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7.反乱者の最期

 目が覚めると、檻に容れられていた。

 ここは何処だろう。確か、メリア家の家紋がついた建物に入り、右に曲がったところまでは覚えている。

 それから誰かに殴られて、意識を失ったのだ。

「あれ? パジフィックがない……」

 何処かで落としたのだろうか。せっかくやっと成功したロボットなのに、とがっかりしていると、牢の前に誰かがやって来るのが分かった。

 思わず身構えるが、肝心の武器は盗られている。

「そう身構えなくていいんだよ、カイ」

 聞いた事のない声に、ブロンドの髪をしているカイより少し背の高いサノン族。誰かは分からないのに、名前まで知られている。

 少年の姿をした人物だが、ハジメやアンジュらが着ているのと同じような、軍服を身に纏っているのだ。

「誰だよ、お前」

 策の合間から顔を覗かせ、さもうさん臭そうにカイは言った。

「俺はレン。出してやるから、俺のものになれ」

 一瞬目が点になるような命令である。


 見知らぬ人物で、先ほど名前を聞いたばかりなのに、何故彼のものにならなければならないのだろう。それならまだ、この牢獄に容れられている方がマシなのだ。

「はぁ? 何言ってんだよ」

 意味が分からなくなったカイは、苛々した様子でレンに突っ掛かる。

「気が強いな。俺の計画を手伝え、と言ってるんだ。何なら、永久に俺の隣りに置いてやってもいいぞ」

「いいから出せよ!」

「仕方ないな。おい、カイを出してやれ」

 レンは側近らしき男に命令し、牢の鍵を開け、中からすごい力でカイを引っ張り出した。

 かなり強い人物だ――鍛えていた自分の力でさえも抵抗出来なかったから、余計に萎縮してしまう。

「シアンの息子にしては、中性的な顔立ちだな。母親に似たのか?」

 どうしてだろう。レンはシアンの事を知っているようなのだ。掴まれた腕が妙に気になる。

「関係ないだろ。お前、何で親父の事知ってんだよ……」

 ルクリアでシアンの事を知っている人物は、カイが知っている中でも五人の仲間くらいしかいない。

 彼らを除いて尚、シアンとカイの関係を知っているのは――。

「レン・アディーフと言えば分かるだろ? あの平和ボケ皇帝も死んだ。あとはナリュエ族に戦争を仕掛けて勝って、サノン族だけの国を創ればいい」

 レンはアディーフと同一人物――だとすると、やはりこの工場は彼とシアンが協力して立ち上げた場所なのだろうか。

 あまりに情けない。サノン族だけの国なんて、レイル族のユウ達はどうなるんだ。それに皇帝は生きている。アディーフの好きにはさせないのだ。

「そんな顔をするな。俺が永遠に可愛がってやるから」

 気持ち悪い。ユウみたいな可愛い男の子に言うならまだ分かるが、長身とは言わなくても、標準的な身長で筋肉質な男に言う言葉ではない。

 ルクリア人は同性愛者が多いのだろうか。それに偏見はないが、こうまでされるとさすがに青ざめてしまう。

「悪いが、俺にはそんな趣味もねぇし、そんな国もいらねぇよ」

 アディーフが怯んでいるうちに掴まれた腕を力ずくでほどき、銃なしで彼らに向かって構えた。

「残念だな。ちゃんと躾するしかないみたいだ。ほら、戦え。お前一人じゃ俺には勝てないがな」

 奪っていた銃を二つ、カイの手に落ちるように投げたアディーフは、腰に装備していた剣を鞘から抜いた。

 意味が分からない。躾なんて面倒な事をするくらいなら、いっそ殺してしまえばいいのに。カイだって、洗脳されてずっとアディーフといるよりは、ここで殺された方がずっとマシなのだ。

「親父と変な契約結びやがって、あんなに沢山の人殺して……何をしてもお前のモンにはなんねぇからな」

 いいんですか、と言う側近に構わないと言わんばかりに前に出て、アディーフはカイに鋭い剣先を向けた。

 分かっている。目の前の男は、今までの敵とは比べ物にならない戦力を持っているだろう。カイ一人では勝てる筈がない程だ。

 戦って、何とか隙を見付けて逃げなければいけない。

 だが、そう上手くはいかなかった。

「カイ、隙があり過ぎだ。死にたかったのか?」

 冷酷な瞳を向けられ、喉に剣があと少しで刺さってしまいそうな、まさにギリギリの瞬間だった。

 幸い、アディーフはカイに形はどうであれ情があるのか、殺す前で止めてくれたが、思わず腰の力が抜けてしまう。

 死にたい訳はない。確かに父親には意思の有無もなく改造されるし、義兄には命を狙われたが――。

「くそっ……」

 もう死ぬのだろうか。それとも、ここでアディーフの言いなりになる? どちらにしろ諦めざるを得ない状態だ。

 緊張を張り詰めた意識の中、ユウの声が聞こえる。幻聴だろうか。仲間はここにはいない筈なのだ。

「カイ!」

 だが、もう一度カイを呼ぶ声が聞こえて振り向くと、ハジメとキラ、それにパプリカを連れたユウ――シアンとリキュードを倒した時のメンバーが集まっていた。

 メイジェス達は何処に行ったのだろう、という疑問よりも先に、来てくれた安堵感の方が倍以上に大きかった。

「ギルウィン少将。貴公のような者が何故、メイジェス陛下などに協力していた?」

「……答える必要はない」

 いつもよりハジメの目つきが怖い。明らかにアディーフを睨んでいて、冷たい態度で引き離している。普段はこんな態度を取るような人間ではないが、よほど怒っているのだろう。

「カイ。貴方の勝手な行動のために苦労はしましたけど、生きていて安心です。後で前の分のお仕置きも待っていますけどね」

 喉に当てられていた剣をアディーフは引いたので、そこから後ろに向かって走り、ユウ達のいる場所で合流する。

「うげっ……そりゃねぇよ」

 キラはこの時はあまり煩くは言わなかったが、後でかなりきついものが待っているだろう。少し前、キラの事を「変態タラシ野郎」と言った時のお仕置きがまだだったので、おそらく今回は厳しい事になる。

