5.ルクリア
城に泊まった次の日の早朝、再びカイを加えたメンバーでルクリアを目指しての旅を開始することになった。
旅立つ直前、トワイライトに呼ばれて彼女の自室に呼ばれたが、そこにはほぼ昨日のメンバーが集まっていた。
タクとメリア家の次女アトランティス、トワイライトとその娘のソラとナイトが、その場にいるのが確認された。
「ほらカイ、パジフィックだ。連れてってやれよ」
タクが手で握れるほどの水色の物体を投げ、
「サンキュー、タク」
と言ってカイは受け取った。
以前、料理にロボット用の着色料を入れたカイだが、その時にパジフィック三号機の事を語っていたのを思い出す。
まさか握れるほど小さなロボットとは思っていなかったし、サソリの形――死んだスナイダーを連想させる形をしているのだ。
水色で星マークの付いたサソリなんていない。奇抜なデザインのそれは、やはりカイが作ったもので間違いはないだろう。
「五人に私とソラから願い出たい事があるのだが、いいか?」
間を見計らい、トワイライトが口を開いた。
「僕達に出来る事なら」
キラがそう返す事でトワイライトは微笑み、隣りにいるソラの肩を軽く叩いた。
促されたソラは恥ずかしそうにキラの前まで歩き、立ち止まる。
桃色の髪を真ん中で分けている彼女は、見つかった時と同じ黒にレースの多い装束を纏い、先の尖っている飾りのついた大きな帽子を被っている。
露出度が高めのミニスカートで、一国の姫でなければユウなら遠ざけていそうな、まさに『魅力的なお姉さん』風であるが、レースにより多少の子供っぽさも目立っている。
キラを見上げて真剣な表情に切り替えたソラは、間を置いて言った。
「私もルクリアに連れて行って下さい!」
姫に頭を下げられ、キラは珍しく戸惑っている様子だった。
「僕に決定権は……」
ちら、と一瞬だけ困った表情でハジメを見た後、キラはそう言った。
男性ばかりの旅に、女性がただ一人――それも飛び切りの美少女で、頼りない男二人に、女たらしが二人、好意を寄せる男が一人。それに相手は姫だ。危ない目には遭わせられないのが、一番の連れて行けない理由だとユウは思った。
「アマネ。どう思いますか?」
どちらでもよさそうなハジメには振らず、キラは珍しくアマネに判断を委ねた。
呼び捨てにしたのは少し気掛かりだが、二人は仲がいい。またその仲に嫉妬してしまいそうになるが、ユウはアマネの言葉を待つ事にした。
「ボクはどっちでもいい。ユウは?」
彼に訊いたのがキラの大きな間違いだったのかも知れない。
アマネはキラ以外の他人には無関心なのだ。
「俺はソラ様が心配です。危険だし、たらしが二人もいるし……」
ハジメとキラを後ろから目で示して言うと、隣りにいたカイがクスクスと笑い出した。
「あら、心配してくれるの? 可愛い子ね。でも、私は大丈夫よ。昨日はリキュードさん相手だったから出さなかったけど、魔術の使い手なの。見習いだけどね」
試してみる? とソラは笑う。
ユウとしては子供と見られて膨れるばかりだが、彼女はそれを気にもしていないようであり、カイがそれに見とれているのに呆れてしまう。
ソラは帽子についた飾りを取ったかと思えば、それを棒がついたメイスへと変化させる。
今までに見た事がない術だ。これがアスカ流の本来の魔術なのだろうか。
「雨を降らせる事も、範囲内なら雷と地震を起こす事も可能よ」
急な雨はソラの仕業――いつかタクが言っていた事だ。
雷や地震を起こすような魔術を使う者は、今までに出会った事がなかった。
「それに、私はカイの幼馴染みよ。魔術使わなくても戦えるわ」
メイスを掌に乗るくらいの小さな飾りに戻し、帽子に再び取り付けると、ソラはそのままアピールを続けた。
「――そういう事だ。姉の私からも頼む。カイがいるから安心出来るのもあるし、ソラは王位が継げない分、楽しんで欲しい」
今まで黙っていたナイトまでもそう言い出した。
「ハジメさん、僕は連れて行ってもいいと思いますが……よろしいでしょうか?」
「俺がたらし……? カイか? いや、あいつは違う。大体モテないしな……」
気が付けば、ハジメはブツブツと念仏のように、そんな事を唱えていた。
「モテないは余計だ! ソラ様は俺が守る。それにキラもいいと言っているし、話も決まったな」
ユウもソラが強いとなれば、さほど問題ではないと思った。
ハジメは相変わらずマイワールドへ突入して何かを言っているが、それ以外の者は頷き、ソラの同行を認める形になった。
「ありがとう、みんな! お母様、お姉様、それからシルベルトさん達……さようなら」
ソラはそう言った後、カイの近くまで駆け寄って来た。
これから賑やかになるな、とユウは笑った。
女の子の友達が今までにいなかったためか、少し嬉しい感情もあり、仲良くなれるかなとドキドキしてしまう。
ソラ自身をユウが恋愛対象として好いてしまった訳ではないのだが、本当に同年代の友達がたくさん欲しかったから、ついそんな気持ちになってしまうのだ。
突然だったが、ソラの同行が決まってすぐに城を出て、ユウ達は目的地に行くために、アスカ・サンクチュアリへと向かった。
ルクリアの地は、想像していたものとは全く違っていた。てっきり物語に出て来るような、ファンタジー世界の雲の上を想像していたのだが、いざワープして地を踏んでみると、アスカの地面と何ら変わりはなかった。
ハジメが言うには、ここから真っ直ぐ北に平原を歩いて行けば、メイジェス陛下が治めるアヴェニ国の首都――ステンという城下町があるようなのだ。
ルクリアの平原には、アスカよりも強く、それもたくさんの魔物が現れた。
「うわっ、また魔物だ!」
思わずユウが大声を上げると、ハジメがその前に瞬時に現れ、闇の力を纏った剣で魔物を切り裂いた。
先ほどは狼が挙げられるような魔物が襲ってきた。ルクリアに来てから、魔物の襲撃が絶えないのだ。
「何だこいつ! 俺の銃が利かねぇ!」
カイが武器の銃から炎の弾を出すも、頑丈な魔物の皮膚には、ただ弾かれるだけだった。
魔物の種類もアスカと比べて豊富で、種類の違う魔物が現れては、ハジメに説明を求めることの繰り返しである。
「ウォーヴという魔物だ。この辺りに生息する肉食生物で――耐性は炎、弱点は氷だ」
