十二話 幽霊が生きていくのに必要な物
◇ ◆ ◇
「ん、ん~ッ」
日曜またいで月曜。オレは今日も無事に、朝を迎える。
「あ、おはよう浅葱! 今日は早いね」
声がした方向を向く。そこには、当たり前のように初姫がいた。キッチンで朝ごはんを作っている。いつもの♥のあざといエプロンを身につけていた。
結局あの後、初姫は何もしなかった。くすりと、安心させるように小さく笑っただけだ。そして女性を近くの交番まで連れて行って、それ終わり。それ以上、あの日は何もなかった。
ただ……あの時、初姫は小さく笑った後、これまた小さく口を動かしたのだ。何を言っているのかはうまく聞き取れなかったけれど。
──まだ、生かしておいてアゲル……
何となくだが、そう言っているように聞こえた。いや、気のせいかもしれないが。気のせいであって欲しいが。
「はい、朝ごはん」
初姫はいつもの調子で盆に料理を乗せてやってきた。メニューもいつもと一緒なので一々描写はしないでおく。
──心配するな、大丈夫だ。
──こちらが何もしなければ、初姫は何もしないはず……
不用意にこちらが何かしたり聞いたりしなければ、初姫はいつもの初姫のままであるはずだ。一昨日初姫がああなったのは、女性が初姫の『本性』を『視て』しまったから。
それはつまり。
──こちらが何かすれば、オレは大丈夫ではない……
下手をすれば、殺され──
「浅葱?」
目の前に、初姫の顔があった。くりっとした目がぱちくりしている。心臓が、止まりかけた。
「どしたの? ぼーっとして」
「あ……ああああ、あぁ。いや……ちょっと考え事をな」
「考え事、ねぇ……」
それっきり、初姫は何も言わずに朝ごはんを食べ進める。ミスった。何でもないと言えば良いだけだったのに。
初姫が点けたテレビでは、ニュースが流れていた。遠い街で不審火が相次いでいるという内容だったが、正直どうでも良かった。
──オレはいつまで、初姫と一緒にいられるだろう。
初姫がとても怖ろしくて、けれども変わらない彼女の姿を見ていると、恐怖以外の感情も湧いてしまう。複雑だった。複雑で、いつか身動きがとれなくなるのではないかとすら思える。
……。割と、その想像が現実味を帯びていて怖い。
「ごちそうさま。相変わらず美味しかったよ」
「あ……、う、うん。ありがと」
オレの言葉に、初姫は照れくさそうに、そして少しわざとらしく頬を染めてみせる。態度もあざとさもいつも通りだった。
──オレだけが、いつも通りじゃない。
何となく、そんな気がした。
◇ ◆ ◇
特筆事項の無い退屈な(分からないから)授業が終わり、放課後。
何となくオレは初姫と一緒に帰るという選択肢が浮かばず、一人で部室へと足を運んでいた。
自由という言葉を体現した漫研は、当然ながら毎日部活をやっているはずもなく、というか活動日すら決まっておらず、くるりん先輩が気まぐれで月数回招集する程度の部活である。一体何のために存在しているのかについては部員であるオレにすら不明。
──誰か、いるかな……
そう思ってドアを開けた、その先には。
「あれ、朝霧先輩だ。どうしたんです?」
うららが机の前で、本を読んでいた。
「あ、うらら。そっちこそ何してるんだ?」
「見て分かりません? ラノベ読んでます」
本とは言わず、ラノベと言うあたりさすがオタクだと思った。
「暇つぶしですよ。友達と部活終わりに喫茶店行く約束してるんです。だから友達が部活終わるまでここにいたっていうだけですね」
聞いてもないことをうららは丁寧に説明してくれた。いや聞くつもりだったけど。
「先輩はどうしてここに?」
「え? いや、それは……」
どうする。話してしまおうか。
オレは不安で仕方なかった。誰かに話したかった。
「……もしかして、その右手の中指に付けてる指輪のせいで、何か厄介事に巻き込まれてたりとかですか?」
「! 何で知って……?」
「あ、やっぱりその指輪って『あの』指輪なんですね! 怪しいと思ってたんですよ~」
うららは本を机の上に置くと、こちらへと駆け寄ってくる。
「その指輪、結構有名なんですよ~? 信ぴょう性の高そうな噂から根も葉もない噂まで、ビュンビュン飛び交ってますからね。まさにトレンドですっ!」
ま、マジか。そんな噂、全然知らなかったぞ。いや別に噂話する友達がいなかったからとかじゃなくて。
「それに私、指輪については結構詳しいですよ? なんてったって、私はオカ研にも入ってますから!」
言い忘れていたが、うららはオカ研ことオカルト研究部にも所属している。部長はくるりん先輩だ。どんな活動をしているかについては敢えて言わないが、大体漫研と似たようなもん。ちなみにオレは入っていない。
オレは、どれくらい話すか少し迷って……
「なるほど。朝霧先輩がややテンション低めな理由がよく分かりました」