「よかった。心配だったんだよ」

 唯一素直に優しく迎えてくれたのはユウだった。彼が優しいのはいつもの事だが、怒っても怖くないのが難問である。

「ごめんな」

 それだけ言うと、アディーフが再び構えてこちらを見た。

「ギルウィン少将。カイを渡してくれるなら、お前らを逃してやるという条件はどうだ?」

 血迷ったのだろうかどうかは定かでないが、アディーフはそんな事を言った。

 彼らにとっては大切な計画の筈なのに、今知り合ったばかりのカイと世界征服を秤に掛けてどうするのだろう。

「断る。生憎、お前には勿体ない人間だ」

 剣を構えるハジメが格好いい。自分もこんな風に捨て台詞を吐けたら――と思うが、笑われそうなので胸にしまっておいた。

 アディーフの表情が変わる。

 カイの時は本気を出していなかったようで、まだ穏やかな表情だったが、今は激しい憎悪に満ちたような顔をしているのだ。

「……手加減はしませんよ」

 まだ戦闘開始の暗黙の合図も出されないまま、キラの矢がアディーフの頬を掠り、向こうの壁に突き刺さる。

 アディーフは頬からゆっくりと流れる血を手の甲で拭って払い捨て、引いていた剣を再び握り締める。

「なかなかいい弓術士じゃないか」

 それくらいでは効かない、といった様子だ。

「僕の弓が、外れた……?」

 弓を構えたまま呆然とキラは立ち尽くす。

 彼の矢は風の力を付加し、確実に敵にぶつける事が、今までなら出来たのだ。しかし、今回はアディーフに何らかの方法でその軌道をずらされた結果、頬を掠るだけだったのだ。

 キラは今までに、風の力を使わずとも狩りをする事が出来たし、戦闘力もユウやアマネの倍以上はあったのだ。自信がなくなった、という表情で固まったのだ。

「甘いな。俺は風の使い手だ」

 アディーフが言った瞬間、彼の姿が急に消えた。

「何だ!?」

 ハジメさえも驚くそれに、アディーフの側近はニヤリと笑った。

 何処にもアディーフの姿はない。だが、微かな風が吹く音――空気が流れる音は聞こえているのだ。

 間もなく音が止まった。

 辺りが静まり返ってアディーフの姿を目で追っていると、いつの間にかキラの後ろにいたのだ。

「キラ!」

 遅かった。

 真後ろに回られたら、いくらキラでも秒単位の迅速な行動は、よほど鍛えてでもいない限り不可能だろう。

 弓を持ったまま、彼は水色の床の上に倒れ込んだ。

「カイ。仲間を殺したくなかったら、さっさと俺のになっちゃえよ。お前の機械を使う力と、お前自身が欲しいんだよ」

 再び風の力を使ってカイの真後ろに現れたアディーフは、耳に付けたスナイダーの形見のピアスを弄り、耳元でそんな事を囁いた。

 絶対に嫌だ。でも、キラや他の仲間が殺されるのも嫌だ――心の中で迷っていると、ハジメが後ろからカイに向かって剣を振った。

「惑わされなくていい。お前は渡さん……ユウ、風の音だ」

 再び、風の音が聞こえ、ユウにキラを回復させる暇も与えないくらいだ。音が重要だから、もし回復を続けていれば、今度は他の三人が危ない。

 そうしていると、今度はもう一人の犠牲者が出る――。

「ハジメさん!」

 カイはそれに気付かず、ユウが駆け寄った時にはハジメは腹を剣で刺され、一歩も動けない状況に陥っていた。

「暫く休めば平気だ。カイ、ユウを守れよ」

 大量に出血している怪我人が、守りたい人の前だからといえ、そこまで強がる事はないのに。

 しかし、ユウに泣く暇も与えないそれは、再びカイを誘惑してくる。

「次はあの子供がいいか? それともそのペットか? 今度は殺してやってもいいんだぞ」

 必死に癒しの曲を奏でるユウだが、いつもより集中出来ていないため、キラはいつまで経っても目を覚まさないし、ハジメの傷も辛うじて出血を抑える程度だ。

 このままでは本当に負けてしまう。ユウとカイだけではどうにもなりそうにない。

 ハジメに言われたようにユウを守るか、彼らの戦いを無駄にしないために、このまま続けるか。選択肢は二つの内のたったひとつ。

 要は、逃げるか立ち向かうか、だ。

「俺は……」

 無理だ。カイ一人がアディーフと一緒にいれば、この場で仲間は誰も死なずに済む。

「カイ。一緒に戦おう。俺がどこまで助力出来るか分からないけど、諦めちゃだめだよ」

 辛そうな表情をするユウを見て、カイはやっと確信した。

 逃げようとするのなんて、最初から間違っている。選択肢はひとつじゃない。ユウを守った上で、彼らの負った傷を無駄にしなければいいのだ――。

 どうして気付かなかったのだろう。四歳も年下の子にそれを教えられて、少し恥ずかしい気さえする。

「あぁ、そうだな」

 ユウの頭を撫でると、再び聞こえた風の音に耳を澄ませる。

 癒しの音楽と同じメロディが、その風に乗って部屋の中に響いていくのが分かった。ユウが目を閉じてオカリナを吹いて集中しているのだ。これも何かの策略だろう。

 癒されるような綺麗な音色。カイが吹いても何もならないのに、ユウが吹いただけでまるで別の楽器を使って、別の音楽を奏でているようだ。

 一方で、カイは耳を頼りにするのはやめ、目を閉じ、肌でその流れを感じていた。

 一瞬だけ瞼が妙に明るくなる。

「カイ、そこだよ!」

 一筋の光に視力を一時的に失ったのか、アディーフはよろよろとユウの回りを動き、瞼を押さえて痛がっているのが分かった。

 すぐに銃を用意し、骨まで灰になるほどの最大の火力で火を付けた。

「よし……」

 これで人間を殺すのは三度目だ。仕方ないのだ。

 しかし、側近の更に強い水の力で炎は消え、戦いはまだ続くように思える。

「今日は引き分けということにしておこう」

 そう言って、側近の男はアディーフを抱えると、すぐさま床に広がったキラのマントを踏み付けて部屋の外に出て行った。

 気絶した男二人に、体力ギリギリの男二人。到底、まだ元気な男を追える面子ではない。

 仕方なくユウの隣りに座ると、彼はカイを見て笑った。

「光の力、使うと少し疲れるんだ。慣れてないし……でも、役に立てて良かった。目を開けてた時のために、その前にカイにバリア張ってたの、気付いてた?」

 にっこりと疲れた顔で笑うユウだが、そんなけなげな気遣いにも気付けない自分がどうかと思う。

「あぁ。ユウは優しいな」

 お人好し、というのかどうかは置いてだ。危機一髪の時にも仲間の事を考えてくれて、いつも自分は後回し。

 よく見ると、先ほどまではあったパプリカの姿がない。

「あれ? パプリカは?」

 カイがキョロキョロと辺りを見回すと、名前を呼ばれて反応したのか、ハジメの服の中から飛び出して歩いてきた。

「きゅう?」

 何の用だ、と見上げてくる姿は可愛いが、やはりこれもユウが事前に仕掛けたのだろうか。

「作戦立ててたから、アディーフが止まってる間にハジメさんに預かってもらったんだ。さ、二人の回復しなきゃ……」

 弱そうな細い身体を起こし、ユウはオカリナを再び奏でた。

 光の力と、《カリュダ》の力――一見別物のようだが、聖なる力には変わりない二つの力を、目の前にいる少年は同時に使えるのだ。

 改めてそれを実感した瞬間には、ハジメとキラは立ち上がっていた。

「カイ、こちらに来なさい」

 復活したキラの説教が始まろうとしているようだが、今回は完全にカイが悪い。逃げる事はせず、言われた通り彼の目の前に歩いて行った。

「今回は辛うじて助かったものの、何をされていたか分からなかったのですよ? 今後、勝手な行動は控えるように」

 案の定、頬を殴られてしまう結果になった。

「うん……ごめんな」

 まるで父親みたいだ。シアンには殴られた事は一度もなかったが、キラがそれだけ心配してくれていたのだろう。

「キラ。奴はカイを狙っているようだが、それについてはどう思う?」

 説教の類はしない、不器用な方の男がユウと共に歩いて来て、キラにその旨を告げた。

 アディーフはカイの機械的なアスカの技術と、理由は分からないがカイ自身を欲しがっているようだ。逃すと言ったくらいだから、よほど何かあるのだろう。

「カイはアスカ人ですから、機械が扱える筈。だとしたら、その技術が欲しいのでは?」

 頭の回転はやはり彼が一番早いようだ。カイに囁かれた言葉は周りには聞こえていないだろうから、そう考えるのがごく自然だろう。

「アディーフは何度かカイに話し掛けてたよね。カイの技術よりカイ自身が欲しいんじゃないかな。だって、技術なら他のアスカ人でもいいだろ?」

 鋭いのか鈍いのか分からないユウは、ハジメに助けられながらゆっくりと歩いて来た。

 魔物との戦闘でも光の力は使うユウだが、今回のはそのエネルギーがいつもの倍以上だった。正直、彼があそこまでの力を使えるとは思っていなかったのだ。

「そうなのか?」

 なるべくなら言いたくはないが、ハジメの目は誤魔化せない。

「……まぁな。言いたくねぇけど、永遠に可愛がってやる、とか……あー、思い出しただけでも気持ち悪い!」

 好きな女の子には振り向いてもらえないのに、と無性に気分が悪くなる。男にあんな事言われても、ちっとも嬉しくないのだ。