炎技のカイの攻撃が利かない筈だ。
ルクリアの魔物はアスカと違い、ある一定の魔術が利かない種類もいるようなので、それが出る度に困るばかりである。
「カイ、下がりなさい。ここは僕とハジメさんで十分です」
戦闘はアスカの時と同様、いつものメンバー――特に力の強い男性陣三人が中心となり、魔物と戦う事にした。
残ったユウは戦い途中に体力を回復させたり、魔物の攻撃からハジメ達を守ったりしていた。
ウォーヴの群れをほぼ全滅させた後、一息ついてキラが言った。
「こちらの魔物には、属性によって耐性があるのですね……」
ルクリアの事を知っていたとは言え、さすがに魔物の事ばかりは把握していなかったからか、さすがのキラも少し戸惑った様子だった。
「そうみたいだな。俺の銃が利かないなんて……」
カイは自信なさげに銃をしまい、頭の後ろで手を組んだ。
「気にするな。炎に耐性がある物もあれば、逆に弱点なのもいるからな。それに、もう戦わなくて済みそうだ」
ハジメはカイの肩を叩き、目でその先を示した。
城のような大きな建物と、街が広がっている光景が映る。あれがアヴェニ国の首都・ステンなのだろうか。
アスカ城と似たデザインのそれに、ユウは感激した。アスカのハイムルのように、またすごい街に行けるのだろうか。
「あそこがアヴェニ国のステンなの?」
「あぁ」
「じゃあ、もうすぐここの魔術を学べるのね!」
ソラはルクリアの魔術にかなり興味を持っており、一件が終わった後は、ゆっくりとそれを学ぶ事を望んでいるようだ。
「ママ、やっと着いたよ」
母親の十字架を握り締め、雨音は薄い感情の中でも、はっきりと伝わるほどに嬉しさを露にしている。
「メイジェス陛下とアマネとユウを一度会わせたい。特にユウは、陛下も会いたいだろうしな」
「えっ、メイジェスは何でユウと会いたいんだ?」
ユウが同じ内容の質問しようとしたことを、カイが先に言ってしまった。
「言わなかったか? ……詳しくは、陛下と直接会って聞かせてやる」
ハジメはそれだけ答えると、それ以上はその話について触れなかった。
もうすぐだ。
もう少しで陛下と会う事ができ、ナリュエ族の襲撃を逃れられる方法を、見付けられるかも知れないのだ。
それぞれがそれぞれの思いを胸に抱きながら、兵士が守るアヴェニ国の入口まで辿り着いたのだった。
「ギルウィンだ。ニュードイル王族を連れて来た」
ハジメは冷酷な瞳で彼らを見、彼よりも背の低い兵士達に、若いながらもその威厳を見せつける。
「ギルウィン様ですか! お疲れ様でした。お通り下さい」
兵士達が敬礼し、門をゆっくりと開けた。
中はハイムルともスタンデシティとも違う、機械のない街だった。
どちらかと言えば、レーライ村がもっと広くなって人口が増えた感じで、機械を扱うものは何一つ見当たらない。
「あれー? 都会なのにホントに機械モンねぇじゃん」
辺りを見回しながら、カイはつまらなそうに言った。
「当たり前だろう。ルクリアはアスカの逆で、機械を扱える者は少ないんだ」
残念だな、とハジメは笑った。
「ちぇっ。機械ないのは予想外だぜ。な、パジフィック」
ロボットに向かって同意を求めるカイだが、パジフィックは喋る筈がなく、ブツブツ言いながら彼は鞄の中にそれをしまう。
間もなく、城のすぐ近くまで歩いてきた。そう遠くはなかった気がする。やはり門には同じように兵士がつけられ、それも何重にもガードが重ねられているようだ。
とは言っても、今回は戦いに来た訳ではなく、これからの話をつけに来ただけなのだ。緊張することはない。
「ハジメ様」
予想が外れたのは、こっちの兵士はハジメを下の名前で呼び、敬称付きだが親しみを持っている事だ。
兵士は礼儀正しくそう言った後、ユウを見て目を丸くした。
「アルスティナ……?」
「えっ?」
「いえ、すみません。用件はやはり――」
何かに気付いたように、彼がユウから目を逸らす。誰かと間違えて、つい口走ってしまったのだろうか。
そうしていると、すぐにハジメが用件を伝えた。
「メイジェス陛下に会わせてくれ」
「……かしこまりました。陛下は自室におられます。今はアディーフ様はおられませんので――チャンスだと思われます」
どういう事だろうか。
金色の瞳を細め、彼は人が良さそうな笑みを浮かべている彼は、まるで自ら敬称を付けて呼んだ『アディーフ』という人物がいない事を『チャンス』だと言ったのだ。
「分かった。ありがとう、エルバント」
エルバントと呼ばれた兵士は、ユウやアマネとよく似た色の茶髪を掻き分けて軽くお辞儀をし、門を開けて六人が入って行けるようにしてくれた。
エルバントがどんな地位を持っていて、どんな人物なのかは定かでないが、きっといい人なのは間違いないだろう。
中庭に入った後、キラがすかさず口を開いた。
「先程の彼――エルバントさんは?」
「姉さんが死んでから面倒を見てくれた兵士だ。身分は違うんだがな」
「そうですか。すると、アディーフというのは……?」
「軍の最高指揮官だ。戦争主義者で、陛下の平和的意見を常に批判している。アマネとユウを連れて来るのにも反対だったんだ」
どこの時代にも世界にも、戦争主義者で陛下を批判する者がいるのだなぁ、と思いながら聞いていた。
だったら、そのアディーフがいないとなると、ユウ達は運がいいということだ。
「今はそいつがいないから、すぐに陛下に会えるんだね!」
その予想を確認したく、ユウはそう言った。
「そういう事になるな」
全てが計画通りに進み、満足そうにハジメはニヤリと笑った。
中庭はヨーロッパ風な豪勢な造りになっており、色とりどりの花が植えられている。数人の庭師が綺麗に整えているのだ。
六人は中庭を真っ直ぐに進み、大きなドアに辿り着いた。人の身体の数倍もある大きな扉だ。
「ギルウィンだ。陛下との面会を望む」
扉の前でハジメが言うと、暫くして固く閉ざされていたそれはゆっくりと開いた。
執事らしき一人の男が立っており、城の中はやはりアスカ王室のそれを連想される造りになっている。
壁には高価そうな絵、棚には高価そうな壺が置いてあるなど、城の中は想像していたものと大して変わりはない。
「どうぞ、こちらです」
六人が中に入ったところで扉は自動的に閉まり、同時に鍵まで掛かった。
