1.プロローグ
※濃くはありませんが、BL要素を多少含んでおります。ご了承下さい。
世界は地上のアスカと、天界のルクリアで分けられている。
もっとも、ルクリアを見た事のある者はいないに等しい。何故なら、ルクリアは伝説に記された《天使》が住む場所と言われていて、人間が立ち寄れる場所ではないからだ。
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ユウは朝日が昇ったばかりの大草原の中、天に向かってうんと背伸びをした。兄のアマネにそれを何度も聞かされているので、少しうんざりしているのだ。
ルクリアというもう一つの世界の話をしても、周りの人間は誰一人として信じてはくれないし、逆に笑われるばかりである。
それに、ここは『化学の世界』だと言っても過言ではないほど、機械類が発達している場所だ。化学で証明出来ないものはないのだ。
昔からある魔術の仕組みだって、今では化学でその原理が証明されている。
ユウは自然に囲まれた山に住んでいるが、都心に行くと産業が活発である。
だが、ひとつだけ証明できないものと言えば、ユウの力だろう。
アマネ以外には秘密にしているが、怪我を治す癒しの力を持っている。母親はこれを《カリュダ》だと言っていた。
母親の形見であるオカリナを吹くと、自然と羊はユウの周りに集まった。彼女に言わせると、これは《カリュダ》の力に引かれ、羊達が寄って来るようなのだ。
ただ、両親はもう亡くなったのだが――。
羊飼いの家の生まれで、今日で十五歳になったばかりのユウ・ヴェラーテ・ニュードイルは、兄のアマネと二人で、小さな山の中の小屋で暮らしていた。
明るいマロンブラウンの短い髪と、綺麗で深いターコイズの瞳をしたユウは、まるで双子のようにそっくりの、ふたつ年上のアマネが作ってくれた独特の衣装を着ている。
アマネは内側にはねたショートカットで、見た目はすごく可愛らしくて綺麗な女の子だ。
女と間違えられる事は二人とも日常茶飯時で、アマネは何も気にしていなかったが、ユウうは嫌で仕方ない。そのため、さらさらの髪を短く切って、少しは男の子に見えるように工夫しているのだ。
アマネも昔は嫌がっていたのだが、最近は快か不快か以外の感情を示す事はしなかった。
五年前に火事で両親を失って以来、アマネの感情は薄くなっている。唯一彼が心を開くのは、勉強会の先生であるキラという青年だけなのだ。
ここ、アスカ国のリギン村では、週に三回ほど朝から夕方にかけ、街で勉強会が実施される。最低限の知識は身に着けるべきだと言う大人達の配慮で、身寄りのない子供達が受けられる制度――ボランティアなのだ。
今日はその勉強会はないが、キラに呼ばれているために、ユウはアマネと一緒に学校に向かう事にした。
「兄さん、今日はキラ先生が呼んでるよ! 早く食べよ」
そう言うと、決まってアマネは形見である十字形のアクセサリーを身に着けるだけの、簡単な支度を始める。
「うん、そうだね」
毎日交代の朝食作りは、今日はアマネの当番だった。
パンに溶かしたチーズを載せただけの料理を食べた後、ミルクを飲み干して学校へと向かった。
狼などの肉食生物が進化したような魔物が山には現れる。魔物に出くわした時のために、ユウはいつも魔物避けのアイテムを持って行った。小さいアイテムなら力のないユウにも持てるし、アマネと一緒に逃げる事も可能だからだ。
「なぁ、兄さん。ホントにルクリアってあるの?」
「あるよ。ボク、ママから聞いたもん」
「そうかぁ? 母さん、そんなこと言ってたっけ」
「ほんとに、言ってたよ」
アマネは表情を作らない顔で空を見上げた。ユウもいい加減背は低いが、彼はそれよりも少し低い。
青を基調とした、ユウのと同じ十字形の模様が書かれた服を着たアマネは、伝説の《天使》を連想させるくらい綺麗だった。
ユウのはへそ出しの服で、おまけに肩まで出している露出度の高い服だ。ズボンはカボチャパンツのようなもので、その下に長いブーツを履いている。一方、アマネは肩と足以外の露出はなく、ワンピースのようなゆうのと同じデザインの服に、スパッツを穿いている。