 それを聞いたキラやハジメは少し沈黙し、

「……大胆ですね」

「あぁ、そうだな」

 そんな事をブツブツと言っていた。

 思えば、彼らが好きなのはとある兄と弟で、未だに何も進展のない状況なのだ。

「お前らも見習った方がいいかもな」

 直接言わなければ、あの鈍感天然兄弟が気付く筈がないのだ。兄の方はともかく、弟は真性の天然である。

 人事のように笑うが、カイも二人と同じような状況なのだが――。

 虚しくなった三人は肩を落とし、同時に溜め息を吐いた。

「カイ。ハジメさんやキラ先生にはその必要ないよ。言わなくてもモテモテじゃん」

 ユウは分かっていない。支えてくれている人物が、自分の事をどういう目で見ているのか、このままでは一生分からないだろう。

 ハジメもハジメだ。さっさと言ってしまえばいいのに、言わないからユウが気付かないし、純粋だから他の男の事を平気で「好き」だと言うのだ。

 カイはソラに、キラはアマネに何度も言ったが、言ったところで伝わる相手とそうでない相手と、二通りあるのは承知だが――。

「みんな、何で落ち込んでるんだ? は、ハジメさん? 俺、まずいこと言ったかな……」

 一見可愛い顔をしているのに、何気なく、それも褒めるつもりで言った言葉が、ハジメを放心状態にさせるのは日常茶飯事だ。

「……とにかく、アマネやソラが待っています。早く戻りましょう。ハジメさん、いつまでそうしているつもりですか?」

「そうだな。すまない」

 建物の中で他に捕まっていた者はアマネやソラ達に任せたようで、カイを含めた四人は急いで外に出る事になる。

 外には収容されていたらしき人物が十数人と、陛下とその護衛役を連れた、アマネとソラの姿があった。


 ユウ達が戻った頃には、ソラが何者かに絡まれていた。

 絡んでいる人物は、深紅の短い髪をしていて、髪と同色の目をした人物である。

「ねぇ、名前なんて言うのさ? 僕さぁ、気に入っちゃったんだにゃ」

 ナリュエ族だ。男か女かは分からないが、口調からして男の子のようにも思える。

 前のシオンというナリュエ族といい、彼らも同じような模様が入った制服を着ている。ナリュエ族側にも軍隊のようなものがあるのだろうか。

 そうしていると、真っ先にカイがソラに駆け寄った。

「ソラ!」

 アマネやメイジェスがいないのが幸いした。しかし、彼らは何処に行ったのだろう。

「にゅーん。ソラって言うんだにゃ。可愛い名前。……で、コイツらは何?」

 カイより背の低いのを見ると、まだ少年だろうか。ソラに抱き付いて離れない彼は、独特な喋り方で口説いているように見える。

 見た目は女の子のような可愛い男の子だが、ユウ達を見て瞳を猫のように大きくした。

「きゅううっ……」

 その様子に、パプリカが腕の中で弱々しい声を出して怯む。鳥にとって、やはり猫は天敵なのだろうか。

「レイル族が二人って珍しいにゃ。まさかの任務完了かにゃ?」

 今は戦えない。だが、こうなった以上、戦えずにはいられないかも知れない――。

 目を光らせる少年が怖くなり、ハジメの背後に隠れた。

「にゃーんだ。アマネってのに似てるケド、ビミョーに違うんだよにゃ。レイル族って皆小さいから間違えるんだよにゃぁ」

「貴女、アマネっていう人を探してるの?」

「そうだにゃ。僕はナリュエ族のルミィ・オンリエ。そこのレイル族、アマネって奴を知らにゃい?」

 ルミィと名乗った少年――いや、名前からして少女だ。彼女はカイを相手にもせず、早速レイル族の二人に問い掛けた。

 表情に出してしまえば負けだ――。

「アマネ? 知りませんよ。僕達は旅の途中、偶然ここを歩いていただけですから」

 キラがそう答えると、ルミィがソラから離れ、じっくりとユウの方に歩み寄って来た。

 いや、彼女が目指したのはユウの方ではないようだ。ユウを支えてくれている、ハジメの方だ。

「よ、久し振り。アンタ、何でレイル族と旅してんのサ?」

 思えば、ハジメは過去にナリュエ族のスパイをしていたと聞く。ナリュエ族と同じ紅い瞳だから、スパイをしても気付かれなかったのだろう。

 だが、現状は危ない。もしスパイがバレたら、それこそ戦争が始まってしまうかも知れないのだ。

「ニュードイルに行きたいらしいので、連れて行ってアマネの事を聞こうと思ってな。お前こそ何をしている?」

「僕? 僕はただ、暇だから可愛い女の子見付けて遊んでただけだにょ。あ、これはソロモン様にはナイショにぇ!」

 ルクリア人は変わった人が多いな、とユウは関心した。

 確か、アディーフも同性のカイが好きなようで、ルミィも男の子より女の子の方を好いているようである。アスカではそういう人は少なかったので、割りと新鮮な気持ちになる。

「そろそろ任務に戻るにょ。またね、ソラたん!」

「う、うん」

 ルミィが遊んでいたのが幸いで、ハジメに見付かったと思ったらしく、逃げるようにホアの丘の方へ歩いて行った。

 一方で、ソラは茫然としているようだ。女の子に口説かれてしまったのだから、そうなるのも無理はないだろう。

「ソラ、アマネや陛下はどうしたんだ?」

 ルミィが行ったのを確認した後、カイが慌てて言った。

「その事だけど、アマネちゃんは陛下や収容されてた人を連れて、先にレアニィシティに向かったわよ」

 レアニィシティが正確には何処かは分からないけど、とソラは言った。

 その選択肢は間違っていなかっただろう。その結果、アマネの存在がルクリアにあること、それをナリュエ族に知られなくて済んだのだ。

「レアニィシティ……ここから大陸を渡る前にある、海岸沿いの街だ。すぐに着く……ユウ、何なら背負おうか?」

「だいじょうぶ、です。ちょっと使いすぎただけだから」

 そう強がってハジメから離れて歩こうとしても、足がふらついてしまってまともに歩けないのは分かっていた。だが、これ以上迷惑は掛けられない。

 ハジメのように、闇の力を何度使っても倒れない身体になりたい。もっと鍛えないと、アマネ一人も守れやしないのに。

 パプリカを抱いてその場で蹲った時、瞬時に身体が軽くなった。

「……俺達もレアニィシティに向かおう」

 表情ひとつ変えないで、ハジメが抱えてくれている。

 いわゆる『お姫様抱っこ』というものだろうか。恥ずかしい気持ちよりも先に、安心して意識が遠くなっていく。

「ありがとう、ハジメさん……」

「姉さんが同じ光の力の持ち主だった――だから倒れやすいのは分かる。気にしなくていい」

 そう言えば、アスナの事をまだハジメに話していないな、と思い出した。

 パプリカが腕から離れ、ハジメの肩まで小さな足で上って行ったのを確認するかしないかの境目で、意識がなくなっていくのが分かる。

 目を覚ますまで、彼に甘える事を許してもらえるだろうか。

 その代わりにはしたくないが、アスナの事を彼に話したいのだ。


 その日はレアニィシティで一夜を過ごす事になった。

 軍の大半がアディーフ派であるものの、民衆の大半はメイジェス派のようで、宿泊代は無料にしてもらう事が出来たのだ。

 レアニィシティはアヴェニ国の中のひとつの都市で、やはり相当賑わっているのだが、メイジェスが訪れるまでステンの内乱は分からなかったようだ。逃げたと思われるステンの住民は、大陸を渡った街に逃げたのだと予想される。

 アディーフに捕まっていた人々は幸いにも働かされていただけなので、何らかの実験に使われる事はなかったようだ。

「そう言えば、メイジェス陛下は何故、ハジメさんをスパイに送ったのですか?」

 宿は五人用の男性部屋と四人用の女性部屋に分かれたのだが、その中で思い出したようにキラが言っていた。

 それが気になるのは、平和的解決を求めるメイジェスが、わざわざスパイとしてナリュエ族の国の方に送った理由が曖昧だったからだ。

「二十年くらい前、ニュードイルの王族がいなくなり、暫くは原因が分からなかったままだったんだが、偶然にもその十年後くらいにナリュエ族がアスカに行くのを見つけてな。それで再調査したら、当時のニュードイル城にナリュエ族の象徴の指輪が落ちてたんだ」

 だとすると、そもそもスパイの理由は――。

「レイル王族のため、だったのですね」

「そういう事。それから更に五年後にハジメを送ってから、色々分かったんだ。ナリュエ族の奴等が、《カリュダ》って力で神と交わろうとしてる事がな」

 サラがナリュエ族に襲われ、キラの父親と共にアスカに来たのが約二十年前だとすると、それから十七年以内にはサラは父親のユウマと結婚していることになる。

 すると、サラが殺されたのがそれから約十年後の事だから、間違いないのだ。サラとユウマはナリュエ族の少年に殺された。

 五年前にハジメがスパイとしてナリュエ族の国に渡ったのも、それを聞いて解決出来た。

「ハジメさん、どこに行くんですか?」

 キラやメイジェスやカイが酒を飲んで雑談している中、ハジメが一人で外に出たので、パプリカを置いて追い掛けて息を切らしながら言う。アマネはベッドが足りないため、女性部屋で寝る事になったので、今夜の男性陣は騒ぐようだ。

