆ ◇
とうとう、金曜日がやってきた。
当然のごとく本日も授業は意味不明であり、そろそろ真面目に勉強しないとヤバいぞと担任に釘を刺された金曜日……ってそれはどうでも良い。いや良くはないけどな。むしろ学生としては死活問題だが、今は置いておく。
オレは部屋で、だらだらとテレビを見ていた。もうすぐアニメの始まる時間帯だ。いつもなら歓喜してテレビの前で今か今かと待ちわびているところだが、今日はそんな気分にはならなかった。なれなかった。
「今日、金曜日ね」
同じようにテレビを見ていた初姫が、言った。
「あぁ、そうだな」
無難で無愛想。そんな返事を、オレは返す。
「そうだなって……。今日、神隠し事件が起こるはずでしょ。行かなくちゃね」
オレは答えなかった。未だに、オレは悩んでいる。
うららの推理は鋭いものだった。事件の奥深くまで切り込んだ推理だ。だが……証拠が少なすぎて、あくまでも推理の域を出ず、真相には辿り着けていないと思われる。
片やくるりん先輩に至っては、そういった推理は何一つしてくれなかった。『これが真実だ』なんて教えてくれたわけでもなく、推理どころかアドバイスの域を出ていない。ただ、見たものを信じろと言っただけである。
──どうする、オレ。
これから、どうすれば良い。
うららを信じるなら、神隠し事件には関わらない方が良いし、何なら初姫ともすぐに縁を切るべきだ。オレの命に危険が及ぶ。
くるりん先輩を信じるなら、初姫に直接聞けば良い。でも、そうすると初姫が嘘を吐いているかもしれないという疑念が拭えないし、もし初姫が答えなかった場合、オレはいつも通り彼女に接することができるだろうか。
くるりん先輩は、神隠し事件に関しては一切触れなかった。それはつまり、どういうことだ? 関わらないでおけという無言の圧力か?
……いや、違う。たぶん、くるりん先輩は敢えて言わなかったのだ。何故か? ……初姫とは、何の関連も無いから。初姫と関係の無い話をわざわざ持ち出す必要は無い……でも、くるりん先輩が嘘を吐いていないとも限らない……
「……ッ」
訳が分からない。いつだってオレはそうだ。何かあったらすぐ人を頼るくせに、人を信じ切れない。というか、なぁなぁにしようとするのだ。何だってそう。先送りにしてしまう。勉強ができないのも、先送りにしてしまうから。まぁ元からのスペックの低さも当然あるだろうが。
「浅葱、どうしたの?」
オレの不審な態度に気づいたのだろうか、初姫がオレの顔を覗きこむ。エメラルドグリーンの瞳がオレの心をざわつかせた。
──初姫を、信じれば良い。
心の中で、誰かがそう言った。きっとそれは、オレの声。
──見たままを信じれば良い。どうせお前は、氷山の一角に過ぎない一部の真実を隠れ蓑にした、本当の真実など見抜けはしない。見たものを信じるしか、お前にはできない。
……。そうするしか、無いのだろうか。初姫を信じて、本当に良いのだろうか。
──お前は、何を見てきたんだ。
くるりん先輩と同じような言葉が、心の中で響く。そうだ、オレは、何を見てきた?
初姫という女の子とこれまで共に過ごしてきたオレは、彼女にどんな感情を抱いた?