こんな服装だから、不必要に女と間違えられる。
だが、唯一の肉親であるアマネが作ってくれた服なので、文句を言いながらもユウは着ているのだった。
勉強会に着いた時、受講者たちは既に集まっていた。
「キラさん、どうしたんですか?」
アマネは大好きなキラ・ダーティスのところへ駆け寄り、背の高い彼を見上げてまばたきをした。
キラは黒髪をしているが、光の加減によっては青色にも見える髪の色をしていて、片方の瞳はゆうやアマネと同じ、深みのある碧眼をしていて、もう片方は緑色というオッドアイだ。
彼もまた独特な服装で、やはり青が基調とされた服の上に、護身用の鎧を装着している。
そんな彼はリギン村で一番頭が良く、身寄りのない子供たちにも勉強や魔術を教えている教師である。
キラは常に護身用の弓を装備していて、その腕は確かだ。
弓の先には槍のような鋭い刃物がついており、それによって近距離でも戦える仕組みになっている。
ユウもアマネについて行き、キラの話を伺うことにした。
「まず最初に、ユウ。お誕生日おめでとうございます」
端整な顔をした長身のキラはソファに掛け、長い脚を組んでユウに言った。
「あ、ありがとうございます」
ユウはアマネと違ってこの教師が少し苦手なので、つい挙動不審な態度で返してしまいがちだが、嫌っている訳ではないのだ。
両親を失った時、力になってくれたのは彼であるし、アマネに少しでも楽しいと思わせてくれているのも彼なのだ。
「早速ですが、君達に伝えなければならない事があります」ユウとアマネを真っ直ぐに見てキラは言った。「ユウとアマネはアスカの人間ではありません」
向かい側に座ったキラは、整った顔を少しも歪めないまま、非現実的な事を口にした。
キラはそんな冗談を言う者ではない。
ユウとアマネは人間の羊飼いの息子で、確かに不思議な力を持っているのだ。
それでも、すぐに信じろと言われても、信じられない気持ちの方が強かった。
「嘘ですよね? だって俺、人間だし」
「ユウは《カリュダ》の聖なる力を持っています。これはルクリアのレイル王家に伝わる力、なのです。他の種族にはありません」
「でも、ルクリアは伝説の天使様が住む場所なんじゃ……」
少なくとも、アマネはそう言っていた。
それに、何故キラが《カリュダ》の事を知っているのだろうか。言った覚えはないし、アマネも他人の秘密を言うようなタイプではない。
「その事を、アマネとユウに説明しようと思ったのです」ユウの斜め前に座るキラは言った。「君達は人間とのハーフですが、確かにレイル族です。それに、僕も同じです。僕はレイル王家を守るダーティス家の末裔なので、今までそれを隠していたんですけどね」
羊飼いで農民同然の身分であるユウが、急にレイルという民族の、しかも王族だと言われても、何ひとつ信じる事は出来ない。
「キラさん、なんで隠してたんですか?」
ユウの隣りに座るアマネが、ようやく口を開いた。
確かに、今まで知っていたなら言わない方が変なのだ。
「君達の母上であるサラ様に、大人になるまでは告げないで欲しいと言われていたので。アマネとユウが大人になったので、この日を選んだのです」
「俺まだ十五になったばかりだし、どっちにしろまだ子供だよ?」
アスカでの成人式は二十歳からだ。それまでは未成年だし、子供と同然の扱いを受けている。
「いえ、ルクリア人の場合は十五の姿からは成長せず、千年ほどをかけてゆっくりと老いていくので、成人は十五からなんです」
キラが言った通り、思えば彼も五年前から全く変わっていない。
しかし少年らしさはないところから、やはり本当の大人なのだということが分かる。
五年前のキラは、思い通りにならなければ他の物や人に八つ当たりし、機嫌を悪くして自分の部屋に籠っていった。
キラの場合は早くから両親を失っているが、頭が良いために独学で魔術を修得し、五年前から既に村の全員に認められるほどの学力を身につけていた。
それでも、現在の方が冷静で、村の女性達からも憧れの的なのである。