 ユウは酒に弱いので飲まなかったが、ハジメはどうしてだろう。

 振り返った彼は、優しい微笑みを見せてくれた。

「どうした?」

 それはユウが訊きたい事だ。

「ハジメさんこそ、いつもならキラ先生達と酒盛りするのに……今日はどうしたんですか?」

 そう言うと、腕を引かれ、近くにあった木製のベンチに座らされた。何があるのだろう。

「今日は星を観に来た。たまにぼんやりと星を観るの、好きなんだ」

 ユウの隣りに座ったハジメは、そう言って嬉しそうに顔を上げ、空を仰いだ。

 ルクリアの星はアスカの星よりもずっと綺麗で、よく見える。遠くの星がはっきりと、まるで川のように見えるくらいだ。

 文明の発達したアスカでは、たとえ田舎でも見る事の出来なかった星が、ここでははっきりとよく見える。空気が澄んでいる証拠なのだ。

「そうだ。ハジメさんに言わなきゃいけないことがあります」

 ここまで運んで来てくれた事、ちゃんとお礼しなければ――。

「迷惑掛けちゃって……でも、嬉しかったです。ありがとうございました」

「それはもういいと言った。お前が無事ならいいんだ」

 何だろう。一瞬だけ、胸に妙な痛みが走った。

 今までにはなかったのに、何をしたのだろう。

 そうだ。アスナの事を言わないと。それを忘れていたから、きっと胸が痛くなっただけなのだ。

「あ、あと、ハジメさんがいないときだったけど、アスナさんとも話ができました」

 ハジメは喜んでくれるだろうか。アスナは亡くなってしまったけれど、魂はまだこの世に残っていて、彼や恋人であるメイジェスを見守ってくれている。

「姉さんが? 何と言っていた? でも、何故だ――」

 姉さんは死んだ筈だ、とハジメは言った。

「魂は残ってるのかな。よく分かりませんけど、俺の身体を借りて、落ち込んでた陛下と話がしたいって。陛下と話してたときの記憶はないですけどね」

「……他に、何か言っていなかったか?」

「他にですか? えっと……」

 確か、あの声の主がアスナだと知った時、衝動的にユウは身体を奪われると思って必死に彼女を否定した覚えがある。その後、アスナが何か言った気がする。

 確か――。

「『ハジメはあなたが大切だから、あなたを見捨てることはない』って、そんな風に俺にハジメさんのことを言ってました。後は身体を貸して、覚えてません」

 よく思い出して考えると、ハジメはユウが本当に大切で、姉の蘇生よりもユウを優先してくれるのだろうか。その辺りは少し不安である。

 だって、ハジメがユウを気遣ってくれるのは、アスナの面影があるからこそなのだ。

「……姉さんはよく分かっているな。アマネが力を持っていないのが知られると、次はお前が狙われるだろう」

 分かっている。アマネがさらわれるのも嫌だが、ナリュエ族に真実を教えてしまえば、それこそ彼らの思う壺なのだ。

「守られてばっかり、ですよね。ハジメさんみたいに、もっと強くなりたいです。今日くらいの強い光の力を使って、みんなの役に立ちたいです」

 言っても仕方ないのに、ユウは弱気になってしまう。自分を守れなければ、アマネを守る事だって出来ないのだ。

「訓練するか? 闇か光の力は使いこなせば莫大な威力を持つ。訓練すれば、使いこなす事など容易いぞ」

 立ち上がり、剣を出してハジメは言った。

「は、はい! やらせてください!」

 瞬時にオカリナをポシェットから取り出し、ユウは特訓してもらう事を望む。

 自分を守るため、アマネを守るために強くなりたい――だからこそ、憧れる人に教えてもらおうと思ったのだ。


 翌日には、レアニィシティの住民からの助けにより、海を渡ってスタイト大陸を渡る事が出来た。何人かの人物が渡った形跡も見られるところから、ステン内乱の生き残りがスタイト大陸に流れているのが分かる。

 一方で、初めて乗る船にユウは感動していた。

 最年少だから仕方ない、と周りは言ったが、そこでわざわざ子供扱いをしなくていいのに。きっと、アマネが感情を失っていなければ、ユウと一緒になってはしゃいでいた筈なのだ。

 珍しい景色に興奮するパプリカをしっかりと抱え、海の上を飛ぶ鳥を見ていた。

 この船に乗ったはいいが、スタイト大陸へは三日は掛かるようだ。そんなに離れていない島であり、魔術を応用した木製の船なので、アスカの船とスピードは変わらないようだとカイは言う。

「ふぅ。気持ちいいね」

「きゅきゅう!」

 仲間の鳥たちが飛んでいるのを羨ましそうに見つめるパプリカ。まだ子供のファウである彼が飛べるようになるのは、生まれてから二年くらい経った、羽が発達する時期だ。普通の鳥と比べて少し遅いが、推定二歳のパプリカはあと少しで飛べるようになるだろう。

 しかし、気持ちのいい景色の中でも、船酔いする人物はいるようだ。

「おえ……気持ち悪ィ……」

 カイは船の隅で頭を抱え、気持ち悪そうに蹲っている。これだけはユウの《カリュダ》でも治せないのだ。

 しかし、その周りを同時に取り囲むのも、またソラとアンジュだった。

「あら、ソラさん。カイさんの介抱ですか?」

「そ、そうです、けど……」

「そうですよね。ソラさんはカイさんの親友だから、当然ですもんね」

 丁寧な言い方で、且つ胸にグサリとくる言い方。ソラが一番気にしているのは、カイとそれ以上に進展出来ない事なのだ。

「そ、そうですね。私はただの親友、です……」

 だが、その恋に対して半分諦めてしまっているソラは、いつもアンジュとの争奪戦に負け、しゅんとなって引き下がるのだ。

 このままでは勘違いしたままのアンジュにも悪いし、彼女にカイとソラが両思いだという事を告げたいが、怖くて口出し出来ないのが現状である。

「大変ですねぇ、ソラさんも」

 偶然、その様子を見に来たディーブルが彼女らを見て呟き、ユウに同意を求める。

「そうですね。アンジュさん、いつもあんな感じですか?」

 アンジュの事は、恐らくディーブルが一番詳しいだろう。聞いたところ、彼女らは階級も近いようで、共に陛下の護衛役を自ら買って出るくらいだからだ。

「あ、ユウ様は王族なんですから、私には敬語はいりませんよ。……でもまぁ、そんな感じです。悪い人じゃないけど、家族も弟だけだから寂しいみたいです」

 ディーブルはまともな喋り方で微笑んだ。

 果たしてそうなのだろうか。ユウは兄と二人きりだったが、兄が大好きだったので、恋愛で埋めようという考えには至らなかったのだ。

「そっか。どっちにしろ、俺には口出しする権利はないみたいだね」

 言われた通りに対等な口調で話すが、どうも年上相手にこれはやりにくい。カイやソラは親しみやすい性格だったから良かったのだが、ディーブルは裏表があってよく分からないのだ。

「これは少し大人の事情ですしね。と言っても、大尉はまだ二十二、私だって十七です。ユウ様だって、恋い焦がれる相手、いるんじゃないんですか?」

 何よりユウにとって、アンジュがキラよりもひとつ年上で、ディーブルがアマネと同い年なのが信じられない現実である。

「いないよ、そんなの――」

 いない。絶対、いや、たぶん――気付き掛けた気持ちはあるものの、そう言い聞かせるために口には出さず、綺麗に忘れようとした。

 ここで気持ちを誰かに言っても笑われるだけ。これはただの憧憬が強くなっただけの気持ちかも知れないし、ユウ自身もうまく説明が出来ない。

 恋愛なんて、ユウには分からない気持ちのままでいい。

「ユウ様。これだけは言っておきます。貴方を好く男はいますから、注意して下さい。特に……」

 ディーブルがそう言い掛けた時だった。

「おーい、ディーブル。見ろよ! すごい魚だぜ!」

 呑気な皇帝が大声で会話を遮り、海の中を指差して彼女を呼んだのだ。

「もぉ、陛下ったらぁ。何ですかぁ?」

 口調を変えたディーブルは、ユウに目で挨拶をした後、すぐにメイジェスの元へ半ば呆れながら向かっていた。

 間接的だとしても、アスナに出会ってからのメイジェスは、寂しさを隠すためにわざとハイテンションでいるようにも見える。本人は周りが気付いていないと思っているようだが、とっくに気付いているのだ。

「ユウ。旅立ってから、君は成長したね」

 ディーブルが行ったのを見計らってか、一人で海を眺めていたアマネが隣りにゆっくりと歩いて言った。

 しかし、それは彼にも言える事だ。今まで実の弟のユウにも無関心だったアマネだが、今はこうして話してくれる――表情だって、以前よりはずっと笑顔に近付いてきている。

「兄さんもじゃないか。前より表情も穏やかになったと思うよ」

 後ろの方で「見ろよキラ、アマネが弟に取られるぜ!」と言ったカイがお仕置きを食らったのは当然だと思うが、アマネの進歩を感じる事が出来たので、それはそれで許せるのだ。

「うん――」

 潮風に色の薄い茶髪を靡かせ、アマネは目を閉じる。

 一番目にたいせつな人。守るべき人。彼がいなければ、こんな過酷な旅に出る理由や、成長する機会などはなかった。

「ボク、何回もユウに言ったよね。ルクリアは天使様が住む場所だ、って」

「うん。確かに、何回も聞いたよ。でも、実際は――」

 天使の住む場所ではなく、魔術を盛んに行うルクリア人が住む場所なのだ。

「違うよ。後でハジメさんに訊いたらね、それは誤解だって。ただ、天使様はボクたちニュードイル王族が、神様の力を使う時に手助けをしてくれるんだって」

 天使と神、それにニュードイル王族。

 他の王族とニュードイル王族の根本的な違いは、その力を使えるか使えないかだろう。百年戦争を終わらせる事が出来たのは後者のみだからだ。

「そうなんだ。でも、何で兄さんはそんな誤解を?」

 最初から話を聞いていれば、そんな誤解はしなかったし、ましてや今までに神という単語は何度か出てきたが、天使の説明はされなかったのだ。

「ほんとはキラさんに聞く前から、ルクリアの存在は知ってたの。パパとママがいってたの、偶然聞いたから……キラさんも深くは教えてくれなかったし、ユウの誕生日までは勘違いしてたんだよ」