結局、全て話した。信じてもらえるかどうかは不安だったが、最近見る悪夢──たぶんオレの過去──も含めて全て。
「嘘……なんてオチは無いでしょうし、朝霧先輩の言っていることは全て真実、もしくは先輩が嘘を吐いていないという前提で考えてみますね」
「信じて……くれるのか?」
「朝霧先輩、変態ですけど根が素直ですからね。こんなたちの悪い嘘は吐かないと思ってます」
変態は余計だったが、そう思ってくれているというのは素直に嬉しかった。
「それで、朝霧先輩はどうしたいんです?」
「え?」
「ただ話してすっきりしたかっただけなのか、それとも初姫先輩の正体まで暴きたいのか。どちらです?」
「! そ、それは……」
少し、迷った。初姫の正体は、ずっと気になっていたことだ。でも、それを知ってしまって、果たしてオレは無事に明日も生きていけるのか。
「オレは……初姫のことを知りたいんだ。初姫のことについて、全て……」
迷った……が、オレは初姫の正体を暴くことにした。先送りにしたって、しょうがないと思ったから。
「そうですか。いや~、今のセリフ、何だか告白みたいでドキドキしますね! 二人っきりの時にそれ言ったら、きっと勘違いしてくれますよ!」
「勘違いされたら困るっての。犯罪だわ」
幼女に手を出すとかもっての外だ。それが許されるのは薄い本だけ。十七歳なのにどうしてそんな知識があるのか等々の質問は一切受け付けません。
「では、初姫先輩の正体に迫りましょうか。……何だか推理モノみたいでドキドキしますね!」
「さっきからドキドキしすぎだろ。できる限り早くお願いします」
「まぁ私もそんなに時間は無いですからね。巻きで行きましょう」
オレとうららはソファに座る。何故部室にソファがあるのかというと、昔ここが応接室だったからだ。こんな便利な部屋を漫研が使うなんてもったいない。部員がそれ言うのもアレだけど。
「で、初姫先輩の正体についてですが、可能性が二つあります」
「二つ?」
「はい。一つは朝霧先輩も前々から予想していたとは思いますが、例の緑眼の少女が初姫先輩であるという可能性です。まずはこの可能性について考えてみましょう」
「お願いします」
「少しは自分でも考えてくださいよ~?」
ぐいっと顔を近づけてうららは言った。初姫程じゃないが、中々あざとい……っ。
「個人的にはこの可能性が高いと思ってます。矛盾点も無いわけではありませんが、取り敢えず根拠から」
すると、うららはバッグからメモ帳を取り出した。あ、そういえばさっきオレから話聞いてた時、色々メモってたな。オレやくるりん先輩と違って頭も良いうららは、話を聞くのも上手いようだ。
「まぁ一番は見た目ですよね。朝霧先輩が覚えている少女の目は緑、そして初姫先輩の目はエメラルドグリーンだそうじゃないですか」
「あぁ……。でも、初姫の目はエメラルドグリーンであって、ただの緑とは違うぞ」
「それは反論にはなりえませんよ朝霧先輩。何故なら、朝霧先輩が覚えている過去はいつなのか分からないくらい昔のことです。だから緑としか覚えてないんですよ。そして今、初姫先輩の目がエメラルドグリーンだと言えるのは、先輩の語彙力が当時と比べて上昇したからです。仮に先輩がその当時の現場にタイムスリップしたとしたら、少女の目もただ緑色だとは思わないはずですよ」
「……」
何も言い返せなかった。そうだ、エメラルドグリーンだって結局緑。違うという証拠にはならない……
「それに、初姫先輩は不死身と聞きました。そして、ソソるようなロリ体型とも」
「誰もソソるとは言ってませんが」
思うんだけど、うららもそれなりに変態入ってるよな? オレやくるりん先輩と比べるとマシってだけの話であって。
「思ったんですけど、初姫先輩って、成長が止まってるんじゃないですか?」
「え……?」
「それこそ、指輪の呪いで、です。これは当て推量にすぎませんが、不死身ってことは老化しないという意味でもありますから、身体も成長はしないと思うんです。それこそ、ハガ○ンのホーエ○ハイムだって昔からずっと同じ姿……」
「おいここで名作持ちだしてくるなよ!?」
懐かしいなぁ、最終巻は号泣しながら読んだっけ。マジで名作でした。
「まぁ最後のは冗談ですが、その可能性も否定はできないと思ってます。状況証拠で語ってるだけな上、本人を見てないのではっきりとは言えませんけどね」
……確かに、初姫は幼い。思わずオレが素で初姫を幼女だと信じこんでしまう程には。ただ身長が低いとか、胸がまな板とか二次性徴が見られないとか、そういうレベルの話ではないのだ。
「昔呪いを受けたということは本人も認めているらしいですから、朝霧先輩の過去に登場した少女が初姫先輩である可能性は高いと思いますよ。あくまで客観的に見て、ですけどね。実際本人がそんな大量殺人を平気で犯せそうな性格をしているかどうかは知りませんけど」
「……初姫は、そんな子じゃない……」
