八話 確信犯よね
◇ ◆ ◇
「……ハッ!」
そこで、目が覚めた。視界に入ってきたのは──緑。
「────ッ!」
「ちょッ、何!? どうしたのよそんなに怯えて」
「あ……」
緑というのは、初姫の瞳の色だったらしい。
「何かうなされてるみたいだったから、心配してたってのに」
ぶ~と、初姫は淡いピンク色をした唇を尖らせる。
「悪い……」
オレは、『何、オレのこと心配してたの?』と憎まれ口を叩く余裕もなく、ただ謝罪の言葉だけを口にする。
「嫌な夢でも見てたの?」
「あぁ……ちょっとな」
「ふ~ん? そ、そっか……」
すると、初姫は微妙な表情をした。何と言うか、気まずそう……いや違うな。後ろめたそう? とにかく、あんまり良い思いはしていなさそうだ。
今何時だろうと思ってみると、八時ジャストだった。
「お、おい! 何でもっと早く起こしてくれなかったんだよ!」
「? 何、用事でもあったの?」
「用事も何も、学校──」
そこで、オレは思い出す。
「あ。今日土曜日だった……」
「……ドジっ子?」
「何だよロリっ子が」
「何で被せてきたし! も~っ。ご飯できてるけど、どうする? 起きてすぐだと食べられない?」
「いや、食えるよ。初姫のご飯美味しいし」
「え? ……ふ、ふ~ん? そ、そっか。……そっか」
初姫は嬉しそうな、どこか安心したような、そんな表情をした。まぁ料理上手なのは認めるし、ご飯美味しいと言われて嬉しくなる気持ちも分かる。大体オレはいつも遅刻ギリギリの時間帯に起きるから、起きてすぐご飯を食べるという習慣が身についている。
初姫が持ってきたのは、ごはんと味噌汁、それから玉子焼きというなんともありていなものだった。ただちゃんと手作りするというあたり偉いと思う。オレの母さん毎朝パンだったからな。弁当も作らない母さんが何故毎朝早起きをする必要があったのか、未だに分からない。アレか、年か。
エプロンを着けたまま、オレと一緒に朝食を摂る初姫。身体はちっこいが、最早オレの母親的な役割を彼女は果たしていた。せめて若奥様ポジションになって頂きたいとは思うけど。
オレは思う。初姫は、とても『良い子』だ。もうちょっとツンデレがあれば良いなと個人的には思うが、うん、まぁそこまで三次元に高望みはしません。
だが、さっき見た悪夢には、血まみれの部屋の中心に緑眼の少女がいた。そして、初姫の瞳の色は。
──んなわけないだろ……
一瞬、疑ってしまった。だが、オレはその想像を振り払う。初姫は良い子なんだ。そんな真似、するはずない……
だが一度浮かんだ想像は中々消えてくれず、燻った疑念も消えない。オレは、テレビを点けた。テレビではあの神隠し事件のことをやっていて、オレは即座にチャンネルを変える。空気読めよ番組。空気っつかオレの心を読んで!
別のチャンネルでは、女優がショッピングモールで服を見繕っていた。『一六○○円!? やっす~い!』と、オレには共感できないことを口にしている。
その光景をぼーっと見ながら、オレは言った。
「初姫」
「何よ」
「今日……デートしねぇ?」
直後。
ガシャン! と、何かを落としたような音がした。見ると、初姫がお茶碗をひっくり返していた。
◇ ◆ ◇
「確信犯よね、浅葱って」
「何がですか?」
オレん家の近所には、大きなショッピングモールがある。食料品から服、雑貨、映画館からゲーセンまで何でも揃っており、何か欲しいものがあったら取り敢えずここへ来るというのがD市の住民間では常識。
「普通に『買い物』って言えば良かったでしょ。それを何故にわざわざ『デート』と表現したわけ?」
「ん? だってその方があざとさ出るだろ?」
「求めてないからそーゆーの……」
男のあざとさとか誰が喜ぶのってツッコミはスルーさせて頂きます。
だが、このタイミングで買い物に来たのにはちゃんとした理由があって──
「へっくし! くそ、ティッシュ忘れた……」
「花粉症なの? はい」
さりげなく、さも当たり前のように初姫がポケットティッシュを渡してきた。さすがあざとさを極めた幼女。そこら辺にぬかりは無い……って違う、そんな話をしたいんじゃなかった。なんてタイミングでくしゃみをかましてんだオレ。
ショッピングモールに初姫と来た理由は主として三つ。
一つ。初姫の服が無い。
持っては来ているようなのだが、所詮幼女が持ち運べるキャリーバッグの容量などたかが知れており、さすがにこのままだと可哀想だ。幼女とはいえ初姫も女の子だし。
二つ。調理用具が少ない。
元々オレは料理が苦手であり、しかも練習しようとも思わないタイプなので、家に調理用具が少なかったのだ。金あんまり持ってなかったし。ラノベ買わなくちゃいけなかったし。
