第9話 気持ち
家に着き、軽くシャワーを浴びてジャージに着替える。
昨日泊まりに行った時には化粧を落としていたそうで、特に肌に悪影響は見受けられない。
短い髪にドライヤーで風を送る。
自然に乾く長さではあるのだが、髪が水分を含むと痛みやすくなるので乾かすのは癖になっていた。
亡くなった祖父が孫の髪が綺麗な事をとても自慢にしていたから。
一昨年までは、奈美の髪は長かった。
腰ほどまで伸びていた髪は、祖父の葬式が終わったその日に切りに行った。
美容師の方に5回ほど確認を取られたのはまだ記憶に新しい。
長い髪も好きだったが、長い髪はどうしても祖父を思い出さずにはいられなかったから。
仕事関係の人達は奈美の髪が長かった事はしらない。
もちろんアイツも…知らない。
親友は知っていたが…それを話題に出すことは既になかった。
髪を短くするのと同時に服装をガラリと変えた。
スカートをあまり着なくなり、パンツルックが多くなった。
ある意味祖父が亡くなったことは奈美の転機となっていた。
強くなりたかった。
祖父がいつもそう言っていたように。
強く、ありたいと望んだ。
女らしいと言われた容姿は何処か嫌になった。
弱いと言われている気がして。
『無理してるかな』
そんな風に思ったりもした。
けれど、その逆も思う。
変わってから告白されて、彼氏が出来て、認められた気がした。
結局それはただ幻想を抱かれていただけだったけど。
「女としての自覚……かぁ」
鏡の向こうにいる私を見る。
髪が長かった時を女らしかったと考えるなら、今は少年という感じがする。
利発的な印象そのままに、性別だけ変わった感じ。
女の自覚がない訳じゃなかった。
泊まりに行ったことに一番驚いてるのは私自身なんだから。
女友達のトコならアポなしで泊まりに行ったことも幾度かある。
けれど異性のトコに泊まりに行ったのは初めてだ。
彼氏の家にすら泊まったことはなかったのだから。
不思議に思う自分。
けれど反面納得している自分。
奏司だから。
彼だから泊まりに行ったのだと思える。
そして元をただせば、彼だからあまり終電を気にする事なく、終電を逃したのだと思う。
(私にとって彼は何――?)
自分に問い掛ける。
(――会ったばかりだけど心許せる人……)
私は答える。
その答えに偽りはない。
(好きなの?)
私はまた問いかける。
自分の中の感情に名前を付けたかった。
明確な名前を。
――けれど。
(……わからない)
それが答えだった。
好きだと言うのは簡単な気がした。
けれど、アイツにフラれた私が彼に惹かれるのは当たり前……そんな気がした。
私は――寂しいのだ。
その寂しいという感情を恋と取り間違えているのではないかと、そう思うのだ。
それは相手に失礼だと思った。
そしてその逆に、彼もまた感情を取り間違えているのではないかという危惧があった。
――恐怖――ともいうかもしれない。信じられないのかと聞かれればきっと否と答えるだろう。
けれどやはりまだ臆病になっている自分を自覚していた。
何が怖いのかと聞かれればそれはきっと離別。
そして拒絶されることだろう。
こんな短時間でここまで心を許せてしまう人から拒絶されたら――。
そんな事――考えたくもなかった。
惹かれている自分は否定出来ない。
けれど受け入れてもいけない気がする。
もう一度鏡を見つめると頼りなさげな顔が見える。
何処か決めかねている顔。
目をつぶる。
奈美の瞼の裏に浮かんだものがなんだったのか。
ゆっくりと目を開けた奈美には既に迷いの色はなかった。