「スゲー! こっちにもコンピューター的なモンがあるじゃねぇか!」
機械類が大好きなカイは興奮し、気品あふれる城内で大声ではしゃぎ始めた。
「ない。これは魔術の一種だ」
ルクリアの事はユウも前から少しは聞いていたが、魔術の発展が大きい分、やはり化学はほとんど発展していないものだと思われる。
アスカの世界が化学の世界なら、ルクリアの世界は魔術の世界だと言えるだろう――そのまとめ方は正しいのだ。
「おやめなさい。下品ですよ」キラがはしゃぐカイを呆れたように見て言った。「百年戦争以来、サラ様の父上から先々代の王が分離した世界ですから、元はルクリアもアスカも同じ世界――城の造りや言語は共通なのですよね」
「やはり詳しいな、お前」
「えぇ。ルクリアの最低限の知識は、父上が残してくれましたから」
キラは得意げに笑った。
二つに世界を分けたにしても、繋がっているゲートがひとつしかないとは言えど、ルクリアからアスカに、アスカからルクリアに行く事は可能なのだ。
現に、ナリュエ族はアスカまで襲撃してきたし、ハジメが助けに来てくれたのだ。
それだけアマネの力――本当はユウが持つ《カリュダ》を欲しがっているのは分かるのだが、もし今回の事件でルクリアの存在がアスカの人間の殆どに知れ渡ってしまったら、一体どうなるのだろうか。
アスカの人々はルクリアの発展した魔術を知りたがる――天の地を欲しがり、トワイライト達に詰め寄るかも知れない。
だとすれば、ルクリアとアスカとの衝突は、防ぎ切れなくなる事も予想されるのだ。
しかし、アスカ人はアスカ・サンクチュアリの扉を開く事が出来ない。誰もがルクリアに来れない分、その心配は不要である。
「こちらが陛下のおられる部屋です」
階段を何段か上がったところの部屋を指し、執事は言った。
「メイジェス様、ギルウィン様が面会に見えました」
丁寧にノックをする執事は、アスカ人ならきっともう老人なのだろう。
ステンの街のどこを見渡しても老人はいなかった。子供か少年少女の姿をした者しか存在しないのだ。
『ゆっくりと老いていく』というのも、身体の中だけの事を指すのだろう。
「入れ」
すぐに中から男の声が聞こえ、ハジメが最初に部屋の中へ入って行く。それに続いて残りの五人が入ったところで、部屋の扉は自動的に閉まったのだ。
陛下、と言うには若すぎる――いや、ルクリア人だから仕方ないが――高貴な金髪を腰くらいまで伸ばし、頭には王冠のようなものを被っている。
金色の鋭い瞳は、城に来るまでに見たサノン族の中でも、鋭い印象を抱かせるほどだ。
「アスナ……本当にそっくりだな」
高級そうな椅子に肘をつき、メイジェスは笑う。
「陛下、説明を」
「お、そうだな」
ハジメに促され、改まった態度で言った。
「俺はメイジェス・イアン・アヴェニ――アヴェニ国の国王で、ハジメの義兄になる筈だったんだが……」
メイジェスが出会った時のハジメのような、寂しさの残る瞳でユウを見た。そんな瞳で見られるのは二人目だから、もう慣れてはいたのだが、やはり別の誰かと重ねられているのだろうか。
「あの、メイジェス様。俺はレイル王族のユウ・ヴェラーテ・ニュードイルといいます。こちらは兄のアマネです」
サノン族の王はレイル族を保護してくれようとしているのだ。そんなサノンの一番偉い人に会う事が出来たので、少し安心して言った。
メイジェスはそんなユウの様子を見て、懐かしむように微笑んだ。
「体つきまでアスナに似ているとはな……安心しろ、お前らは俺が守る」
キラとアマネに視線を移した後、メイジェスは再びユウに視線を戻した。
「メイジェス陛下。僕はニュードイル王家に仕えるキラ・ダーティスです。二人をよろしくお願いします」
「キラか。承知した」
メイジェスは丁寧な態度のキラを見て微笑み、「忠実な部下だな」と呟いた。
「アマネ、と言ったか。神と交わり、その力を行使するには《カリュダ》が必要だ――と伝わっているだろう?」
「はい。でも、ボクは長男だけど、《カリュダ》は持ってません」
「何故だ!? ハジメ、説明しろ」
ずっとアヴェニ国のステンの城に滞在していたメイジェスは、《カリュダ》の力がアマネではなくユウに引き継がれていて、それをナリュエ族が勘違いしている事を知らないのだ。
「アマネとユウはアスカ人とのハーフです。その辺りで狂ってしまったのか、長男のアマネではなく、次男のユウに《カリュダ》が引き継がれていることが確認されています」
ハジメがそれ以上の説明を要求するかのように、キラを横目で見た。
「ハジメさんの言う通り、ニュードイル王女のサラ様が生前、ユウ様に《カリュダ》が引き継がれたと仰っていました」
「そうか。だが、ナリュエ族が勘違いしているとなると、こちら側が有利だな」
「はい。ですが、僕はアマネも大切です。ナリュエ族の手には渡したくないのです」
きっぱりと平然な態度で言ったキラは、やはりこの場でも主従関係を無視しているのか、アマネを呼び捨てにしているのが確認される。
そんな様子を見てか、メイジェスは茶化すように笑った。
「そうか。お前はアマネの方を大切にしているみたいだな――分かっている。ユウもアマネもナリュエ族には渡さん」
メイジェスには、キラがアマネに依存しているのがお見通しのようだった。
「しかし、ユウは俺の婚約者のアスナに似ているな。男と女、どっちだ? 歳は?」
先ほどから出て来る、「アスナ」という名前。誰を指すのかは知らないが、おおよその検討はついていた。
「俺は十五歳の、れっきとした男です!」
ハジメもメイジェスも、同じような間違いをしたのだ。ユウは女ではなく、生まれた時から男なのに。
大体、男か女なんてどうでもいい事じゃないか。何故、わざわざ訊かれたのだろう。いくら婚約者のアスナと被るからとは言え、それでは彼女にも失礼のような気がしたのだ。
「そうかそうか。怒った顔もアスナそっくりだ。可愛いなぁ」
「陛下、子供をからかうのはやめて下さい」
「あー、はいはい。まったく、ハジメは重度のアスナ依存症なんだから……」
ハジメに止められてようやく質問責めはやめたものの、ユウを見てニコニコと笑うのはやめなかった。
これで分かった事は、アスナというのがハジメの姉であり、メイジェスの婚約者だということだ。どうりで仲がいい筈だ。
