2.呪われた貴族
ハジメと出会ってから次の日の早朝、四人は荷物を持って旅に出た。
しかし、幌馬車を走らせる技術も金もないので、歩き旅になる。
いくら近いと言っても、リギン村から歩いて首都ハイムルへ行くとなると、最低一ヶ月は掛かるのだ。
それも身体の弱いアマネが同行しているものだから、通過点であるリギン村を北西に行った、グロウスの森までに着くのにも一苦労だった。
「アマネは身体が弱いのか?」
「えぇ。僕はアマネ様が生まれてからずっと知っていますが、小さい頃は特に病気がちでした」
「しかし、お前一人でずっとおぶって歩くのは大変だろう? 俺が変わってやろうか」
アマネが少しでも疲れたと言えば、過保護なキラは必ず背負って歩いていたが、ここ一週間ほどはその継続である。
このままでは、キラの身がもたないと思うのだ。
何と言っても、この早朝から背負っているくらいなのだ。いくら軽いとは言え、負担も大きくなってしまう。
「いえ、大丈夫です。アマネ様は軽いですし、僕がサラ様と父上に任されたのですから、責任を持ってお守りします」
最近になってようやくキラがアマネを気遣う理由が分かったが、それでも彼のユウへの接し方より、アマネへの接し方の方が慎重だ。
どうしてかは分からないが、それでもユウは良かった。
アマネもキラも二人でいる事に幸せを感じているようで、微笑ましい兄弟のように見えるからだ。
ただ、少しだけ寂しさが残ってしまうのだが――。
「キラさん、ごめんね。もう歩けるから。ボク、だいじょうぶだから」
「アマネ様、無理はいけません」
どちらかと言うと、少し強引にそうさせているのはキラの方だ。
グロウスの森には初めて足を踏み入れたが、やはり人が通るだけあって、綺麗に整備されている。
魔物は多いが、そこまで強いものではないので、ハジメとキラの力で十分に対抗が出来た。
木々が生い茂る中を見ると、人が倒れているのが分かった。
「ねぇ、あそこ!」
ユウは指を差して男性が倒れているのを知らせ、素早い足取りで近寄ったが、運動神経が鈍いためにこけてしまった。
「大丈夫だ。息はあるし、脈も正常だ」
ハジメが確認すると、ユウは咄嗟にオカリナを取り出した。
切り株の近くの、人目に付きにくい場所に横たわっている彼は、何ヶ所かに怪我を負っている。
メロディを奏でると、その傷はたちまち癒えていき、青年は目をゆっくりと開いて起き上がった。
「んー、ここどこ? まさか天国とか?」
淡い水色の髪をした青年は、髪と同じ色の目をユウに向けてだるそうに言った。
体術でも身に着けているのか、腰には黒い帯を巻いた服装で、額には赤い鉢巻きを結んでいる。
腕に純金の腕輪をつけているところから、金持ちの家の息子だということが推測される。
「ここはグロウスの森です」
「ふーん、そう。アレ? 俺、確か親父にスタンデに連れてかれたんだけどな……」
「スタンデシティ、ですか」
ユウは生まれて初めて旅に出たために知らないが、地理の授業で習っているので、大体の場所は予測できる。
スタンデシティはリギン村の南にあるデサルト砂漠を超えた、更に南にある街だ。色々な技術の研究が盛んな街だと聞く。
「記憶が飛んでるみてぇだ。助けてくれてありがとな。悪いけど、スタンデシティに戻るよ」
そう言いながら、青年ははめていた腕輪を外した。
「これやるよ。礼って言っちゃ安っぽいけど、純金製だからそれなりには高い筈だぜ?」
この青年は何者なのだろうか。
青年と言うには少しばかり幼く、それでも純金製の高価な腕輪を易々と他人に渡すくらいで、それさえも安っぽいと言った。
「待って下さい。森は魔物がいるので、幌馬車かベヒケルを使った方がいいですけど……見たところ、それもないようですし」
キラが引き止めるように言った。
首都のハイムルと交わるにはこの森を通らなければならないので、人々は普通、幌馬車かベヒケルという乗り物を使って森や砂漠を渡る。アスカでの常識だ。
「あー、うん、いいって。魔物くらいなら大丈夫だし、アスカ流体術の免許皆伝だし」
頭の後ろで腕を組み、青年は得意げに笑った。
「貴方は貴族の方ですか? 金銭感覚がずれていますし、その髪の色は確か……」
「おう。メリア家の末っ子、カイ・メリアだぜ」
その名を聞いてピンとくるのは、アスカに住んでいた三人だけだ。
「メリア家? 貴族か?」
ルクリアに住んでいたハジメにとっては、アスカの事など知る由もないだろう。
「メリア家……大臣で、代々陛下の補佐をしている家系。キラさん、それでいいんだよね?」
キラにおぶられたアマネは、確認するように首を傾げた。
「そうです。メリア家は代々水色の髪をした子供が生まれると聞いています。しかし、貴族様を一人で行かせる訳にはいきませんね……」
キラを含めたメンバーが悩む中、アマネが言った。
「僕、先にカイ様を送って行ってもいいよ。何とか戦えるようにするから」
降ろして、とキラに言ったアマネは、ふらふらしながらカイの前まで歩いて行く。
「ですが、ハジメさんは……」
ハジメをちらりと見、気を遣うようにキラは言った。
「ルクリアへは急ぐ事もないし、敵が襲って来たら俺が守ってやれる……但し、俺はユウの意見を尊重したいが」
「お、俺? 俺は構わないけど」
「――それなら、俺もそれでいい」
ハジメはユウの頭に軽く手を載せ、微笑んでそう言った。
「つかさ、お前ら何なの? 見たところ、長身の強そうな男二人が、ファウ抱いてなよなよしてる男と病弱そうな女守って旅してるように見えるんだけど」
うさん臭そうにカイは言った。
ファウを抱いている男とは、もしかしたらゆうの事だろうか。
「俺、男に見えますか!?」
今までは、初対面の人間に女に間違えられなかった事はなかった。しかし、パプリカという名のファウを抱いているのは、この中にはユウしかいない。
「おう。まぁ……髪短いし? ってか、俺の質問に答えろよ。まさか暗殺者とか……じゃねぇよな?」
独特な武道の構えをして後退りをする。
「メリア様、僕達は――」
この中で一番まともな大人だと思われるキラは、必死にカイに事情を説明した。
ルクリアとかレイル族だと言っても、アスカの人間である彼が信じてくれるかどうかは疑問だ。
構えたままのカイからは、熱気が漂ってくる。
変だ。魔術を使える人間は少なく、かなりの技術や才能がないと出来ない筈なのに、まさか貴族のカイが――?