 十七歳にしては幼さが残る口調で、ゆっくりとアマネは説明した。

 ユウだって分からなかった、彼の事情だ。どうして今頃になって教えてくれたのだろうか。ユウを少しでも好きだと、感じてくれるようになっただろうか――。

「そういうことなら、納得できるかな」

 それでも昔のような無邪気な笑顔を見せなくなったアマネからは、子供らしさが欠けている。

 今でもアマネはキラが一番で、誰よりも慕う存在なのだ。

「兄さんは、やっぱりキラ先生が一番たいせつなの?」

 兄弟での共通の話題が尽きてしまい、ユウは不安を打ち明けるようにキラの話題に突入する事にした。

 アマネがどう言っても、覚悟はできているつもりだ。

「キラ先生は大好きだよ。でもね、ボクも自立しなきゃいけないと思う。いつまでも甘えちゃだめなんだけど、でも……」

 背中を向けたアマネの高い声が、風に流されるように、微かにしか聞こえなくなる。

 ――さみしかったから。

 確かにアマネはそう言った。両親を失ってから、彼は確かに一人きりだ。ユウも一応は弟だから頼る事も出来ない。

 だから、アマネはキラに依存していた。何となく、今までそうだった理由が理解出来る。

「ユウ。君にさみしい思いさせてたの、知っててキラさんと一緒にいた。でも、それも甘えだって気づいたから……ごめんね」

 アマネは泣きはしなかった。いや、泣きたくても泣けなくて、苦しんでいる様子である。ずっと感情変化を表さなかったから、泣き方も忘れてしまったのだろう。

 しかし、そんなアマネを置いて、ユウの方が泣いてしまった。

「兄さん……」

 兄がこうなってしまった今、弟がしっかりしないといけないのに。それでも泣き虫なユウは堪えられず、アマネに抱き付いた。

 少しだけ小さいアマネは、肩に顔をうずめるのにちょうどよかった。

「がんばるから。ちゃんとニュードイルの国を治めるから、ユウも一緒に暮らそう?」

「――うん。俺も、兄さんを助けるよ。守るから」

 胸の中で絡まった糸がひとつほどけた。アマネはユウもたいせつに思ってくれているという、たった少しの確信が出来たからだ。

 周り――特にカイとメイジェスがうるさいが、そんな事は気にしていられない。無性に抱き締めていたい気持ちが身体を支配している。


 数日後、九人はスタイト大陸に渡った。

 スタイト大陸は地図を見せてもらったが、ルクリアで一番小さな大陸であり、同時に旧アヴェニ国の遺跡が多い場所でもあるようだ。

 しかし、船に乗ったかそれ以降くらいから、ハジメとキラが不機嫌そうな顔をしていて、お互いに一言も口を聞いていないようだ。

 これからアディーフと戦うかも知れない状況だというのに、三大戦力の中の二人がこんな状態では話にならないのだ。

 メイジェスやカイが仲を取り持って、何度か会話させようと試みたようだが、その努力も無駄のようで結局は口論に終わってしまう。

 例えば――。

「なぁ、ハジメとキラでカイを呼んで来てくれよ。確か海眺めてる筈だから。あ、これは命令だから」

 まだ船に乗っていた一昨日の夜、ギスギスした二人とユウが部屋にいる中で、メイジェスが作戦を実行したのだった。

「いい加減にして下さい。幾ら貴方の命令でも……」

「おやおや、陛下の命令に逆らうなど、愚かな少将がいたものですねぇ。僕が一人で行きましょう」

「……いや、俺が行く」

 そんな会話を交わした後、我先にと主張するように張り合った二人は、そのままの状態で部屋を出て行った。

 喧嘩の理由は分からなかったが、ちょうどアマネと打ち明ける事が出来た夜、何らかの言い合いになったらしく、そこから口を聞かなくなったようなのだ。

「あいつらってば、くだらない事で喧嘩してるよな。最初はキラのおやつのスコーンをハジメが食べたのが原因だったんだ」

 それも大まかにメイジェスが説明してくれて、何とか事情を知る事が出来たのだ。

 まず、メイジェスとカイとハジメが同じ部屋にいて、キラが自分のティータイム用にその部屋に用意していたスコーンを、ハジメがひとつ食べてしまったらしい。それを部屋に帰って来たキラが見付けてしまったのが始まりのようだ。

「僕が苦労して作ったスコーンが……」

「あー、悪い悪い。そこにあったので、ついな」

「まぁいいでしょう。……で、どうでした?」

「粉っぽい。お前、ユウに作ってもらえ」

 と、ここまではハジメが冗談っぽく言っただけで、喧嘩の炎は火の粉さえ付いていない状態だったようだ。

「他人の物を勝手に食べておいて、煩いですね。僕はこれでもリギン村の料理大会に出場したのですよ」

「だから何だ? 失敗は失敗だ。それに、その件に関しては謝っているだろう?」

 メイジェスによると、ここで二人は沈黙して睨み合っていたらしい。

 ついでを言うと、この場面で彼はカイと顔を見合わせ、『怖い』という意思のコンタクトを取ったようだ。

「貴方は不器用過ぎるんですよ。僕やカイにはズバリと言うものの、いつまでもウジウジとしてユウ様に自分の思っている事を伝えられない、男として最低な弱虫なんですね」

「お前こそ、アマネにベタベタし過ぎだろ。その癖、他の女を誑かすし、お前に振り回されるアマネが可哀相過ぎると思わんか?」

「……あぁ、そうですね。どうやら貴方とは考え方が合わないようです」

「奇遇だな。俺もそう思った」

 大体の流れは、そんな会話で終わったのだとメイジェスは言う。当時の詳細な様子は分からないが、ハジメはどこからか何かを縛るためのロープを、キラはお仕置き用の鞭を持って睨み合っていた、と聞いた時にはさすがに引いた。

 何故か最後はアマネとユウが話題に挙げられていたようだが、それは何故だろう。あまり深く考えなかったが、どこか申し訳ない気持ちがした。

「ユウ、お前をスパイに送る。さぁ、あいつらを追跡しろ」

 メイジェスに強制的に追跡するように押され、仕方なくユウはカイを呼びに行った彼らを追う事になったのだが――。

 ドアを開けると、凄まじい音が聞こえてきた。

「な、何だ!?」

 即座にメイジェスがユウの腕を引いて走り、音の根源がある方向へと向かった。

 カイがいるのは外の甲板だから、そこに行くまでにハジメとキラが喧嘩を始めたに違いないのだ。

 駆け付けてみると、案の定二人は魔術の出し合いのような喧嘩をしていて、それが船を揺らしているようだ。その音でカイや他の人も駆け付けて来る。

「大体、お前があの時に油断していたから、アディーフにやられたんだろうが! この変態タラシ野郎!」

「貴方だってユウ様を守るのをカイに押し付けて、勝手に倒れていただけですよね、ヘタレムッツリショタコン貴族さん?」

 もはや最初の原因は関係なく、今までのお互いへの不満を引っ張っているだけの、言わば夫婦喧嘩のようだ。

 罵り合いはまだいいものの、魔術が船を揺らすのが怖いのだ。

「ど、どうしたのでしょうか……」

 船の操縦士を引き受けてくれたエインという男まで駆け付け、二人の様子を見てビクビクしてメイジェスに言った。

「お、エインか。困るだろ? あいつら、ずっと喧嘩してんだよ。俺やカイが止めても言う事聞かねぇし」

 そう言う彼も足を震わせ、全くその中に介入出来ない状況にあるようだ。カイも外野から色々と言葉を掛けているが、年下の言う事ととらえているからか、少しも耳を貸そうともしない。

 それには女性陣も恐れるだけで、やや男勝りなディーブルでも一歩引いているくらいである。

「キラ先生、ハジメさん、喧嘩はやめてください。迷惑だし、無意味です」

 メイジェスらが沈黙したと思えば、アマネが一人で前に出て、きっぱりと言ったのだった。

「アマネ……」

 声を揃えて言った後、それに自己嫌悪するようにお互いに睨み合い、そのまま近くにあった部屋へ別々に入って行った。

 それからもハジメとキラは口を聞く事をせず、食事中もギスギスした雰囲気で、周りまでそれに気を遣っている状態である。

 船から降りてエインと別れた今も、二人はお互いを無視し合っている。いい大人なのだから、いい加減やめてはくれないだろうか。

「取り敢えず、この港から南の方にダリア村という村があるから、そっちに泊まろうか。恐らくステンからの生き残りもいる筈だ」

 メイジェスの提案で、ダリア村という場所に泊まるようになった。

 リギン村よりは人口の多いその村では、メイジェスやハジメが村に訪れたのが分かった途端、大勢で九人を囲んできた。

「メイジェス陛下! 生きておられましたか!」

 軍人からの不支持で殺されかけたものの、国民からの支持は厚いようで安心できる。

「あぁ。生存者は如何ほどだ?」

「ステンからこちらに逃げて来たのが数百人ですが、トリジャに逃げた者もいます。それより、アディーフは旧アヴェニ城で新生アヴェニ国を創るつもりです!」

「何だと……?」

 ステンにいた国民が残ってくれていた喜びは僅かで、やはりアディーフはあの側近に連れられてこちらに来たのだろうか。

 だが、海を渡っているなら、何処かではち合わせてもおかしくないのだが――。

「アディーフ達はアスカの機械で、海どころか空を渡って来ています。陛下は死んだ、と言い張っていましたが……」

 『アスカで造られる空が飛べる機械』と言えば、イエルドという飛行機能の付いた乗り物が唯一該当する。だが、イエルドはアスカにはあまり必要がないのと、莫大な費用が掛かるために大量生産はされていないと聞く。