「……それはそうと、お前らに要望があるのだが、いいか?」
急にメイジェスは話を切り替えた。
「許容範囲なら」
と、ハジメが答える。
「実は、トリジャにいるアンジュという部下と、ニュードイルにいるディーブルという部下を、それぞれここに呼んで来て欲しいんだ」
トリジャがどこかは分からないが、ニュードイルは地理は分からないものの、どういう場所かは分かっていた。
ハジメがあの後教えてくれたのだが、ニュードイルは本来アマネが治める筈の、レイル族が住む国なのだ。
「ニュードイルに陛下の部下がいるのは、少し変ですね」
「王がいない間、ニュードイルはアヴェニ国が守ってきたからな。兵士になるのを希望した奴もいたんだ」
「そういう事なら納得です」
サラやアマネという王位継承者がいない間、他国のサノン族の王が管理していてくれたのだ。
この件に関しては、礼を言うのはもちろんアマネで、
「ありがとうございます。ボクとユウも陛下に協力します」
そう自ら申し出たのだ。
しかし、トリジャやニュードイルに行くとしても、方角が全く分からない。
「ハジメさん、トリジャとニュードイルって、どこにありますか?」
率先してアマネが訊いた。やはり彼にも一国の王だという自覚があるのだろう。
「トリジャはここから東に行った所で、ニュードイルは北西に行った所にある。ただ、ニュードイルの方が少し遠いな」
国内、もしくはその近辺だとは言え、方向をきちんとおさえているハジメは、ユウにとってやはり尊敬の対象である。
いつからか、彼のようになりたいと思い続けるようになり、彼に対しての見方が大きく変化したのだ。
「だったら、三人ずつで分かれた方が、効率がいいのではないですか? 合流場所をここにして……」
キラがハジメに提案する。
「そうだな。では、俺はニュードイルへ向かわせてもらう。向こうの方が魔物が強いからな」
魔物が強いなら、この中でも一番強いハジメが行くべきだろう。ユウも彼がいたら安心なのだが、どうやらそれは不可能そうなので諦める。
ハジメがいなくても、カイかキラのどちらかがいれば、それはそれで助かるからだ。
「ボクは王家の者として、ハジメさんと一緒に行きます」
アマネがニュードイルに行くとなれば、当然メンバーは決まった事になる。
「アマネが行くのなら僕も同行します。後の三人は如何ですか?」
キラはその血のせいかアマネを守る事を優先的に考えている。
ルクリアに旅立つ前の日、深夜にハジメがぽつりと口にしていた言葉を思い出す。キラはアマネを特別な存在だと思っていて、家族以上に大切だと思っているようなのだ。
「俺もソラ様が心配だし、回復役のゆうがいたら頼もしいしな」
と、カイ。
「うん。私、カイとなら平気だよ」
ソラは微笑んで言った。
これで、二つのルートに行く班は決定した。
「出発は明日にしろ。取り敢えず、今日は休めよ? 城の応接室を貸そうか?」
「いや、ギルウィン家の屋敷があります。そこに仲間も泊めます」
「じゃあ、ギルウィン邸でゆっくり休め。また戻って来たら会いにこいよ! 特にユウはな」
話がまとまると、メイジェスは軽そうにそう言った。どうやらユウはアスナの面影に重ねられ、彼のお気に入りリストに入ってしまったようだ。
年上の男性に、こんな風に気に入られる事は多々あった。だから慣れているのだ。ただ、今までは村の中の男からだったから軽く無視しておけば済んだが、今の相手は一国を治める王だ。ユウは苦笑いをし、同時に誰かに助けを求める。
「陛下、ユウをからかうのはやめて下さいと、先ほどから言っていますが?」
鋭いその瞳に睨み付けられ、さすがのメイジェスもそれに怖じ気付いたようだった。
「うー、分かった分かった。じゃっ、またな」
その後、ユウ達は陛下に礼を言うと、城を後にした。
「明日の朝出発ですが、今からは自由時間にしませんか? ステン内のみで、集合場所はこのギルウィン邸で」
「あぁ、それがいい。好きにしろ」
大きな屋敷――ハジメの家で六人が集まった中、キラの案に全員が賛成した。
キラはアマネと、カイはソラと、それぞれが出掛けて行ったのだが――。
「ユウは行かないのか?」
「ハジメさんこそ」
二人だけは屋敷に残ることになってしまった。
窓の外をじっと見つめるユウの後ろから、呟くようにハジメは言った。
「俺は、この街は見飽きている。明日から過酷になるぞ。本当にいいのか?」
見飽きている、と言いながら、外の景色を見ているくせに。
「いいです。もう分かってたんだし……もしものことがあったら、これでハジメさんに会えるのも最後かも知れないから」
それは言い訳に過ぎなかった。
キラと一緒にいたいという、アマネの気持ちも分かっているのだ。
何となくだが、そんな気持ちが芽生え始めているのに気付く。
「でもお前、ニュードイルで暮らすんだろ?」
「はい……」
「お前は死にやしない。今回は陛下の部下を迎えに行くだけだ。な?」
「そう、ですよね」
疑問だったが、どうしてハジメがニュードイルに行きたいのか、ニュードイルがレイル族の国という以外に、どんな都市かは訊かない事にしておいた。
「ユウ」
後ろから抱き付かれ、戸惑って振り向いた。
「わっ、何するんですか?」
顔が紅潮し、体温が高くなる。
急な行動だから仕方ない、とユウは自分に言い聞かせた。
「暫くこうさせてくれ。いいか?」
強引なまでのそれに、頷かざるを得なかった。
いつかの月を見上げて、二人だけで話した夜の事を思い出す。
ハジメの甘える相手がユウだとしたら――その時は何も思わなかったが、後になってこんなことをされると恥ずかしいのだ。
どうすればいいのか分からず、ただ肩にうずめてくる頭を小さな手で撫でた。
「やめろ。何をするか分からん」
言葉の意味はよく分からなかったが、聞き返さずに手を止め、撫でるのをやめた。ハジメはただ、ユウに抱き付いていたいらしい。客観的に見るとどうだろう。まるで大人と子供の身長差に、誰もが笑ってしまう。
「ハジメさん、どうしたんですか?」
彼の行動の、何もかもが分からなくなる。
「何でもない。お前が姉さんに似てるから……少し甘えたくなっただけだ」
それだけ言った彼は、ユウの中に意味深な何かを残して離れていった。