「身体が熱い……なんだったっけ。ルクリア……そうだ。親父がトワイライト陛下を騙そうとしているんだ……」
熱気を帯びたカイは頭を抱え、その場に座り込んでそう語った。
トワイライト陛下とは、アスカ国の王女の事を指す。アスカ国は特別な魔法を使う女性が王位に立つ事があり、魔法で政治を進めて行くのだ。
だから、この国には身分の高い低いは若干あるものの、人種差別や戦争は起こらないのだ。
「大丈夫ですか?」
ユウはパプリカを放してカイに近付いた。熱気が尋常ではない。 しかし、急に立ち上がったカイに殴り飛ばされた。
「うぁっ!」
「きゅうぅぅ?」
地面に顔を叩き付けられると同時に、パプリカが小さな足で駆け付け、心配そうな声で鳴いた。
拳がぶつかったのは頬だったが、そこが軽度の火傷を負っていることに気付く。
「俺を殺せ……頼む。そして、トワイライト陛下に……シアン・メリアが裏切ったと……」
口では冷静にそんなことを言ったカイだが、身体は暴走するようにユウを狙った。
「ユウ、俺の後ろで頼む」
物理攻撃が出来ないユウは、パプリカを抱いてハジメの後ろへ逃げ込んだ。
こんなとき、ユウも何か使えればいいのに――そう思いながら、オカリナを吹いて火傷を回復させた。
「ハジメさん、殺さないようにできますか?」
「気絶させるのか。暴走しているので少し難問だが、出来なくはない。やってみる」
「ありがとう、ハジメさん……」
大きな剣を振るハジメに、素手でカイは抵抗している。それも炎を纏った拳で戦っているので、いくら強いと言えど、ハジメも苦戦している。
キラも氷の矢を使ってカイを鎮めさせようと試みたが、カイの身体に命中する前に氷は溶けてしまった。
炎技と風技を使っても効果はないので、氷と炎と風を使うアキラとアマネは戦力外と化す。
アキラは前衛でもうまく行けるものの、アマネは後衛で何度も氷技を出し、少しは体温を下げようとするので必死である。
ユウはと言うと、パプリカに攻撃が当たらないように避けながら、残りの三人を守る術を繰り返し使っていた。
「やったか……?」
戦闘が始まって何分か経ち、漸くハジメはカイに傷を負わす事が出来たが、それでも彼の暴走はおさまらず、先ほどまではあった理性も消えていた。
「まだのようです。どうやら彼は、死ぬまで戦い続ける呪いを掛けられているようです」
呪いという術があるのは聞いた事があるが、それは悪い魔物に掛ける一種のおまじないであり、決して人間には掛けてはいけない禁忌の術だ。
「キラ、解呪方法は!?」
「分かりません。確認するには、彼におとなしくなって貰わなくては……」
元々前衛のハジメと、前衛にならざるを得なかったキラがそんな会話を交わしながら、カイの暴走を食い止めている。
途端、ユウの腕の中でパプリカが暴れ出した。
「きゅっ、きゅきゅぅっ!」
急に辺りが暗くなったと思うと、にわか雨が降り始めたようだ。
雷が鳴るのを予知し、それに怯えてパプリカは暴れたのだ。ファウという生物は臆病なので、それも仕方ないだろう。
「ひぃっ!」
パプリカを抱き締め、苦手な雷にゆうは震えた。
土砂降りになっていく雨の中、カイを見ると、座り込んで一言だけ呟いた。
「そうだ、あの時も、雨だったな……」
思い出すように笑い、彼は雨に濡れた地面に身体を倒した。
「殺したの!?」
「いや、気絶しました。息はあります……ですが、そう長くはないでしょう。呪いは簡単に解けそうにないですし。酷ですが、このまま生きていても苦痛になるだけでしょう」
「――そっか」
キラは頭が良い。決して悪い人物ではないが、そういう気持ちの整理は早くついてしまうようだ。
倒れたカイの身体を起き上がらせようとするも、ユウの力ではその巨体を動かす事は出来なかった。
「ユウ、何をしている? そいつはもう……」
剣を鞘に収めたハジメが、立っているだけのアマネと、それを木の下に誘導するキラを横目で見て言った。
「探せば解呪方法も見つかるかも知れないから、諦めたくないよ!」
心配したパプリカは、雨に打たれて羽毛が濡れていた。
「ユウ、分かってあげなさい。彼は生きていても助かりません! それは偽善でしかありませんよ!」
「ユウ。メリアさまのためにできることは、ハイムルでちゃんとトワイライト陛下に伝えることだよ」
アキラとアマネは口を揃えてゆうの行動を否定する。
長い間一緒にいたから、考え方の違いくらいは分かっている。
偽善だと分かっていても、目の前で人間が死ぬのはなるべく見たくなかった。カイに罪はないのだ。
雨が酷くなったと同時に、今までは重くて持ち上げられなかったカイの身体が軽くなった。
「ハジメさん……」
「俺もお前に付き合わせてもらってもいいか?」
「はっ、はいっ!」
ハジメと一緒に抱えたカイの体温は、雨に打たれながらもまだ温かかった。
「まったく、お人好しなんですから……」
キラは呆れるようにそう言ったが、それ以上は引き止めようとはしなかった。
木の下まで行くと、雨がまったく降らない訳ではないが、何とか過ごせる少量で済んだ。
ユウはそこにカイを寝かせ、オカリナを吹いた。
何とか命は助かりそうだ。
「出来の悪い俺は、スタンデシティに連れて行かれて、ルクリア人のように改造された。本当なら一億分の一の確率でしか成功しない実験なんだが、失敗したと思われて捨てられたみたいだな」
数時間後、起きて平常心に戻ったカイから事情を聞くことが出来た。
「シアン様が裏切ったとは、どういう事ですか?」
「ルクリアとアスカが交わるのは、百年戦争があってから禁じられてるんだ。ルクリアの事も一般人には教えないようになってるし、百年の間にルクリア関連の歴史書も全部撤収した」
「それは僕も薄々勘付いていました。アスカの人々はルクリアを知らないので……」
「でも、親父はトワイライト陛下を裏切って、あるルクリア人と契約したんだ。ルクリアの王抹殺に手を貸すから、アスカを自分の物にするってな」
聞くだけで偉い人として情けない事情だ。
ルクリアのある人物が誰なのか分かればいいのだが、さすがにカイもそこまでは知らないようだ。
「それじゃ、リギン村を通り過ぎて、デサルト砂漠に行かなきゃなんないよなぁ」
ユウはそれまでにアマネの体力が持つのかが心配だった。
「ボクはだいじょうぶだよ」
笑いはしないものの、アマネからは心配掛けまいと努力している姿が見受けられる。
「すまないな。出発しよっか。あ、俺はカイでいいし、堅苦しい敬語も使うなよ。もう親父は倒さなきゃいけない存在なんだしさ……」
カイは困ったように笑ったが、本当のところは辛そうだった。
あの時は善意だった筈が、また人を傷付ける原因になるのだろうか――。
「きゅう……」
「パプリカも寂しいよな。おまえも母さんを亡くしちゃったんだから……ごめんな」
寂しそうに鳴くパプリカを抱き締め、ユウは他の四人に続いて歩いた。
「そう言えば、百年戦争って何なんだ?」
ユウはそれをキラに訊こうとしたのだが、隣りにいたハジメが先に答えた。
「百年前に終結した、ルクリアとアスカ――正式にはサノン族とアスカ人との戦争だ。魔法と化学のぶつかり合いで、世界は崩落の危機を迎えていた」
