3.父親との戦い
宿に泊まった一晩だが、見た事のないような街に、ユウは一人ではしゃいでいた。
その様子を見たカイは「まだまだガキだなぁ」とユウをからかって遊んだが、スナイダーの事をまだ忘れられないようで、油断すると寂しそうな顔に戻っていた。
ルクリア人となったカイは、炎の魔術を使える事が判明した。
しかし、魔術は使えるものの、呪いがあるので魔術は控えていたようなのだが、ユウ達と旅をして行く中でいつの間にか修得していたと言うのだ。
最初に会ったグロウスの森でカイは魔術が出せそうだったのだが、呪いが連動してしまったために、暴走という形になってしまったのだろう、とキラは予測した。
今回のはハジメの力のおかげで呪いを緩和出来ていたために、カイも魔術を使う決心をしたのだと言う。
馬車でスタンデシティまで辿り着いた次の日の早朝、ユウの部屋にカイは訪れた。
「ユウ、ちょっといいか?」
「んー、いいよ」
まだ眠たかったが、彼が昨日の事からまだ立ち直ってなさそうだったので、ユウには断る事が出来なかった。
「お前、パプリカがスナイダーみたいになったらどうする?」
カイが真剣な目で見てきた。
ユウは羽を膨らませて眠るパプリカを見つめ、昨日想像した通りの事を言った。
「俺だったら、多分パプリカを殺せないと思う。でもやらなきゃなんないんだよな――殺したら殺したで、自分も死んでると思った」
そんな事は想像するのも嫌だった。
パプリカは親のファウまで失っていて、彼には何の罪はないのに。
だったら、パプリカを殺してユウも死ぬ。
もし本当にそんな事になればどうなるか分からないが、少なくともユウは、それくらいパプリカが可愛かった。
「そうか。俺、やっぱり間違ってたか?」
カイはユウの隣りに座った。
違う。カイだってスナイダーが可愛いから、人間を殺して欲しくなかったのだ。
「ち、違うよ。俺が浅はかすぎるんだ……カイは間違ってないし、スナイダーも感謝してただろ」
あの風に乗って聞こえてきた声は、きっとスナイダーの声なのだろう。
魔物は喋る事は出来ないが、最後の力で気持ちを伝えようとしていたのだ。
だから、カイは決して間違った事はしていない。
「そっか。お前に言われるとなんか安心する。ありがとな。ユウはパプリカを大切にしろよ」
「う、うん」
「つか、今日の朝食当番お前だぜ。今からやっといた方がいいんじゃね?」
カイがいつものカイに戻った気がして少し嬉しかった。
忘れていた訳ではないが、朝食の準備には少し早い。
だが、せっかくなので今日は早めに作ろうと思い、パプリカを起こした。
「パプリカ。お前、ご主人様を守るんだぞ」
カイはそんな事をパプリカに言ったが、言葉の通じないパプリカは「きゅう?」と鳴いて首を傾げるだけだった。
「はは。パプリカに言っても分かんないよ」
宿の施設を借りて朝食を作る最中、カイとパプリカが色々と手伝ってくれた。
いつかこんな風に、幸せに暮らせる日々が続いたら――そう思うと、ずっと先の未来が恋しくなってしまう。
「でもさ、今日は研究所に乗り込むんだぜ。……怖いか?」
「うん。ちょっとな。でも、乗り切らなきゃ。カイはもっと辛いんだから」
「俺は辛くねぇよ。元々母さんを捨てた親父なんか好きじゃねぇし」
カイは笑ったが、どうやらそれは本心のようだ。
彼は五人の中でも感情の変化が最も分かりやすいタイプで、嘘を吐いても顔に出てしまう。自分の気持ちには正直なのだろう。
それを聞いて少し安心したのはユウの方だった。
もし骨肉の争いになった時、カイが傷付いてしまうのが嫌だったからだ。
朝食を済ませると、宿を出て研究所に向かった。
ここの地理はカイが一番詳しく、キラでもスタンデシティには行った事がないと言うので、案内役はカイに回されたのだ。
スタンデシティはリギン村より広く、機械類がたくさんあった。
工場の種類も豊富で、見た事のない機械が作動しているのを見ると、やはり新鮮な気持ちになる。
リギン村を出た事のないユウにとって、スタンデシティは趣のある場所だった。
「親父の研究所があるんだけど、多分そこにいると思うんだ」
カイが言うには、スタンデシティで一番大きな研究所で、機密的にルクリアの事を研究しているようだ。
カイの父親が何の為に彼をルクリア人に仕立てたのかは予想不可能だが、絶対に許される事ではない。
「ユウ様。怒っていらっしゃいますか?」
「うん。何でかな……誰かに対してここまで怒るの、初めてだよ」
「それでいいのです。だから貴方には光の加護が与えられた」
キラの言う意味がユウにはよく分からなかった。
「親父を倒す前に、ルクリアの研究を止めさせるべきだ。これ以上犠牲者はいらねぇ……」
カイは実験に成功したからよかったものの、失敗していたらどうなっていたのだろうか。
「カイ……」
彼はもう友達だ。
何としてでも助けたいし、元の生活に戻してやりたい。
メリア家の研究所は他の研究所の倍近くの大きさで、外から見ただけでも莫大な費用が掛かっている事が予想される。
しかし、研究所自体は大きいのに、防音設備が整っているのか中から物音ひとつ聞こえやしない。
ルクリアの研究を機密的に行っているだけあるだろう。
「カイ!」
研究所に乗り込もうとした時、背後からカイを呼ぶ若い男の声が聞こえた。
ハジメとキラとカイはそれに瞬時に反応してそれぞれの武器を構え、いつでも戦闘出来るよう、準備を整える。
見ると、カイを呼んだのは一人の少年だった。
「タク……」
即座に武器をしまったカイは、その少年に何の疑いもなく近付いて行く。
「探しに来たんだぞ。何週間も何処に行ったかと思えば、シアン様にスタンデシティに連れて行かれたって聞いて……屋敷に戻ろうぜ」
黒ぶちの眼鏡が特徴的な金髪の少年は、対等に話しているものの、礼儀正しく正装をしている。
「タク、親父はここか?」
「……違う。理由は分からないが、シアン様はつい先ほど、研究員と最新のベヒケルでレーライ村へ向かわれた」
「親父の奴……」
今まで抑えていた感情が込み上げてきたのだろうか。
最初、森で会った時のように、カイの身体は熱気に包まれた。
幸い、今朝にハジメから治療を受けていたので気絶するだけで済んだが、
「カイ!」
タクはその事情を知らず、倒れてきた彼を抱き留め、ユウ達四人を疑いの眼差しで睨み付けてくる。
どうすればいいか、と思い悩む中、タクの前にキラが歩み寄って行った。
「何なんだお前!」
背が低めのタクはキラを見上げた途端、黒ぶちの眼鏡がずり落ちそうになったが、それさえも気にせずにカイを庇っていた。
警戒されている中、相手をちゃんと説得出来そうなのは、この中ではキラくらいしかいないのだ。
ユウやアマネだったら小さいし、説得力に欠ける。ハジメも不器用なところがあり、説明をするのは少し苦手そうなのだ。
「失礼しました。僕はキラ・ダーティス……カイの友人です。カイとはグロウスの森で出会いました」
キラの紳士的で丁寧な態度に安心したのか、眼鏡を指で上げた次の瞬間から、タクは睨み付ける目付きではなくなっていた。
カイを抱き留めた彼は改まった態度を示す。
「カイの友人か。無礼な態度、すまなかったな。何分、こいつはよく命を狙われる――俺はタク・シルベルト。カイの親友だ」
「カイの親友」という言葉を聞き、真っ先に反応したのはユウだった。
「じゃあ、カイの会いたい人って――」
キャステージでカイが言った事を思い浮かべる。
彼には本当は会いたかった人が二人いて、一人は片思いの初恋の人、もう一人は親友だと言っていたのだ。
「会いたい? カイがそんな事言ってたのか? でも何故だ……」
「実は――」
頭に疑問符を浮かべるタクに、タイミングを見計らったキラが今までの出来事の経緯を説明した。
グロウスの森の奥側、なかなか見つからない場所にカイが倒れていたこと。
カイは父親の権力によってルクリア人に改造されていること。
その上呪いまで掛けられていることか判明し、森で暴走して死にかけたこと。
カイの父親であるシアンが、仕える筈のトワイライト陛下を裏切っていること、ペットのスナイダーのこと――。
簡単にだが、必要な部分は全てキラが伝えてくれた。
タクの表情が曇る。
「分かった。お前らがルクリアの研究をやめさせたいなら、この研究所を爆破するといい。その話が本当なら、ルクリアの資料も研究材料も、この中から出せない筈だからな」
どうやら彼もこの計画に協力してくれるようだ。
「んー……またやっちまった。でも話は聞こえてたぜ。早く爆破して、レーライ村に向かう!」
タクから離れたカイは起き上がって背伸びをすると、鉢巻きをきつく締めて気合いを入れた。
「カイ、大丈夫なの?」
ユウは何よりカイの体調が心配だった。呪いが急激に進行しているのは見え見えなのに、
「俺が行かなきゃダメだろ」
それだけ言って彼は笑った。
「中のシステムは俺に任せてくれ。研究員を気絶させるのはあなた方でお願いします」
タクはキラに申し出て、研究所の重い金属製のドアに手を掛けた。
「分かりました。ハジメさんとカイと僕は前に行きます。後の三人はそれに付いて来て下さい」
手っ取り早くキラが指示をすると、暗証番号をハッキングしたタクは、一気に研究所の中へと導いた。
その瞬間に警報のサイレンが鳴ったが、途中の扉を同じ手順で開いて行きながら、構わず進んで行く。
やはり途中で研究員が抵抗してくる事はあったが、ハジメやキラやカイには勝てず、あっさりと気絶してしまっていた。