いつも冷静で、誰にも媚びる事をしない彼が、どうしてユウに抱き付くのだろうか。優しさの理由が分からない。頭が壊れてしまいそうだ。
茫然と窓の外を眺めていた。
少年の姿をした大人は忙しそうで、子供は無邪気に街を駆け回る。ユウの故郷と何の変わりもない。違っているのは、場所と人の多さくらいだ。
これから千年近くの年月を、このルクリアで過ごしていく。
何があっても、二度と後悔はしないつもりだった。
翌日の早朝、トリジャ組はギルウィン邸を出発した。
ニュードイル組はトリジャの二倍ほど離れているので、ハジメらは明け方に出たのだが、トリジャは歩いて二日で行ける場所のようなので少しゆっくりして出たのだ。
「それにしても、ソラさんの魔術って何なんですか?」
戦闘中、なかなか目にしないソラの魔術に感動する。
ルクリアの魔物は魔術をさかんに使って攻撃してくるのだが、雷や地震を起こしたりするのはなかなか見つからないのだ。
「アスカ流よ。キラさん達は独学だし、私は王家の人間だから、特別に地震や雷も習う事が出来たの。光と闇以外ならどんな魔術も任せてね」
「そうなんだ。キラ先生よりもすごいんですね、ソラさんは」
「んー、でもキラさんには弓があるからね、まだまだ及ばないわよ。それより、私の事はソラでいいし、敬語もいらないわ」
ソラはユウよりも少し年上で、いい姉貴分、といった感じである。
「じゃあ、ソラ……」
弱々しい少女かと思いきや、彼女はそうでもなかった。魔物とは容赦なく戦うし、魔術だけで言えば他の誰よりも長けている。ルクリアで育ったハジメよりも強い魔女だ。
「可愛いわねぇ。私は男の兄弟いないから、ユウちゃんやアマネちゃんみたいな弟欲しかったよ!」
そう言うなり、抱き付いてくるソラだったが、その豊富な胸に息が出来ないくらい苦しむ事になるが、思わず母親のサラを思い出してしまった。
その行動には、パプリカも悲鳴を上げている。
「ソラぁ、苦しいよぅ」
「きゅうう……」
「わーっ、可愛い!」
可愛いと言われるのは確かに嫌だが、何故かソラに言われるのは平気で、怒る気にはなれなかった。
男に言われるのは、きっと女性的な意味を含んでいるから嫌なのだろう。初対面のハジメが同じ事を言った時は、さすがに苛ついたからだ。
「ソラ、俺は……?」
カイが羨ましそうにユウを見ている。彼は幼い頃からソラに好意を抱き続け、未だにそれが報われないでいるのだ。
「カイも大好きだよ」
にっこりと笑ってソラは言った。
「そ、そうか。俺も……ソラのこと好きだぞ」
昨日、二人でステンの街を回っていたからか、ソラに対してカイが敬語を使ったり、名前に敬称を付けたりする事はなくなっている。
「大好きだよ」とか「好きだ」とか言い合っているくせに、どうしてこの二人には恋愛面での発展が見られないのだろう。付き合うには何回もチャンスがあった筈なのだ。
「そう言えば、助けに行ったときにソラが言ってたけど、約束って何なんだ?」
ソラに解放されたユウは、先頭を歩くカイに聞こえないように訊いた。
「かなり昔なんだけど、私が一人で遊んでた時『俺でいいんならずっと一緒にいてやる』って言ってくれたの。それからだったわ。カイと仲良くなって、一緒に遊ぶようになった……でも、親友以上の発展はないんだけどね」
懐かしげに語るソラに、カイって柄にもない事を言うんだな、とユウは笑った。
どうやらトリジャ組のほとんどが、恋愛関係に悩んでいるようだ。
カイとソラはお互いが勘違いしている。カイもいつか「ソラ様はただの幼馴染みとしか見ていない」と言っていたが、ソラは「親友以上の発展はない」と言い、お互いがお互いの気持ちに気付いていないようなのだ。
ユウにはそんな悩みはないので、「大人だなぁ」としみじみ思うのだが――。
「ソラも頑張ってね。俺、応援してるから」
「ユウちゃん……」
ソラはいい子だ。少なくとも、今まで女の子と話した事がなかったユウにとって、とてもいいお姉さんである。
「どうしたんだ? あれがトリジャかな……とにかく、街が見えてきたぞ!」
少し遠くにある、大きな建物が並ぶ場所を指し、カイは二人を振り返った。
トリジャは想像していたより大きい街だ。まだ遠くからなので分からないが、ステンほどではないのは分かる。だが、ユウの出身地であるリギン村よりは遥かに大きい街なのだ。
三人は街に向かって歩き、アンジュというルクリア人を迎えに、トリジャという街まで足を運ばせたのだ。
街の中はステンよりは落ち着いているが、人はそれなりに多い。ここはサノン族のアヴェニ国であるためか、過ぎ行く人々の殆どが金色の瞳をしていた。
しかし、アンジュというのが誰か分からないユウ達は、メイジェスに特徴を訊くのを忘れてしまった事を後悔していた。
せめて男か女かは訊いておくべきだった。手掛かりは『トリジャにいる軍人』という以外、何も分からないのだ。
「すみません、アンジュという軍人を知りませんか?」
「アンジュの家はすぐそこの赤い屋根の家だよ」
「ありがとうございます!」
三人は仕方なく街の人に訊き、すぐ近くに民家にアンジュという人物が住んでいる事を確認した。
一見、赤い屋根の普通の家である。こんなところに、本当にメイジェスが信用する軍人が住んでいるのだろうか。
「メイジェス陛下の使いの者です」
ノックと同時にユウが言った。
貴族であるカイとソラはマナーは色々とわきまえてはいるものの、それを実践したことがないと言うのだ。
「どうぞ」
中からは長身の男がすぐに出て来て、ユウ達を部屋の中に招き入れた。
金髪で髪と同じ目の色をしている少年――彼こそがアンジュだろうか。いかにも軍人らしく、腕は武術を心得る者のように筋肉質である。
「あの……俺は陛下の使いの、レイル族のユウと言います。アンジュさん、ですか?」
幼さは顔に少し残るものの、ハジメと同じくらいの長身の男をユウは見上げた。鋭い目つきが少し怖いが、彼ならメイジェスの護衛でも何ら不思議ではない。
「俺はゼル・ミカエル。アンジュはもう少しで帰ってくる。それまでここで待たせてやってもいいが――」
ゼルはニヤリと笑い、ゆっくりとユウに近付いて来る。
「お前、なかなか可愛いな。俺の相手をしないか?」
