十一話 ナンデ、そンなにコワイかおヲしテいルの?
◇ ◆ ◇
カツン、カツンと足音が響く。せっかくオレが足音を立てないようにそーっと歩いても、隣の初姫がズカズカ無遠慮に歩くせいで意味が無い。
「雰囲気出てんな……」
ビルの中は事務机や書類やら、その他諸々で埋め尽くされていた。まるで嵐の後。
「パソコンとか、金目になりそうなものが無いわね。夜逃げでもしたんじゃない? きゃー、不っ気味~」
「……そういう発言の一々が我が魂を弱体化させているとは考えないのかね初姫くん?」
あざとく腕にしがみついてくるが、しがみつきたいのはオレの方だった。思わず今季のアニメで出てきた敵キャラのしゃべり方をしてしまう。何で主人公じゃないの?
「一階にはいないっぽいわね。二階へ行きましょ?」
初姫は怖がる素振りを全く見せない。そのままオレの同意を得ずして階段に向かって歩き出した。肝が据わってやがる……幼女のくせに!
二階も一階と同じような有り様だった。誰かがいる気配は無い。三階へ向かおうとして──ふと、足が止まった。
「これ……」
オレが見つけたのは、血だった。少量だが、階段に付いている。
「あ、ほんとだ。新しいわね。さっき付いたと考えて良いと思う」
「これ絶対あの女の人のだろ! もう手遅れなんじゃねーの!?」
もう今すぐ帰ろうぜ! オレ人命救助第一とかいう信条ないし。
「でも、血は少量だから、大方擦りむいたとかじゃない? さっさと行きましょ」
「く……ッ」
どうしたってオレに帰宅という選択肢は残されていないようだった。
階段を上る。当然ながら照明は無く、窓から差し込む僅かな光が足元をほんの少しだけ照らしていた。足音とオレの吐息、それから心臓の鼓動以外に音は聞こえない。女性の声とか聞こえても良いはずなんだけどな……やっぱもう手遅れだろ帰りたい。
思いの外、三階は綺麗だった。窓ガラスこそ割れているものの、あまり物も散乱していない。
だから──人の姿というものは、よく目立つもので。
「ひ……ッ!」
壁に凭れかかり、膝を抱えて小さくなった女性がいた。その女性はオレたちを見て、小さく悲鳴を洩らす。
「あ、え~っと。大丈夫ですよ。オレはあなたを助けに──」
「きゃぁぁあああああああ! やめて! 来ないで!」
「いやだから助けに」
「お願いします来ないで助けて!」
「だから助けるって言ってるでしょう!?」
パニック状態になった人を説得するのはキツい。つい先日、家の中で幼女を目にして同じような反応をしたばっかりだからよく分かる。
「あ……あぁ……!」
女性の目が、見開いた。何かを見ているらしい。
「鬼……鬼が……二人……!?」
振り向きたくなかった。が、条件反射でオレは振り向いてしまった。
そこには。
──確かに、初姫の言った通りの幽霊の姿があった。
黒い、真っ黒い、もやのようなもの。然程大きくは無い。
それが、オレたちに近づいていた。
──なんだよ、初姫。
──やっぱり、怖いじゃねーか……ッ!
「浅葱! 突っ込んで!」
「は、はぁ!?」
隣で叫ばれた。オレは動揺しながら初姫に視線を向ける。
「体当たりでも何でもかましなさい! 倒さないと、アンタもヤバいわよ! 魂が弱ってるんだから!」
「い、いや、でも……」
「はよ行け!」
跳び蹴りされた。オレは体勢を崩し、幽霊に突っ込む。
──く、この……ッ!
力の流れに身を任せ、オレは幽霊に体当たり……という程でもなく、普通に突っ込んだ。
オレの身体が、幽霊の本体……というか、身体というか。とにかく、黒いもやっとした部分にぶつかった時。
バフッ。ベッドにダイブした時のような、気の抜ける音がした。
オレはそのまま前のめりに倒れる。慌てて起き上がった時にはもう、視界に幽霊(と思われる)存在は無かった。
「……倒した、のか?」
何だか、呆気無い。見た目は怖かったが、なんてことはなく、とても雑魚かった。それこそオレが倒せてしまうくらい。
「ふぅ。やったわね、浅葱」
初姫が笑顔でオレに手を差し伸べてくる。オレはその手を取って──
「ダメッ!」
女性の声を聞いた。オレは振り向く。
「? 何が……?」
「『それ』は……『それ』に近づいちゃ……!」
「? どうしました……」
「それが……――鬼……だから……」
それだけを残し、女性は失神してしまった。
嫌なことを、聞いてしまった。それだけを言われたら、気になってしまう。
──初姫を、見てしまう……
オレは初姫を見た。その姿は。
「……どう、したの?」
いつもと、全く同じだった。オレの目には、いつものちっこい初姫の姿だけが映っている。
──でも。女性は、確かに初姫を見ながら、『鬼』と言った。
思えば、最初も『鬼が二人』と言っていた。鬼を一人、二人とカウントするのが正しいのかどうかということについてはこの際置いておくとして。
女性は、あの幽霊じゃなくて、初姫も『鬼』だって……
「────〰〰ッ!」
条件反射で、オレは初姫の手を払った。そのまま後退る。
──初姫……
──お前は……何者なんだ……
──まず、お前は本当に、『人間』なのか……!?
「ねぇ」
初姫が、口を開いた。オレにはその口が、笑っているように見えた。
「何で今、手を払ったの?」
その目は、笑っていなかった。まっすぐオレを見つめ──いや、見据えている。まるで、獲物を見つけた時の、肉食獣のように。
「ねぇ。ナンデ?」
一歩、彼女は足を踏み出した。オレの息は荒くなり、動悸が激しくなる。脂汗が額を伝った。
「ナンデ、そンなにコワイかおヲしテいルの?」
ゆらゆらと、彼女は近づく。オレはどんどん後ずさりして──壁に、ぶつかった。
──逃げられない……
「ネェ、コタエテヨ……ア~サ~ギ~?」
彼女の顔が、とうとう目の前まで近づいた。エメラルドグリーンの瞳が輝く。
──オレは、どうなってしまうんだ……