ここの研究員は顔色が悪く、肌が全く日に焼けてない状態の人間が多いように感じられる。
それだけルクリアの研究は難しいものなのだろうか。
研究所を進んで行けば行くほど、グロテスクな物が視界に入ってくる。
中には実験に失敗したのか、人間――それも変わり果てた姿になっている者が放置してある施設もあった。
「っ……!」
死臭というものだろうか。
嗅いだこともないような刺激臭に鼻を覆い、同時に気分が悪くなる。
もし失敗していたら、カイもあのようになっていたのだろうか。
「パプリカ、俺の頭から離れちゃダメだよ」
「きゅう……」
仲間達はそれを振り切ってでも前に進んで行った。
ユウが足手纏いになってはいけないから、見ないふりをして仲間の後を付いて行く。
全力疾走なんて今までに必要なかった事だが、肺が破裂してしまいそうなくらい、長い時間走っているような気になった。
ユウは次の扉のシステムを解除している仲間達にようやく追い付き、息を切らして前を見た。
「これが恐らく最後の扉だ。この奥に中核システムが――」
タクがハッキングを始めた直後だった。
「助けて下さい!」
一人の男がユウの足ににすがりついたのだ。
肌が爛れているところから、きっと何らかの実験に使われてしまったのだろう。
「今、治します。安心して下さいね」
許せない、と怒りが込み上げてきた。
何の罪もない人間をなぜ、実験用のモルモットとして使用し、こんな事にしてしまうのだろうか。
ユウはポシェットからオカリナを取り出し、その場にしゃがんで癒しの曲を吹いた。
だが、爛れた肌は元には戻らず、どれほど自分が無力なのかを思い知らされるだけだった。
「ありがとうございます……」
それでも礼を言われるだけで、今にも泣きそうになる。
何も出来ないのに、どうして――。
「開いたぜ」
扉が自動的に開き、タクが中に入った時、
「間に合ったか! そうはさせんぞ!」
銃を構えた、先ほど相手にしていた研究員よりも強そうなそれらが背後から現れ、一発だけだが、治療した男性の足に銃弾を打ち込んだ。
打たれた男は悲鳴を上げる。
ズボンの上から血を滲ませて助けを求める彼に、再びオカリナを吹く事しか出来ないユウが嫌だった。
「貴様っ……」
瞬時にキラ達はその研究員と戦い始めたが、ユウはその役にも立てず、軽い外傷を癒すしか出来ないのだ。
そう思っていると、オカリナに刻まれた紋章が僅かに光った気がした。
いつもと同じ曲を奏でている筈が、先ほどの効果とは違い、みるみる男性の肌の爛れが治っていく。
不思議とその力は、長い研究所を走り回り、戦い疲れたハジメ達三人も癒していたようだ。
「よくやった、ユウ」
そう褒められたかと思えば、次の瞬間には、ハジメは新しく見せた闇の力を纏う剣で研究員たちを切り裂いた。
戦い慣れしていないユウやタクは、その光景から目を逸らす。
「ありがとうございます。貴方がたのおかげで助かりました」
治療を終えた男性は普通の青年で、ユウに抱き付いて礼を言った。
「いいんですよ。無事で何よりです」
助ける事が出来て良かった、とユウは笑った。
「それより、貴方はどうしてここに?」
キラはその青年と視線を合わせて訊いた。
「私はレーライ村のジョンと言います。五日前に何者かに連れて来られ、数時間前に実験のようなものが始まりまして……幸い研究員は何らかの騒ぎで中断したのですが、その隙を逃げて来たところでした」
黒に近い茶髪の前髪を掻き分け、ジョンは冷や汗を拭った。
「他の実験台にされた人は……?」
「私以外は失敗し、死体を放置する部屋に容れられました」
「――すまなかった。俺はここの責任者の息子だ。金で済む問題ではないが、後で多額の賠償金を払いたい」
カイはジョンに向かって土下座の形で謝罪をした。
まだ生まれてから二十年にも満たない息子が、父親の責任を自ら負わなければならない現状なのだ。
最低だ、とユウは心の中でシアンを非難した。こんな事はカイには言えないけど、どんな理由があっても許されない事だと思うのだ。
「メリア様、ですよね。いいんです。貴方は悪くないんですから、レーライ村に帰してくださればそれで――」
水色の髪と眼をしたメリア家の血筋はやはり有名なようだ。
ジョンが人のいい人物だったからこそ、この場でカイはこっぴどく叱られずに済んだのかも知れないのに。
「約束する。絶対に村へ帰す。二度と貴公のような被害者は出さない、と」
いつもより畏まった態度を示すカイは、貴族らしい物言いで謝罪を続けた。
「も、もういいんですよ。助かったんですし」
その様子にジョンは少し困っている素振りを見せた。
貴族にここまで謝罪されたら、普通の人間は大抵萎縮してしまうだろう。
「……シアン・メリアがいない間に、この研究所を爆破します。生存者は貴方だけですね?」
「は、はい……」
「では、タクさん。爆破するように仕込めますか?」
キラの目はいつもより真剣だった。彼も怒っているのだろうか。
「待って。研究員の人たちは?」
先ほどの研究員はハジメが殺したものの、ほとんどは気絶させただけの者が多いのだ。
まさかキラは、彼らも一緒に爆破させよう、という考えなのだろうか。
「ユウ。ここまでしたのは誰だ? もし誰かが生き残り、外部に情報が漏れたとしよう。次の被害者が出ないと断定出来るのか?」
断定は出来ない。
ハジメやキラが言うのも仕方ないだろう――。
「そう、ですね。俺が甘かった……ごめん」
浅はかな考えでまた犠牲が出たら――と考える事ができた。
今度は自分の善意で人が傷付いたり、死んだりしなくて済むのだ。
ハジメがそれを止めてくれて、納得出来るような理屈を並べてくれたからか、ユウはあきらめざるを得なかった。
「いいんだ。ユウは小さいんだから、人が死ぬのに戸惑うのも当たり前だろ」
だが、カイに頭を撫でられて少し安心する。
暫くの間、タクとキラは一緒に奥の部屋へと入り、ずっとよく分からないようなコンピュータを弄り続けていた。
ユウも途中で見てみたのだが、幼い頃から勉強しているか、或いは馴染んでいなければ、使うのは不可能そうな機械ばかりだ。
リギン村にはこんなにたくさんの機械はなかったからか、ここよりももっと都会のハイムルはもっとすごいのかと思ってしまう。きっと人間よりもロボットが多く出歩いているのだ。
長時間の間に渡ってだったから、その間にアマネとジョンを先に研究所の外に出させ、タクとキラは真剣に操作を行っていた。
二人がコンピュータを作動してから二時間ほど経ち、ようやく彼らが部屋から出て来た。
その部屋よりひとつ前にある部屋で待機していたユウとハジメとカイは、やっとのことで出て来た二人を同時に見上げる事になったのだ。
「五分後に爆破するよう、無理矢理プログラムを組み込みました。急いで出ますよ」
そう言ったキラは、タクと一緒に走り始めた。
広い研究所なので、全力疾走で駆けても五分でぎりぎりくらいだ。
残りの三人も彼らに続いて走り出した。
「タク! 何で十分内にセットしなかった!?」
「爆破するだけでもかなり難しかったんだ。結局延ばせて五分だった」
「だからアマネとジョンを先に行かせたんだな?」
走りながら呑気に喋る二人は、本当の親友だった。
「喋らず走りなさい!」
キラから怒られた二人はそれに答え、走り続ける。
研究所は爆破され、周りから少し離れていたので被害はなかったのだが、それでも見物人は多かった。
何とか昼までに終わったので、ユウ達はベヒケルでシアン達を追い掛ける事にした。彼らが朝に出発したのなら、たった数時間の違いでレーライ村に辿り着けるのだ。
ベヒケルという乗り物は、幌馬車が馬を使わずに自動で動くようになった車のようなもので、街から街への移動には大抵これか幌馬車が使われる。
ただ、リギン村で持っている人は、必要に迫られていなかったので少なかった。
ベヒケルはタクが運転してくれて、ちょうどジョンを含めた六人が乗れるほどのスペースはある。
後ろの荷物置き場のような場所に六人くらいが乗れる、ちょうどいいくらいのスペースがあった。
ジョンは研究所の生活に疲れてか、ベヒケルに乗ってすぐに眠ってしまい、後部の席で起きているのはいつもの五人だけになった。
「そう言えば、カイの初恋の相手とは?」
車が出発した直後、珍しくハジメが茶化すような事をタクに訊いた。
「あー、ソラ姫様だよ」
「姫ぇ!?」
その答えに訊いた本人よりもユウの方が驚愕してしまい、それに気付いた後に思わず顔を赤らめた。
姫と言えば、トワイライトの娘に当たる人物の事を指すのだろうか。
だが、トワイライトの後継者は既にナイトという女性だということが決まっているのだと、キラの授業で聞いた覚えがある。
「トワイライト陛下にはもう一人娘がいると聞きましたが……その方なのですね」
納得したのか、キラは頷いて自己解決をしていた。
「ナイト殿下の妹の、ソラ様な。ソラ様は後継者じゃないので割りと自由な生活をしていらっしゃるから、カイと幼馴染みなんだ」
タクは笑いながら話を進めた。
「たまに前触れもなく雷や雨が降るだろ? あれ、ソラ様の仕業なんだよ」
前触れもない雨や雷と言えば、まさにカイと会ったあの日がそうだった。
暴走したカイの身体を治してくれたのはソラの雨――大量の水だったのだろうか。
「あったな。カイが暴走した時に。あの雨がなければ死んでいただろう」