顎を指で持ち上げられ、強制的に顔を見合わせる形にされた。それもカイやソラの目の前で、だ。今日で可愛いと言われるのは一体何度目だろう、と溜め息を吐くが、かと言ってゼルに無礼な態度を取る事は出来ない。
すると、カイがゼルの手を弾いてくれた。
「俺の弟分に何すんだよ」
強そうな者同士で戦う気満々、といった様子である。
しかし、カイはやはりいい兄貴分だとユウは思った。こんな時にも気持ちを察してくれるから――カイも本当の兄だったらいいのに、とひたすら考える。
「弟分? 妹じゃなくてか?」
「あら、ユウちゃんは男の子よ」
「……レイルの子は可愛いからな……すまんかった」
ゼルはそんな事を言いながら、後ろ頭を掻いてユウを離した。どうやら、カイとは戦う気はないらしい。
レイル族の子が好みなのは分かるが、ユウは胸がない。服装に露出度が高いので、せめて胸のなさで男女の区別をつけてほしいのだ。
彼が離すか離さないかの瀬戸際、玄関のドアが開いた。
「ゼル、また女の子たぶらかして……」
金髪の癖毛な少女が紙袋を片手で抱えて現れ、家の小さな扉を閉める。
彼女はハジメと似たような服装で、腰まである金髪を解放し、頭にはサークレットを付けている。サノン族特有の金の目でユウ達三人を交互に見、軽くお辞儀をした。
「きゃ、客人ですか? 私はアンジュ・ミカエル大尉――ゼルの姉です」
人見知りをするのか、おどおどした様子で少女は言った。
女? メイジェスが信用する軍人が? ――女性に偏見がある訳では決してないが、アンジュは頼りなさそうなのだ。身長もソラと変わらない、ユウより少し高いくらいである。
「貴女がアンジュさんか。俺達はメイジェス陛下の使いで、アンジュさんを迎えに来たんだ」
カイが簡潔に用を説明した。
「陛下がお呼びということは……ギルウィン様が帰って来られたのですね?」
アンジュはゼルに紙袋を渡し、がらりと表情を変えた。
ギルウィンとは、確かハジメのファミリーネームである。アンジュとハジメは何か関係があるのだろうか。
「ハジメがどうかしたか?」
ニヤニヤと笑い、カイが訊く。
もしかして、今ハジメが付き合っている女性なのだろうか。だとしたら、何故だか少し複雑な心境である。ハジメは確かに、アスナ以上の女性はいないと言っていたからだ。
「ギルウィン様は女兵士の憧れです。かっこいいですし、二十歳の若さで少将に昇進ですよ? まだお話しした事はないんですけどね」
嬉しそうにアンジュは身仕度を始める。
「なぁソラ、ハジメってモテるんだな」
「そうみたいね……でも、あの容姿と強さだったら分かる気がするよ。強い人には憧れるもん」
「そ、そうか……じゃあ、ソラはハジメが?」
「カイだって強いじゃない」
少しの待機時間だが、カイとソラがそんな会話をしているのが聞こえてきた。客観的に見ると、経験のないユウでも分かるくらい、二人は両思いなのに。どうしてお互いに鈍感なのだろう、と少しもどかしくなるが、あまり男女の仲に口出しはしない方がいいらしいので、それだけは避ける事にした。
それを聞いていなかったアンジュは、ようやく忙しそうに旅の準備を終えた。
「準備が整いました。陛下のところへ行きましょう」
彼女が旅支度を終えた途端、外が騒がしくなっているのが中からも聞こえた。
「な、何だろ?」
「行ってみようぜ!」
街の人々が騒いでいる。いや、騒いでいると言うよりは、何かに恐れて悲鳴を上げているような感じである。
ミカエル家の家の中にいたユウ達は、急いで外に出た。街の人が道の真ん中を開け、何かを見ている。
何かと思い、前まで出てみると、紫色の髪をした少年――本来ならかなり年季が入っているのかも知れないが――と目が合った。
彼は目が合うなり、不機嫌そうな顔を満面の笑みに変え、ユウの目の前までゆっくりと歩いてくる。
辺りが少年に注目し、空気が張り詰められる。
「久し振り、ユウちゃん」
少年は確かにそう言い、ユウに抱き付いた。彼に会った覚えもないし、名前も教えて覚えもない。一体なぜ、ユウの事をしっているのだろう。
不思議に思ったユウは顔を上げ、首を傾げて彼を見つめる。
「あなたは誰ですか?」
知らない人、沈黙する人々。ユウの声は緊張に震えている。
紫色の、腰くらいまで長い髪をした少年の目は、ハジメと同じ深紅を彩っている。きっとナリュエ族だから、周りのサノン族が騒いでいたのだろう。
「シオンだよ。お前の恋人だ。忘れたのか?」
「こ、恋人っ!?」
「仕方ないな、何年も前の事だ……でも、ユウに会えて良かった。愛してるぜ!」
抵抗する暇も与えられなかった。
頬に軽いキスを落とされ、腕を離して去って行く彼の背中をぽかんと見つめ、何の事だろうと考え直す。
だが、思い出す事は出来ない。ユウには恋人はいないし、ましてやそれも男なのだ。背はカイと同じくらいだろうか――よく分からないまま、混乱して振り返った。
案の定、カイもソラもぽかんとしてユウを見ている。
「今の、何?」
やっとのことでカイは口を開いたのだが、不思議そうにシオンが通り過ぎて行った場所を見つめている。
「分かんない。俺、身に覚えがなくて……」
シオンという名前の人物とは、今までの人生で会った事がなかった。それに相手は敵であるナリュエ族だ。
まさか呪いを掛けられた? ――いや、ルクリア人の身体には、アスカで使われる呪いの原理は通用しない。
「魔性だ……」
「違うよ! ホントに知らない人なんだってば!」
「でも、ゼルも騙されたろ? ユウの容姿はそっち系の男を引きつけるんだな」
ナリュエ族のユウのファンなんじゃね、とカイは笑った。だが、訊くまで名前を知らなかったとなると、シオンは人違いか何かをしているのではないだろうか。
「俺はそっち系じゃない!」
ゼルは顔を赤くしてそれを否定する。
「ナリュエ族が追って来たのかしら……とにかく、早く行った方が良さそうね」
ユウの心情を読んだソラは話題を切り替え、ステンに行く事を促してくれた。
いくら女みたいだとは言え、見知らぬ男に急に「愛してるぜ」なんて言われると、バカにされているみたいで相当傷付いてしまう。おまけに頬にキスまでされたのだ。
アンジュは弟であるゼルに別れを告げると、ユウ達と一緒にステンへ付いて行った。
