十話 ……不潔
◇ ◆ ◇
「初姫ちゃん初姫ちゃん」
「何よわざとらしい」
そりゃあ、わざとらしく呼びかけたくもなりますよ。
「幽霊に狙われてる人探し始めて……どれくらい経った?」
「まぁ、二時間くらい?」
「くらいじゃねーよ! 何が『結構簡単よ』だ。全然簡単じゃねーじゃんか!」
初姫の言う通り、幽霊に狙われている誰かを探し始めてもう二時間弱。もうお腹ペコペコなんですけど。お腹が空いて力が出ない。新しい顔が欲しいぜ、主にルックス的な意味で。
「じゃあそろそろ休憩する? 幸いにもお店は沢山あるわけだし」
「え……?」
オレは、吃驚した。そして、動揺した。何しろ、そんな誘いは初めてだったから。
「? どしたの?」
「初姫。お前、本気なのか?」
「本気? 別に、嫌なんなら食べなくたって良いけど」
「……っ。いや、食べる。思う存分食べまくってやるよ、初姫……」
「!? ちょ、何で近づいて……?」
そこで、初姫はやっと気づいたらしかった。
──オレたちが今、ラブホがひしめく夜の街にいるということに。
「……不潔」
「嘘だろ? 何そのこっちがマジで落ち込むような感想」
つか、何で初姫気づかなかったんだよ。
「一応言っとくけど、そういう意味で休憩って言ったんじゃないんだかんね! てかアンタそれ分かってたでしょ」
「勿論。初姫が今どこにいるのか、はっきり気づいていないのを把握した上で言ったからな」
「何か今日の浅葱おかしくない!? どうして何もかも下の方へ持って行こうとするのよ!」
「……無理やりにでも気丈にしてないと、取り憑かれちまうだろ」
「浅葱……?」
それっきり、オレは喋らずに歩きだす。取り敢えずラブホ街を抜けなければ。隣にいるのが幼女だから、割とマジで犯罪臭が凄いの。
「ちょっと浅葱? 何で喋らないの? ねぇちょっと~」
ねぇねぇと初姫は腕を組み、胸なのか肋骨なのかよく分からん何かを当ててくる。ちゃんと本気で心配しておきながら、何故かあざとさも欠かさない。萩森初姫はそういう女の子。どういう女の子?
「……ッ! 分っかんねーのかよ怖いんだよ幽霊がな!」
「えっと……はぁ」
「空返事すな! あとお腹空いた天津飯食べたいです!」
「あ、そう。でも中華料理屋さん通り過ぎちゃったけど?」
「それ早く言って欲しかったぜ」
「アンタが早く希望言わないからじゃない?」
結局、入ったのはラーメン屋だった。一応ラーメンも中華か? いやでも、もはやラーメンは日本食と化してるけどな。とっくの昔に師たる中国を超えているとオレは思ってる。
「で、何で幽霊が怖いの?」
「お前がさっき幽霊について語ってくれたおかげだよ」
生者は死者に負けないなんて言ってたけど、身体を乗っ取られる恐怖を語られたオレにとってその情報は気休めにもならない。何で自分から幽霊に会いに行かなきゃなんないんだ。しかも繁華街で。
「幽霊なんて怖くも何とも無いわよ? たぶんアンタは幽霊=白装束着た女性とか思ってるだろうけど、実際幽霊ってのは、なんていうか、『もや』みたいなものだから」
「もや……?」
「霧のような感じよ。肉体っていう容れものがないんだから、魂だけの存在に過ぎない幽霊が何か、特定の形を維持することなんてできやしないわ。不特定な形──つまり、『もや』として幽霊は存在するの。そんな存在、怖くも何とも無いわ」
ずるるっと音を立てながら、初姫はラーメンをすする。音立てて食べるのってそばじゃなかったっけ。
「でも怖いものは怖いだろ」
「そう? 見たら拍子抜けすると思うけど……って早っ。もう食べたの?」
「腹減ってたからな」
高校生の食欲を舐めてくれるな。……ところで、いつもいっぱい食べてるのに、どうしてオレは身長が伸びないんでしょうか。身長体重共に全く増減する気配が無い。身長減ったら笑い話じゃ済まないけどな、オレの場合。
「ま、それはそれとして。浅葱、気づいてる?」
「? 何を?」
「鈍感……」
よく分からないが、呆れられた。これは、何。喧嘩売られてんの?