「キラ先生! アマネはいますか?」
勉強会の教室を使用していたからか、急に村の女性が入って来た。
「えぇ、ここにいますよ。アマネがどうかしましたか?」
「旅の方が呼んでおられます!」
「そうですか……」
キラが立ち上がって弓を持った時、女性の後ろから長身の男が入って来た。
「手を掛けてすまなかったな。アマネが見つかったので、もう戻っていいぞ」
村で美形だと評判のキラと同じくらいかそれ以上の美形な男は、女性の目をうっとりとさせ、優しく不器用そうな口調でそう言った。
「は、はい! お役に立てて光栄です」
頬を真っ赤に染めた彼女は、恥ずかしがるように小走りで教室を出て行った。
残ったのは、ユウとアマネとキラと、名前も知らない長身の若い男性。
「ボクに……なにか用ですか?」
近付こうとするアマネの手をキラが掴み、足を止める。
「ルクリア人……それもナリュエ族ですね? アマネ様、下がって下さい。彼は貴方を狙っています」
弓を構えたキラにもお構いなしに、男はアマネに近付いて行った。
キラに言われたからか、アマネも怖がり、彼の後ろに隠れている。
「すまない、自己紹介がまだだったな。俺はナリュエ族ではない……サノン族だ」
サノン族やナリュエ族と、ユウには初めて聞く単語が多い中、キラはその男との話をやめようとはしなかった。
「ですが、サノン族は金色の眼をしている筈です――それ以上アマネ様に近付けば、貴方を殺します」
はっきりとそう言ったキラは、過去に村に入ってきた強盗を弓で殺した事があり、ここで目の前の男を殺したとしても、初めての人殺しとは言えないのだ。
「話を聞け。俺はハジメ・ファース・ギルウィン――サノン族のスパイだ。ナリュエ族がアマネを見つけ、狙っている事が分かったのでアスカに来たのだが……」
キラからルクリアの話を聞いたばかりのこの時に、まさかルクリアの人間が現れるとは思ってもいなかった事だ。
キラよりも幾分か背の高い、ハジメと名乗った青年。
それも艶のある黒髪に、珍しい紅い瞳をしている。
彼の衣装は独特で、まさに貴族のような格好だ。
赤や黄色などの派手な色で着色してあり、なぜか三角形が反転した模様が所々に描かれている。
「それを信じろとでも?」
しかし、キラは弓を構えるのをやめなかった。
「サノン族のギルウィン家を知らないのか? ――まぁどうでもいい。早くこの村を出ろ。さもないと、アマネはさらわれるだろうな」
ユウにはハジメが嘘を言っているようには見えなかった。
だが、キラは慎重で、まったく信じられないという様子だ。
「アマネ様、窓から逃げて下さい。ユウ様はアマネ様を連れて――いいですね?」
妙に改まった言い方で、キラは二人にそう指示した。
「何を言っても分からないようだな――さっさとこの村を出なければ、アマネが危ないんだぞ!?」
それに対し、ハジメは少し怒った様子で、腰から剣を引き抜いた。
二人が睨み合う中、ユウはアマネのか細い腕を掴み、何とか教室の窓から身体を滑らせて逃げたところだった。
運動が苦手な割りに頑張って走るが、アマネの手を引いているために、そのスピードは普段よりも劣っている。
「兄さんは俺が守るから……」
唯一の肉親を失いたくない。
山まで逃げて来た時、ハジメの言った通りなのか、紅い瞳をした三人の男がユウとアマネを取り囲んだ。
逃げようとしたが、ここはやむを得ないだろう。
「兄さん、戦おう」
ユウはオカリナを吹いた。
《カリュダ》だけではなく、ユウは光の力も使える。これもやはり稀で、なかなか目にする魔術ではないようだ。
その代わり、ユウは他の属性の魔術は使えないので、アマネは助けるように炎や氷の技を連続で出していた。
「いやぁっ!」
珍しくアマネが叫ぶ。
折れそうなほどか細い腕は強引に掴まれ、痛がるように高い声を上げているのだ。
「兄さん!」
助けようとアマネに近付くが、身体の軽いユウはすぐに叩き飛ばされてしまう。
このままでは、アマネはさらわれてしまう。
それどころか、もしかしたら殺されるかも知れない。何をされるのか分からないのだ。