戦争を経験した事がないユウにとっては、その莫大な被害が想像もつかないほどに恐ろしいものだった。
「それは、どうして終わったんですか?」
戦争の終わりには理由がある。
例えば、どちらかが負けるとか、降参するとか。
人を大量に殺しておいて、そんな単純な仕組みで終わる戦争なんて馬鹿げている。やらない方がいいのだ。
「一人のレイル族が神と交わる事で、その戦争と世界の乱れは治まった。それからはレイル族の手を借りてルクリアとアスカはお互いに不可侵条約を結び、特に戦争で不利だったアスカでは王女を立て、王族や貴族しかその真実を知ってはいけない事にされている」
ハジメはそれだけ言い、再び黙り込んだ。
何日もハジメと一緒に旅をしているユウにとって、彼は敵には容赦のない冷酷な青年に見え、クールで何を考えているか分からない人間なのだ。
嫌いな訳ではないが、心のどこかで苦手だと思っている。
「そう、ですか」
ふと思った。
もし世界が乱れた時、神と交わらなければならないのは、紛れもなく自分なのだ。
アマネには《カリュダ》の力が確認されないとなると、世界の運命はユウに任されたも同然になる。
「…………」
ハジメがユウを見つめてくる。
紅い瞳は綺麗で、どこまでも自分の弱さを見透かれそうだ。
(何で……)
ただ単に、見つめられるのが怖かった。
ユウが苦手意識を一方的に持っているだけだと言い聞かせていながら、ハジメが自分を嫌っているのが分かってしまう。
ユウは戦闘でも役に立たないし、《カリュダ》の力以外は必要とされていない。
「きゅう……?」
気持ちを察してか、胸の中のパプリカが心配そうにユウを見上げた。
「ごめんな、心配かけて……何でもないから……」
笑ってパプリカを撫でてやったが、精神的に落ち着く事は不可能だった。
親のファウを失った彼は、ユウ達を恨んでいるのではないだろうか。勝手に生き返らせて、必要以上に辛い思いをさせてしまっているかも知れない。
カイだって、死ぬ事を希望したのに。
自分が善意だと思っている事が、後に誰かを不幸にしてしまう事を考えてしまうと、それだけで居ても立ってもいられなくなる。
五年前、両親が死んだ本当の理由を、ユウは未だに誰にも言っていない。唯一の肉親のアマネや、信用出来るキラから突き放されるのが怖くて言えなかった。
確かに死因は火事だったが、ユウのせいでもあった。
両親を間接的に殺してしまってから、善意だと思って突発的に行動した後、後悔してしまう事も多くなった。
他人の気持ちを知れないのが怖い――。
「ユウってお人好しだよな」
暗くなっていると、急にカイが笑って言って来た。
「そうかも知れないけど、それが人を傷付けてしまう原因になるんだよな。肉体的にも、精神的にも」
フレンドリーなカイは、敬語を使うなと言われたのもあり、普通の友達として接する事が出来た。
今まで同年代の友達がいなかったからか、新鮮な気持ちで彼と話す。
「そうか? でも、ユウはそのままでいいと思うぜ。俺、ホントは死にたくなかったから……最後に会いたいヤツ、いたからさ」
本心かどうか分からない。ユウが辛気臭い顔をしているから、カイが気を遣って言ってくれた事かも知れないのだ。
しかし、その言葉にユウは微笑む事が出来た。
「うん、ありがとう」
パプリカは可愛らしく鳴いたが、咄嗟にユウは抱く腕の力を強めた。
「おまえはどう? 俺のこと、嫌いじゃない?」
「きゅううっ!」
ユウの必死の問い掛けは魔物のパプリカの耳には届かず、ただ苦しがるだけだった。
「く、苦しいかな。ごめんな……」
キラとアマネの仲が実の兄弟以上にいいから、少し嫉妬してしまっているのだ。
ここ何年か、誰かに本気で愛されてみたいと思ってきたから、誰かに少しでも嫌われるだけで臆病になってしまう。
何も手放したくないのに、ただ幸せに暮らしたいだけなのに、どうしてそれを許してくれないのだろうか。
自己中心的で幼稚な自分を嫌悪する。
日が暮れ、夜になっても寝付けなかった。
何かを助けてしまう度に、ユウは臆病になり、考え込んで眠れなくなる。
カイはいいと言ってくれたが、裏切るような人間ではないだろうが、それでも彼を後悔させてしまっていたらどうしようかと思うのだ。
胸に抱いたパプリカはぐっすりと眠っている。
眠れないから、と身体を起こした。
「ユウ」
名前を呼ばれ、喉から心臓が飛び出してしまいそうなほど、驚いて肩を震わせた。
「ハジメさん……」
夜の見張りをしてくれているハジメだった。
彼はキラやカイと交代で見張りをしてくれているのだが、まさか話し掛けられるとは思っていなかったのだ。
「眠れんか?」
「は、はい」
「では、隣に来い」
鋭い目で見つめられるので、断る事は出来ないし、そこに行く途中も緊張して足が縺れてしまった。
ハジメの隣は落ち着けるどころか、心臓が高鳴って余計に眠れなくなる。
『苦手』の対象だからか、少し怖いという気持ちの方が大きい。
もちろん、助けてくれる事には感謝しているのだが、どうにもその冷酷な瞳が怖くて、なかなかうまく接する事が出来ないのだ。
「っ……!?」
ハジメが頭に手を置いてきたので、高鳴る心臓が一瞬だけ更に激しくなった。
「お前、俺が嫌いか? 明らかに避けてるだろ」
顔は見えなかったが、いつものハジメらしくなかった。
いつもの彼は冷酷で、何にも動じずに敵を切り付けるし、戸惑わずに殺す事も出来る。
しかし、ユウはそれを否定した。
「避けてはないですし、嫌いじゃない……でも、ちょっと怖いです」
「目が紅いからか?」
「そうじゃなくて……敵を簡単に殺しちゃうから」
それが魔物であっても、ただの盗賊であっても、だ。
そう言っただけで傷付けてしまったかと思い見上げるが、そんな様子はなくハジメは笑った。
「純粋だな。俺は軍人だが、お前は殺す事に慣れたら駄目だ。そのままでいい」
ハジメは頭に置いた手を動かし、ユウの頭を撫でた。
よく分からないが、彼もユウに気を遣ってくれている気がする。それは嬉しいが、やはり足手纏いだからだろうか。
「……ハジメさんは家族とかいないんですか?」
少し気まずかったから話題を変えた。
「――いた。母さんは俺が生まれてすぐに死に、父さんは行方不明だ。残った姉さんも暴力を受けて殺された」
瞳に宿る寂しさの意味が少し分かった。
ハジメは「暴力」とオブラートに包んだ言い方をしたが、ある程度の年齢を経たユウには本当の理由が分かったのだ。
ハジメはユウに似ている。
一人か一人じゃないかの違いだ。
もしもアマネがハジメの姉と同じ理由で殺されたなら、ユウは立ち直る事が出来なかっただろう。
「それって、ハジメさんやお姉さんにとって、一番辛い殺され方ですよね……無神経なこと聞いて、ごめんなさい」
「いいんだ。――もっと子供かと思ったが、そうでもないようだな。本当の意味が分かったんだな?」
「……はい」
考えただけで胸が苦しくなる。
ハジメがこんな話をキラにしたのも見た事がない。
ユウだけに言おうとしたのか、それとも偶然ユウに言っただけなのか、真相はよく分からないままだった。