ハジメは腕を組み、ニヤニヤと笑っている。
「でも雷は嫌だなぁ」
膝の上に乗ったパプリカに切ったポテトをやりながら、ユウは雷のことを思い出して身震いした。
「あー、もう。やめろって! ソラ様はどうせ俺の事なんて親友としか思ってませんよーだ!」
周りがソラの話で盛り上がったからか、カイがふてくされた様子を見せた。
もうすぐ砂漠だというのに、この様では少し暑苦しい来もする。
「親友ならいいだろ」
ハジメはカイの肩をぽんと叩いたが、
「はぁ? 何がだよ?」
「まぁまぁ。彼は相手にされない寂しさからカイの事を訊いたんですし、そっとしておきましょう」
「へー。ハジメって肝心な奴にはモテないんだな」
と今度は彼が二人に茶化される番になってしまったようだ。
ユウは話題に付いて行けず、苦笑いをして賑やかな三人組を見ていた。
ハジメもキラも一見は冷静で大人な人に見えるが、それでもやはり恋愛をしてるのだと思うと、人間臭さが身に染みる。
「兄さんは好きな人とかいるの?」
ふいにアマネに訊いてみた。
五人の中では一番無口なアマネも、好きだと思える人はいるのだろうか。
「好きなひと……?」
しん、とその場に緊張感が張られる。
何故か残りの三人が耳を傾けているのだ。
「キラさんが好き」
アマネの答えにカイが笑い出す。
「ははは。良かったな、キラ」
「楽しそうですねぇ、カイ」
ユウはゾッとした。
明らかにキラがあの『腹黒スマイル』を見せているのに、カイが全くと言っていいほど気付いていないからだ。
逆らったらどうなるのだろう――ユウは半分好奇心があったが、それでもカイに気付かせようとする。後が怖いのだ。
次の瞬間、ベヒケル全体が揺れた。
「何だ!?」
キラがキレてしまう前で良かった、とどこからともなく鞭のような物を持ち出していた彼を見て思ったが、どうやらそれどころではないようだ。
「人がいたから急ブレーキを掛けた……しかし、砂漠に人? 旅人――にしては多いよな」
タクが指したのは、前から大人数で歩いてくる、紅い目をした人々だった。
ナリュエ族がアマネを追って、それも大勢でやって来たのだ。
「タク、そのままベヒケル止めてるんだぞ。アマネとユウとジョンは任せたからな」
「あ、あぁ」
そう言うとカイは先に飛び降りて行ったハジメとキラに続き、銃を構えてナリュエ族に立ち向かって行った。
ユウもオカリナを装備し、傷付いた仲間をいつでも回復させる準備は出来ていた。
ハジメが振る剣には、目に見えるほどの大量の闇のスロナが放出され、一気に敵を切り裂いていくほどの威力を持つ。
キラの弓は普通の矢以外にも氷で出来た矢や炎で出来た矢を、風の力を使って敵を完全に仕留めている。
カイはスナイダーと戦った時のように、両手の銃から次々と炎で出来た弾を発射し、それでも近付いてきた敵には得意の体術で蹴りをいれていた。
三人ともかなり大きな戦力だが、敵の数は半端ではなく、疲れた彼らを癒すのにも遅れをとってしまう。
なぜナリュエ族に場所を知られたのだろうか。
どうにか敵は全員消滅したが、疑問が残ってしまう戦いだった。
「あいつら、何なんだ?」
タクはおびえた様子で運転を再開した。
「あれがルクリア人なんだと。死んだら消えたろ? アマネを狙ってるから、あぁするしかないんだよ」
カイはせつなそうに銃をしまった。
ちょうど今から通ろうとしている箇所が、カイとスナイダーが戦った場所なのだ。近くに小さなサボテンがあったから間違いはない。
少し遠くの砂漠だったが、そこに金色に光るものがあるのが分かった。
「タクさん。ちょっと止めてください!」
「あ、うん?」
タクに頼んでベヒケルを止めてもらい、それを拾いに行った。
人間の指にはめるとしても少し大きめのサイズで、かと言って腕にはめるには小さすぎるような、純金製のリングが落ちていた。
その内側の砂をはたいて見てみると、小さく『スナイダー』と彫ってある文字が浮き出てくる。
ユウは即座にベヒケルに戻り、もういいです、とタクに告げた。
「カイ、これ……」
拾った物をカイに差し出した。
「スナイダーに付けてたやつだ。――ありがと、ユウ」
カイはそのリングの一部を炎の力で溶かし、自分の耳に穴を空けてそれをピアス代わりに付けた。
「ずっと一緒な、スナイダー」
寂しそうにそう笑って――。
ベヒケルに乗っていると、あっと言う間にレーライ村に着いていた。
掛かった時間は五日と少しだ。
途中で運転手であるタクを休ませるにはそれくらいの時間があればいいし、何より歩いて何週間も掛かる場所に、たったそれだけの時間で行けるのが感動的である。
デサルト砂漠を越え、故郷であるリギン村を通り過ぎ、更にはカイと出会ったグロウスの森も、歩く速度とは比べ物にならない速いスピードで抜けて行った。
砂漠はともかく、平原や森に入ると、途中の景色を見るのが楽しくなる。
グロウスの森を抜けた時、もう少し北に進んだらレーライ村があるのを知っていたからか、少しがっかりする気持ちもあった。
その一方で、やっとジョンを故郷に送る事が出来たので、嬉しい気持ちもあったのだが。
「ユウくん、ありがとう。君がいないと死んでいたよ。こんな物で悪いけど――」
ベヒケルから降りる前、五日間一緒に過ごしたジョンが言った。
ユウは何かと思って首を傾けていたが、彼がポケットからピンク色のリボンを取り出し、抱いていたパプリカの頭に付けてくれたのだ。
「いいんですか……?」
「いいんだよ。私は織物を織る仕事をしているから、ちょうど良かったよ」
「ありがとう!」
オスだけど、リボンを付けたパプリカは可愛い。
嬉しくなったユウは、それから彼を家まで送って行く途中、パプリカを抱いて鼻歌を歌っていた。
「きゅう?」
当の本人は何をされたかよく分かっていない様子で、首を傾げてユウを見上げるが、その仕草もまた可愛らしいのだ。
「見て見て、カイ。可愛いだろ」
「おっ、ホントだな!」
歳が近いけど近過ぎないカイは、ユウにとってアマネよりも『頼れる兄』という存在になりつつあった。
キラに懐くアマネの気持ちが少し分かった気がしたのだ。
「ユウはカイと仲いいね」
あまり口を聞かないアマネが、二人を交互に見つめて呟いた。
「うん。まぁ……お兄ちゃんみたいな感じかな? なっ、カイ」
「あぁ。そうだよ。何ならユウは俺の弟になれよな!」
冗談混じりに会話をしていると、
「待て。何故よりによってカイのものになるんだ?」
急にハジメが割り込んで来た。
どうしたのだろうか。子供同士の会話に、いつも冷静な彼が割り込んでくるなんて――。
ハジメの質問に答えるよりも先に疑問が浮かんできたために、ユウは固まったまま彼を見上げていた。
「ハジメさん? カイのものじゃなくて、弟ですよ」
一時してハジメが誤解している事が分かったので、ユウは笑顔でそう言った。
そのすぐ後にカイがハジメの肩を叩き、
「ドンマイ!」
と言ったのだが、一体何に対してそう言ったのかが分からなかった。
歩きながらキラやタク、それにジョンまでクスクスと笑っている。何か変な事を言ってしまったのだろうか。
恥ずかしくなったユウは、きつくパプリカを抱き締めた。
レーライ村はリギン村よりも人口が多いものの、スタンデシティほどの機械の設備はそんなに見掛けない。
普通の家々の中に市場があり、果物や野菜などの食料を安価で売っている。空気もいいし、本当の目的も忘れてしまいそうだった。
布がたくさん並べてある店の前まで歩くと、ジョンがそこで足を止めた。
「私の店はここです。ありがとうございました。お礼と言っては何ですが、近所の知り合いにもメリア家の方がいたら報告するように言っておきますね」
ジョンはお辞儀をすると、店の奥に入って行った。
店の中にはちょうど両親がいて、温かく迎えられるところまで見送り、ユウ達は本来の目的を果たそうと、再び歩き始める。
「親父が迷惑掛けて申し訳なかったな……」
父親がやった事に一番責任を感じているのは、息子のカイの方だった。
彼はメリア家の子息だとは言っても、一番末の兄弟の筈だ。それがこんなに辛い目に遭い、責任を取るなんて間違っているのではないだろうか。
「カイは兄弟がいらっしゃるのですよね?」
同じ事を考えたのか、キラが代わりに言った。
「あぁ。上の兄弟は四人いるけど、本妻の子供は俺だけだ。母さんになかなか子供が出来なかったから、俺が生まれる前に色んな女誑かしやがって……本妻の子だからって俺は引き取られたけど、母さんはあっさり捨てられて自殺したんだ」
カイは思い出したのか、目付きを変えて拳を握っていた。
「じゃあ、メリア家を継ぐのは誰になるんだ?」
「俺を含めた男の三人が候補に上がってた。一人は事故で死んだけど。親父は俺に継がせたくなかったんだろうな。長男が一番可愛いんだし」
怒りに任せてカイは速足で進んで行った。
両親に愛されていたユウには、その気持ちを身を持って知る事が出来ないだろう。
今の彼に掛ける言葉が何一つ見付からず、ユウはただその頼りない背中を見つめていた。
自分に出来るなら慰めてやりたい。母親の事もあったんだから、本当なら彼は苦痛から解放されてもいいと思うのに。
村を吹き抜ける春の風は、まだ少し冷たかった。
「カイ、生きていたのか……」
リギン村の中心部で、その声と共にカイは立ち止まった。
彼と同じ水色の髪と瞳をした人物が、正装の男三人を従えて歩いている。