こんな事になるなら、いくら見知らぬ青年だったと言えど、ハジメの言う事をちゃんと聞いていればよかったのだ。
その時、血飛沫が上がった。
何かと思ったユウの目には、ひたすら残酷なその光景が映し出される――。
アマネの腕を掴んでいた男が殺されたのだ。
「間に合ったようだな」
剣で男を突き刺したのは、先ほどキラとやり合っていたハジメという名の青年だった。
アマネを抱きかかえ、同じ目の色をした残りの二人に切り掛かる。
殺された男の身体は、次に目を移した時には既に消え去っていた。
「ハジメさん……」
ゆっくりと立ち上がったユウは、傷を負うハジメを援護するように、母の形見であるオカリナを吹いた。
聖なる曲――それはユウの中に眠っているメロディで、生まれた時から頭に埋め込まれている感覚だ。
だから、ユウが心で強く願いながら聖なる曲を奏でると、思った相手の傷は必ず癒える。
現に、ハジメの傷はたちまち癒えていったのだ。
「特殊な回復魔法か?」
「ハジメさん。前衛と兄さんのこと、よろしくお願いします!」
「……分かった。すぐに終わる」
ユウは再びオカリナを吹き、ハジメとアマネの無事を祈った。
すると、どこからともなく矢が飛んでくる。
「ユウ様、僕も手伝います」
ハジメとの戦闘で少し傷を負ったキラの矢が、もう一人の首を射抜いた。
かなりグロテスクな光景だったが、焦りながらもユウはキラを回復させる。
ハジメが最後の一人を殺した事により、その戦闘は幕を閉じた。
アマネは気絶していて、無事だが顔色はかなり悪い。
「アマネ様は僕が背負います」
キラは率先して寝ているアマネを抱き上げた。
「キラ先生……」
「ユウ様、真実は教えた筈です。僕の事は呼び捨てでいいですし、敬語も使わないで下さい。僕は貴方達に仕える身ですから」
「――うん、分かった」
重い気持ちでユウは歩き始めた。
すると、足元に小さな魔物が二匹、傷を負って倒れている姿が見られる。
大人になった方の一匹はもう命はないが、もう一匹は辛うじて生きている状態で、それもまだ子供である。
恐らく戦闘に巻き込まれてしまったのだろう。ユウはオカリナを吹いてそのふわふわとした生き物の傷を癒した。
ゆうは回復系のアイテムを持っていない。持っていたハンカチを傷口に当てたが、それでは止血にすらならなかったのだ。
どうすればいいのだろうと悩んだ結果、《カリュダ》の力を使う事に決めたのだ。
「この辺りの山に生息するファウという魔物です。おとなしく頭がいいので、人間に危害を加える事はありません」
ユウの周りを飛び跳ねるファウを見てキラは言った。
「お前は優しいんだな」
何とか怪我が治った黄色のファウを抱きかかえたゆうに、ハジメは戦闘の時とは別人のように微笑んだ。
「優しくなんか……ただ、この子が死ぬのが怖かっただけです」
それを優しさと呼ぶのは、少し違うと思うのだ。
ユウは聖なる力を持っているが、だからと言って特別な人間ではない。戦えないし、ただ他人や動物の死に臆病なだけだ。
だからこそ、戸惑わずに殺すキラやハジメが少し怖い。
「――そんな性格の癖に、俺がナリュエ族の奴等を殺した時、何故止めなかった?」
急な問い掛けに戸惑った。
「結論を言えば、俺は優しくないからです。兄さんをさらおうとしたから、怖いけど防衛だし、仕方ないかなって。この子の場合、罪はないですよね? だから、助けたいって思っただけです」
「……そうか」
「ごめんなさい、子供の癖に生意気で……ですから、俺を優しいって言うのは間違いです」
誰かに優しいと言われると、必ず否定したくなる。
アマネを助けてくれた二人に対しても、怖いと思う自分がいる。
自分の中の正義を押しつけているだけだった頃、大きな後悔をした。
ユウのせいでアマネは感情を失ったのだ――。
「光の力は心が清らかな者にしか宿らない。お前は自信を持てばいい」
どこか寂しそうな深紅の瞳は、ユウを真っ直ぐに見つめてそう言った。
何となく、胸に掛かった錘がひとつ、消えていったような気がした。