「歳はいくつだ?」
思えば、まだお互いの年齢も知らない仲なのに。
「ハジメさんと会った日に、十五になりました。ハジメさんは?」
ルクリア人は十五で成長が止まる。
だとすると、ハジメが百年以上生きているという可能性も、否定出来なくはないのだ。
「お前よりちょうど十歳上だ」
「十歳も?」
驚きを隠せなかった。
確かにハジメはキラよりも背が高いし、大人っぽい雰囲気がある。
しかし、二十五歳のアスカ人よりも若く見えるのは、やはり十五の時から変わっていないからだろうか。
少し羨ましい気がする。
「お前は姉さんに似ている……もう少しお前を知りたいんだ」
その時、秘密にしていた事を言いたくなった。
「……じゃあ、俺の秘密、聞いてくれますか? 兄さんにもキラさんにも、言えなかったことです」
もうどうにでもなればいい。
心の中にしまっておくのが苦痛になったのだ。
「俺でいいのなら、何でも聞いてやる」
キラとアマネが寝ているのを確認したハジメは、ユウの頭に載せた手を肩まで滑らせて言った。
甘えるように肩に頭を傾ける。
こんな風に寄り添って、恋人や家族、友達でもいいから、星を観る事が出来たらいいのに――両親が死んでからそんな事を考えていた。
その希望を最初に叶えた相手がハジメだとは、出会った瞬間には予想出来なかった事だ。
「父さんと母さんを殺したの、俺なんです」
「…………」
冒頭だけ言ったら、普通の人ならユウから離れようとするだろう。
けれども、ハジメはそんな事はしなかった。
ただ黙って聞いてくれる。軽蔑の眼差しは皆無だ。そっと肩を叩いてくれて、元気さえ与えてくれる。
「五年前、兄さんはその時いなかったけど……山で子供が倒れてたから、治療して家まで連れて帰りました。薄紫の髪した、クラールって言ったかな……それから兄さんのところへ遊びに行ったんです」
その頃の状況が鮮明に脳裏に焼き付いている。
あの日は夏の晴れた日だった。
アマネはユウより早く起き、キラの家に遊びに行っていたので、それを追い掛けて村に降りて行く途中だった。
その日はいつもと違う道を通り、途中で人が倒れているのを発見した。
山で倒れていた人物は薄紫色の髪をしていて、目の色ははっきりと見ていなかったが、腰まである長い髪が印象深い、当時のユウよりも小さな少年だった。
名前を訊いたが、『クラール』とだけ名乗り、両親はいないと言っていた。
クラールを《カリュダ》の力で治療したユウは、一度家に帰って両親に彼を預け、再びアマネを追い掛けて村へと走って行ったのだ。
「俺達が帰った頃には、家はもう灰になっていました。村の大人が何人で掛かっても遅くて……残ったのは兄さんが持ってる十字架と、俺のオカリナだけでした」
それを見たアマネは泣き崩れ、一瞬にして感情を失った――。
「その後、『火事が発見される直前、紫色の髪をした子供が逃げて行った』って目撃した人がいました」
だから、人を助けるのは後になって少し後悔してしまうし、身内を傷付けようとする者が現れたあの日、ナリュエ族が死ぬのを震えながら見ているしか出来なかったのだ。
一部始終をハジメに話した。
「つまり、そのクラールという子供が放火したのか?」
「いや、確証はないです。もしかしたら事故でクラールが火を起こして、小さかったから怖くなって逃げたのかも知れませんし……でも、どちらにしても俺のせいです」
あの時アマネと遊ぶ事を考えず、せめて怪我を負っていたクラールを見ていたなら、きっと両親は死なずに済んだ。
だが、ユウの言った仮説は有り得ないのだ。事故を起こすような火の設備はなかったし、遺品が何一つ残らないで消え去る強い炎は、魔術を使うくらいしか考えられない。
母は《カリュダ》を使っていたがそれだけで、父は魔術は皆無だった。
だから、疑うべきは倒れていたクラールなのだ。
どちらにせよ、幼いクラールを見ていなかったユウが悪い。今となっては後悔するばかりである。
「最初にも言ったが、お前は優しいじゃないか」
ハジメはそれだけ言って、深紅の瞳を細めた。
「俺のどこが……」
両親の死が未だに納得出来ず、確信もないのに少年を疑う者のどこが優しいのだろう。
「俺は姉さんが殺された時、殺した奴を恨んだ。我儘を言った自分の事は棚に上げて、な。それでもユウはクラールを恨んでないだろ?」
「だけど、俺は臆病です。クラールが怖い……それに、些細なことで嫉妬だってします」
確かにクラールを恨んではいないけど、彼に恐怖しているのは間違ない。
それを引き摺っていたり、アマネとキラの仲の良さを羨ましがったり、ちっとも優しい人ではないのに。
満月の夜、明るい月に照らされている漆黒の髪が、ユウの白い頬を掠った。
「……キラとアマネか?」
肩を抱かれるだけではなく、今度は面と向かって抱き締められた。
お互いの顔は見えないけれど、さっきよりも近い。ユウは温かい体温に浸り、肩に顔をうずめた。
ハジメには全てお見通しのように思えたからだ。
「あの二人、すごく仲いいから。兄さんにとって、弟の俺なんかより、キラ先生の方が大切なのかなって考えると――」
キラ自体は好きだ。頼りになるし、いつもユウ達兄弟を助けてくれる。今回の旅にだって、家のしきたりがどうであれ、自らついて来てくれた。
嫉妬してしまう自分が嫌いだ。
「アマネは両親がいなくなって、甘える相手が欲しかったんだろう。キラも同様、心の支えが欲しかった」
ハジメの言う通りだ。ユウは二人には必要なかった。
「そうです。俺は甘える相手にもなれないし、心の支えにもなれないから……優しくなんかないんですよ」
苦笑しか出来なくなり、情けない顔をハジメに見せたくはないので、今のままの体勢がちょうどいい。
「では、俺の甘える相手や心の支えがお前だとすれば?」
「それは、ないです」
「いや、ユウと会ってから少し楽しい。何故だろうな……お前を見ていると姉さんを思い出す」
先ほども口走った言葉だが、ハジメはユウに姉を重ねているようだ。
少しだけ気持ちが楽になった。ハジメと話すと、過去の事を引き摺らずに済むような気さえした。
大好きな人と面影を重ねているのであっても、優しくしてくれる事には変わりない。
姉に甘えたい気持ちはあってもいいだろう。ハジメは十歳も年上だけど、幼い頃に家族を失っているのだから。
ユウの顔を見まいとしたのは、きっと姉と姿を重ねてしまい、当時の情景を思い出してしまいそうだったからだろう。
ハジメは強い。だけど、それ以上に辛い過去がある。きっとユウ以上に辛く、ユウ以上に愛される事を願っていただろう。
少しでも慰められたらいいのに。でも、一人じゃないよ、とは何歳も年上の男に言う言葉ではない。
「ハジメさん、ありがとう」
少し手が届きづらいが、力いっぱい手をのばしてハジメの頭を撫でた。
これで少しは姉を思い出して、過去と決別出来るきっかけになればいいと思ったのだ。本人は姉の事を過去にしているようだが、初めて会った時の瞳が寂しそうだったから。
「ユウ?」
腕の力を弱めたハジメは、低い声でユウの名前を呼んだ。