「シアン・メリア――よく実の息子を森に捨てやがったよな。レーライ村の人を拉致しやがったのも、トワイライト陛下を暗殺しようとしてるのもお前だろ!」
今まで見せなかった目付きで怒り狂い、村人が何人も聞いている中で大声で叫び、むしろそれをわざと全員に聞かせるようにカイは言った。
村人たちがざわめき出す。
メリア家はアスカでは有名な貴族で、それも国王に仕える家系なのだから、そんな不祥事はすぐに伝わってしまう。
シアンはカイを見くびっていたようだが、彼は勉強をしようとしないだけで、頭はいいのだ。
「ま、待て。向こうで話そうではないか」
冷静に言ったシアンだったが、かなり焦っている様子だった。
護衛役の男達が銃口をカイに向ける。
「本当ですか?」
「私の息子をさらったのはメリア様なのですか?」
村人が次々に問い質しに来たのが、カイの思惑だったようだ。
「そうなんです。スタンデシティで違法の研究を行い、多くの犠牲者を出しています。私はこの方々に助けられました」
騒ぎに駆け付けたジョンが言うと、村人の騒ぎは一層と大きさを増し、中には石などを投げてくる者も多かった。
「シアン様に何をする!」
途端、ボディーガードの三人が銃を撃ち始め、村人に怪我はなかったものの、村人の声を絶叫に変えた。
しかし、一般人には銃弾が当たらなかったものの、アマネの脇腹を貫通してしまっていた。
辺りに沈黙が流れる。
その隙にシアン達は逃げ、村人の中でも若い男が数人、彼らの行方を追った。
「アマネ……!」
冷静さを失ったキラは敬称を付けるのさえ忘れ、倒れたアマネに駆け寄った。
ユウは身体が震えて立てなくなり、腰の力が抜け、一気にその場に座り込んだ。
実の兄が撃たれ、血を流している。
早く回復しなければならない――けれども、まともに曲が吹けない精神状態で、《カリュダ》の術を発動する事もままならなかった。
「親父の奴、絶対許さねぇ!」
熱気を帯びたカイは遠くからだが銃口をシアンに向け、何発か弾を撃った。
しかし、走っている物体を打ち抜くのは至難の技で、なかなか当たらない事は分かっていたらしく、舌打ちをすると、
「キラ。俺とカイはシアンを追い掛ける。お前はユウとアマネとタクを守っておけ」
ハジメが気を利かせて追い掛ける事を宣言し、二人は走ってシアン達を追い詰めに行った。
「アマネ……アマネ様……」
まるで実の兄弟が死の間際にいるような感覚で、キラは目を開けないアマネを必死に揺さぶり続ける。
やっとのことでユウは技を発動出来たが、出血を止められた程度で、自分にも大いなる責任を感じてしまった。
「俺のせいで、兄さんが……」
動揺せずに技を素早く発動していたら、目を覚ましてくれたかも知れないのに――。
「ユウ、お前のせいじゃない」
「きゅうぅ……」
タクとパプリカは慰めてくれるものの、キラはそれどころではなかった。
倒れたアマネを抱き締め、無言で座り込むキラの姿は、たくさんの生徒達に尊敬されている彼の姿とは、異なる形でユウの目に焼き付いてしまう。
それだけ、キラはアマネを大切にしていた。
「キラさん、ダメだよ……ボクはだいじょうぶ、だから、早くカイたちを追いかけなきゃ」
一瞬だけ目を覚ましたアマネは、それだけ言って再び眠りについた。
「兄さん!?」
「――大丈夫です。安心出来ました。タク、アマネを頼んでもよろしいですか?」
すぐに冷静な声に戻したが、顔は怒りで煮えくり返っている様子だった。
「いいぜ。アマネくらいなら背負えるし、シアンを追い掛けよう!」
タクは弓を構えるキラからアマネを預かり、大切なものを扱うように丁寧に背中に載せた後、そのままの体勢で走り始める。
ユウもパプリカを頭に掴まらせ、キラとタクに付いて走っていた。
アマネは死んではいないようだが、両親の死以上の精神的なショックは、二度と感じさせたくないと思っていたのに。
今度の出来事がまた心の傷となり、今以上に感情がなくなったら――キラを好きだとさえ思わなくなったら、アマネはどうすればいいのだろう。
今回の事もあり、キラもシアンが絶対に許せなくなったのは言うまでもないのだ。
カイ達を追って行くと、村人と共に引き返してくる二人の姿があった。
「タク、お願いだ。親父達、ベヒケルでハイムルに行ったんだ! 陛下を暗殺するつもりだ!」
息を切らしたカイが、アマネを背負うタクに訴えた。
「分かった。ベヒケルで追い掛けよう。だが、向こうは最新型だ……全力疾走じゃないと追いつかないな」
「そうと決まれば、アマネ様は僕にお任せ下さい」
「あぁ、頼む」
タクはキラにアマネを渡し、ベヒケルの鍵を握って走り出した。
「そこで待っててくれ! ここまで運転して来るから!」
タクという心強い仲間がいて良かった、と安心した。
一方で、ユウはアマネの体調が気になって仕方なかった。
彼は身体自体も普通の人より弱いから、急所を打たれなかったものの、銃弾で貫かれただけでもショックは大きい。
周りの雰囲気も、このレーライ村に来た時とは明らかに変わっている。
村人は先ほどの騒ぎでざわめき続け、村人から村人へとメリア家の噂が広まっていく。
辿り着く前はまだ温厚だったキラも、今は端正なその顔を怒りで歪め、握り拳を震わせている。
カイはスナイダーの遺品である、リング状のピアスを指で触りながら、父親に対して相変わらず憤慨していた。
ユウも彼らと同じで、大切な友人を幼い頃から心に傷を負わせ、更には兄を死の淵まで追いやったシアンが許せない気持ちでいっぱいだ。
冷静な人だと言えばハジメだけで、そんな彼も顔には出さないものの、怒りを感じているのは確かなようだ。
村の外れなのが幸いしてか、すぐにタクはベヒケルに乗ってやって来た。
それまでに少し時間が掛かったが、どうやらベヒケルの燃料と食料を買ってくれていたようだ。
「早く乗れよ。何にせよ、俺もシアンが許せねぇ。今までの事もあるしな」
タクは黒ぶちの眼鏡を痕がついてしまいそうなほど、強い力を指に込めて上げた。
それから間もなくベヒケルは発車したが、全員の心境は複雑なものだった。
来たばかりの村を通り過ぎ、見えなくなるまで見つめ続け、心の中でジョンに届かぬ礼を言う。
日が暮れた事も忘れ、仲間達は眠りに就く中、一人で空を仰いでいた。
「きゅっ! きゅきゅきゅっ!」
膝を抱いて伏せていると、パプリカが構って欲しいと言わんばかりに飛び跳ね、ユウの足を嘴で甘噛みする。
そんなファウを見て、泣きたい気持ちになった。
「パプリカ……」
守りたい。
カイやアマネ、それにアスカ全体を。シアンの好きにはさせていられない。
ルクリアに行くのはもう少し先の事になりそうだが、今はナリュエ族に追われているというのより、シアン達を追ってトワイライト暗殺を阻止しなければならないという、責任を感じる意思の方が大きいように思えた。
頬に当たる風が、パプリカの頭についたリボンをなびかせている。
ユウは小さな彼を小さな胸で抱き締め、その羽毛の中に顔をうずめ、目を閉じた。
少しくすぐったいけれど、温かくて心地よい。
「俺、もっとみんなの役に立ちたいよ。カイを呪いから解放したい――」
まるで誰かに抱かれているようで安心し、見られていない事が明らかだったので、少しだけ弱音を吐いた。
パプリカが頭を撫でてくれる。――いや、違う。パプリカはユウの胸の中で呼吸をしているのだ。
では、この感覚は何なのだろうか――。
「泣いてないのか」
見上げると、いつも弱音を聞いてくれる人物だったので、ユウは安堵して微笑んだ。
「ハジメさん。いつも俺のこと、気に掛けてくれてありがとう」
思えば、彼は他の誰よりユウを気にしてくれている。
「気になるだけだ。俺のは一方的だろ?」
「そんなこと、ないです。ハジメさんは仲間だから、大切に思ってますよ」
「……そうか」
ハジメは上着を脱ぎ、それをユウに着せた。
「ハジメさん?」
突然の行動に戸惑う。
「今夜は冷える。風邪、引くなよ。俺は平気だが、お前が引いたらダメだ」
確かに、回復役がいなければ、何時も続く戦闘は少し辛いものがあるのかも知れない。
「ありがとう。でも、あなたも気をつけてくださいね」
「分かってる」
ハジメと少し会話をし、気がついたらパプリカも眠っていた。
明日も早いだろうし、ユウがしっかりしなければ、アマネが落ち着いて心を休める事が出来ないのだ。
そう思い、温かい環境で一夜を過ごした。
レーライ村を北西に行ったところに、アスカブリッジと呼ばれる、二つの大陸を結んでいる橋がある。
その橋を越え、もうひとつの大陸に渡ったところ、更に南西に進んで行くと、目的地であるハイムルに到着した。
二日掛けてハイムルに着いたが、運転手のタクはあまり寝ていない状態である。
外から見るだけでも、ハイムルという街は首都圏なだけあり、かなり大きな城が聳え立っている。
数日前にスタンデシティを見たばかりだが、そこよりは機械化している訳ではない。ただ、人口が莫大で、老若男女構わず忙しそうで、タイルで出来た道を行ったり来たりしている。
ユウ達六人がベヒケルで到着したのが昼間の事だったのだが、街の中に入るなり、何らかの騒ぎが起きていた。
「どうしたんですか?」
街の素晴らしさに圧倒されたユウは、一番にその場に駆け付けた。
「ソラ様が行方不明になられたんだ。昨日の夜から城に帰っていない――」
街の人はそう言うなり、カイを見付けて騒ぎの声を大きくした。
「カイ様! ソラ様が……」
