はじまりの実験 4
グラスの破片は、やがて一ヶ所に集められ、すべてご主人の手のひらに掬い取られた。
戸棚にしまい忘れたチーズを見つけたネズミのように、ニンマリと笑う。
そして、不意の風でその手のひらの粉状の破片が吹き飛ばされたりしないように気をつけつつ、ご主人は慎重な足取りで、出てきた書斎へ、いそいそともどっていく。
へっ? あ、あの~? ゼリーは?
オイラは棚に移したゼリーのグラスとご主人の後姿を忙しく交互に見た。
でも、ご主人はまったくゼリーのことなど気にする様子もない。
なんだったんだ、さっきの実験は!!
オイラの気配りは、ムダだったのか・・・・・・
そう、まったく無駄だった。
ところで、オイラは、ご主人が書斎へと消えていくのを、呆然と見送りながら、妙な違和感を感じていた。
さっきから、なんだかヘンだ。
今のご主人の一心不乱な行動を見ていて、ずっと体がすくむような感じを味わっていた。毛が縮れたような気分。
あの瞬間、一歩でも、その場を動いていたら、ご主人の集中を途切れさせた罪で、消されていたかもしれない!
オイラの一生が、今の一瞬で、終わっていたかもしれない!
火のついた暖炉に放り込まれ、いやらしく舌なめずりするサラマンダーのエサにされていたかもしれない。
頭の中では、さまざまな不吉な終末の光景が激しく渦巻いていた。そして、なぜかあのときには、体がいうことをきかず、一歩たりともその場を動くことが出来なかった。
一体、これはなんなのだろうか?
どうして、オイラ、体を動かすことが出来なかったのだろうか?
オイラは一人混乱して、いつまでも、その場に立ち尽くしていた。
そう、このときオイラは初めて恐怖というものを味わったのである。オイラは感情というものを持ったのである。
本来、感情なんてものを持っているはずがない魔法生物であるというのに・・・・・・
しばらくして、ご主人が消えていった隣の書斎から、妙な声が聞こえてくるのに、オイラは気づいた。
「オホホホ・・・・・・ ついに、ついにやったわ! 若返りの粉を手に入れたわ!」
ご主人の声だ。
「この粉を獣脂に溶かし込んで・・・・・・」
なにやら、ゴソゴソという音が聞こえる。
「さあ、塗るわよ! まずは腕から!」
沈黙。
しばらくして、
「オォォォ~~~~!!! シワが! シミが! たるみが!」
ご主人の喜びに満ちた声が聞こえてくる。
「そうよ! そう! そう! 最高! 最高だわ! なんてこと! こんなに素敵なことがあるなんて! 何年も前から準備して、材料を集めて、がんばった甲斐があったってものだわ! 最高よ! 最高なのよ!」
興奮しているようだ。
「とにかく、顔にも、体にも、腕以外の私のすべての部位、待っていないさい! 今すぐに、体中、どこもかしこも、塗ってあげるわ! 若返らせてあげる! あなたたちも、最高の気分を味わわせてあげるわ!」
って、ご主人の声の調子も、なんだか若返ってきたみたいで。
「そう、最高よ! これこそ、本当の魔法なのよ! 若返りの魔法! どこのどんな魔女が夢に描いていても、ついに実現しなかった奇跡の魔法!」
でも、あれ? 隣の書斎から、ご主人の聞きなれたしわがれ声ではなく、聞いたこともない中年女性のしっとりとハリのある声が聞こえてくる。
「ああ! すばらしいわ! なんて、素敵なのかしら! シワが消えていくわ! お肌のハリが復活するわ! 素敵! とても素敵! 私、最高に幸せ!」
次は、若い女の声。
「すごいわ! なんてこと! 信じられなーい! 私の腕がプルプルに! もっちりしちゃって、キャハ!」
少女の声。
「え!? な、なんで・・・・・・」
長い沈黙。
・・・・・・
やがて
「ちょっ! ちょっと! どういうこと! もう、いいの! もう若返らなくても!」
甲高い悲鳴に近い声が・・・・・・
「な、なんてこと! どうしてにゃの! どうして、わかにゃえり、とまんにゃいの!」
さらに甲高い声。
「キャーーーー! ギャーーーー! ど、どうしてにゃにょ!」
・・・・・・
そして、とうとう、
「オギャーーー!!! オギャーーー!!!」
それが聞こえてきた。




