4.言葉【番外編】
リギン村に住む、優等生であるキラ・ダーティスは、誰にも言えないような秘密を一人で抱えていた。
自分はルクリアという世界の、ニュードイルという国の王族に仕える家系の息子で、訳あってアスカで生まれ育ったのだ、と――。
仲のいい同年代の友達はいない。いや、最初はいたけれど、今ではその頭脳で疎遠されてしまっている。
それでも、キラには一人で暮らして行ける理由があった。
「キラさん、遊びにきたよ!」
村の外れにある山奥に住む、キラが本来仕える筈の少年――アマネ・ヴェラーテ・ニュードイル。
まだ十二歳になったばかりの彼は、小さくて病弱な身体を懸命に走らせ、暑い夏の晴れた日でも、毎日キラの家に遊びに来てくれる。
「やぁ、アマネ。ユウはどうしましたか?」
いつもならその二つ年下の弟であるユウも一緒に来る筈なのだが、今日はそのユウは来ていないようだ。
「ユウはねぼすけだから、まだ寝てるんだよ。それより、見て見て。学校の宿題終わったよ!」
アマネは病弱だが笑顔の可愛い少年で、元々そういう血筋だからか、孤独なキラは彼を守りたいとさえ思い始めていた。
だが、アマネが十五の誕生日を迎えるまでは、キラも真実を告げる事は出来ない。
これは彼の母親であるサラからの言い付けで、キラはいつも喉まで伝えたい気持ちが上がって来るのだが、堪えて飲み込んでいた。
「よく出来ましたね。アマネ、学校は楽しいですか?」
「ううん。楽しくない……でも、キラさんがもうすぐ先生になってくれるって聞いたから、頑張って行ってるんだよ」
「そうですか。僕もアマネのために、頑張って教師になりますね」
キラはまだ十六で、教師になるには、アスカの法律では十八歳以上なので、あと二年は待たなければならない。
しかし、キラはもうそれまでの勉強を修め尽くしている状態なので、趣味として魔術を独学で学び始めたくらいだ。
アマネもキラと同じで、頭がいいので同級生からいじめられている。だからこそ、キラが教師になろうと思ったのだ。
ニコニコと笑っていたかと思うと、アマネの表情は急に曇った。
「ねぇキラさん。ボクは人間じゃないの? 昨日の夜、ママがパパに言ってたのを聞いちゃった……ママはルクリアのニュードイルってところの王女で、いつかボクとユウを返さなきゃならないんだって」
急にそんな事を言われて戸惑った。
だが、すぐに機転を利かせたキラは、アマネをゆっくりと抱き締める。
「その通りです。本当ならもっと先に伝えるつもりでした。でも、僕も同じ、ルクリアの人間です。君は一人じゃない」
「ほんと? ボクは悪魔じゃないの?」
「悪魔……?」
アマネがそんな事を言ったのは何故だろう。サラがそんな事を言う筈はないし、事情を知って結婚した父親は絶対にそんな事を言わない。
ユウだって知らないのだ。
「ボク、悪魔だってクラスの子から言われるんだ」
自分の事ではないのだが、それを聞いたキラは憤慨した。
込み上げてくる怒りは何だろう――しかし、怒りで歪んでしまった顔を、本当に愛しいアマネには見せたくない。
抱き締める腕の力を強め、顔が見えないようにと、華奢な肩に頭をうずめる。
「……君を傷付けるものなんて、消えてしまえばいいのにね」
ゆっくりとした落ち着いた声で背中を撫で、服を伝って滲む温かい涙を感じた。
アマネが泣いている。
何があっても、いつもキラには笑顔でいてくれて、寂しいところなど見せなかったアマネが――。
どれだけ笑顔に助けられただろう。
どんな女性と抱き合っても、どんな女性と寝ても、紛らわす事の出来ない寂しさはアマネが癒してくれる。
それでも大切な人は汚す事が出来ないから、女性と付き合っては別れる行為を繰り返しているのだ。
どれだけ大きな存在だったか、アマネが悲しんでいるのを見て、初めて理解できた。
「こんなに怒ってるキラさん、初めてだよ。ボクのために……なんだかごめんね」
アマネの言葉に力を弱めると、彼は微笑んでキラを見上げていた。
「僕は君が――」
たった少しの言葉なのに言えなかった。
いつもは誰にでも言って来た言葉なのに。
「ボクが、何?」
瞬きをしてアマネは首を傾げた。
「いや、何でもないです」
手を離して、それ以上の言葉を告げるのはやめた。
告げたとしても、それは父親やサラを裏切る事になる――従者が主人に抱いてはいけない感情なのだ。
「ボクはね、キラさんが大好き」
笑顔で言ったアマネの言葉が嬉しく、しかし何と返していいのか分からない気持ちに胸が締め付けられる。
アマネの好きは、多分キラの好きとは違うんだ――。
分かっていながら、アマネの頭を撫でた。
「ありがとう。さぁ、魔術の勉強でもしましょうか」
難しい本を広げ、気持ちを紛らわす。
本当なら、ここで壊してしまいたいくらいの気持ちだった。
理性がそれを止めたから、キラはそれ以上、何もしなかったのだ――。
その日、アマネとユウは両親を急な火事で失った。
火事は魔術によっての放火だったが、『紫色の髪の少年』がやったということで、事件は片付けられた。
アマネはそのショックにより、二度と笑顔も泣き顔も見せる事はなかった。
せめて、全てが失われる前に告げられていたら――そんな事を考える自分が愚かで、冷静な人格が嘲笑する。
「キラさん、ルクリアに行ったら、幸せに暮らそうね」
旅の途中、アマネがそんな事を言った。
「そうですね」
そのために、キラがアマネを守る。
アマネが幸せだと思ってくれて、いつか感情を取り戻してくれた時、あの笑顔をまた見たいのだ。
いつか昔の事のように、今の感情をアマネに打ち明ける事が出来たら――そう思いながら、柔らかいその髪を指で梳いていた。