ユウと住民の会話を聞いていたカイは、目の色を変えて前に出て来た。
「カイ。話が変じゃないか? 奴等がハイムルに着いたのは、最新のベヒケルの速度から見て、恐らく昨夜だぞ。だったら――」
ソラという姫がいなくなった理由は、シアン達にあるのかも知れない――。
タクはそう言いたいのだと、その場にいた全員が悟っただろう。
「トワイライト陛下の所在は?」
「家臣も色々な場所を探したそうですが、アスカ・サンクチュアリは王家の方しか入れませんから、つい先ほどお一人でそちらへ向かわれました」
「分かった。ついでに訊くが、父上は?」
大衆に聞こえるようにカイは言ったが、暫くは返事が返って来なかった。
アスカ・サンクチュアリ――以前、授業で聞いた事のある場所だ。
国王が占いによって政治を行う場所であり、見習いの王族が魔術を学ぶ場所であるので、決してアスカ王族以外は立ち入ってはならない場所だ。
住民がキョロキョロと辺りを見回す中、一人の男が言った。
「昨夜見ました。この街を抜けて、確か――」
こちらの大陸は王族が魔術を習う場所とされるため、ハイムルとアスカ・サンクチュアリ以外の街や施設は皆無である。
「ありがとう。前を通してくれ」
カイがそう言うだけで住民達は次々に道を開け、その中をユウ達は歩いて行く事になった。
これを間近で見ると、メリア家の権限がどれだけ大きいのかが分かる。
「どうするつもりですか? 一般市民がアスカ・サンクチュアリに入るのは禁じられています」
歩いてアスカ・サンクチュアリに行く途中、キラが言った。
「このまま陛下とソラ様を放っとく訳にはいかねぇし、それで犯罪に問われるんなら、メリアの名を捨ててハイムルを出るよ」
それくらいの覚悟くらいは出来ている、とカイは鉢巻きを締め直し、そのまま速足で歩き続けた。
まだ来たばかりのハイムルを急いで出て、更に南西に進んで行く。
途中でアマネが歩き疲れてキラに背負われた。
アマネと言えば、レーライ村の騒動の一件があって、やはり少しショックを受けているようだった。
それでも本人には「仲間に心配を掛けたくない」という意思があるらしく、今以上に感情を失ってしまう事からは避けられた。
しかし、キラはシアンが許せないようだ。
ベヒケルで旅したこの二日間、キラは弓を欠かさず磨いていた。
それも「首を洗って待っていろ」とか「きついお仕置きが必要なようですね」とか、独り言をぶつぶつと呟きながらだ。
仲がいいらしいハジメも、さすがにその様子には引いていたのを覚えている。
こんなに感情的になった彼を見たのはユウも初めてだったが、どうやらアマネはそうでもないらしく、「キラさん、あのときみたい」と言っていた。
アマネの言った「あのとき」の詳細は怖くて誰も訊けなかったが、リギン村で生徒以外にもその腹黒さを見せていたのだろうか。
ある意味一番恐ろしく、それでもアマネだけには甘いキラの性格が掴めない。
「ここか……? アスカ・サンクチュアリというのは」
アスカ・サンクチュアリの前まで辿り着いた時、ハジメが不思議そうな顔で見上げた。
「えぇ。間違いないでしょう」
天まで続いていそうな高い塔――先端は雲で隠れていて、どこまで高いのかは想像もつかないところだ。
「確かに此処はルクリアと繋がっている。俺がアスカに来た時、最初に降りたのがこの塔の頂上だ」
ハジメの言う事が本当なら、思いもしない繋がりである。
それで一般人を近付けないのもひとつの理由なのだろうか。
「とにかく先に進もう」
そう率先して赴いたカイは、どこか焦っているように思えた。
彼がそうなるのも無理はない。
初恋の人がいなくなり、おまけに自分の父親が一国の王を手に掛けようとしている中、冷静になれないのも仕方ないのだ。
「カイ、落ち着けって。住民によると、陛下がここに着いたのもついさっきだ。俺達が急いで、陛下に追い付けばいい――」
タクはカイをなだめるように言った。
「そうだな。悪い、皆。もう少し付き合ってくれるか?」
風に赤い鉢巻きと片方の耳だけに付けたリングを揺らし、カイはユウ達を振り向いた。
「カイはもう、俺達にとっても大事な仲間だよ」
ハジメやキラと顔を見合わせた後、ユウは笑って言った。
「――ありがとう」
これで全員の意思が固まったようだ。
アスカの旅はこれで終わる。いや、僅かの間だったが、カイという兄貴分と会えて楽しかった。
アスカ・サンクチュアリの塔に足を踏み入れ、トワイライトとソラの行方と、倒すべきシアンの後を追う事になったのだ。
アスカ・サンクチュアリの中は、大理石で作られた螺旋階段になっている。
窓がたくさんあり、そこから漏れる日差しが壁の紅と碧と金の装飾物を照らしていて、すごく綺麗な場所だと感じられた。
吹き抜ける風は冷たくもなく、かと言って生温い訳でもない。ちょうどいい温度の風が肌に当たるのが気持ちいいほどに、中の気候は素晴らしいものである。
しかし、何階もある螺旋階段を上って行くのは、体力的にも精神的にもかなりの負荷が掛かりそうだ。
それでも諦めるのは言語両断なので、ユウ達は仕方なく階段を急いで駆け上がろうとした。急げばトワイライトに会えるのだ。
「ハジメ。エレベーターとかないのか?」
「ない。少なくとも、俺は普通に下りて来たが?」
「上りと下りは違うんだよ」
息を切らしながら喋るハジメとカイに、
「そこ、喋る暇があるなら走りなさい」
とキラが短い説教をした。
正論でもあるし、何より彼は自分の意思だとは言えど、アマネを背負って走っているのだ。
ハジメとカイはその姿に反論出来なかったのか、素直に頷き、そのまま走り続けていた。
「キラさん、無理しないでいいんだよ」
アマネはキラには気を遣っているようで、そんな事を言った。
「僕は平気です」
それに答えた彼は爽やかに笑い、アマネを本当に大切にしてくれているのだと、弟のユウからすると安心出来た。
天まで続いている塔だ。
当たり前のように螺旋階段はかなり長い。 だが、ある程度まで進んで行ったのにもかかわらず、急に階段が途絶えてしまっている場所に突き当たった。
そこには古びた何らかの装置以外、その先に足場もなければエレベーターのような機械も見当たらない。
「その装置の上に乗れ」
不思議そうにキラが装置を物色すると、ハジメがそう命令した。
「これは一体……」
「俺は前に一度だけ此処に来ている。これで頂上までワープ出来るんだ」
長い階段を上っているのにひとつも息を切らさず、ハジメはさっさとその装置の上に足を運んだ。
どうやら彼の言う通りのようだ。
その装置の上に足を踏み入れた途端、光の速度でハジメは消えてしまった。
授業で習った、魔法の力を応用して作る、ワープゾーンというものはこれの事を指していたのだろうか。
カイは「知ってるんなら先に言えばいいのにな」とブツブツ言いながら、ユウとその装置に乗った。
瞬間的に景色は変わり、目の前にはほんの少しの階段の上にある、たくさんの飾りがついた大きな扉が映し出される。
「この先にルクリアゲートがある。――ソラやトワイライトも、恐らくこの中だろう」
鍵の付いていない扉は、どうやら魔力に反応するようだ。
その中で唯一魔法が使えないタクだけは、触れても扉が開かず、中に入る事も不可能だった。
「俺はどっちにしろ戦えないし、お前らの健闘をここで祈っとく。死ぬなよ、みんな」
それだけのタクの言葉を聞いて、頷いた残りの五人は一気に扉をこじ開けた。
重い石で構成されたそれは、鈍い音を立ててゆっくりと開かれる。
見ると、中には桃色の髪と瞳をした女性が二人とシアンとそのボディーガード、もう一人は誰か分からないが、メリア家の子息と思われる人物がいた。
トワイライトは今年で四十七歳になると聞いていたが、どちらの女性もかなり若々しく、まるで歳の近い姉妹を見ているようだった。
綺麗な髪をひとつにまとめ、アスカ王族の紋章が入ったドレスを着ていて、自分よりも少し背の低い女の子を抱き締めている姿から、彼女がトワイライト・クレパスカル・ハイムル・アスカ――この国の女王だという事が分かる。
一方で、おとぎ話に出るような魔女の装束を纏っているおさげの少女の方が、行方不明となったソラだと言えるだろう。
シアンのボディーガードは怯えるトワイライトに銃口を向け、いつでも打てる準備が整っている、と言った様子だ。
知らないメリア家の男性は、カイよりも幾分か年上の成年で、落ち着いた雰囲気があるものの、目は欲望に霞んでいるように思えた。
そんな中に、ユウ達はトワイライトが殺される前に、入って来る事が出来たのだ。
「親父、こんなとこで女いじめて楽しいか?」
カイの発言により、ボディーガードがトワイライトに向けていた銃口が、全て彼の方に移った。
彼はそれをものともせず、惨めだな、と実の父親を嘲笑する。
「カイ!」
カイに気付いたソラは、絶望の淵に落とされた時、ひとつの希望の光を見た、というようなイメージで、顔つきががらりと変わった。
銃の弾がカイを狙う。
「ソラ様。この出来の悪い子供より、私をお選び下さい」
知らないメリア家の子息が、ソラの表情を再び強張らせた。
「リキュード義兄さん、貴方までこの計画を……?」
「そうだよ、カイ。私はソラ様が小さい時から嫁にしよう、と思っていたんだがね。カイはその計画を邪魔したんだよ」
「まさかお前が……!?」
よく分からない身内同士の会話だったが、これだけは分かる。
このリキュードと呼ばれた成年も、ユウの兄貴分であるカイも、ソラに片思いしているということだ。