「ユウ。一旦、君達の家に寄りましょう。これからの事を話し合いたい」
キラはアマネを抱えたまま、マントを翻して山の奥まで歩き始めた。
「……おまえもおいで」
母親であろうファウは死んでいる。
両親がいなくなって、頼れる者がいない時の辛さはよく分かっている。
ユウは回復させたファウを撫で、抱き締めたまま歩き出した。
ユウとアマネが住む小屋は、まるで小人が住むような家であり、家具もベッドやテーブルやイス、キッチンくらいしかなかった。両親が火事で死んでから、小さい二人の兄弟で作った家だとすれば、それでもまだ上質な出来なのだ。
客人用に二つほど予備の椅子があったため、ちょうど四人でテーブルを囲んで座ることができた。
「キラ先生、さっきの何なんだ……?」
胸の中でおとなしくユウを見上げるファウを撫でてやると、ファウという生物独特の可愛らしい鳴き声を出した。
急に敬語を使うなと言われるくらいならまだしも、呼び名だけはさすがに変えられないユウは、先生と呼びながら対等に接するという矛盾したコミュニケーションを取っている。
「ナリュエ族です。レイル王家には代々神と交わる力があり、一番目の子供に受け継がれます。彼らの狙いはその力、《カリュダ》です。王女であったサラ様はナリュエ族から逃げ、僕の父と母を連れてアスカまで来られました」
ナリュエ族やレイル族――今まで普通の羊飼いとして過ごしてきたユウにとっては、夢から覚めていないような気持ちである。
「俺はサノン族の軍隊に所属している。それも特殊な任務で、ナリュエ族のスパイだ。病気で紅い瞳になった事が幸いだった、と言うべきか? ――ナリュエ族の企みを知ったので、真っ先にアマネを探しに来たという訳だ」
「ナリュエ族は神の力を使い、世界を滅ぼそうとしているのだと聞きましたが?」
「そうだ。理由はよく分からないがな……」
難しい話を二人がする中、ユウは言った。
「要するに、その神と交わる力――兄さんが持っているとされる力が欲しいから、ナリュエ族は襲って来たんだろ? でも、《カリュダ》を持ってるのは俺なんだけどさ」
一番目の子供であるアマネは、《カリュダ》という神聖な力を持っていない。
「ナリュエ族は勘違いしている。実際、俺も《カリュダ》は『神と交わる力』以外に知らなかったからな。治癒まで出来るとは思っていなかった」
腕を組んだハジメは、懐かしそうにユウを見つめていた。
ユウにとっても、ハジメは初対面ではないような気がしていた。
「それはレイル族の一部だけが知っている事ですし、実際に神と交わるのは、本当に世界が危機に冒された時だけという決まりもあります」
「どうして、ボクらの居場所がわかったのかな?」
「それも気になるところですね……」
色々なパターンを考えてみても、とても現実とは結び付きそうにないのだ。
事実は分からないが、分かっているのは『アマネが狙われている事』だけだ。
このままリギン村にずっといたら、ナリュエ族の襲撃に他の村人が巻き込まれてしまうかも知れない。
「ユウとアマネをサノン族――アヴェニ国の陛下に会わせたいと思う。ルクリアに行こうと思うのだが、いいか?」
サノン族はレイル族の味方をしてくれるのだろうか。
見たところ、ハジメからは敵意を感じられないし、むしろユウに対しての善意さえ感じてしまうのだ。
「僕もそれに賛成します。羊は村長さん達に預けて、明日の早朝に村を出ましょう」
キラまでがそれに賛成すると、もちろんアマネは、
「ボクもそれでいい」
ということになる。
アマネは実の弟以上にキラを大切に思っていて、ユウの知らない間に彼と遊びに行くくらいだからだ。
「……うん、分かった」
命が狙われているときに我儘は言っていられない。
それから何も言わずにファウを抱き締めた。
羽毛がふわふわして心地よかった。
「僕はアマネと一緒に、村長さんに羊を頼みに行きます。ユウとハジメさんは、明日の準備をしていて下さい」
そう言うと、アキラはアマネを連れ、小屋を離れようとした。
「まっ、待ってよ、俺も……」
ユウも急いで出ようとしたが、二人に置いて行かれてしまい、茫然として再びイスに座り込んだ。