「そうよね。外に出た筈なのに、私と会わなかったし。空から行ったんなら、恐らくイエルドね。大きい音を立てない最新の飛行機だし、あの時はルミィさんがいたからなぁ……」

 それでソラとアディーフ達が会わず、更にルミィに絡まれていた事から、彼女がイエルドの存在に気付かなかったのも頷ける。

「ボクたちもレアニィシティに着いてたから……気付けなかったよね」

「最初はまだしも、飛んだら上空に行くから鳥と間違えるんだよな。無理もないんじゃないか?」

 それに詳しいカイがそう言うので、嘘ではないのだろう。

「ひとまず、今日はこの村でお休み下さい。船での長旅で疲れたでしょうから」

 そう言って、一人の村民がユウ達を宿まで案内してくれた。

 途中の道には田んぼや畑や家畜の小屋が所々に見え、ここはリギン村と変わらない農村だという事が分かった。近くには山があり、故郷を思い出させる場所である。

 羊達は村長に預けているが、この騒ぎが終わったらルクリアに連れて行こう。そこでまた羊達を育てて、父親の跡を継ぐのもいい。

 ユウには王位継承権はないだろうから、アマネをキラと共に助けながら、のんびりと羊飼いとして生きて行くのも良さそうだ。

 自分の将来が決まったような気がして、楽しい気持ちで歩いていた。

「楽しそうだな」

 いつもそんなユウに声を掛けてくれるのは、憧憬を抱いている人。

 彼は喧嘩している時とは別人のように、穏やかな表情を向けてくれる。

「将来を考えていたんです。これが終わったら、ルクリアで羊飼いの仕事をしようかなって」

「……そうか。その時は、俺にも手伝わせてくれるか?」

「はい! 嬉しいです!」

 これが終わったら、ハジメとは離れてしまうと思っていたのだ。

 そんな中の彼からの申し出だから、嬉しいのは当然である。

 宿はやはり男性と女性で分けられ、ここでもアマネは女部屋で寝る事になった。女性陣も彼なら問題にしないらしく、アマネ本人もそれでいいと言うのだ。

 問題は、ハジメとキラが同じ部屋になってしまった事だ。

「あ、少しこの村ぶらぶらして来ようっと」

 気まずい空気に耐え兼ねたのか、カイが部屋から出て行った。

 部屋にはハジメとキラ、それにメイジェスとユウ、ユウのペットのパプリカだけが残っている。それでも先日の件もあってか、仲良くなっていく女性陣とは裏腹に男性陣は気まずくなっていくばかりである。

 その次にメイジェスが立ち上がり、背伸びをした。


「俺、ちょっと立ち話してくるわ。ほら、ユウも来い」

 腕を引っ張られたユウは、片腕でパプリカを抱いた状態で扉の外に出される。

 何の用なんだろう。あの二人があの状況でいるなら、ユウはそこで寝てやろうとさえ思っていたのに。

 膨れていると、ドアのすぐ外でメイジェスに耳打ちされた。

「まぁ、見てろって。あいつらもう飽きてるぜ」

 そう言って、微かな音も立てずに扉を少し開け、中の様子を窺っている。ユウも同じようにメイジェスの下側に潜り込み、閉じ込められた二人の様子を眺めた。

 最初は一瞬も目を合わせないものの、暫くすると何度かチラチラとお互いの事を意識するように視線を送っている。

 その動作を何度も繰り返してばかりだが、早く仲直りして欲しいのが本望だ。彼らの息が合わなければ勝つ事は出来ないだろうし、こちらとしても気を遣ってしまう。

 何時間経っただろうか。カイも帰って来て、一緒に覗くようになった。そろそろパプリカも、おとなしくしているのに耐えられなくなるのではないだろうか。

 そう不安を抱えていると、いつもは寡黙なハジメが口を開いた。

「なぁキラ」

 喧嘩をしていた時はカイの過去の言葉を引用して『変態タラシ野郎』と呼んでいたのに対し、今はちゃんと本名で呼んでいる。

「何ですか、ハジメさん」

 それに対して、キラも『ヘタレムッツリショタコン貴族』とネーミングセンスのない呼び方で呼んでいたのが、やはり元の呼び方に戻っているのが分かった。

 ユウ達は食い入るようにそれを見つめる。

「そろそろ飽きたんだが」

「奇遇ですね。僕もです」

 今見ている男二人は、本当に大人なのだろうか。いつもは冷静でユウ達を引っ張ってくれる存在だったが、こんな時には子供っぽくなる。

「…………」

 暫く沈黙したかと思うと、

「大人気なかったですね。ごめんなさい」

「俺も年上なのに、ムキになってすまなかったな」

 やっと仲直りしたか、と思った瞬間だった。

「カイ、陛下、それにユウ様。そこにいるのは分かっていますよ。どうやらお仕置きされたいようですねぇ」

「そのようだな」

 仲が良くなった途端、サディスティック二人組はこれだから困る。しかも例の戦闘時以外の武器をちゃっかりと装備してだ。

 ハジメなんて、今まででお仕置きの素振りは見せなかったのに、感染してしまったのだろうか。

「ま、待てよ。あいつら主人には手を出せないだろ? だとしたら……」

 カイは慌てたらしく、その先を言う前に自らの力で扉を押し、全開にしてしまった。

 カイが危ない。ハジメはともかく、鬱憤が溜まっているキラはお仕置きのレベルが半端ではなさそうだ。

「ま、まぁ、二人共、俺が言い出したことだから、処罰なら俺にどうぞ」

 ハジメとは主従関係ではないので分からないが、キラなら恐らく許してくれるだろう。どちらにしろ、怖い方を避けられるのならそれに越した事はない。

「ユウ様に手は出しませんよ。ね、ハジメさん」

「あ、当たり前だ。子供に手を出してどうする」

 渋々と道具をしまい、それで何とか一件落着したようだ。子供扱いはいただけないが、それでもお仕置きを食らうよりはマシだ。

 しかし、ハジメはあんな人だっただろうか。

 その日は二人組が妙に仲が良く、またも違う風にメイジェスとカイは振り回されていた。


「お前ら、死ぬなよ」

 ダリア村から旧アヴェニ城へ向かうため、メイジェスと守護役の二人は村に残し、ユウ達六人でアディーフへ挑む事が決定された。

「死にませんよ」

 ハジメがそう言って踵を返すのと同時に、ユウ達も旧アヴェニ城や軍養成所がある、ダリア村から更に南東へと歩き出した。今日の夜には到着する予定のようだ。

 ハジメとキラも仲直りが出来たので、やっとこのチームのベストコンディションで挑めるのだ。

 歩いていると、頭に掴まっていたパプリカが騒ぎ出した。

「きゅうう! きゅきゅきゅ!」

 頭から肩を通り越し、ユウの前に着地したパプリカは遥か上空を仰いで嘴を開閉させている。

「ん? 鳥だね。仲間に反応してるのかな?」

 一羽の大きな鳥が空を舞い、ユウ達が向かっている方角の空へと消え去った。きっとそれを見て興奮したのだろう。

 抱きかかえようと腰を降ろすと、パプリカはユウが肩から掛けているポシェットの中を探り始めた。

「な、何するの?」

 中には大切なオカリナや道具が入っているから、嘴で突かれて傷でも付けられたら大変だ。

 慌ててパプリカの小さな身体を持ち上げると、嘴に水色の物体を咥えていた。

「あっ……」

 ここ数日間、返すのを忘れていたパジフィック三号機だ。

「あ。そう言えば、それってカイのよね?」

 カイがパジフィックを落としたのはいつだったのかと言うと、アディーフとの戦闘前だったと答えられる。

 拾って持ち主に会った後はすぐに戦闘で、それから色々あって思い出せずにいたのだ。

「失くしたかなって諦めてたけど、あったんだな。サンキュー」

「ごめんね、渡すの忘れてて……」

「いいんだよ。ま、あったら便利だけどな。こいつには盗撮機能付きの発信機があるんだ!」

 カイにパジフィックを渡すと、サソリの尻尾の先端を取り外して見せてきた。

 水色の小さな玉になっているそれには、クリップが付いており、誰かに付ける仕組みになっている。太陽に反射した小さなレンズも見えた。

 抱き上げたパプリカが光るそれを欲しそうに眺めていたが、彼に渡したらとんでもない事になりそうなので、暴れるパプリカを懸命に抱き留める。

「カイは何を盗撮するの?」

 発信機は便利だからいい。しかし、盗撮は悪い事なのではないだろうか。

 もしかしたら、カイには不純な動機があるのかも知れない――。

「な、何にもしねぇよ。ただ、便利かと思ってさ。ほら、この小さいのが映したのが、パジフィックの腹の画面に映るんだ。ま、ルクリア用じゃねぇから、発信機は使えねぇけどな」