「カイ、それにその仲間達よ。死ぬ前に私がルクリアの研究をした理由を教えてやろうか?」
小さな銃を実の息子であるカイに向け、冷ややかな態度でシアンは言った。
「知ってるぜ。お前、俺を手術してる時、研究員と話してたじゃないか」
カイはもう、シアンを「親父」とは呼ばなかった。
「あるルクリア人と契約したんだよな? ルクリアの王抹殺に力を貸すから、アスカを自分の物にするんだろ」
「そうだ。その為にはルクリアの事を詳しく調べなければならなかったが、研究が楽しくてな。アスカ人をルクリア人にするのが趣味になった。だが、まさか出来の悪いお前が第一成功体になるとは思わなかった」
自分に言われている訳ではないが、怒りが込み上げてくる。
人の命を何だと思っているのだろうか。
あの時、カイとジョンは偶然生き残ったけれど、他の実験台にされた人は既に何人も殺されているのだ。
「これでも一応は息子だ。情もあり、グロウスの森でせいぜい魔物に食われて死ぬがいい、と思って捨てたのだが、まさかお人好し共に拾われるとは……本当に情けない奴だ」
本当に彼はカイと同じ血が流れているのだろうか、とユウは心の中で何度も問いたくなる言葉を抑えた。
「お前こそ情けねぇよ。お前は親父でもメリア家の貴族でもねぇ……屑野郎だ」
その言葉に反応してか、シアンは銃の引き金を引いた。
銃弾はカイの肩を貫いたが、それで怯む彼ではない。
ユウもそれに合わせ、即座に装備していたオカリナを吹き、その傷と疲れを一気に癒していった。
「何……っ!?」
「ナイスだユウ」
反撃してシアンの手に蹴りを入れたカイは、その手から銃を払い落とした。
恐らく、これからが戦いの始まりだ。
「私が屑だと!? 私は魔術が使える! だからボディーガードも全員魔術の基礎を修得している……それでも屑だと言えるか!?」
狂ったようにシアンは氷の塊をカイに投げ付けようとしたが、
「危ないですよ、屑野郎――何ならゴミの方が良かったでしょうか?」
口が悪くなったキラの矢に貫かれ、粉々に砕けて水となってしまった。
「貴様ら……!」
「屑」という言葉を激しく嫌悪しているシアンは、怒り狂った様子を見せた。
実はこれも、カイが言っていた作戦なのだ。
シアンも昔、カイのように骨肉の争いがあり、その中で勝ち抜いて、やっとの事で手に入れた地位のようだ。
だが、それから「何故こんな屑がメリア家に」という、他の親戚の声を聞くようになり、それから「屑」という言葉に敏感になったのだと言う。
それで冷静さを失ったところを、カイとキラが攻める、といった作戦を、昨夜二人で話し合っていたのだ。
お互い大切なものを傷付けられているので、普段の戦闘力の倍はよく動いている。
ユウも二人を援護し、光の幕でバリアを作ったり、持久戦で消耗した体力を回復したりという、自分の力を最大限に活かした技を使用した。
「民の大切な人を何の躊躇いもなく殺せる貴方が、国のトップに立てる筈がないでしょう」
低い声でそう言ったキラは、色の違うそれぞれの瞳を冷酷なものに変えていた。
容赦なくボディーガード達の脚を狙い、弓を引く。
キラの矢は確実に、一ミリも外さずに的を射る。
矢は強い風の力で威力を増し、シアンのボディーガードである、三人の男の脚――アマネが打たれた箇所を貫いた。
「アマネやさらわれた方々の痛み、少しは分かったでしょうか?」
血を噴き出しているが、容赦なくキラは冷笑を浮かべた。
その光景にユウやソラ、トワイライトは目を逸らす。
「ま、待て。私はお前の父親だ」
先ほどまで余裕をかましていたシアンは、息子に銃を向けられて怯えていた。
「アマネ」
「……なに?」
「陛下とソラ様を連れて、タクと一緒にハイムルに戻れ」
「うん」
カイが言った後、アマネが手招きをし、トワイライトとソラは扉の外に出て行った。
「兄さん、パプリカもよろしく」
「うん」
アマネも二人が出たのを確認すると、ユウからパプリカを受け取って、重い扉をゆっくり閉めて外に出た。
しかし、リキュードだけは逃げる三人と殺されそうな父親を傍観し、見方によっては微笑んでいるようにも思える。
女性陣とアマネが部屋から出たのを確認すると、カイは汚いものを見る目付きで、再びシアンを睨み付けた。
シアンには魔術を使う気力も残っていないようだ。
「……覚悟は出来ていますか?」
再び弓を引き、キラは狙いを定めた。
「気絶程度にしてくれ。元々親父が雇っただけだし、後で刑罰が待っている」
「殺しはしませんよ――アマネを殺していたら、きっと殺すでしょうけどね」
キラは氷で出来た弓を放ち、少し弱めの風で三人の頭にぶつけ、思い通りに気絶させた。
残るは元凶であるシアンと、それを見るだけのリキュードだ。
「ここまで育ててくれたのは感謝してる。さよなら」
銃口から炎の塊が吐き出され、叫び声と共に身体が焼き尽くされる瞬間を目の当たりにした。
怖い――。
そう思って座り込むと、ハジメに抱き留められた。
「耳を塞いでおけ。お前は見ないでいいから」
彼がそばにいて視界はその大きな手で塞いでくれたから、耳に響く声も気にならないで済んだ。
人が死ぬのが怖いのは、今も昔も変わらない感情だった。
鼻の奥をつんと刺激する感覚が走り、同時に目が濡れている事に気付く。
今回、戦闘に関して彼は目立った事は何もしなかったが、何より先にユウを気遣ってくれたのだ。
そんなハジメに迷惑を掛けたくなく、涙を堪えようという気持ちでいっぱいだった。
「ユウ、お前も帰した方が良かったな……ごめんな」
カイがそう言った時、ハジメがユウを解放する。
目を再び開いた時、焼かれていた者の全てが灰になっていた。
きっとそうなって、もう見ても痛々しいものでなくなったから、ハジメは視界を遮るのは止めたのだろう。
「ううん。俺の事はいいから、カイはお義兄さんと話つけなきゃ」
ユウは立ち上がって笑った。
「その必要はねぇ。なぁリキュード義兄さん? 俺の呪い、お前が掛けたんだよな」
部屋の角で笑っていたリキュードを睨み、カイは低い声で言った。
「そうだよ。八年前、お前とソラ様が出会ってからだ……あと、跡継ぎ問題で邪魔になるからね。予め呪いを掛けておいて正解だったようだ」
見たところ、ソラはリキュードの事は何一つ気にしておらず、どちらかと言えばカイが来た時に表情が変わっていた気がするのだ。
掌に闇のスロナを蓄積し、カイにそれを向けた。
「うわぁぁぁ!!」
頭を抱えて座り込んだカイは、身体の熱気が最高潮に達している様子だ。
「父上も死んだし、後はカイが死んだらメリア家も継げるし、ソラ様も僕の物だ」
歪んでいる。カイの話では、少なくともシアンはリキュードだけは可愛がっていた筈なのだ。
「術者のスロナは受けてはいけません! 受けてしまったら――」
「死ぬよ。アンタ賢いな。ハイムルの学者か? ……まぁどっちにしろ、ここにいる奴は生きて帰さないけど」
カイは逃げられない状態だ。
それでも容赦なく、リキュードは闇のスロナを放つ。
「ユウ様!」
「ユウ……?」
突発的で、考えなしの行動だった。
ハジメのそばから離れたユウは、カイを庇うようにスロナを全身で受けたのだ。
外傷的に痛い、と言うよりは、身体の中が真っ黒な何かに侵され、引き裂かれそうな感覚だと言った方が正しいだろう。
闇に圧迫され、目の前は真っ暗だった。
「ユウ、何してんだ!」
正気に戻ったカイが慌ててユウに駆け寄り、残りの二人もそれに続いた。
幸い、ユウの場合は身体の奥底に眠る力――光のスロナがあったため、その闇を中和する事が出来たようだ。
目を開くも、身体が重いのは確かである。
「カイはいい兄貴分だったから――だから守ったの。まだ生きててほしかった」
そう笑ったのに、カイには「バカ」と言われてしまった。
ユウを紅い瞳で見つめていたハジメの手が頬に触れた。温かい体温を感じる。
同じ闇の力の使い手なのに、どうしてこんなにも違うのだろうか。ユウはハジメの手を、最後の力を振り絞るように握った。
「ユウ……」
「俺には光があるから、大丈夫です」
「無理するな」
頬に触れていた手が離れ、リキュードの声が耳に響く。
「馬鹿か? このガキが死んだところで、カイの呪いは避けられない――つまりは犬死になんだよ」
目を薄く開き、剣を握るハジメの姿を見つめた。
彼は今日、一度も戦おうとはしなかった。
キラやカイの復讐と後始末の手伝いのため、後衛のユウとアマネを攻撃から守っていてくれたのだ。
「ユウ、目を閉じてろ。一発で終わる」
言われた通りに目を閉じ、音だけを聞いていた。
鋭い刃物によって、生き物の肉が切れる音。特に人間のそれは鈍い音を醸し出し、とても壮快な気分にはなれないものだ。
その音が一度きりで、何か重い物が地面に落ちる音がした後、ハジメが剣をしまうのが分かった。
「キラ、カイ。どちらでもいい。ユウに見せない様に、始末してくれ」
言い捨てた彼の声は、いつもと少し違っているように思える。
目を閉じていたからだろうか。
いつの間にか身体の中を巡っていた闇のスロナは、ユウの中にある光のスロナによって完全に打ち消され、身体の重さは取れていた。
だが、何か言われるまで、決して目を開こうとはしなかった。
地に落ちた物が何だったか、大体分かっていたからだ。
卑怯な考えだが、ユウは怖くて見たくなかった――そんな本音を言うと、やった本人の方が辛いかも知れないのに。