初姫はとにかく『良い子』なんだ。人を何百人というレベルで殺戮できるような、そんな子じゃない……はずだ。
「……」
うららはじっとオレを見つめていた。その目は、少し冷たい。
「では、もっと突き詰めて考えてみましょう。初姫先輩の『目的』に関することです」
「目的……?」
オレはオウム返しに尋ねる。うららは「はい」と頷いて、
「もし初姫先輩が緑眼の少女であった場合、今朝霧先輩と同居しているのは偶然ではなく必然であることに間違いはありません。必ず何か目的があって朝霧先輩と接触しているはずなんです。……あ、聞いてませんでしたが、初姫先輩は朝霧先輩と同居するにあたって、どんな大義名分を使ってますか?」
「大義名分て……。確か、自分は死んでることになってるからって。指輪を持ちだしたから、ヤクザなパパに殺された……ということになってるらしい」
「そうですか。その話は半分本当、半分嘘といったところでしょうね」
「? 何が本当で何が嘘なんだ?」
「少しは自分で考えません?」
うららがちょっと呆れていた。いやいや、お前オレのスペックをみくびるなよ? みくびるどころか見下げるくらいはしてもらわないと。
「指輪を持ちだして追われていたのは本当でしょう。実際に追手がいたわけですし。問題は、何故このD市に初姫先輩が来たか、です」
「? 偶然じゃないのか」
「いいえ。初姫先輩が緑眼の少女なら、必ず朝霧先輩に何かしらの用があってここへきたはずです。指輪を持ちだしたのも、恐らくその目的と何か関連があったのでしょう。ただ、一つだけ分からないことがあるんですよね~」
うららは頭を抱える。
「どうしても、先輩が殺されたのが必然に思えないんですよ」
「? だったら、偶然なんじゃないのか?」
「でも、普通そんなヘマ犯しますかね? 初姫先輩が緑眼の少女なら、朝霧先輩を守るために追手を返り討ちにするはずなんですよ。私だったらそうします。その、失礼なんですけど、まるで朝霧先輩が死んでも良かったみたいな雑さなんです。絶対に朝霧先輩に用があったはずなのに……」
ううう~と、うららは自分の頭をわしゃわしゃする。
「やっぱり初姫先輩が緑眼の少女と断定するには証拠が弱いですね~。イケるかと思ったんですけど~」
「イケてもらっても困るけどな」
正直、ちょっとほっとしている自分がいる。初姫が緑眼の少女であった場合、矛盾が出るのだ。
「それに、矛盾点はこれだけじゃないんです。土曜日の夜女性を助けた話についてですけど、その女性は初姫先輩を『鬼』と呼んだんですよね?」
「あぁ。確かにそう言ってた」
「穿った見方をすれば、初姫先輩が『殺人鬼』なんだと言っていた。という風に解釈できないこともないですが、ややこしくなるのでここではその可能性は排除しましょう。仮に初姫先輩が緑眼の少女なら、幽霊と同列で『鬼』と呼ばれるはずはないんです。そこで二つ目の可能性が出てきます。……初姫先輩が、『幽霊』であるという可能性です」
「幽霊……?」
それは、まさにオレがあの夜思い至った可能性そのものだった。
「はい。幼女の身体に、萩森初姫という幽霊が取り憑いたという可能性です。もしくは萩森初姫という名の幼女に幽霊が取り憑いたのかもしれませんが、まぁそれはどっちでも良いですね」
「……そうだな」
「元気ないですね~。もうやめときますか?」
「いや、続けてくれ……」
オレ一人では、たぶん真相には辿り着けないから。
聞かなくてはならない。初姫と、これからもずっと、仲良くしていく為にも……
「では続けましょう。初姫先輩が幽霊であった場合、先輩の過去に出てきた緑眼の少女の正体もニ通りの可能性が出てきます」
「ややこしいな……」
「仕方ないですよ、指輪という人知を超えた力が働いていますから。で、二通りの可能性ですが、一つは初姫先輩とは何の関連も無い別人であるという可能性。そしてもう一つは、緑眼の少女が初姫先輩本人であるという可能性です」
「!? 幽霊なのに、その可能性はあるのか……?」
「えぇ、勿論です。……先輩、取り憑いた幽霊が生きていくのに必要な物って、何だか分かりますか?」
「……いや」
オレはかぶりを振る。すると、うららは冷たい笑みを浮かべた。
「人の肉ですよ……。カニバリズムってやつですね~」
ゾクリと、背筋が震えた。いつの日か、ステーキを美味しそうに頬張っていた初姫の姿が脳裏に浮かんだ。
「萩森初姫という幽霊がずっと昔に起こした事件。それが先輩の覚えている過去の事件である可能性があります。その可能性は高くないですけど」
「……何%くらいだ?」
「今の推理からいくと、大方三○%といったところでしょうか? そしてその三○%の確率でしかないこの可能性が真実であった場合──朝霧先輩、たぶん死にますよ?」
死ぬ……。その言葉が、オレの脳内でぐるぐると巡る。死ぬ。死ぬ? このオレが……?