「アンタから見て右斜め前の女性。震えてるでしょ」
「! ……そうだな、熱でもあんのかな」
「この流れで発熱と解釈……!?」
とか言ってみたが、さすがにオレでもこれは分かる。
「冗談だ。たぶん、何かに怯えてんだろ? さっきからきょろきょろしてるし」
「分かってたんなら素直にそう言ってよね……」
初姫のツッコミはこの際無視。
彼女の言う通り、斜め前の二十代前半と思われる女性は、しきりに辺りをきょろきょろと見渡していた。挙動不審とはまさにこのこと。
「跡を追ってみましょ。見てなさい。そのうち彼女、人気のないビルとか空き家に逃げ込むから」
◇ ◆ ◇
初姫の言った通りだった。
店を出た後、女性はしきりに後ろを振り返りながら──徐々に、人気の無い道に向かって進んでいく。
「あの女の人、どうしてわざわざ人通りの少ない道へ?」
周りの景色が徐々に暗く、薄気味悪いものへと変わっていく。裏路地に入ったのだ。
「弱った魂にね、幽霊が干渉してくるのよ。結果、無意識に人気の少ない道へ向かってしまう。無意識の内に、自分から破滅の道を辿ってしまうの」
妙に中二的な例えを初姫は出した。いやたぶん本人は意図していないだろうけど。
「干渉……、幽霊にそんな真似ができるのか?」
「普通はできないわね。でも、幽霊を怖れる人にならできる」
「幽霊を、怖れる人……?」
誰だって幽霊をフレンドリーな存在だなんて考えてないと思うけどな……
「そうよ。あたしの見立てでは、あの女性に霊感は無い。幽霊の『本当の姿』は見えてないはず。本当の姿が見えないからこそ、怖れてる。そもそも幽霊に本当の姿があるなんて、思ってもみないでしょうけどね」
「……? じゃあ、何に怯えてるんだ? 何も見えないのに、怖れるものなんて無いはずだろ」
「だから、幽霊を怖れてるのよ」
意味が分からなかった。幽霊が見えないのに、幽霊を怖れて逃げている。何故。
「幽霊ってのはね、怖がらなければ無害よ。でもね、ひとたびその存在を怖れてしまえば、おしまいなの。肉体を明け渡すか、自殺するかしか道がなくなる」
「ますます意味が分かりません」
不穏な話の流れと、明かりの少ない路地に、オレはビビっていた。いやヘタレとかじゃなくて。
「幽霊のすぐ傍にいるとね、霊感の無い人でも、たまーに幽霊の気配を感じることがあるの。そしてその気配を怖れるとね、幽霊が見えちゃうのよ。──本人が最も怖れる姿に変化した、幽霊が」
「……。目の錯覚、って考えれば良いのか?」
「違う、錯覚じゃないわ。本人には実際に『視える』のよ。まぁ幻覚のようなものかしらね。とても怖い何かが『いる』と思えば、本人の前に『現れる』の。とってもとっても怖ろしい、幽霊がね」
例えば、と初姫はオレを見上げて言葉を続ける。
「食わず嫌いって言葉があるじゃない? ほら、浅葱にも小さい頃沢山あったでしょ」
「確かに。オレ、小さい頃はエビフライすら食わず嫌いで食べなかったし。……ん? 初姫、何でオレが小さい頃食わず嫌いが沢山あるって……?」
「! い、いや、あの……アレよ! 言葉の綾ってやつ!」
「ふ、ふ~ん?」
あんまり納得はできなかったが、初姫がそう言うのなら、そうなのだろう。一瞬脳裏にナイフと指輪を持った緑眼の少女の姿が浮かんだが、考えないことにした。
「実際はとても美味しいものなのに、美味しくないと強く思い込むことによって、その食べ物を嫌悪するようになっちゃう。思い込みや先入観の力ってね、凄いのよ。本当は怖くないはずの幽霊も、強く思い込んでしまえば、自分の命を脅かすまでの存在に助長させてしまえるの」
「……よく、知ってるな」
「でしょう? こういう類の話は詳しいからね」
どうして詳しいのかについては、聞かなかった。何でだよ……気になったなら聞けば良いだろ、オレ。何を怖れてる。
そこで、オレが今晩異様にテンションが高い理由が分かった気がした。ずっと幽霊が怖いからだと思い込んでいたが、一番怖いのは幽霊じゃなくて、普通は知らない、知り得ないはずの知識を持っている────…
……よそう。少なくとも今は、仲間のはずだ。
「あ! あの女の人、ビルの中に入っていったぞ」
見た所、空きビルのようだった。ガラス戸でできた入り口は誰かのイタズラのせいなのか、割れている。
「入りましょ。あの女性、ほっとくと取り憑かれるか転落死するかしちゃうから」
「ちょっと待て。何で転落死なんかするんだよ」
「簡単なこと。幽霊が怖すぎて、自ら死を選んじゃうのよ。まぁそれも幽霊の仕業だったりするんだけどね。それより、早く行きましょ」
いよいよ、幽霊と対峙する……。行きたくは無かったが、オレは一歩踏み出した。