「義兄さん、昔は優しかったのに、何で……」
自己嫌悪しながら、炎の燃え上がる音と、カイが初めて泣きながらそう呟く声を、何も言えずに聞いていた。
耳に残る、シアンが叫んでいた声。
リキュードの首が地面に落ちる音。
最後に、カイがひとりで泣いた事。
メリア家の争いと後始末は、こうして幕を閉じたのだ。
「ユウ、もういいぞ。悪かったな」
痛いほどに優しいハジメ。
そろそろ慣れないといけないのに、まだ弱気で臆病な自分。
光が見えた後、また灰で作られた大きな山がひとつ、リキュードが立っていた場所に出来ていた。
「親父、義兄さん、せめて墓は作るよ。俺は生まれて初めて人を殺した――それも義理の兄と実の父親だ。俺ももう、メリア家にはいられねぇな。そこまでして欲しい地位でもなかった」
袋に灰を分けて入れながら、カイはユウ達に背中を向けて独り言を言っていた。
まだ十九歳の青年には重い出来事で、現実を受け入れたくないという気持ちと、殺してしまった罪悪感でいっぱいなのだろう。
「カイが継がなければ、メリア家はどうなるんだ? それに、カイはどうするつもりだよ!」
ユウとしては、カイのようないい人がメリア家を継ぎ、また建て直して行けばいいと思ったのだ。
「俺を可愛がってくれたアトランティス義姉さんがいるから、頼んでみる。俺、ユウ達とルクリアに行こうと思うんだ」
「それは構わんが、ルクリアはアスカより過酷だ。タクやソラにも一生会わなくていいのなら、明日の早朝に付いて来い」
「そのつもりだ。この先もユウとアマネを守るよ」
カイが付いて来てくれるのは嬉しい。
だが、本当に良かったのだろうか。カイはもう、初恋の人にも、親友にも一生会えなくなってしまうのだ。
「ほら、このボディーガードの三人組、背負って帰るぞ。もちろんハジメとキラと俺でな!」
ここ会って何日かの間、どんなに辛い事があっても明るく振る舞うのがカイだということが分かり、ユウは複雑な心境に陥った。
彼の呪いは消えた。
悪い事をする父親もいなくなった。
これで良かったんだ――そう思うようにしなければ、乗り切ろうと努力するカイに、少し失礼だと思ったからだ。
シアンの雇っていた三人は無期懲役とされ、ハイムルとレーライ村以外への混乱は避ける事が出来た。
カイもメリア家を継ぐ事は諦め、その姉であるアトランティスに地位を譲ったのだ。
「アト義姉さん。タクと一緒に、陛下を支えて下さい」
彼女に継承権を譲った理由は二つあった。
ひとつは、カイが幼い頃から面倒を見てくれていた人が、一つ年上のアトランティスであるからだ。
もうひとつは、彼女の婚約者が親友のタクで、最後に親友に莫大なメリア家の遺産を譲ろうと言った考えのようだ。
今となっては、メリア家の遺産は全てカイの物であるが、それを放棄して親友と義姉に譲る、ということだ。
「お待ち下さい、陛下。二人が結婚したらシルベルト家の人間です! メリア家とは関係ありません――それなら、長女である私がメリア家を引き継ぐのではないのですか?」
多くの大臣や貴族はそれを承認したが、ただ一人、それに反対する女性が現れた。
「ブルー義姉さん。メリア家は父上と義兄上の悪事があって尚、陛下に仕える事が出来ますか?」
メリア家はシアンとリキュードが陛下を殺そうとした事が明かされ、今や貴族の間でも軽蔑の対象だ。
いつも冗談を言って笑うカイからは信じられないほどに、真面目にこの先を見据えての話をしている。
「ブルー・メリア。私もカイ・メリアの言う通り、シアン達の件でメリア家を信じる事は出来ない」
アスカ国の王であるトワイライトも、カイの意見に賛成の意を示した。
彼女の左右にはソラと、次期王であるナイトが立っており、更にその左右には女の召使を従えている。
「……分かりました」
潔く諦めたかと思えば、ブツブツと独り言を言いながらブルーは引き下がった。ここでまだメリア家尊重の意見を言い続けていたら、それこそ大顰蹙を買ってしまうだろう。
トワイライトは微笑み、判定を下した。
「これからの補佐役はシルベルト家に、メリア家に雇われていた三人は終身刑とする。以上で緊急議会を解散する」
トワイライトの言葉により、緊急に集められた貴族や政治家は、「これはメリア家が下りて当然だろう」と満足そうな顔で帰って行った。
しかし、この件に関しては、ユウ達は『偶然グロウスの森を通り過ぎようとしたところ、カイを助けて協力した人々』でしかない。
議会というものを進めるカイと同じ、中心の部分で話を聞いていたためか、解散命令と共に緊張が抜けてしまった。
「尚、メリア家とシルベルト家、並びにその四人は残るように」
肩の力が抜けた途端、それを見計らうようにトワイライトが強く言い、ユウは再び身体に緊張の芯を入れた。
今回の事は今までにない出来事だったらしく、少なくとも貴族は急な議会で戸惑っているようにも見えた。
間もなく関わりのない貴族や政治家達が謁見の間を後にすると、トワイライトは軽く咳払いをした。
残されたのは、メリア家であるカイ、アトランティス、ブルー、シルベルト家であるタクとその父親、後はユウとハジメとアマネとキラだった。
「まず、個人的に気になったので残したのだが……カイ。シルベルト家に地位を譲り、メリア家の遺産はこれからどうする気だ? 全てお前次第なのだぞ」
細くて綺麗な人なのに、どこかに威厳を持ち合わせているトワイライトは、玉座に腰掛け、真剣な表情で訊いた。
全ての権利はカイに委ねられている。
継承権を持った候補者が、彼以外に全員他界してしまった今、メリア家の今後を決めるのも彼の仕事なのだ。
「半分はブルー義姉さんとアト義姉さんに、もう半分は――レーライ村で行方不明になった、被害者の遺族の方々に、と思っています」
カイの意思は固いようで、それには義理でも姉であるブルーや、アトランティスも何も否定はしなかった。
「そうか。カイ、お前自身はどうするつもりだ?」
トワイライトの問いと共に、ソラも何か訊きたくてもどかしい様子を示していた。
「俺は如何なる理由があっても、父上を殺した身です。メリア家の後継者として相応しくない――彼らに付いてルクリアに行きます」
カイはユウ達を示すように片手で指し、決心を表した。
「待ってよ! カイ、約束したじゃない。あなたは――」
ソラが急に赤い絨毯の敷かれた階段を駆け下り、カイのそばまで近付いてきた。
見つかった時の服装とは違う、少し歩きにくそうな長いドレスに身を包んだ彼女からは、トワイライトの面影が滲み出ている。
「ソラ様。俺は人殺しです。貴女の親友にも相応しくない」
そう言って笑ったカイは、自分よりも少し小さいソラの頭を優しく撫でた。
どこかキラとアマネの関係に似ている二人がせつない。カイは許されない淡い恋心を抱いたまま、ルクリアに旅立ってしまうのだろうか――。
「ソラ、戻りなさい。……カイの連れの四人、今回の件に関しては謝罪と感謝の意味を込め、何かしたいのだが」
トワイライトに言われて、仕方なく席に戻ったソラだったが、悲しそうな表情は変わらなかった。
彼女はカイを親友だとしか思っていないのだろうか、とユウが疑問に思ったのが、「約束した」という言葉からだった。
陛下の申し出には、その場に相応しいキラが答えてくれた。
「陛下、アスカ・サンクチュアリよりルクリアに行かせて下さい。それだけで構いません」
服にマントが付いているからか、或いは顔が整っているからか、赤い絨毯の上に立つキラは王子様のように見えた。
若い女性陣――ナイトとブルーが冷静な顔をしながらちらちらと見ているのだ。きっと彼女らもそう思っているに違いない。
「しかし、それだけでは……せめて、今夜だけは城に泊まって行ってくれ。感謝の気持ちが尽きない」
「そのお気持ち、有り難く受け取ります」
キラはそれだけ言って下がった。
「よし、その四人とカイを客室に通せ」
「かしこまりました」
トワイライトの命令により、いつものメンバーになったユウ達は、客室と言われた広い部屋に通された。
中はベッドが五つもあり、その上シャワー室や洗面所など、色んな設備が整っている。それでもまだスペースが余ってしまうほどだ。
貧しかったユウは、今までにこれほど広い部屋に泊まった事はない、と思い、わくわくした気持ちで部屋を見回した。
「わぁ、すごい!」
メイドが部屋から出ると、ユウはふかふかのベッドに飛び込んだ。
「きゅきゅう!」
ずっと議会でおとなしくしていたパプリカだったが、彼もまた緊張が抜けたようで、ユウの腕からすり抜けてベッドで飛び跳ねている。
小さな魔物であるパプリカと城のベッドで遊び、喜ぶ自分がまるで子供な事に気付き、ふと周りを見る。
これでも一応、自覚はあまりないけどレイルの王族だ。
しかし、王族でもないカイやハジメ、キラの方が落ち着いている。一方で、アマネはユウと同じ行動を起こしていた。
「はは、ユウはガキだなぁ」
カイはそう言って、やっと一段落着いたな、とユウの隣りに腰掛けた。
「ガキじゃないやい。貧乏人には珍しいの!」
そう言って頬を膨らませるから、「ガキ」だと言われてしまうのに。
飛び跳ねるパプリカを片手で捕まえ、暴れる彼を見てカイは笑っている。
「もう俺のじゃないけど、メリア家もこんなんだぜ?」
「そうなの? ……そう言えば、明日にはもうルクリアだよ。タクやお義姉さんと会わなくていいのか?」
「おっと、そうだな。ちょっと行ってくる」