──これからオレは、彼女とどのようにして過ごして行きたいんだ。
辿り着いたのは、オレの希望だった。この先どのようにして暮らしていきたいのかという、オレの希望。
「……初姫」
長い思考の末に辿り着いた結論を、オレは伝えることにした。
「ご飯の前に、神隠し事件の真相を見つけに行こう」
「お、浅葱、やる気出たの? とうとう自分から動こうって気になったのね」
初姫は少し嬉しそうな声音で言った。もう、裏は読まないことにした。
「そして──家に帰ったら、話したいこと……いや、聞きたいことがある」
オレがそう言った瞬間、初姫の表情が固まる。
「ずっとお前が隠してきた……というか、オレが聞いてこなかったことだ」
「……な、にを……」
「誤魔化すなよ? オレはもう、誤魔化さないことにしたんだ」
「あ、アンタの心変わりなんか知らないわよ……。あたしが過去に何をしていようと、あたしの勝手でしょ……」
「そうだな。でも、意地でも聞いてやる。どうしても教えてくれないっていうのなら、もう俺とお前の関係は今日これっきりだ。これ以上、家に置いておくつもりはない」
ビクッと、初姫の身体が震えた。
「そ……れは……」
「それは?」
「………………嫌、だよ……」
初姫の本心が、垣間見えたような気がした。俺は、ほっと胸を撫で下ろす。
「なら、行こう。神隠し事件の真相を見ることは、初姫の冤罪を証明することにもなる」
「? それってどういう……?」
「オレは。初姫がこの神隠し事件を起こしたんじゃないかと疑っていた」
初姫の身体が、再び硬直した。目が見開いている。
「でも今は、それは違うんじゃないかと思ってる。だから証明しようぜ、初姫の冤罪を」
「……」
初姫は、暫く黙ってから──
「帰ったら、デコピンしてやるからねっ」
「幼女のデコピンとかただのご褒美だろ」
「バカ」
頭を叩かれた。パシンと小気味良い音が部屋に響く。いつも通りの初姫の態度に、俺は少し、ほっとしていた。
「じゃ、行こうぜ」
そして俺は立ち上がる。玄関に行って靴を履いた。初姫もついてくる。
さぁ。真実を、見に行こう。
◇ ◆ ◇
今思えば分かる。彼女は、あまりに知りすぎていたのだ。それこそ──当事者である、オレ以上に。
明かりの少ない道を歩く俺と初姫。行く気は満々だが、実際やっぱり怖かったりする。
──時々彼女が見せた、冷たい目、鋭い視線。
あれはきっと、彼女が『そういう類』の人間だったから。普通の人は、あんな目はしないんだ。初姫でも、あんな目は見せなかった。
指輪の噂はビュンビュン飛び交っていると彼女は言った。しかし、くるりん先輩は指輪については知らない様子だった。いや、本人はそれについては明言していないが、『その指に付けた指輪は、やっぱり婚約指輪ではなかったんだね』というセリフから、恐らく指輪の存在は知らなかったと思える。『やっぱり』をどう解釈するかによって判断が分かれるところではあるが……いや、指輪のこと知ってんなら最初に聞いてくるはずだろ。たぶんくるりん先輩はファッションだと思ったのだ。普通に指輪の存在に気づいていなかったという可能性もあるけど。
あの人は友達がいないはずだから知らなくて当然──というはずはない。何故なら、くるりん先輩はオカルト研究部の部長だからだ。部員である彼女が知っているのに、部長が何一つとして知らないのは不自然。
……つまり、そんな噂は流れていなかったということになる。
かくいう彼女も、最初に指輪を見た時、『あの指輪ですか』なんて言わず、婚約指輪という若干強引な話の方向へと持っていった。最初からそう聞けば良かったのに、何故聞かなかったのか。
それはつまり──あの当時では、そもそも噂は存在しなかったということになる。
いや、元々噂なんて無い。でも、彼女一人の中には確かにその噂が存在した。そう、彼女がその噂を作ったからだ。
何故なのか……それが、あの相談に行き着くと思われる。
彼女はあの時、絶対にオレと話をしなくてはならなかった。初姫という存在を、恐怖で固める為に。