「ハジメさんが俺とお姉さんを重ねるなら、俺はあなたのお姉さんみたいにします。俺も少しずつ過去と決別していきたい――だから、ハジメさんの寂しさを少しでも取り除けたらな、って思いました……」
迷惑かも知れませんけど、とユウは笑った。
せめてものお詫びのつもりだった。ここまで話を聞いてくれて、欲しかった言葉をくれた人はいなかったから。
「寂しさ、か。お前にはお見通しのようだな」
今度はまた強く抱き締められ、のばした手が頭に届かなくなってしまった。
「……お前はまだ子供だ。まだ感情に素直でもいいのに、少し堪え過ぎではないか?」
ハジメにそう言われ、両親が死んでからを振り返る。
アマネと違い、ユウは感情を失う事はなかった。けれども、それを抑え、我慢する事ばかりを覚えたのだ。
両親が死んだ原因は自分にあるから、泣けなかったから我慢した。
それが身に着いてしまってか、アマネと違って笑ったり怒ったりは出来たのだが、泣く事に関しては、他人の前では絶対にしなかったのだ。
「兄さんやキラ先生の前では強がっちゃうから、弱音吐けなくて……」
アマネの件で村中の人に心配を掛けているような状況だったから、ユウが弱音を吐いてはいけないのだと思っていた。
ここでも泣いてはダメだ、と思いつつも、今までの出来事が嫌でも蘇り、頭の中がこんがらがる。
「心配するな。俺には弱音を吐いていい」
「嫌いになりませんか……?」
「ならん」
優しく頭を撫でてくれたからか、ユウは安心した。
「寂しかった、です……」
鼻の奥がつんと刺される。
今日だけはその優しさに甘えて、ほんの少し泣こうと思っていた。
けれども、五年分の気持ちはそう簡単に堪えられるものではなく、月明りだけがユウを見つめる中、ハジメの肩を借りて幾千もの涙を落とした。
「そうか」
肩よりも少し下の方で泣く小さなユウを抱き締めたハジメは、それ以上は何も言おうとはしなかった。
春になったばかりの夜は、まだ少しだけ長い。
短い髪を指に絡めて弄り、ユウをただ強く抱いて、その夜はずっとそばにいてくれたのだった。
スタンデシティに向かうには、リギン村を南に行ったデサルト砂漠を横断しなければ辿り着けない。
デサルト砂漠は、やはり一般では幌馬車かベヒケルを使って渡って行くしか方法はないのだ。
砂漠は普通よりも日差しが強く、昼夜の温度差が著しい。
そのために人体に影響を及ぼし兼ねないのと、砂漠の規模が広く魔物も多いために、水と食料も必要以上に用意しておかなければならないのだ。
グロウスの森から再び一週間掛けてリギン村に戻った五人は、食料やアイテムを大量に買い込んだので、砂漠横断への準備は整ったと言えるだろう。
しかし、思わぬところで死にかけた人物、約一名。
「え。もしかして、俺にも夕飯の当番回って来るワケ?」
リギン村を出発した日の夜だった。
「当たり前でしょう。こうなった以上、貴方も仲間なのですし、甘やかしはしませんよ」
キラは貴族生まれのカイにも厳しかった。
「ふーん、まぁいいか。料理とか初めてだけど、ユウくらいのモン作ってやるからな!」
カイは包丁を危ない手つきで握り、食材を切り始めた。
「パプリカぁ、今からごはんだよ!」
「きゅう!」
ユウは両親の件があって料理が出来るし、料理が好きだ。だからカイも好きになるかな、と期待していたのだが――。
「おーい、出来たぞ! これがオムライスか? 庶民の料理って見た事ないんだよなぁ」
レシピは予めキラが書いて教えた筈だったのだが、そこに置かれているのは明らかにオムライスではなかった。
どうやってやったのかは分からないが、水色のご飯に焦げた玉子が載せてある。その上、ご飯には不明なものが入っているのだ。
それでもカイは自信満々だったので、ユウは何も突っ込めず、ぽかんと開いた口が塞がらない状態だった。
「な、何これ……」
ユウ達は呆然として眺めているだけだったが、カイは、
「どうしたんだ? 早く食えよ」
と促してくる。
とても食べられそうなものではなさそうだが、どうもその部分は天然ならしい。
「カイ、これなんなの?」
水色のご飯を指してアマネは言う。
「何って……着色料だぜ? 俺のパジフィック三号機にも使ってるんだ!」
「まさかそれはロボット専用の……」
「あぁ。パジフィック三号機はな、やっと成功した三台目だったんだ。だから俺の髪と同じ色にしたんだぞ」
カイは得意げに早くパジフィックに会いたいな、と呟いたが、他の四人はそれどころではなかった。
ユウはただ見た事のない料理をパプリカを抱いて呆然と見つめているだけで、アマネは無表情だが食べようとはしていないし、キラはやれやれ、と呆れている。
一方で、ハジメだけは怒っていた。
「この野郎、仲間に毒物を食わせる気か!」
皿ごとうまくカイの顔面目掛けて投げ、見事に直撃する。
気のせいだろうが、金属が人間の肌に当たる時の音が同時に聞こえた。
「毒じゃねぇんだよ! だから料理投げてくるな! そんなに疑うんなら俺が食ってやる!」
カイは汚れたままスプーンを手に取り、大胆にそれを口にした。
「やめなさ……」
キラが止めようとした時には、既に飲み込んでいたようだ。
「あ、この具、金属だよね」
アマネが木製のスプーンで掬ったのは、金属製の釘だった。
「うああぁぁ!!」
「か、カイ!?」
少し経ったかと思えば、カイは気絶した。
「化学変化で毒物に構成されてしまったようですね。よほど変な物を混ぜたのでしょう。仕方ないですね……ユウ様の治療で治ります」
料理を調べるキラは、まるで『呆れた』と顔に書いてあるようだった。
ユウはキラの言った通り、オカリナを出して曲を吹き、解毒した。
あれから一時間以上放置していた場合、カイの命はなかったと言うのだ。何回死にかけたら気が済むのだろうか、と後になっては笑い話である。
そんな事もあり、砂漠付近までようやく辿り着いたその夜、カイに関しては、キラが解呪方法を見つけてくれたようだ。
砂漠に入る前に安い金で宿泊出来るキャテージという施設があるのだが、そこでキラが話してくれたのだ。
「またカイが暴走したら困りますから、解呪方法を探しましたよ」
「マジ? どんなのだ?」
「簡単で難しい――術者を殺す事です。呪いも一種の魔術ですから、強力な魔術が使える者の仕業ですね」
キラの言う事は大体が真実だ。だから、カイにとっての敵は今までの魔物や追っ手より、きっと強いのだろう。
「じゃあ、俺ってその術者を倒さないといけないから……また暴走するとか!?」
明るく振る舞うカイだが、毎日いつ暴走するか分からない様子でおびえていたのは確かである。
何とかしてやりたいのは皆同じだった。
「いえ、ハジメさんが闇の力を使えます。そうですよね、ハジメさん?」
キラは問い質すようにハジメに言った。
ユウが光で、ハジメが闇――光と闇はなかなか使える者がいない属性で、生まれ持たない以上は行使出来ない。
世の中の六つの属性は陽と陰に分かれていて、炎と風は陽、水と氷は陰となっている。その中の陽を代表するのが光、陰の代表が闇なのだ。光と闇を使う者は、他の属性の魔術は一切使えない。
