狼将軍の恋人について
第2弾。相変わらずの短文です。
狼将軍の職場は軍である。他国軍に比べれば男女の比率差は小さいものの、そこは1、2、3に体力、4に知力の世界だ。幾ら女の数が多かろうとも汗臭い世界には変わりないのである。
最初に気付いたのはやはりというべきか、将軍の副官である青年だった。脳筋の者達を束ねる立場なだけあって細身の外見に似合わぬ戦闘力を秘めているが、彼の本分はあくまで補佐であり思考を働かせることが主な仕事である。
戦の無い平時において、階級が上になればなるほど机仕事は増えるものだ。万を超える部下を持つ将軍ともなればその量は当然膨大であり、こればかりは本人が不得手であってもどうしようもない現実である。それでもまだ年若い狼将軍の仕事量は少ない方だ。国内でも屈指の戦闘力を持つ狼将軍をみすみす腐らせるのは非常に勿体無いので、彼の場合は肩書きは将軍であっても率いる部下の数は僅か5千であり、他国への工作活動から災害時の人道支援までと幅広く行っている。いわば特殊部隊だ。
その特性上、一応の勤務地である王都を離れるのはざらであり、恋人や妻子持ちにとっては最悪の職場である。なんせ、会いに行こうにも本人不在の時が圧倒的に多いからだ。休日は不定期でドタキャンは当たり前。守秘義務の観点から任務内容は極秘で、出掛けると一方的に連絡を残し、そのまま年単位で会えないこともあるのだから、余程心の広い相手でもなければ付き合えないのだ。
狼将軍率いる第8大隊は精鋭部隊などと呼ばれているが、その内情は仕事を嫁にする奴か、孤独を愛するロンリーボーイ、若しくは人寂しさを仲間で紛らわせる独り身達が集まる残念な集団である。そんな彼らだから仲間の異変には敏い。具体的には普通に恋する者達に滅法厳しいのである。
上官の異常にいち早く察知したのは、隊の中のイレギュラーこと結婚8年目、3人の子を持つ愛妻家の副官だ。扉一つ隔てた先は文字通り空気が違ったのだ。副官は上官の嗅覚が並外れているのを知っている。就任時に支給された安物の大机と数脚の椅子、所々平積みになっている本棚しかない殺風景な部屋は、強いて言えば外気……季節の匂いしかしなかった。それが一転してフローラルな香りがしているのだから、気付かない方がおかしいだろう。これ見よがしに窓際には安物の花瓶に一輪の薔薇が刺さっている。ご婦人方が振りまいているような押し付けがましいものではなく、控えめながらに甘さと瑞々しさを閉じ込めた品の良い香りだ。
「良い香りですね」
ふと呟いた副官は次の瞬間固まった。花の香りを褒めただけで何故殺気立った視線で睨まれなければならないのだろうか。
副官は知らない。
狼将軍の想い人は、この薔薇と同じ香りのする花人の少女であることを。花人の香りを褒める事は口説くのと同意義である事を。
狼将軍の春が来たことは確かである。そして手掛かりが一輪の可憐な花であることも。だが、誰一人として相手を知る者はいなかった。何故ならば、その花に話題を触っただけで恐ろしい眼差しを向けられるからだ。