「おやおや、誤魔化しましたね。本当ならソ……」

「だぁぁ! 言うんじゃねぇよ!」

 また始まった、と呆れながらカイとキラの会話を聞いていた。

 キラの方が落ち着いて見えるが、年齢はたった二歳しか違わないのだ。話が合って、からかい合えるのも当然なのだ。

 ユウもいつか、もう少し大人になったら、彼らのように個性的になるのだろうか。

「カイったら楽しそうねぇ。男の子ってよく分からないんだけど、ユウちゃんも機械とか好きなの?」

 自分が盗撮の対象にされているかも知れない事も知らず、ソラは微笑ましそうにカイとキラを眺めて言った。

 彼女には男兄弟がいないし、城での生活で少し世間知らずな所もあるようだ。特に異性の情報は、カイやタク以外からは入手出来なかったのだろう。

「ううん。俺は田舎生まれだから、機械は使えないんだ。キラ先生も知識はあるけど機械は使えないし、機械も使えて魔術もできるカイはすごいと思うよ」

 本心からそう思う。それ以外にも、カイは辛い事があっても前向きにユウ達に接してくれる。何よりいいムードメーカーだ。

 カイの弟分になれて、本当に良かったと思えるのだ。

「カイはすごいよね。私にはないところ、たくさん持ってる……そういう人には憧れちゃうよ」

 ソラは独り言のように、キラと戯れるカイの後ろ姿を見つめて呟いた。

 自分の持ってないものを持っている人には、必然的に憧れを抱くものだろうか。しかし、ソラの抱く憧れは恋愛感情でもある。

 だとしたら、ユウがハジメに抱く気持ちも、それと同じだと言えるだろうか。

 確信したくない。今の関係を崩したくない。出来れば永遠に、気付かないふりをしなければ。

 これ以上、ハジメと接触しない方がいいのかも知れない。冷却期間があれば、思春期の一瞬の感情だと解釈できる――。


 考え込んでパプリカを見つめて歩いていた。既に辺りは暗くなっている。

 ぼんやりと雲に隠れている月が見え、ようやく夜だと認識する。灯という灯は月と星の光だけで、それを頼りに歩くのも限界に近い。

 そろそろ野営になるのか、と思った矢先、何かが爆発する音が南東の方角から聞こえてきた。

 あの方向には、確か――。

「今の爆発音、何だ!?」

「オルデギアからだ」

「何だよそれ」

「旧アヴェニ城と軍養成所は、同時に旧首都のオルデギアにある。とにかく、行ってみるぞ」

 ハジメが向かった方向に、はぐれないように付いて行った。

 オルデギアという場所に旧アヴェニ城と軍養成所があるなら、アディーフがそこに新生アヴェニ国を創ろうとしているのも分かる。

 暗闇に目が慣れてきた頃、闇夜に聳え立つ大きな城のシルエットが、月影に照らされて浮かんで見えた。軍の施設らしき建物も見え、ここが目指していた旧アヴェニ城――オルデギアだという事を、身を持って実感したのだった。

 しかし、軍養成施設前の見張り番はおらず、それどころかオルデギア自体が閑静としている。先ほどの大きな爆発音は何だったのだろう。

 更に遠くを見ると、旧アヴェニ城だと思われる大きな城に、灯を持った兵士達が集まっているのだ。

「何かあったようだな」

「行ってみようぜ!」

 六人は走ってその城の近くまで向かった。

 城の中に入ろうと、ユウ達は急いだのだ。

 兵士達はそれを許してはくれず、何十人もが一斉に立ち向かって来るため、六人の力では耐えられるのも時間の問題だろう。

 ハジメが闇の魔術で一気に何人をも切り付けても、キラが弓で的確に的を射抜いても、カイの炎やソラの雷、アマネやユウと、全員で掛かってもきりがない。

 軍を潰すどころか、かえって仲間に怪我人を増やすだけである。

 そんな暗闇の中、一瞬だけ辺りが闇に包まれ、明るい月の光さえも届かなくなった。

 次にまばたきをした瞬間には、周りの兵士は一掃されていた。

 ハジメの闇の力だろうか。だが、こんな強大な闇の力、出せるなら早めに出している筈だ。敵だとしたらユウ達を真っ先に狙うだろう――だとしたら、相手の検討もつけられない。