カイはパプリカを離し、即座にドアの向こうへ駆けて行った。
きっと色んな事があよったせいで胸がいっぱいで、先に何をすべきかを考えられずにいたのだろう。
パプリカは毛を膨らませて身震いし、再び元のふわふわとした毛並みに戻った。パプリカはカイが好きだから、からかわれても噛む事はしないのだ。
「僕らも自由時間にしませんか? 暮れまでにはまだ時間があります」
そんな提案をしたキラだが、きっとハイムルの街――特に女性を見たいに違いない。
彼はその美貌を自覚してか、気障な言葉を掛けては女性を魅了させている。しかし一定の恋人が出来ないのは、寂しさを紛らわすだけの関係に過ぎないからだ。
と、旅立つ何日も前に、ぽつりとアマネが呟いた言葉を思い出した。
「いいね、それ。俺も行ってくるよ!」
ユウもハイムルが見たかった。
こんな街にはなかなか来れないし、これでハイムルを見るのも最後かも知れない。
ベッドの上に立つパプリカを抱き締め、カイに続いてドアを出ようとしたが、
「くれぐれも変質者に付いて行ってはいけませんよ」
と注意された。
「分かってるって!」
確かに昔、本当に男か女かの区別が付かない時期に、変質者に連れて行かれそうになった事がある。
だが、ユウももう十五だし、身長だってギリギリ百六十センチはある。こんな男、さらう必要はないだろうし。
ユウはドアを開け、城の廊下に出る。
そこは少し複雑な迷路のようだったが、何とか迷う事もなく、城の外――ハイムルの街まで出る事が出来た。
思えば、ユウ達はまっすぐにアスカ・サンクチュアリを目指して行ったつもりだったのだ。
本当ならひと月でここに辿り着き、何の難もなくルクリアに行っていた事だろう。
でも、カイやタクとの短い旅の中、学んだ事もたくさんあった。これがなければ、今のように善悪の判断を付けられる事は出来なかったかも知れない。
レイル族の王の弟として、恥じなき態度をサノン族の王に見せたいから――と言えば少し格好付けて見えるが、母親のサラの意思を継がなければならないのだ。
ふと、ユウは小さな喫茶店を見付けた。
「パプリカ、パフェ食べよっか」
「きゅう!」
色々と考えた後は、少しの休憩が必要なのだ。
「タク、アト義姉さん!」
城から過ぎ去ろうとする二人を呼び止め、カイは息を切らして駆け寄った。
今回の件では、タクにもアトランティスにも迷惑を掛けてしまう事になるだろう。メリア家の最後の男児として、それは謝罪すべきなのだ。
「あら、カイ。どうしたのですか?」
おっとりとした口調で義姉は言った。
「ごめん。親父を止められなくて」
いくら親友であろうと、スタンデシティから色々と迷惑を掛けてしまったのだ。
暫く辺りの空気が静まり返る。
許してはくれないだろうか、と思って顔を上げると、タクは爆笑していた。
「お前が謝る事じゃねぇよ。おかしな奴だな。あとお前、明日旅立つんなら遺産分けれねぇじゃん。考えなしの行動取りやがって」
色々と痛い部分を小突かれたが、全て事実なのだ。反論出来なくなったカイは、ただ「すまなかった」と言うだけだった。
「何なら、貴方の代わりに私とタクが、レーライ村の人達に謝罪して来ましょう。メリア家なのですし、私が何もしない訳にはいきません――やらせて下さるかしら?」
義姉だが、アトランティスは最後まで、義弟のカイに優しくしてくれるようだ。
「タク、義姉さん、ありがとう」
二人は恋中で、シアンに反対されていたものの、反対する者がいなくなった今は自由に結婚する事も出来るだろう。
親友であり義弟であるカイからすれば、二人の幸せは望むべきものだった。
「タク、幸せになれよ」
「バーカ。そんなんじゃもう会えないみたいだろ」
カイとタクは最後に親友として笑い合ったが、どこかせつなさが残るものだった。
これでいいんだ――シアンを殺した罪は、貴族である地位や富を捨て、ルクリアでユウとアマネを守る事で償って行きたい。
自分で決意した事なのだから、もう言い逃れは出来ないのだ。
ハイムルの中心部にある城の中、キラはアマネと二人だけでいた。
二人が出会ったのは、アマネが生まれてすぐの事で――つまり、十数年も前だということになるだろう。
キラとアマネは、ユウが十五歳の誕生日を迎える前から、自分達がレイル族だということを知っていた。キラは父の言葉により、アマネは母が父に言っていた事を、偶然聞いていたからだ。
どちらにしろ、誰にも信じてもらえない、信じられるのは自分しかいない、そんな孤独な暗闇に二人はいた。信じられる友達もおらず、やることと言えば勉強だけだ。
ただ生きるだけの日々に、キラはアマネを守るようになった。
最初は傷を舐め合うような、ただ心の支えが欲しかったから、同じ状況のお互いに魅かれるようにして一緒にいた。
それがいつしか家族同然の大切なものに変わり、キラはいたいけで純粋なアマネを守ろうとし、感情の薄いアマネでさえ、キラを必要とするようになったほどだ。
キラはただ、人の声があまりしない個室で、アマネの髪を撫でていた。
「アマネ様、ニュードイルはご存じですか?」
ニュードイル、それは明日行くルクリアにある、たったひとつの小さな国。
「うん。ママが生まれたところ……そういってた」
「ニュードイルはレイル族や他の民族の国でしたからね」
「でも、今はレイル王族、いないよね」
わずかな感情の変化も読み取れるようになったキラには、アマネが両親を恋しがっているのが手に取るように分かった。
比較的甘えるのが好きなアマネは、時に血の繋がりがないことを忘れさせるくらいである。本当の弟のように可愛いのだ。
「僕とアマネ様とユウ様で、もう一度レイル族を建て直しましょう?」
アスカに戻らない決心はお互いに出来ていたから、そんな事が言えた。
「うん。あとね、キラさん。前みたいに普通に話してよ」
「アマネと呼んで、対等に話すのですか?」
「うん。だって、遠く感じちゃう」
少し寂しそうなアマネを見て、
「君が望むのなら」
と、少し気障な言葉で返した。
撫でられるのを好むアマネと寄り添い、窓から吹き抜ける、少し冷たい風を感じた。
「今はもうちょっと、キラさんとこうしてたい」
「僕も同じ気持ちです」
襲われる危険がないルクリアだったら、きっとアマネとも幸せに暮らせる筈だ。
風のせいか、頬に当たる柔らかい髪の毛がくすぐったい。
こんな小さな幸せを、誰もが等しく感じられる時がくればいいと、キラはそう願った。
明日の早朝、ユウ達は早くもルクリアに旅立つ事になった。
今日はこのハイムルのアスカ城で一夜を過ごす事になったが、それぞれがそれぞれの過ごしたい人と、過ごしたい場所にいる。
しかし、もう夜も遅くなってきたと言うのにもかかわらず、城の中で迷ってしまったのだ。
扉や道が多く、どの扉を開けていいのか、どの道や階段を辿って行けばいいのか、迷った挙げ句には城の外でパプリカと話すハメになっていたのだ。
そうしていると、ユウは誰かに呼ばれた。
「どうしたんだ?」
いつも助けてくれる人。
少し怖いといった感情がら、次第に憧れの対象に変化しつつある人だった。
「ま、迷いました……」
かなり恥ずかしい。
ハジメが何処に行っていたのかは検討がつかないが、キラ曰く「ブルーに連れられて何処かへ行っていた」そうなのだ。
「ならば一緒に戻るか」
「はい……」
ユウは俯いたままハジメの後を辿った。
会ったばかりの女性に誘われてこんな時間になった男と、城の中を彷徨い続けてこんな時間になった少年。
どちらも堂々とは出来ない存在だが、後者に比べると、前者の方がまだまともなように思えてしまう。
「ユウ」
「うわっ! ご、ごめんなさい」
急に名前を呼んで振り返るので、ユウはハジメと衝突してしまった。
「……何をしていた?」
「えっ? えっと、喫茶店でパフェ食べて、その後クッキー食べて……」
思い返せば、食べてばかりだ。
「そうか」
呆れられたのだろうか。踵を返したハジメはそのまま歩き出した。
羨ましくはないけど、女性を連れているといないとでは格が違うのに。女を連れていた男に「喫茶店でお菓子食べてました」なんて、言わない方が良かったかも知れない。
せめて、「知らないお姉さんに誘われてデートしてた」とか、それでも信憑性がないのなら「お姉さん」の部分を「オジサン」にしてもいいだろう。
如何に食い意地の張ったガキだというユウの印象が、ハジメの中で形づけられたことなのだろうか。
「ハジメさんはブルーさんに誘われて、今まで何してたんですか?」
これならこっちも弱みを握ってやろう、とユウは訊いた。
「待て。確かにブルーには誘われたが、断って近くのゲームセンターで……いや、それはどうでもいい。誰がお前にブルーの事を吹き込んだ?」
これでハジメが本当は何をしていたのかが明らかになったが、殆どお互い様だということで、何故か心の中では安心していた。
しかし、彼が目の色を変えて問い質してくるのだ。
戸惑ったユウは小さく言った。
「えっと、キラ先生が……」
「あの野郎……」
「あ、ま、待って下さい! ハジメさん!」
キラと聞いただけで目の色を変えて走り出したハジメに、ユウは焦りながら付いて行った。
ハジメもキラも何がしたいのかよく分からないが、本当に明日はルクリアに立ってしまうのかと思うと、少し寂しい気がするのだ。
ドアを開けてキラに掴み掛かるハジメを見て笑いながらも、旅の終わりのせつなさを身を持って知ってしまったようだった。