はじまりの実験 1
その畑には、今日もグリーンモンスターが侵入していた。
そのモンスターたちは、谷間を吹き渡る優しい風に、気持ちよさそうに上半身をそよがせながら、畑の土に下半身をもぐりこませ、うまい栄養分を身体の中に取り込んでいく。
まるで、舌なめずりしているかのように、緑色の体をかすかに震わせて・・・・・・
見る見るうちに、その体が大きくなり、より力を得たモンスターたちは、もっと多くの栄養を取り込もうと、さらに深く下半身を伸ばす。
そんな風なモンスターたちがあまり大きくなりすぎる前に、箒は怪物退治を終えなければならない。
だが、この箒の生みの親・魔女マーサが畑を開いて以来、箒が一日も休まず、畑の手入れをしているというのに、緑色の怪物たちを根絶やしにすることなんて、一度もできたことがなかった。
今朝も、日が昇る前から畑に出て、いつもの怪物退治を始めたというのに、昼になっても、畑の10分の1を綺麗にすることができたかどうかという程度。
一日で、だいたい畑の5分の1の怪物退治を終えるから、全体を綺麗にするには、5日かかる計算だ。 だが、繁殖力のつよいモンスターたち。5日目を終えた頃には、最初にきれいに退治した領域ですでに復活を遂げ、うまそうに畑の栄養分を身体に取り込んでいるのだった。
それでも、箒は怪物退治を続けるだけ。5日前に退治し終えた場所に、またもどって、黙々と・・・・・・
もし、箒に疲れたとか、飽きたとか、そういう人間らしい感覚や感情があったとしたなら、とっくの昔に作業を放り出し、畑をグリーンモンスターたちの跳梁跋扈するままに捨て置いて、逃げ出してしまったのだろう。が、残念(or幸い)なことに、この箒には、そんな感情なんて高尚なものの持ち合わせがなかった。
何しろ、魔女によって生み出された、ただの魔法の箒にすぎないのだから。
箒が退治しているのは、緑色の怪物。本名は、もちろん、ただの『雑草』
でも、この雑草たちをキチンと引き抜き、退治してやらないと、養分を盗られて、畑に植えられた貴重な魔法植物が育たなくなってしまう。
大体、魔法植物なんて、自然界では絶対に成長することがない、ひ弱な植物ばかり。
月に向かって咲くひまわりだとか、冬にしか実がならないスイカ、芽が出てからは一度も雨に打たれてはならないアジサイ。一体、どうして、そんな植物が育つことができるだろうか?
当然、元々旺盛な生命力をもっている上に、畑に染み込んだ魔力まで吸収して大きくなる雑草たちに、太刀打ちなんてできるはずもなく・・・・・・
だから、箒が毎日畑に手を入れて、雑草を取り除いてやらないといけない。
しかし、そもそも、こんな広い畑を箒一人が面倒を見るなんて、土台無理な話だ。
畑の持ち主の魔女マーサも一緒になって、手入れをすればいいのに。あのぐーたら魔女ときたら、そんなことは絶対にしない。
すべての作業を箒に押し付けて、ひがな一日ゴロゴロしているばかりだった。
それでも、補助の魔法生物なり、なんなりを箒につけてやれば、もっと畑の管理が容易になりそうなものだが・・・・・・
だが、所詮は、ぐーたら魔女。そんなことすらも、面倒くさがってやろうとはしない。
だから、畑の管理はすべて箒一人の仕事。
魔女にすれば、必要な魔法植物が育てばいいのであって、畑の管理の効率性だとか、収穫量の多寡などどうでもいいことなのだろう。
それが、我々、特別な能力を持たない小市民な人間たちと、想像を越える魔力というものを持っている魔女の考え方の違いというものなのだろうか?
だが、しかし、この畑の持ち主のぐーたら魔女マーサ、近頃、毎朝早起きして、どこかへ出かけていく。
どういった風の吹き回しだろうか?
帰ってくるのは、いつも夜遅く。
帰宅時には、疲れきっており、着ているものが泥だらけだというのに、そのままベッドにもぐりこんで、いびきを掻いて寝込んでしまう。
マーサが疲れきるなどとは、ここ数十年にはない、珍しいことだ。
あのぐーたら魔女が、朝早くに起きて、夜遅くまで外を出歩き、体力を消耗しつくすなんて・・・・・・
そもそも、箒を作ったのも、自分自身で家事をこなしたり、畑を手入れしたりするのが面倒だったから。
魔法で箒に命を与え、使役すれば、自分が小屋のベッドで日がな一日ゴロゴロしていても、構わないという身勝手な理由からだというのに。
その日、箒がいつものように雑草の駆除をしていると、畑のすぐ下を流れる谷川に掛かった丸木橋を、背中が大きく曲がった老婆が渡って来るのが見えた。
何歳ぐらいなのか、まったく見当もつかない、しわくちゃの老婆。
だが、老婆のわりに足腰はしっかりしているようで、結構な早足で歩いてくる。
丸木橋を渡り、獣道に毛が生えた程度の踏み分け道を、畑に隣接して建っている小屋の方へ向かってどんどん進んでいく。
麓の村の住民たちなら、この山の奥の森の小屋には、もう何十年も前から魔女が住んでいることを知っており、恐れて近づかないというのに、この老婆は、まったく恐れているような気配も見せずに、しっかりとした足取りで、魔女の小屋へ歩んでいくのだった・・・・・・
実は、それもそのはずで、この老婆こそ、小屋の主、魔女マーサである。
マーサは、今年で、196歳。人間の寿命なら、とっくの昔に尽きているはずだが、様々な魔法を習得し、呪術に精通している魔女。このぐらいの長寿など簡単なことだった。
でもしかし、そのマーサがこんな太陽がまだ空の高い位置にあるときに帰ってくるなんて、ここ数日ではなかったこと。
それに、なんだか興奮した様子だ。
なにがあったのだろうか?
魔女マーサは、小屋の入り口たどり着き、中に入る前に、畑の箒にむかって大声で呼びかけてきた。
「箒! 畑から、龍涎草の房を5つほど、中身こぼさずもっといで!」
龍涎草とは、畑の隅の飛び切り日当たりの悪い場所に植わっている食虫植物で、つぼ型の房をぶら下げている。その房の中には、強力な消化液が蓄えられていて、その液の力で、虫を溶かし、自分の栄養にするのだ。
箒は、マーサに命じられたとおりに、龍涎草の房を5つもぎ取り、中身の液をこぼさないように気をつけ、慎重に小屋まで運んでいった。
だが、5つの房を箒の毛の部分で持ちつつ、歩いて、小屋まで移動しなければならない。しかも、長い柄がバランスをとりにくくしている。
小屋にたどり着いたころには、どうしても畑で採取した量に比べて、それぞれの房の中の液が半分以下になってしまっていたのは、仕方のないことだった。
もともと、ブログの方(『恋とか、愛とか、その他もろもろ・・・・・・』:http://loveetc.seesaa.net/)で掲載している作品を加筆・訂正の上、こちらへ転載します。