しかし、光魔術は尊敬されるが、闇魔術を使う者は悪魔だと迫害されている。
「よく分かったな。俺はお前らの前で使った覚えはないが?」
「アスカと違い、魔術を使えないルクリア人はいません。ですが、貴方は魔術を使わない――差別ゃないですか?」
「よく分かったな。闇魔術を使う者への偏見がアスカであると聞いていた」
「ですが、僕達相手にどうして隠す必要があるのですか?」
キラは更に問い質したが、ハジメは何か言いたげにユウと一瞬だけ目を合わせてから逸らし、それ以上は何も言おうとはしなかった。
「……まぁいいでしょう。闇魔術で一時的ですが抑える事が可能なのです。ついでですが、僕は可愛い教え子に差別的な考えは教えませんよ」
キラが最後に付け加えた理由は分からなかったが、確かにキラに習った生徒は差別をせず、優しい子が多かったのだ。
「分かった。どうすればいい?」
戦闘には長けたハジメだが、魔術についてはそう詳しくはないようだ。
「簡単です。カイ、背中を見せて下さい」
「おう……こうか?」
キラに言われた通り、カイは帯をほどいて背中を見せた。
かなり鍛えているのか、筋肉質な体付きだ。
その背中の中央部には、呪文がたくさん書かれた、大きな魔方陣のようなものが浮き出されている。
「やはりありました。ダーク・エンブレムですね……ハジメさん、この模様に手を翳し、闇のスロナを送ってくれますか?」
「えっ、待て待て。俺ってば機械科の授業以外サボってるからな……スロナって何だ?」
「まったく――全ての魔術の中核になっている原子の事ですよ」
機械系の事以外はほとんど無知で世間知らずのカイは、ことごとく物知りなキラを呆れさせている。
「前に習ったよね。呪いには色々あるけど、生物を殺す呪いをかけられるのは、闇魔術だけなんだ。だから、闇魔術を使う人って、アスカでは迫害されるんだって」
キラがカイに構っているからか、少しでもキラに構ってもらいたいという様子でアマネは率先して言った。
「そうか。それで闇属性のスロナで呪いの効果を半減させるとか?」
「そういう事です。物分かりはいいんですから、ちゃんと勉強はしましょうね」
「へいへい」
愛想よく笑って返事を返すカイだが、勉強や堅苦しいものは嫌いに見える。
これではまるで親子だ。見ているだけで微笑ましくもなる。
「カイ、いいか? 少し痛みを伴うと思うが……」
ダーク・エンブレムが刻まれた部分に手を翳し、ハジメは気を遣うようにそう言った。
「オッケー。痛いの慣れてるし」
背中に垂れる赤い鉢巻きを前側に掻き分け、大丈夫だとカイは笑った。
実の父親に改造までされてしまい、その経緯は分からないが、おまけに呪いまで掛けられて――辛くないとは言えない状況だろう。
カイが準備は整ったという様子を見せると、ハジメは手に黒い光の塊を集め、背中のダーク・エンブレムへゆっくりと当てた。
その衝撃を受け、眉間に皺を寄せる。
「うあぁっ!」
貴族にもかかわらず、魔物との戦闘でも全く弱音を吐かなかった彼が、悲鳴を上げてそれを受けている。
「きゅうう! きゅきゅっ!」
パプリカもそれに反応するように、ユウの腕の中で暴れた。
ユウも闇のスロナは初めて目にしたが、ハジメのは圧力を感じるほど強力で、闇魔術で生物を殺せる呪いを掛けられるというのも分かる気がした。
闇のスロナの塊を一気に体内に取り込んでしまったカイは、息を荒げて椅子から飛び降り、跪いた。
そんな中、術者のハジメが一番複雑な顔をしていたのだが、すぐにその表情を変え、カイの肩を抱いた。
背中のダーク・エンブレムは、先ほどよりも薄くなっていた。
「大丈夫か? 俺の闇魔術でも完全に消えないとはな……ルクリア人には呪いというもの自体通用しないので、俺にはよく理解出来んが」
「あぁ、なんか親父から聞いた事あるぜ。体の構成物質が違うとか? その時はスロナって知らなかったけど……でも俺、ルクリア人に改造されたのにな」
「元がアスカ人だからじゃないか? アスカ人だった頃に掛けられた呪いなら、ルクリア人になった後も引き継がれるのは考えられるだろう」
大人達は少し難しい内容を話題にしているのだが、ユウもその話に付いていけない事はなかった。
キラは二人の議論を意味深な顔をして聞いている。
「ハジメさんの意見が正しいでしょう。改造人間は専門外ですが、この呪いはどうも古い。カイ、恨まれる要因はありますか?」
そう訊いた直後、キラはアマネの頭を撫でた。
まるで歳の離れた兄に構ってもらいたい弟のようで、彼の精神年齢が五年前のあの日から止まってしまっているのが分かる。
アマネは精神的にも肉体的にも幼い。だからすぐに疲れるし、キラと会えない日は口も聞かなくなる。
外を見ると、そろそろアマネが眠くなる時間だというのをユウは悟った。
「兄さん、もう寝る時間だよ。部屋に行こうか」
このキャステージには一階の談話室と二階の宿泊室があり、受け付けと離れた場所にあるし、今日は他の客もいないのでずっと貸し切り状態だったのだ。
しかし、アマネは目をこすって眠そうな仕草を繰り返している。今日はよく歩いたし、疲れてしまったのだろう。
「やだ。キラさんと寝るから」
「兄さん! 明日も朝早いし、もっと疲れるんだよ?」
ユウはアマネを叱るように言ったが、本来なら逆の立場になるということを、アマネは気付いていないのだろうか。
アマネのキラへの依存の仕方は、本当の弟のユウにとって、少し寂しい現象なのだ。
「アマネ様。後で僕もそちらへ向かいますから、先に寝ていてくれませんか?」
わがままを言っていたアマネだが、
「絶対だよ?」
「アマネ様を裏切る事はしません」
「じゃあ、またね」
アマネはわがままを止め、キラに言われた通り、寝室へと向かって行った。
「ユウはいいのか?」
「俺はだいじょうぶです。カイに早くよくなってもらいたいから」
「無理はするなよ」
「は、はい……」
一緒に満月を眺めた夜から、ハジメと二人きりで話す事はなかったのだが、彼が心配してくれているのは確かだった。
相変わらず、ハジメは何を考えているのか分からない。確かに闇の力はアスカでは非難されるが、事情を説明すればすぐに打ち解けた筈なのに、どうして隠していたのだろう。
怖いとは思わなくなったものの、未だに彼への不思議な気持ちは消えないままだった。
「それより、キラ先生がさっき言ってたけど、古い呪いってどういうこと?」
話題が逸れたままだとまずいと思ったユウは、先ほどの話を思い出させるように訊いた。
「最近掛けられたものではないのです。五年か十年ほど前ですね……本来なら、もう少し時間を掛けて成人と共に殺す予定だったようですが、改造された事によって進行が早まった、と図って間違いないでしょう」
それを聞いたカイは、普段の姿とは想像がつかない身震いをした。
「成人と共にって……俺、まだ十九になったばかりだぜ? あと一年以内に、そいつを殺さなきゃなんねぇってか? おもしれーじゃん」
カイは笑って言ったが、瞳の中にあった微かな希望の光は消えていた。
あと一年の命――いや、キラの言った通り、カイは暴走していた。