ハジメと二人きりなんて、こんなに気まずい状況は他にないだろう。ユウは彼を少し怖いと思っているのだ。
ファウをテーブルの上に座らせる。
気を取り直し、立ち上がって荷物をまとめようとするが、ハジメがずっと見ているので集中出来なかった。
「……何、ですか?」
「いや、可愛いと思った」
「小さくて可愛い男の子が好きなら、俺じゃなくてももっといますよ」
皮肉たっぷりにそう言った。
男で男が好きな人にはろくな人間がいなかった。今までの人生の中、どれだけ危ない目に遭っただろうか。
それに、「可愛い」と言われると「女みたい」と言われているようで、必死に否定したくなるのだ。
突き放すようにそう言った。
「そんな風に見えるか?」
立ち上がってユウのそばに近付く彼とは、身長の差が歴然としている。
神様はなんて不公平なんだろう。
ハジメは顔が整っていて、ユウがなりたかったような容姿すべてを兼ね揃えている。おまけにすごく強いのだ。
羨ましいが、それだけで好感が持てるとは限らない。
「俺、そういうの嫌です」
大きな鞄にあるだけのアイテムを詰め、魔物避けのアイテム《エボイブ》が、数を切らしていたことをその時になって確認した。
複雑な気持ちだ。どうしてあの時、ハジメはユウに『優しい』と言ったのだろう。
「無理矢理でもいいのだぞ? 例えば――」
顎を持ち上げられ、親指の腹で唇を撫でられる。
くすぐったく感じ、肩を竦めるが、それ以上に恐怖心の方が大きかった。
今から何をされるのだろうか。
「やだっ!」
言ったか言わないかの境目だった。
ハジメの手はユウから離れ、テーブルの上にいたファウの姿は消えていた。
見ると、黄色い羽の塊をユウの足元で動かし、可愛らしく見上げてくる名前のないファウと、足を噛まれて痛がるハジメの姿があった。
ユウはファウを抱きかかえ、黄色い羽を撫でてやる。
「冗談のつもりだったんだが……」
見た目とは違った変わったところに、先ほどまでの彼への緊張感はほぐれていく。
「きゅうぅ!」
ファウはそんなハジメに怒っているのか、威嚇の声を出し、まるで「近付くな」と言っているようだった。
気が付くと、そんなハジメとファウを見て、ユウは笑っていた。
両親を失った事への心の傷は深く、心から笑う事は出来なかった。アマネとの違いは、愛想笑いが出来るか出来ないかくらいだ。
そうしていると、ハジメに頭を撫でられた。
「お前、やっと笑ったな」
見上げると、優しく微笑んだ青年がいた。
けれども、ファウの威嚇は続く。
「ハジメさん、もしかして俺のこと……」
心配してくれたのだろうか。
ユウが笑わなかったから? でも、アマネだって笑わないのに。
「その……上手くは言えんが、初めて見た時から少し気になっていたんだ。許してくれ」
きっと、ハジメは不器用な人なんだ――そう思う事で、不安な気持ちは消えた。
きっとユウを気遣って、少しでも笑わせようとしたからあんな行動に出たのだ。
それに答えるように笑って見せた。
「俺こそ、皮肉ってごめんなさい」
威嚇するファウを撫でながら、敵意のひとつも感じられないハジメを見つめる。
「そんなに見つめるな……キスしたくなる」
「俺は男です!」
「じ、冗談だ。無視しないでくれ!」
ふてくされたふりをして荷物まとめの作業に戻ったが、あの強くて冷酷なイメージを与えたハジメが、こんなにも変わった人物だとは思ってもいなかった。
顔が少し熱い気がする。きっと少し笑ったせいだろう。
ふと、ファウに名前を付けていない事を思い出す。
「そう言えば、おまえもついてくるの?」
鞄のファスナーを締め、ファウを抱き上げて首を傾げてみる。
ユウが言った言葉が少しでも分かるのか、彼は黄色い羽毛に埋まる頭を上下させ、嬉しそうに鳴いた。
「きゅう!」
「――そっか。じゃあ、名前付けてやるよ」
ペットのような感覚で、ファウを胸に抱き寄せる。
「おまえは『パプリカ』だ」
頬擦りをすると、嬉しそうにパプリカは鳴く。それが可愛くて、ユウは何度も撫でてやった。