部活終わりに喫茶店に行くという約束そのものは、不自然ではない。部室でラノベを読むという行為も、オタクなら然程不自然では無いと思われる。でも──随分都合の良い状況だと、思わないか? 元々彼女は呼ばれないと部室には来ない奴だし、時間に遅れてくるというのは彼女の一種のアイデンティティだ。ほら、最初くるりん先輩がラノベとエロゲーを貸そうとした時も、遅れてきただろ? なのにあの時、彼女はオレより先にいた。
彼女の推理が鋭すぎた──というのは彼女を疑う理由にはなりえない。彼女はオレとはスペックが違いすぎる。
ただ──彼女は予備知識が多すぎた。
彼女が言うには、あくまで指輪は噂に過ぎない。まぁ実際にオレが付けてるわけだから噂では無いのだが──少なくとも彼女は、本物を見たことが無いはず。何も本物を見たことがあるとも、ましてや持っているなんて、彼女は一言も発していない。あくまで彼女の知識は噂レベル。
なのに──彼女は断定的に話しすぎた。
彼女は呪いのノルマが週一で人を救うか殺すかしなくてはならないということを知っていたし、呪いのことについても良く知っている風だった。それに、指輪は世界に一つしか無いというわけでは無いと言っていた。その情報は──当事者のオレすらも、知らなかったものだ。
初姫が教えてくれなかったからでもあるが、それにしたって指輪のことに詳しすぎる。
つまり、彼女は指輪を持っている、もしくは使ったことがある。そのどちらかになる。こればっかりは分からない。彼女は指輪なんて付けていなかった。でも、彼女は指輪は脱着可能だと言った。それも、オレが知らなかったことであり────…
しかも、だ。彼女の推理はいくつか不可解な点がある。
一つ目の可能性、初姫が緑眼の少女であるという可能性は、彼女は論理的に説明した。そして矛盾点も語った上で、これは可能性は高いとしながらも、違うかも知れないと結論づけた。これは間違っていなかったと思う。
でも──二つ目の可能性、初姫が幽霊であるという可能性はあまりに強引だ。なんせ、証拠があの夜女性が初姫を見て言った、『鬼』という言葉しかない。
なのに、彼女はその可能性もあたかも真実のように語った。オレの恐怖を煽ることで、その強引さを上手く隠しながら。
思えば、初姫が幽霊である可能性なんてゼロに近い。しかも幽霊である初姫が過去の事件を起こしたなんて、こじつけも良いところだろう。幽霊が人の肉を食うなんて聞いたことも無いし。
初姫は何故黒づくめの男に追われていた? どうして彼女は不死身なのだ? 何故初姫はオレを食べない? 矛盾が多すぎる。その矛盾を──彼女は一切語らなかった。語ってしまえば、その可能性が実は無理やり作った話であるとバレてしまうから。
そして二つ目の可能性から、彼女はまたしても無理やりな手法で、神隠し事件に話を持っていった。今思えば、こじつけだよなぁ。
その結果──神隠し事件の犯人を初姫に仕立てあげようとした。オレはこれこそ、彼女が一連の行動をとった『建前的な』目的であると思っている。
だが、そう結論づけるには証拠が足りない。だから、見つけに行くんだ。今日、この夜で──
「あれ。浅葱の指輪、何か輝いてない?」
「……! 本当だ」
気づかなかったが、オレの指輪は淡く輝いていた。
「何でだ?」
「……共鳴してるのかも」
「共鳴?」
「うん。あくまで推測だけど、指輪が近くにあると、光るのかもしれないわね。あたしも何回か指輪が光ってるところは見たことあるわ。原因は分からなかったけど……」
オレはそれを聞いて、正直ほっとした。初姫の考えが正しいとすれば、今まで指輪が光らなかったのは、近くに指輪が無かったからということになる。
つまり、初姫は指輪を持っていない。
これで、初姫=幽霊説は恐らく崩壊だ。少なくとも、初姫が神隠し事件の犯人という可能性はゼロに近い。良かった……
そういえば、彼女が最初にオレの指輪を見た時、指輪って光ってたっけ……?
指輪の光に従って、オレたちは進んでいく。徐々に指輪の光が強くなっていく。
そして──指輪がとうとう懐中電灯代わりになるくらい光りだしたのは、とある公園に辿り着いた時だった。
公園の中心には、誰かがいた。金曜日の夜は危険だというのに、一人で中央に佇んでいる。
着ていたのは、うちの学校の制服だった。女生徒らしい。
それは──『彼女』だった。
「あはっ。期待を裏切りませんね~。来てくれて嬉しいですよ、朝霧先輩♪」