ユウと別れてから、正直を言うと少し寂しい。
姉が死んでからというもの、ずっと一人で生きて来たからか、久し振りにぬくもりを感じられたのだ。
ユウは自分では否定するが、本当はすごく優しい子だ。ハジメはユウのそれを含めた全てが好きだ。伝わりはしないのだが、彼を見ているだけで心が安らぐ。
「ユウが恋しいですか?」
黙って歩く様子を見たからか、からかうようにキラは笑う。
いつかの夜、彼が急に深刻な顔で告げた事がある。アマネの事だ。
キラはハジメがユウを好くのと同じような理由でアマネが好きで、誰から見ても依存している。しかし、主従関係を崩す訳にはいかないからか、それを行動や言動に移す事は出来ない――だから色んな女性を抱いて、気を紛らわしているのだと。
「お前こそ、女がいなくて寂しいか?」
お互いの気持ちを知っているからこそ、そんな風にからかい合う。
ハジメも同じだ。姉のアスナが死んで、十歳になったハジメはその頃から年上の女性に可愛がられるようになり、様々な行為を覚えた。最初は何を覚えただろう。確か、唇を重ねる事だった。
「残念でした。ニュードイルらしき街は見えてきましたし」
僕は寂しくはありません、と付け加えたキラは、ふざけながらも笑っている。
「あそこが……ママの生まれた国なの?」
まだ幼く、十七歳とは到底思えないような口調でアマネが首を傾げる。この口調で身体も小さいとなると、弟のユウよりも幼く見えてしまうのだ。
小柄なアマネは双子のようにユウにそっくりである。碧い目も栗色の髪も、白い肌まで全てが同じ色をしている。しかし、アマネには瞳に『感情』を映す事がないのだ。
それに、ユウはアスナに似ているが、アマネはそうではない。何故かは分からないが、アスナの面影はユウにだけ感じられる――現に、メイジェスもそうだったのだ。
まるで一人の王子とその護衛のような三人は、間もなくレイル族が治めるニュードイル国に到着した。
ステンより自然が多い。ニュードイル城はもっと先に見えるのだが、その前に民家に突き当たる。
早朝なので、碧い瞳をしたレイル族は働きに出掛ける者も多く、中にはステンへ向かう者も少なくはないようだ。
歩いていると、一人のレイル族が歓声を上げた。
「サラ様とハルヤ様が帰って来られた!」
途端、他のレイル族まで集まって来て、前に進める状態ではなくなった。
サラという名前には聞き覚えがある。確か、ユウとアマネの母親で――ナリュエ族から逃げたアスカで、火事で死んでしまったニュードイル国の王女である。
「落ち着いて下さい。僕達はサラ様でも、ハルヤでもありません」
キラが住民達に冷静に言った。
彼らが親世代のサラ達とアマネ達を間違えるのは、きっと相当似ているからだろう。
「本当だ。似ているけど違う。ハルヤ様はこんなに背が高くなかったし、サラ様はもっと……」
「胸があったよな」
人々が騒ぐ中、どうでもよさそうな会話が聞こえてくる。
「僕はキラ。ハルヤ・ダーティスの息子です」
レイル族のほとんどが小柄で、ユウより少し大きいか小さいかである。彼らの中で見ると、アマネも標準に見えるのだ。それを言うと、キラはオッドアイなだけあり、アスカ人の血が濃く顕れている。
さすがに彼が喋ると住民が一斉に沈黙し、じっとこちらを見て話を聞いていた。
「ボクがサラの息子のアマネです」
アマネが言ったか言わないかの境目だった。
人混みを掻き分け、前に出て来る人物がいた。それも掻き分けるというより、その人物に気付いた人々が道を開けるような感じだ。
「アマネ様、キラ様。お会い出来て光栄です。私はサタン・ルシフェル――ここ暫く、アヴェニ国の陛下と共にニュードイルを管理していた学者です」
濃いオレンジ色の髪をしたルシフェル――彼はアヴェニ国内でも有名な学者で、主にルクリアの地学を研究していると聞く。
賢い学者で有名なくらいなので、その頭脳はキラに匹敵するくらいだろう。
「俺はアマネの護衛役のギルウィンだ。メイジェス陛下から、ディーブルの迎えを命じられたのだが」
他のレイル族と比べたら少し大きめのルシフェルは、ハジメの名前を聞いて表情を一瞬だけ変えた。
「ギルウィン様、従姉妹のディーブルより話には聞いております。彼女は今、私の家に来ていますので、そこまで案内しましょうか?」
「あぁ、頼む」
どうやら、用事は早く済みそうだ。
「私がディーブル・ルシフェル少尉でーすっ! 初めまして、ギルウィン少将! いやぁ、ホントにカッコいいですねぇ! 私ってばずっと尊敬してたんですよぉ」
部屋に通され、いざディーブルを見てみると、ルシフェルと同じ濃いオレンジの髪をした普通の少女――それがアヴェニ国の軍服を着ているだけのような、軽い印象を与えられる。
見た目もとても軍人とは思えないし、ましてやよく少尉まで上がってこれたと思うほど、知性のない喋り方をしているのだ。
これが本当にメイジェスの信用する部下なのかと思うと、どうにも信じられないのだ。もしかすると、油断させるためにキャラクターをあらかじめ作っているのかも知れない。
「ハジメさんの階級、少将だったのですか?」
「五年前からそうだが、それがどうかしたか?」
「いえ、今まで明かされていなかったので……そんなに高い地位だとは思いませんでした」
「これ以上に上がる気はないし、そこまでの身分を明かす必要はないと思っていたからな」
ハジメがたった十年で少将まで上がる事が出来たのは、かなりの努力があり、ほんのひとつの生きる道だと信じ、夢中で軍の仕事をしてきたからだ。この階級だからこそ、メイジェスの命令で特別にナリュエ族のスパイを任されていたのもある。
ユウという希望を見付けてしまった以上、軍に執着する気はない、という考えもあるのだ。
「どうかしましたか?」
その少女の隣りで、聡明そうなルシフェルが首を傾げる。とても血の繋がりがあるとは思えない。似ているのは髪の色と目の色だけなのだ。
「何でもない。それよりルシフェル少尉」
「ディーブルでいいんですよぉ」
「……ディーブル。どういう経緯で陛下護衛役になった?」
気になるところだ。どうしてアンジュという人物と、目の前にいるディーブルなのだろうか。それも、階級はさほど上位ではない。