すると、ハジメがパプリカの嘴を指で弾き、意地悪そうに言った。
「この野郎、ユウにだけはいい顔しやがって……」
「きゅうっ!」
「痛っ……待て、この!」
ハジメの指を噛んだパプリカは、ユウの腕から飛び出して逃げ回った。
『クールで何を考えているのか分からない人』というイメージは取り消し。
パプリカと同等に走り回るハジメは、本当に子供のようだ。
半ば呆れながらも、ユウはそんな彼に元気づけられていた。
そうしていると、キラとアマネは小屋に帰って来た。
「何してるんですか、ファウ相手に追い掛け回して」
扉を開けた途端、180センチ以上もある男が、30センチくらいしかない小さな生物を追い掛けている光景が目に入ると、何とも言えない気持ちになるのも無理はないだろう。
キラはアマネが入ってきたのを確認すると、呆れたように扉を締めた。
「何でもない。それより、準備は出来たのか?」
我に返ったのか、誤魔化すように追い掛けるのを冷静にやめ、話題を変えた。
「えぇ。ここの羊たちは村長さんが預かってくれるそうです」
平然とした返事が返ってくる。
こんな風に事前の異様な出来事を無視して会話を続けられるのは、やはりキラが大人だからだろうか。
一方で、アマネはキラの袖を引き、ハジメをじっと見つめている。
「ユウ。かなり急だが、明日からは旅になる。いいか?」
ハジメは再び確認するように問い、ユウの答えを待った。
レイル王家に伝わる《カリュダ》を、どんな種族であっても渡す訳にはいかないのだ。
今までレイル族だという自覚はなかったが、ユウは強くそう思った。
神様がそれらを与えてくれた理由は、きっとレイル族は中立な存在だからなのだ。
そうでなければ、私利私欲のために神の力を使う種族に、そんな力を与える筈がないだろう。
「俺はだいじょうぶです」
「無理、してないか?」
「してませんよ、そんなの」
心配されるのは嫌なので笑って言ったが、故郷を離れる現実と向き合うのは寂しかった。
ユウは荷物でいっぱいになった重い鞄を持ち上げ、誰かが蹴ったり躓いたりしない部屋の隅を選び、そこに置いた。
そんな動作をしたのも、感情を誤魔化すためだったのだが――。
「キラ、村長にはどんな説明をしてきた?」
ルクリア人に狙われていると言っても、村長や周りのアスカ人は信じてくれないだろう。
気になっていた事を代わりに訊いてくれた感覚だ。
「先程も言ったように、レイル族の僕達は村でも特に頭が良い。それを理由に、首都ハイムルの教育を受けに行く――というのを理由にさせて戴きました」
確かに、勉強会でしか学んでないユウとアマネは、普通に学校に通っている生徒達よりも成績が良いのだ。
首都ハイムルの大学の噂は耳にしたことはあるが、この村で学ぶ最低限の知識ではなく、もっと専門的な事を学習するようなのだ。
例えば、キラは炎と氷の矢を作り、風の力で飛ばす。これは彼が独学で学んだ、凡人には難問な魔術である。
アマネが同じように炎や氷の力を操るのは、いつも一緒にいるキラから習った技なのだ。
「そうか。アスカの人間の大半はルクリアを知らないからな。妥当な言い訳だ」
ニヤリと笑ったハジメは、キラを褒めた。
彼を褒めるととんでもない事になるとも知らず――。
「さすが僕ですね。やはり十年に一度の逸材と言われるだけありますよ」
彼を褒めると、不必要にナルシストっぷりを発揮する。
彼の性格という事情を知っているユウは絶対に褒める事はしないのだが、初対面のハジメはそれを知らないので、無意識に言った言葉に反応されて目を点にしていた。
「キラさん、みんながひいてる……」
そういう時は、アマネの一言によって、
「も、申し訳ありません、アマネ様」
と、まるで人が変わったように我に返るのだ。
ユウとアマネよりも本当の兄弟らしい二人は、見たところお互いを大切にし合っているといった様子だ。
アマネ以外に大切な存在がいないユウは、逆に羨ましくも思える。
(もう夜か……)
旅に出ると、色々な魔物と戦う事になるかも知れない。
明日に備え、四人はその小屋で一晩を過ごす事にした。