「過去に、生きる為に萩森初姫という幽霊が大量殺人を犯した。そこに偶然が必然か、朝霧先輩がいたわけです。そしてこれまた偶然か必然か、初姫先輩は朝霧先輩を殺さなかった……いや、食べなかった」
「何で、オレは食われなかったんだ……?」
「気に入られたんじゃないですか? 幽霊が人に恋する話なんて、良く聞きますし」
「あのなぁ……」
そうは言うものの、否定できない自分がいた。初姫のオレに対する好意は何となく自覚している。ただその理由が、どうしても分からなかった。分からなかったが、過去に何かあったのだとすれば……
「……ふふっ。朝霧先輩、怖い顔してますよ? 心当たりでもあるんですか~?」
うららはにやにやとしている。オレは、笑えなかった。
「すみません、意地悪が過ぎましたね。本題に戻りますが、朝霧先輩は『神隠し事件』をご存知ですよね?」
「あぁ。被害者が服と血だけを残して失踪するっていう」
「はい。で、初姫先輩が、神隠し事件に拘っているような素振りや言動を見せたことはありませんでしたか?」
「……。ッ!」
「あったんですね?」
オレは答えなかった。だが、うららはオレの表情だけで察したようだ。
「でも、それはオレの呪いを解くために……」
「果たしてそれは、本当でしょうかね?」
オレの目を覗きこむ、うらら。まるで本心が読まれているような気がして、オレは視線を逸らした。
「確か、指輪の呪いは週一で人を救うか殺すかするというもの。神隠し事件を解決すれば、確かにリターンは大きい。でも、リスクもとても高いです。ハイリスクハイリターン……という風に見えますが、実際はハイリスクローリターンです。殺される危険性がとても高い上、呪いが解けるという保証はどこにもない。神隠し事件なんて、手を出さない方がいいんですよ。なのに初姫先輩は朝霧先輩を連れ出した。どうしてか、分かりますか?」
「……やめてくれ」
「食事の為ですよ。きっと初姫先輩は自分で手は下していないはずです。でも、指輪があれば事情は違ってくる」
「もういい。お願いだ、もうやめてくれ」
「何も指輪は世界に一つしか無いわけではありません。初姫先輩がもう一つくらい指輪を持っていてもおかしくはありませんよ。指輪は脱着可能ですから、初姫先輩が指輪の存在を朝霧先輩に隠し通すことも可能です。そしてその指輪に意思伝達や人を操る能力があったとしたら、直接手を下さずとも他の人間に殺らせることだって可能ですね。そりゃあ服と血だけしか残らないはずですよ。なんせ、身体は食べられ──」
「もうやめろ!」
ダンッ! と、オレはテーブルを叩いた。立ち上がる。
「もう……やめてくれよ。これ以上、言わないでくれ」
「おかしいですね。教えてくれと言ったのは朝霧先輩なのに。逃げるんですか~?」
「黙れ……ッ」
うららは暫くオレを見て、そして深く溜息を吐く。
「分かりました。もうこれ以上の推理はやめましょう。でも、一つだけ忠告させてください」
うららは立ち上がり、耳元で囁いた。
「初姫先輩に入れ込むのはやめた方が良いですよ? 食べられたくなかったら……ね」
サブタイトルは適当です。意味があるようで全くありません(笑)