「アラタ……」

 ハジメが目を見開き、ぽつりとそう呟いた。

「ハザイム。お前が憎きサノン族だったのは残念だ」

 闇を切り裂いて現れる青年は、月に照らされる緑色の髪を揺らし、前髪を掻き分けてその右目に当てられた黒い眼帯を見せつける。

 ニヤリと笑った左目は間違いなく、ハジメと同じ紅い瞳をしていた。

「ルミィがお前の後をつけて、人目がない時を見計らったら、ここに来る頃が最適だろうと思ったからな」

 ルミィ――確か、ソラに絡んでいたナリュエ族の女の子だ。

 上を向いて言ったアラタという青年の視線の先には、城の窓に足をぶらぶらさせる本人の姿がある。

「アレで僕を騙せたと思ってたにゃ? 調べさせてもらったにょ。その子がアマネで、僕達の欲しいものなんだにぇん」

 猫のような砕けた喋り方とは裏腹に、ルミィの目はひとつも笑ってはいなかった。

 アマネを守らないと。あの夜からハジメと特訓はしているから、前よりはまだマシになっている筈だ。

 ユウは身構えたが、彼らはアマネしか見ていない。


 アマネの方に寄り、連れ去られないように抱き締める。ユウの力は微力かも知れないが、死んでも守らなければならない存在だ。

 レイル族のためにも、アマネのためにも。

「ユウ、だいじょうぶだよ。ボクが行っても、何もならない。世界は変わらないよ」

 そう小声で言ったアマネの表情は恐怖で怯えていて、瞳に光を宿していない。いつもより感情がむき出しだが、逆に彼を動揺させているだけなのだ。

 《カリュダ》を持ってない事が知られると、殺されてしまうかも知れないのだ。彼だって、それくらいは考えているだろう。

 強がらなくても、アマネは守るから。そう言いたくても言えない自分が悔しかった。

「アマネ、俺達に協力するなら、仲間は生かしておいてやる」

 アラタがアマネとユウに近寄って来た、その時だった。

「カイ……」

 何処からか聞いた覚えのある声が、城の中から聞こえてきた。

「あらら、まだ生きてたんだにゃ。殺したつもりだったにょに」

 呆れたようにルミィが言った。

 カイの名前を呼んだのは、傷だらけのアディーフ――もうひとつの勢力の敵である。

「聞いてくれ……こいつらは、ルクリアをナリュエ族だけの国にしようとしているんだ」

「……レン、お前はどう思う? お前も同じ事、企んでた。間違った事してたって、分かるか?」

「今なら、な。だが、後悔しても、遅いのは分かる」

 ふらふらの彼を真っ先に支えに行ったのはカイで、二人はそんな会話を交わしていた。本来なら許してはならない相手なのだ。

 カイに支えられたアディーフは、手の中で何かをカチカチと鳴らした後、急に手を止めて呟いた。

「どうやったらカイが喜んでくれるのか、お前の為に出来る事も分かった。今は――」

 もう一度、今度はすごく近くで爆発音が響いた。耳に残るそれは、アディーフの仕業なのだろうか。

 爆発音は下の方から聞こえ、更に地震が起こったように地面が僅かに揺れる。ここは地上だから、地下が爆破されたのだろう。

 今の爆発で、ナリュエ族側もさすがに焦ったようだ。

「ルミィ! 地下にはイツキがいた筈だ……!」

「で、でも、僕達が逃げなきゃ、また任務失敗だにょ! イツキには悪いけど、早くしないと!」

「くそっ!」

 彼らの会話からして、地下にいたナリュエ族の仲間が爆発に巻き込まれたようである。あんな音を立てた爆発なら、死んでしまうのも無理はない。

 アラタの方はその地下にいた仲間を大切に思っているのか、悔しそうな顔を見せ、その場でうなだれている。

「同志が死んで気付いた今、最後の力でお前らを助けてやる――」

 カイから離れ、自らの足で再び立ち上がったアディーフは、剣を構えて前にゆっくりと歩いて行く。

 彼は何故、カイをそこまで大切にしているのだろう。数日前に少し会っただけなのだ。普通はここまで執着出来る訳がない。

 剣を持ってアラタに切り掛かって行った。

 瞬時に闇の鎖のようなものがアディーフを包み、苦しむ声と共にアラタが嘲笑する。

「イツキを殺した分、苦しんで死ね。ソロモン様に認められた闇の力、せいぜい味わうがいい」

 アラタの闇の力は、ハジメのそれよりも強大である。

 目の前で苦しむアディーフを見て、それが目に焼き付けられた。アマネに見せないようにその目を覆うが、ユウもそれを見るのに耐えられなくなった。

 闇の魔術は他の魔術で中和することは出来ず、カイも手に負えない状態で、ひたすらその光景を見ているしか出来なかった。

 だが、ユウは光と闇が打ち消し合う事を知っていた。それはハジメとの特訓で、彼の強力な闇を微弱な光が弾いたからだ。

 ユウが光のスロナを当てれば、彼は助かるだろうか。アマネを抱き締めたままオカリナを出し、術に集中する。

「ユウ、何をしている? お前はまだ……」

 ハジメが止めようとするが、既に遅かった。

 ユウの強くなった力が、辺りの暗闇を明るい光に変え、アディーフを包む闇の力もそれによって中和される。体力の限界を感じて術を止めようとするが、光の力は弱まる事を知らず、ひたすら闇夜を照らしていた。

 瞼の裏からでも分かるような、強く温い光。誰もが反射的に目を閉じるだろう。

 術が終わった頃には、ユウの膝は自然に地に着いていた。

「光の力を持ったガキがいたとは、予想外だったな」

 一歩、また一歩と踏み締め、アラタが近付いてくる。

 ハジメやキラ、カイやソラにも戦う気力が残っていないのは、回復役のユウがよく知っている事だ。

「ユウは優しい子。……君みたいな弟を持てて、ほんとによかった」

 脚が震えて動けないユウに、そっとしゃがみ込んでアマネは言った。彼が何を思ってそう言ったのか、何を考えているのかが分かる。

 行かないで。アマネは悪くない。頭の中で言葉は浮かんでくるが、声が出せるほどの気力は残っていなかった。

 アマネが立ち上がる。勇ましい――その小さな少年を見て印象づけられた。

「ボクが行けば、みんなを助けてくれる……?」

 アラタとの交渉なんてしなくていい。ナリュエ族が信じられるかどうかも分からないのに。

 城の中から大型の鳥が飛んで来たかと思えば、アラタとアマネ、それにユウがいる場所へと近付いて来る。

 もう、殆どが立って戦える状態ではない時、キラがアラタの肩を狙い、矢が貫いた。

「アマネは……僕が守ります」

「面白い奴だ」

 鋭い氷の矢も、十分にスロナを構成出来ていない状態であり、貫いた後は雫となって消えていく。

 間もなく、鳥の形をした物体が降りてきた。それは間違なく小型のイエルドで、アディーフ達が使っていたものだと予測できる。

 アラタは肩からの流血を気にも掛けず、アマネの腕を引いてそのイエルドに乗った。中にはルミィがいて、操縦席でポニーテールの女性が運転している。

 手を伸ばしてアマネを引き戻そうとしても、もう這ってしか進む事の出来ないユウは、薄い意識の中で彼を見失った。

 最後に振り向いたアマネの瞳からは、寂しさが消える事なく映し出されている。

「ジュン。シオンはどうした?」

「いない。恐らく、イツキと一緒に爆発に巻き込まれたのだろう」

「……そうか」

 ちらりと振り向いたアラタは、再びユウ達に向けて手を翳した。

「あー、アラタったら、ソラたんには手加減してにょ!」

「女は知らん。俺が殺したいのはハザイムとあのガキ、それにオッドアイのレイル族だけだ」

 強い闇のスロナに覆われる。月の光も届かない、真っ暗な闇だ。息が出来ないくらいに苦しく、ここで死ぬのかとさえ感じた。

 たいせつな人を守りきれなかった。ユウがあの場面で光の魔術を発動していなければ、時間稼ぎも出来てアラタは倒せたかも知れないのに。

 薄れる意識の彼方、ナリュエ族とアマネを乗せたイエルドは、北東の方角に消えて行った。


 もう終わりだ。旅も何もかも、ユウには何も残らなかった。アマネを守れなかった罰を背負って、この闇の中で消えればいい――。

 全てを諦めて、眠りに就こうと思っていた。身体が軽いから、既に死んでしまったのだろうか。

「ここで死ぬんじゃねぇよ。仲間もアマネも無事だから、安心しな」

 一筋の光が見える。天国は実在する?

 ――いや、前に一度だけ、聞いた事のある声だ。

 虚ろだった目を覚ますと、紫色の髪をした少年の腕の中にいた。

「だ……れ?」

 やっと声を出せたが、身体がうまく動かない。軽いのは抱いてもらっているからなのだ。

「俺はシオン・イノセント。俺のユウちゃんを助けに来た」

 シオン――そうだ。彼とは以前トリジャで出会っていて、初対面でユウの「恋人」だと宣言し、頬にキスをして去ったナリュエ族の少年だ。

 ナリュエ族の彼がユウを助けるのは何故だろう――。

 周りにはアマネ以外の仲間がいて、全員無事であるようだ。

 ハジメとソラは守れなかったと途方に暮れるキラを慰め、そのすぐ隣りでカイが死にかけて消えそうなアディーフと何かを話している。

「レン、お前は変な奴だよ。何で数日前に会ったばかりの俺を守ろうとした?」

 カイはあんな事をしたアディーフにも、死ぬ間際になると優しかった。

「十数年ほど、前だったか……将軍になってなかった俺は、アスカで一人の女を見付けた。名前はサナウミルド・メリア……」

 細い息の中、消える身体で、アディーフはカイを求めているようだ。

「母さんか? 母さんに会ったんだな?」

「そうだ。彼女と俺は恋に落ちた……ウミは美しかったな……だが、俺と一緒になれなかったから、お前を残して自害した」

「母さんは、親父に捨てられたんじゃなかったのか?」

「それは少し違うな……だが、お前はシアンには似ず、初恋の相手と瓜二つだ。だから、愛しているんだ」

 結局、アディーフのカイへの思いが、親子愛なのか恋愛感情なのかは分からないまま、それだけ言い残して消えてしまった。

「あいつ、カイってのに流れてきた闇を庇ったんだ。かなり好きだったみたいだな。助けた時も、カイの名前をずっと呼んでいた」

 だが、シオンの言葉で改めて確信する。アディーフのカイへの気持ちは、やはり恋愛感情に近いものなのだと。

 涙ぐむカイに、今度はソラが優しく肩を抱きにいく。

「シオン、そろそろ教えてよ。どうして俺のこと、恋人だなんて言ったの?」

 今までにまともに話した事もなければ、見掛けた事すらない人物に、どうして――。

「俺がユウちゃんを愛してるから。あの時の事、本当に覚えてねぇの? 君を幸せにしたいって言っただろ」

 誰よりも優しい目でユウを見ていてくれるシオンだが、本当に記憶がない。もし本当に、昔に将来を誓い合った仲ならば、それを思い出さなければ失礼だろう。

 しかし、思い出しても思い出しても、蘇る記憶は平凡な日常だけだ。毎朝学校に行くか、遊びに行くか、それか自主的に両親の手伝いをしていたか――ユウの記憶は限られている。

「ごめんね。ホントに思い出せないんだ……シオン、許してくれるかな?」

 それに、今はうまく頭が回転してくれない。

「仕方ねぇなぁ、ユウちゃんは」

 そのためか、唇を奪われるとは、微塵も思ってはいなかった。

「その代わり、ファーストキスは貰ったぜ?」

 一瞬、ユウを含めた全員が凍り付いた。

 アマネがさらわれたというのに、敵のナリュエ族と何という事をしたのだろう。ただでさえユウのせいなのに、皆が許してくれる筈がない。

 ユウは焦って身体を起こしたが、シオンは幸せそうに笑っているので、とても邪険には扱えないのだ。

「あー、そうそう。これからお前らはどうするつもりだ?」

 何事もなかったかのように、シオンは話を本題に戻した。

 彼こそ、ナリュエ族の本拠地に戻らなくていいのだろうか。

「……当然、アマネを助けに行きます。しかし、貴方はどうして僕達を?」

 キラも他のメンバーも、シオンをまだ疑っているようだ。ユウにはどうしても疑う気にはなれないが、先ほどまで戦っていて、それもアマネをさらったナリュエ族の仲間なのだから、そうなるのも無理はないだろう。

「俺はユウちゃんの助けになりたいだけだし、両親を殺したサノン族を追って、都合がいいからソロモン様に従ってるだけだ。ナリュエ族だけの国なんて、ユウちゃんがいないんじゃごめんだぜ」

 起き上がるユウを抱き締め、無邪気にシオンは言った。


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