三つ。オレが毎晩床で寝てる。
思えば初姫とのドキドキな夜を一度も描写していないような気がするが、決して忘れていたわけではなく、ただ単に何もイベントが無かったというだけだったり。男女が一つ屋根の下で寝てるのに何も起きないってどうよ。まぁ幼女と高校生の間で何か起きる時点でおかしいんだけど。
ただ、それでもさすがに一緒のベッドで寝ると浅葱のもう一人の浅葱があさぎんぎんになりかねんので、初姫がベッド、オレが床で寝るという構図となっている。
ということで、床に敷く布団を買いに来た。ちなみに上記した三つを購入するにあたり、誰が金を出すのかということについてのコメントは差し控えさせて頂きます。
取り敢えず、最初に初姫の服を見繕うことにした。服に関して、オレは知識が皆無なので、初姫の判断に委ねる。
だが、幼女な初姫の身体に合う服といえば……
「何でこう、小学生向けな服しかないの……?」
あっちへふらふら、こっちへふらふら。蝶のように舞いながら、しかし初姫の表情は冴えない。可憐の『か』の字も無かった。
「仕方ねーじゃん。だって初姫ってば──」
「あー良いの無いかなー」
……もはや幼女の『よ』の字すら言わせてもらえなかった。どんだけコンプレックスなんだその身体。
「……あ、見てみて! これなんかどうよ」
何か良さ気なものを見つけたらしい。初姫は服を手にとって、自分の身体に合わせてみせる。
それは、ワンピースのようだった。黒を基調としたもので、白のボーダーが入っている。胸元は少し大胆に開いていた。幼女体型な初姫には少し大きめのサイズであり、似合う似合わない以前の問題のように見えたが……
「どうどう? 良さそうじゃない?」
「う~ん……試着してみたらどうだ?」
少し大人っぽいワンピースに、初姫は惹かれているらしかった。もしかしたら奇跡が起きてサイズがぴったりになるかもしれない。オレがそう言うと、初姫はぱたぱたと試着室へ駆けて行く。
その後ろ姿を、オレは複雑な思いを持って見つめていた。
──ダメだ。オレは唇を強く噛んだ。
どうしたって、あの悪夢の光景が脳から離れない。あの緑眼の少女が、初姫と重なって見えてしまう。今日一日楽しく過ごせば忘れるかと思ったが、忘れるどころか脳裏にこびりついてしまっている。
いっそのこと、聞いてしまえば良いのだ。何のことはない。過去に何があったか、聞いてみれば良いだけの話。カマをかけてみるだけでも良い。
でも、オレはそれが怖かった。ここ数日間で見てきた初姫の姿が、実はただの演技にすぎなかったとしたら。オレは疑っていた。そして怖れていた。たった数日間しか共に過ごしていないとはいえ、オレはこの日常を失うのを怖れていたんだ。
結果。オレだけが、不安なのだ。初姫は無邪気に、無垢に、自然体でオレに接している。にも関わらず、オレはふわふわとしたどこか不安定な心で彼女と接していた。
「初姫~、もう着れたか?」
考えれば考えるほど、ドツボにはまる。オレはその考えを振り払うべく、カーテンの向こうにいる初姫に向かって声を上げた。
「う……うん。一応、着れはしたけど……」
初姫の返事は、どこか歯切れが悪かった。何だ? まるで何か問題があるような……
「取り敢えず、着れたのなら開けるぞ?」
「う……い、いや! やっぱりダメ〰〰ッ!」
初姫の悲鳴にも似た声が響いたのと、オレがカーテンを開けたのは、ほぼ同時だった。
「な……ッ」
オレは、言葉を失う。
背伸びしてサイズの合わない大人っぽいワンピースを着た初姫の格好は、とんでもないことになっていた。
サイズが合わない。たったそれだけで、ここまでエロくなるものか。
元々胸元の開いたややセクシーなワンピースではあったが、胸元はおろか、右肩まで露出しており、セクシーというよりはむしろハレンチの領域。
しかも、胸は初姫がワンピースを抑えているのでかろうじて見えていないが、桜色に染まった頬と手が、ワンピースに隠されている未知の部分の色を想像させ────…
「あ……あ、あっ……」
相当初姫は恥ずかしいらしい。手は震えていて、心なしかエメラルドグリーンの瞳は潤んでいる。何だかいけないことをしている気分になった。
「と、取り敢えず着替えて──」
「えッ、ちょっ、来ないで」
オレがボディランゲージ代わりに差し出した右手に、初姫は反応。ビクッと身体を震わせて。
ぱさっと。
抑えていたはずのワンピースが、地面に落ちる。
時間が止まった。
「………………ひゃぅ」
人間本当に恥ずかしい時って、叫び声すら上がらないんだね。




