神の娘、光の少女 1
「フィオーリア フィオーリア」
閉ざした扉越しにくぐもった少年の声が聞こえてきている。
すべての窓も入り口の扉も閉ざした薄暗い礼拝所の中。
祭壇前の祈祷台の影にまぎれるようにして、ずいぶん小さな人影がたたずんでいる。
背中までの長さの髪、ほっそりとした白い手足。胡坐を組み、両手で印を結んでいる。
その人物、眼を半開きにし、静かにゆっくりと息を吸い、吐き出す。
清潔で質素な麻のワンピースを着ており、その姿は、明らかに少女のものだ。7,8歳ぐらいの少女。
「フィオーリア フィオーリア」
礼拝所の奥の扉の近くにまで呼び声の主がやってきた。
やがて、ドアノブがカチリと回り、ギィーと扉が開く。
「フィオーリア、いる? いたら、返事をしろ!」
だが、祈祷台の影の少女、その声にまったく反応することもなく座り続けたまま。
扉から礼拝所に入り込んだ18,9ぐらいの少年、ようやく祈祷台の影にいる少女に気づいたようで、軽くため息を吐いて、祭壇へ近づいてきた。
そして、祈祷台の脇に立った。
「こら、フィオーリア! 目上の俺が呼んでるのだから、返事ぐらいしなさい!」
それでも、フィオーリアと呼ばれた少女は身動きひとつしない。ただ、静かに息を吸い、吐き出すばかり。
「ったく! このガキは・・・・・・」
少年はしゃがみこんで、フィオーリアの顔を覗き込んだ。そして、印を結んでいる腕をとり、無理やりに引っ張る。
「いたっ! トマス、痛い! 乱暴に引っ張らないでよ!」
鈴が鳴るような澄んだ声。少女が初めて声をあげた。
「ほらっ、フィオーリア。いつも言っているように、こんな暗いところに隠れていたら体に毒だぞ! 外は折角晴れているのだから、みんなと一緒に遊んできたらどうだ?」
フィオーリアは、トマスに無理やり祈祷台の影から引きずりだされ、力いっぱいつかまれ手の形に赤くなった二の腕をさすっている。祈祷台の影から引きずりだされたおかげで、ちょうどオイラのいる祭壇脇の位置から全身がみえるようになった。
開けっ放しの入り口から差仕込む光に照らされた少女は、星の光を凝縮したかのような輝く肌をもち、繊細だが、優美な顔立ちをしている。そして、その顔を縁取って漆黒の髪が暗黒の川のように流れている。まだ、少女というにふさわしい年恰好だが、あと10何年かのちの将来には、男たちを狂気の渦に突き落とすだろうと十分に予感させるものがあった。
だが、今は、その美しい顔をゆがめ、まがまがしい眼をトマスに向けている。
「フンッ! こんな日中に外へなんか出たら、日焼けしちゃうじゃない! 知らないの?太陽の光は、女の肌の敵なのよ! まったく!」
「って、なにが女の敵だよ。まだ、ガキのくせに!」
「女の肌の敵よ!」
甲高い声で言い直し、フィオーリアはトマスをにらんだ。
トマスも、怒りを押し殺しているのが分かる表情をして、睨み返していた。
「フィオーリア、お前、まだ子供なんだから、こんなところに閉じこもってばかりいたら、体壊すぞ」
「大きなお世話だわ!」
フィオーリアは、腕を組んで、プイッとよそをむく。
「子供のときは、精一杯みんなと遊んで体を動かさないと、健康で丈夫に育たないし、大人になっても病気がちのひ弱な人間になってしまうぞ!」
「それは、そこらの下賤な人間どもが好んで口にする言葉ね。真実ではないわ!」
ため息ひとつ。トマスは、自分のこめかみを押さえた
「そんなんじゃ、運動が足りなくて、背が高くならずに、いつまでもみんなからチビチビってバカにされるぞ!」
「フンッ! 今はレオナルドたち、あたしの背の高さをバカにしてても、あと数年もすれば、あたしの靴を自分から舐めるようになるわよ。心配いらないわ!」
「・・・・・・」
嫌味なほど自信満々の一言。でも、公平にいって、確かにその通りだとは思う。トマスももちろんそう思ったようで、何も反論できなかった。
「わかった? わかったなら、あたしの邪魔をしないで! 小さくなったせいで、失った魔力を取り戻すのでいそがしいのだから」
そういって、また祈祷台の影へ入ろうと・・・・・・
「それと、トマス、戻るときは、入り口の扉、ちゃんと閉めていってよ」
「・・・・・・運動しないと、胸も大きくならないぞ・・・・・・」
ボソッとつぶやいた一言、本人の意図よりも大きく、礼拝所全体に反響して響いた。
しゃがみこもうとしていたフィオーリアの体がピタリと止まる。そして、まるで油を差し忘れている機械かなにかのように、ギクシャクと体ごと振り向いた。
「な、な、なんですってぇ~~~!!!」
トマスはついとんでもない地雷を踏んでしまったようだ。
「言ってはならない一言を言ったわね! トマスなんか、地獄に落ちて鬼に食われちまえ! いいえ、なんどでもゴキブリに生まれ変わって、下等な人間どもに追い回されて、つぶされまくればいいのだわ! トマス、アンタ一生呪われた人生を送りなさい! それから、あたしが魔力を取り戻したら、一番最初に、アンタをネズミに変えてやるんだから! 覚悟しときなさい!」
「ハッ? なに言ってんの、こいつ?」
「大体、なにが、『神は人を完璧に作り上げたりはしない』よ! 『人には何かしら欠陥があるものだ』よ! 『哀れな胸もまた愛嬌』よ! みんなみんな、人の胸を見て、笑いものにして! フンッ、なにが、『胸がなくても、君は素敵だ』よ! 調子いいこと言って、あたしを捨てて、あの胸ばかりが大きくて、頭が空っぽのロザリーにホイホイついていったくせに! バカ、ウィリアムめ!」
フィオーリア、目にうっすらと涙まで浮かべている。
「え~と、え~と・・・・・・?」
「『胸が大きくならない』ですって? あたしの一番気にしていることを! あたしだって、あたしだって、いろいろ手を尽くしてみたのよ! 牛乳だって毎日飲んでたし、胸に利くってマッサージ法をいろいろ試してみたし、薬草だって自分で煎じて飲んでみたりしたわ。あげくにくそいまいましい神にまですがって・・・・・・」
フィオーリア、頭から湯気を立ち上らせて、トマスに詰め寄った。
「でも、あたしの場合、遺伝だったのよ! 仕方がなかったのよ! 母も姉も妹も、おばたちだって、大きくなかったんだから。何をやってもうまくいかなくて、どうしようもなくて、だから、だから、あたし、最後の手段で、呪われた山の魔女に弟子入りして、魔術で胸を・・・・・・」
「な、なんのことだ・・・・・・?」
突然の爆発にトマスもうろたえるばかり・・・・・・
そんなトマスに構うこともなく、
「いいわ! 見てらっしゃい! 絶対、絶対、今度こそは大きくなってやるんだから! 今に見てらっしゃい!」
なぜか、決然とこぶしを固めて凛と立つ少女フィオーリアだった。