「酷だが、一年も猶予は無いかも知れんぞ。俺の魔術で少しは延ばせるかも知れんが……」
「あぁ、分かってる。キラ、ハジメの術はどの程度受けとけばいい?」
現実を受け入れる、という姿勢でカイは言った。
「一日一回ずつ、です。ここ何週間かは暴走しませんでしたが、これからは十分な注意が必要ですし、命の危険を考えたらやはり――」
魔術や呪いはキラの専門分野だから、彼の言う通りに実行していれば間違いはないだろうし、その点は安心出来る。
ただ、ハジメの術に耐えられるかが問題なだ。
「平気平気。何としても生き抜いてやるよ。ユウに助けられて分かったんだ。死にたくねぇし、会いたい奴がいる――ありがとな、ユウ」
クシャクシャと頭を撫でられ、思わず腕に抱いたパプリカを離してしまったが、彼は得意げに羽を使って木製の床に着地した。
「きゅうっ」
ユウが落としてしまったのにもかかわらず、パプリカは着地した事を褒めろと言わんばかりに、ユウの足にしがみついて見上げてきた。
「ごめんな、落とすつもりはなかったけど……でも、おまえはいい子だな」ユウはパプリカを抱き上げ、毛を撫でながらカイを見上げた。「カイ、会いたい人ってどんな人なんだ?」
そう言えば、カイは何度も「会いたい奴がいる」と語っていたのだ。よほど大切な家族か友達か、或いは――。
「二人いるんだ。一人は親友。もう一人は……おっと、ユウにはちょっと早いかもな」
カイはそれだけ言って笑った。
「恋人か?」
柄にも合わない、茶化すような目でハジメは言った。
「バーカ。片思いだって。初恋の人なんだからな!」
「おやおや。その歳で純情ですねぇ」
「っるせぇ!」
カイは二人の美青年に茶化され、少し照れている。
自分にはとても縁のない話だなぁ、とユウはパプリカを撫でながら、笑ってその光景を眺めていた。
女性に興味ない、というのだろうか。
かと言って男性が好きな訳ではないが、ユウが理解出来ないもののひとつに、恋愛というものが昔から入っている。
十五にもなって初恋もまだだと言えば、きっと三人から攻撃を食らってしまうだろう、とユウは思った。
「キラ先生は今まで何人恋人いたっけ? 確かにじゅ……」
「ユウ様。要らない事は仰らなくていいのですよ」
「うっ……」
二十人、と言おうとしたところで、キラに『腹黒スマイル』を飛ばされたのでやめた。
キラは都合が悪くなると、目が完全に笑っていない、笑みとは言えない笑みを見せ、他人を黙らせる『腹黒スマイル』を発動するのだ。
これでも言う事を聞かない生徒は、かなりきついお仕置きが待っているという。
「は、ハジメはモテるだろ? な?」
空気を読んだカイが話題を変えたが、
「何度か付き合ったが、姉さんを越える女はいないと分かった」
という言葉が返ってきた。
さすがのユウでも、アマネと付き合いたいとは思わないし、アマネみたいな人を好きになることはなさそうなのだ。
ハジメはよほど姉が好きだったのだろう。
「そ、そうか……はは」
変な奴、とカイは苦笑いした。
「では、僕はそろそろ寝室に向かいます。アマネ様、最近寝付きが悪いんですよ」
逃げるようにキラは寝室へ歩いて行く。
残されたユウとハジメとカイは、キラ達とは別のもうひとつの寝室で、何となくその話題を継続していた。
「……その続きだけど、キラってアマネに依存し過ぎじゃねぇか? ユウは弟としてどうなのよ。二人部屋で何されてるか分かんないんだぜ? 俺ってば見ちゃったんだよ……」
カイは半分面白がるように語り、ユウに問い掛けた。
ユウから見ればアマネがキラに依存しているようにしか見えないのだが、カイの言う事は意外にも本当なのかも知れない。
キラはいつも村の美人と付き合っていたが、年下の美少女とは付き合っていなかった――もしかしたら、本当は年下趣味かも知れないのだ。
「ど、どうしよう!? 兄さんあれでも男だよ? 気持ち悪い……」
男と女の行為だって、想像するのは少しえげつないと思うのに、それが男と男だったら言語両断である。
「くだらん。別に本人達が楽しいのならいいだろう。まぁそれが本当なら、アマネの明日の体力が危ないな……よし、見に行ってやる」
「あー、ウソウソ! 悪かったって、ハジメー!」
ベッドから立ち上がったハジメがわざとらしく振り向いて笑うと、その直後、ユウ達の部屋のドアがノックされ、開いた。
「ユウ様に何を吹き込んでいるのですか?」
「き、キラ……」
「さぁ、お仕置きですよ」
その後、ハジメとカイが朝まで説教という形になったのは、言うまでもない。
カイに出会い、グロウスの森からデサルト砂漠に向かうまでに色々な事があったが、こんな濃い日々になるとは思っていなかった。
五人は何とかキャステージの人と交渉し、幌馬車を借りて、砂漠を横断する事が出来そうだった。
キャステージの小屋を経営していたのは幸いながらも女性で、ハジメとキラが同時に攻めてくれたので貸して貰えた、という訳だ。
しかし、一日目は男性陣はほぼ全滅状態だった。
「キラさんのばか。お説教はだめだって言ったじゃない」
ぷい、とアマネに愛想を尽かされたキラは、
「ですが、あのままではユウ様に悪影響を及ぼす所でした」
「ボク、もうユウと寝るから」
「ユウ様と!? あの、僕は……」
「しらない」
朝っぱらから痴話喧嘩のようなやり取りが交わされ、干物のようなハジメとカイは二人してブツブツと何かを唱えていた。
砂漠横断には二日ほど掛かる。幌馬車の運転手は雇ったのだから、一日休めば戦力は回復するだろう。
スタンデシティでは、恐らく戦いになるに違いないのだ。
キラが次の日の事を考えていないとは思わなかったのだが、ここは馬車を借りられた分、ユウには責める事は出来なかった。
「ハジメさん、カイ……昨日のことですけど、大丈夫ですか?」
あまりに酷ければ、ユウが癒す事も出来るのだが――。
「ユウは気にするな。お前のせいなんだぞ、カイ」
「へへへ、悪ィ悪ィ。でもさ、キラの奴図星だったんじゃね?」
「人を巻き込んでおいて、ひとつも反省していないな……俺の仕置きはキラのよりも強烈だが?」
「……わー、分かったよ。釣れねぇ奴だなぁ」
剣を構えるハジメにおじけづいたカイだったが、昨日で何かが吹っ切れたようで、出会った当初の明るさが戻ったように思えた。
しかし、昨日の件に関しては、キラも次の日の事を考える冷静さを失っていたと思うし、少し考えたらハジメが特に変な事をユウに吹き込んだ訳ではないのも分かるし、カイが冗談で言ったのも分かるのだ。
昨夜のキラは少し変だったのは確かだ。
早朝に幌馬車を出してもらったが、さすがに帰りの事は考えていなかった交渉だったし、帰りもいつになるか分からない状況だ。
ユウは幌馬車の中から砂漠の景色を眺めた後、カイとキラとアマネが熟睡しているのを見て、思わず微笑んでいた。
「ハジメさんは寝ないんですか?」
じっと窓の外を眺め、睡眠不足を解消しようとしないハジメに心配して声を掛けた。
「俺は平気だ。もし魔物が現れたらどうするつもりだ……カイもキラも一般人だが、俺は軍人だ。鍛えてあるから何ともない」