現在のアヴェニ国は内乱が起き兼ねない状況だからか、ハジメがスパイに出ていた五年の間、メイジェスは血迷ってしまったのだろうか。
その時、彼女の碧眼が急に鋭くなった。
「アディーフ将軍が陛下を裏切り始めているのは、ギルウィン少将もご存じですよね? このままでは危ないと思い、階級が低いながらも私とミカエル大尉は護衛役を自ら買って出たのです」
まともに話せるではないか、とハジメは内心ホッとした。
「ただ、今回はギルウィン少将が帰って来るまではアディーフ将軍も動けない状況だったので、私達は特別に貴方が帰るまで休暇をもらっていました」
そういう話なら分かる気がする。城にはエルバントという味方もいるし、最初からユウ達にルクリアに慣れてもらうため、彼女らを迎えに行かせる気だったのだろう。
「ナリュエ族が《カリュダ》の力を手に入れたら、それこそまずいですしね。そのアディーフとやらも、アマネがナリュエ族に連れて行かれていないのを確認したかったのでしょう」
「それもあるが、奴は王族のアマネとユウを城に迎い入れるのにはいい顔をしなかった……《カリュダ》を持つアマネを殺せば済む、と言ったくらいだからな」
アマネを殺してしまうと、それこそアディーフの思い通りに事が進む。
計画に失敗したナリュエ族はすぐにサノン族との戦争を再開するだろうし、たとえ中立な国家だと言えど、信頼する王女の子を殺されたレイル族だって、どんな反応を取るかは定かではないからだ。戦争主義者の彼は、とにかく戦争を起こし、サノン族だけの理想郷を創る事が目標だと漏らしていた。
「そうですか。早く辞めてもらわなければ、こちらが困りますねぇ」
冷静な物言いだが、キラの表情は強張っている。アマネを殺す、とか、彼に危害を加える言葉には敏感なのだ。
「でもぉ、城にはエルバント大佐もいる事だしぃ、もし襲われても陛下は大丈夫ですよぉ!」
軽い物言いに戻ったディーブルに、また頭を抱える事になる。頼むから、先ほどの口調のままで話してほしい。心の中でハジメは叫んだ。
「そろそろ、行った方がいいと思う……ボク達が早く行かなきゃ、ユウ達も待つ時間が長いんだよ? その間にアディーフが襲撃したら……」
「まずいですね。カイでも一つの街は守りきれないでしょうから」
アマネの提案にキラも頷いた。
「ルシフェル。ディーブルを借りて行くぞ」
一刻も早くメイジェスの身の安全を確認したいし、今後のアディーフのやナリュエ族の行動も気になるのだ。
「じゃあサタン、行ってくるからぁ〜」
ディーブルを含めた四人は、それから再びステンへと戻る事を決めた。
ニュードイルからステンへ歩くには、また丸五日は掛かるだろう。急いで行けば四日だが、こちらには身体の弱い子供もいるし、女だっている。アスカにあったベヒケルという乗り物が恋しくなる時期である。
メイジェスは無事なのだろうか。それよりも、ユウ達のグループが無事にトリジャまで辿り着けたかが問題だ。途中で魔物にやらろていないか、自分で大丈夫だとユウに言い聞かせたものの、不安なのは変わらなかった。
霧で前が見えにくい道を速足で戦闘を歩くハジメに、キラがこっそりと耳打ちする。
「不安ですか?」
どうやら、彼にはそんな気持ちが分かってしまったようだ。
「ユウに会うまで安心出来ん」
本心を呟く。ここまで生きている他人に依存してしまうのは、アスナが死んで以来だ。
「貴方がユウ様とその力を守り抜く事が出来たら……」
キラがそう言い掛けた時、闇のスロナの力を感じた。
同じ闇の力を授かった者は、若干だがそのスロナを感じる事が出来るのだ。もっとも、訓練していないと出来ないし、よほど強くなければ感じ取る事は不可能である。
リキュードの闇の力は弱かった。だからぶつかり合う事もなく、簡単に彼を倒せたのだ。
だが、今回は肌に感じられるほどに――それもかなり強力な闇のスロナである。こんな力を持った者は、今までに一人しかいなかった。
「久し振りだな、ハザイム」
やはりそうか、と霧を掻き分けて現れる人物を見て呟いた。
「何なのぉ?」
霧の中、後ろの方は目を凝らさなければ見えないだろう。深い霧に苛々している様子でディーブルは言った。
「アラタ。何しに来た?」
霧の中に現れたのは、アラタ・ライアルという名のナリュエ族だ。きれいな緑色の髪をしていて、失った右目を黒の眼帯で覆っている。ハジメはスパイで味方のふりをしていたから、名前と顔は割られている。
まさか、ここで会うのは予想外だ。すぐ後ろは隻眼のアラタでも見える筈なので、レイル族のキラは危ない――。
「お前、今まで何処に行っていたんだ。アマネとやらではないようだが……そのレイル族は誰だ?」
霧があったのが唯一の救いである。後ろでディーブルと一緒に歩いていたため、アマネの姿はぼやけてしか見えないのだ。レイル族というのも分からないだろう。
キラは事の重大さに気付いたようで、すぐ後ろで焦っているように思える。
「アマネはまだアスカにいる。その情報をここにいたレイル族から聞き出しただけだ」
「まだアスカに? ――俺は急いでソロモン様に伝える。お前はアスカに行ってアマネを連れて来るんだぞ」
踵を返し、アラタは帰って行った。
せめてもの救いが、ナリュエ族のスパイをしていた時、彼とはしょっちゅう話していて、大体の性格を把握している事だった。
「……もういいんですか?」
キラは溜め息を吐いた。
「あぁ。奴は少しはずれているからな……ナリュエ族の頭のソロモンに忠誠を誓ったとかで、向こうの間の抜けた幹部だ」
半ば呆れながら言うが、アラタ自身を嫌いではないのだ。素直になれなかったり、ソロモンに忠誠を誓うあまりに突飛な行動を取ったりするが、根はさほど悪くはない。
ただ、注意すべきは強い闇の力だ。あれがあるからこそ、彼が幹部に昇格出来たのである。
「それは面白くありませんね。早くステンに行かなければ」
それを聞いてすぐに冷静になったキラは、後ろの方で固まっているアマネの手を引き、ディーブルに歩く事を促した。
これからが特に厳しい道で、アヴェニ国内の混乱を未然に防がなければならない。それだけではなく、ナリュエ族との問題も解決し、早くニュードイル王にアマネを立たせなければならないのだ。
二日間続いた霧の道を抜けた四人は、急いでステンへと向かった。