両隣りにカイとキラという大きめの男が二人も凭れて来る中、少し暑苦しいユウは汗を手の甲で拭った。
「ハジメさんはすごいです。俺の目標かな」
強いしかっこいいし、背も高くて何より不器用だけど、優しい――そんな人物になりたいと思っていた。
膝の上で眠るパプリカを撫で、ユウはハジメを見つめた。
「目標、か。それ以上にはならないのか?」
「えっ?」
「いや、私情だ。気にしなくていい」
目標の『それ以上』とは一体何なのだろうか。ユウはそれが気になって聞き返したが、まともな答えは得られなかった。
いつもユウやアマネには隠し事として、キラやカイと色々な事を話して。
ユウが何かと訊いたら、「お前はまだ子供だから気にするな」と言って、すぐに子供扱いをする。
そんな大人の余裕があるハジメが羨ましいし、憧れている以上の対象になっている。現に今、彼のようになりたいと思っているからだ。
「ハジメさんって、俺のこと子供扱いしますよね。ルクリアでは俺だって成人なのに」
頬を膨らまして、それもくだらないことで怒るから、未だに子供だと言われるのも仕方ないのかも知れない。
後になって気がついたが、その仕草をやめる事は難しそうだ。
「準成人、な。大人という形になるが、やはり二十歳になるまで子供扱いはされる。千年も生きる人種だぞ? それ以上身体は成長しないというだけで、その歳ではまだ精神的には子供だ。違うか?」
ハジメの言う事は、きちんと的を射ているように思えた。
それに比べてユウは、大人だと思い込んでいたものの、まだ一番子供っぽいところが抜けない少年だ。
「俺、これでも色々考えてるのに……どうしても、あなたには追いつけない」
「仕方ないだろう。生まれた時からの訓練の仕方も違うし、性格も違う。お前は俺のようになるな」
「どうして? ハジメさん、俺が嫌いですか?」
「違う。むしろ……いや、俺は人殺しだ。ユウは純粋なままでいい」
また、言葉を濁した。
違う。ハジメが人を殺したのは、ユウやアマネを守るため。決して利害のためではないのに、どうして自分をけなすのだろう。
「ハジメさんはいい人です。人殺しなんかじゃ――」
ユウはパプリカを抱き締めて俯いた。
「俺はお前に嫌われたくないだけの卑怯な人間だ。だから闇魔術の事も隠していた……アスカで育ったなら、差別的考えが身に着いているかと思ったんだ」
ハジメがユウを大切に思う理由が分からない。
前に彼が言った通り、姉に似ているからだろうか。
ただそれだけで大切に思うなら、顔が似ていると言われるアマネだって、その対象になり得るのだ。
「あなたにそれだけ大切にしてもらえるの、すごく嬉しいです」
それだけ言って笑った。本当の事だったから、飾る必要はなかったのだ。
「……そうか」
照れているのか、ハジメは隣りで寝るアマネの髪を弄り出した。
そうしていると、急に幌馬車は止められ、慣性の法則で中は揺れ動き、寝ていた三人は目を覚ました。
「どうしたんですか?」
ユウは馬を操作していた操縦士に訊こうと外を見たが、目の前には蠍型の大きな魔物が立ちはだかり、馬を怯えさせていたようだった。
「こんな化け物は初めてです。私にも手が負えません!」
操縦士は手を震わせている。
全員が起きたばかりなのでちょうどいいかも知れないが、ユウは一応目眩ましで光魔術を使ったものの、すぐに魔物は起き上がってきた。
「スナイダー……?」
慌てて起きたカイが、蠍を見て呟いた。
「こいつは悪い魔物じゃねぇ。なのに、何でこんな魔物になってんだ? スナイダーは俺のペットだぜ……?」
「この魔物……スコルピンですね。スタンデシティから逃げて来たようです。カイ、貴方のように改造されています」
「どうにか助からないか……!?」
身を乗り出してカイは焦った表情を見せたが、そんな様子にキラは目を伏せ、かぶりを振った。
「人間によって凶暴になってしまった魔物は、二度と元には戻りませんよ」
「そんな……」
絶望的な現実だった。
腕の中でパプリカが怯える。もしパプリカが改造されて凶暴になったら、ユウはきっと彼を庇ってしまう。
カイはどんな手段で解決しようとするのだろうか。
「スナイダー。お前が誰かを殺す前に、俺が正気に戻してやる」
緩くなった赤い鉢巻きを締め直し、カイは幌馬車から飛び降りて、スナイダーの前に着地した。
こんな大きな魔物とカイが戦うのは初めてだ。大丈夫なのだろうか。
「なるべく使いたくなかったけどな……」
カイはそう言うと、腿の辺りにあるベルト型のアイテム入れから、少し小さめの銃を二つ取り出した。
今まではちょっとしたアイテム入れだと思っていたので気にならなかったのだが、まさか銃が入っているとは思わなかったのだ。
「カイ!?」
「大丈夫、だ。ハジメ、また暴走しかけたらお願いな」
身体が暴走した時のように熱気を纏ったカイは、二つの銃を同時に撃ち、スナイダー目掛けて弾を飛ばした。
よく見ると、銃の弾は炎の塊で、それが当たったスナイダーの身体の部分は焦げていた。
しかし、スナイダーは主人である彼が分からないのか、それでも毒針を振り回して襲ってきた。
ユウはただ、そんなカイとスナイダーを見るしか出来なかった。
もしかして、カイはスナイダーを『一時的に止める』のではなく、本当に『止めてしまう』事を決意しているのだろうか。
体術と二つの銃の連動で独特な戦い方をするカイだが、その表情が見えないくらいに速く動いている。
きっと、泣きそうになる顔を見られたくないのだろう。
もしパプリカが同じ状態だったら、と考えたら――恐らく、カイのように殺す事の決意は出来ないだろう。
「ごめんな、スナイダー……でも、お前が人間を殺してしまう前で良かったよ」
カイがスナイダーと戦い始めて、一時間ほどの時が流れた。
スナイダーの身体は灼熱の炎に包まれ、スロナとなって消えて行くところだった。
魔物の身体はスロナという原子から作られるため、死んで一定の時間が経った後、分解されて消えてしまう。
人間とは違うその現象だが、スナイダーの場合、炎に身を焼かれる時間の方が長かった。
『カイ』
何者かが跪くカイを呼んだ。
しかし、他の四人の誰でもない、聞いた事のない声だった。
『ありがとう。ボク、ほんのちょっとだったけど、君といれて楽しかったよ』
そう言った言葉は砂嵐に掻き消される。
誰の言葉だったのだろうか。
しかし、次に前を見た時には、既にスナイダーの遺体は消えていた。
「スナイダー……」
風に揺れる鉢巻きがせつなさを物語っていた。
「カイ!」
日が照らす砂漠の中、カイはまた倒れた。
精神的なショックと身体への負担が原因だろう、とキラは判断した。
こんな研究をした人が絶対に許せない、と初めて誰かに怒りを覚え、ユウはパプリカを抱き締める。
幸い、暴走する前にカイが倒れてしまったため、寝ている間のハジメの治療で終わったが、それでも後味の悪い戦いになったのは間違いなかった。
「もう魔物はいません。安心して、そのままスタンデシティまでお願いします」
キラは冷静にそれだけ言った。
再び馬車が走り、日が暮れてきた頃には、目的のスタンデシティ――敵の本拠地へと辿り着いていた。