第1話 エレノア――私も結婚したい
「ジェラルドは、また婚約がなくなったのですって?」
クラリッサは、眠ったばかりの赤ん坊を膝に抱いたまま言った。
彼女は父方の従姉で、幼い頃から互いの家を行き来してきた。嫁いだあとも、その付き合いは続いている。
「ええ」
私は声を落とした。赤ん坊を起こしてはいけない。
「今度は、侯爵家のアメリア様だったわよね」
「そうよ。お兄様に、結婚したら自分たちの家庭を一番にしてほしいと仰ったんですって」
クラリッサがこちらを見る。
「ジェラルドから聞いたのね」
「ええ。お兄様、とても困っていらしたわ。私を蔑ろにすることなんてできないって」
それの何がいけないのか、私にはよく分からなかった。
私は昔から身体が弱い。熱を出すことも多いし、季節の変わり目には寝込むこともある。そんなとき、お兄様はいつも来てくださった。
私が頼まなくても、だ。
「アメリア様も、エレノアを蔑ろにしろとは言っていないんじゃない?」
「でも、お兄様にはそう聞こえたみたい」
「でしょうねえ」
クラリッサはため息とも笑いともつかない息を吐いた。
「何?」
「何でもないわ」
腕の中で赤ん坊が小さく身じろぎする。クラリッサはすぐに顔を覗き込み、背をそっと撫でた。
私より三つ年上なだけなのに、すっかり母親の顔をしている。
「あなた、そんなふうにジェラルドにかかずらっている場合?」
「どういうこと?」
「自分の未来を考えたほうがよいわよ」
思いがけないことを言われた。
「私の未来?」
「結婚よ」
私は目を瞬いた。
「エレノア、17でしょう」
「ええ」
「ジェラルドもアルバートも、16のときには婚約していたじゃない」
そういえば、そうだった。
アルバートお兄様の婚礼はまだだ。長男であるジェラルドお兄様が先に結婚するものだと皆が思っていたから、婚約者の方にも待っていただいている。
「お兄様たちは男ですもの」
「女だって同じよ。むしろ、女の方が急ぐでしょう。あなた、縁談は?」
「縁談?」
「今まで、何人くらいお話があったの?」
答えようとして、私は黙った。思い出せなかった。
一度、遠い親戚からそれらしい話があったような気がする。でも、お父様が断ったとお母様から聞いた。それ以外には……。
「お父様が、私の身体を心配していらっしゃるのだと思うわ」
「そう」
クラリッサは否定しなかった。
「でも、あなた自身はどうしたいの?」
どうしたい。
そんなことを考えたことがなかった。
結婚はいずれするものだと思っていた。お兄様たちが結婚して、私も侯爵家の娘にふさわしい家へ嫁ぐ。両親が相手を選んでくださって、私はその方と家庭を作る。
それが当然だと思っていた。
「私だって、結婚するわ」
「なら、一度叔父様に聞いてみたら?」
「そうね」
言われてみれば簡単なことだった。
その日の夕食後、私はお父様の書斎を訪ねた。
「お父様」
「どうした、エレノア」
「私の結婚について、お聞きしたいことがあります」
お父様の手が止まった。
「結婚?」
「はい。クラリッサに言われたのです。私もそろそろ考えたほうがよいのではないかと」
お父様はしばらく私を見ていた。
「お前は、結婚したいのか」
「もちろんです」
なぜそんなことを聞くのだろう。
「私もいつかはお嫁に行くのでしょう?」
「……そうだな」
「今までお話が少なかったのは、私の身体を心配してくださっていたからですか?」
お父様はすぐには答えなかった。
「それもある」
やっぱり。少し嬉しくなった。お父様は私を大切にしてくださっているのだ。
「でも、私ももう17です。お会いしてみるくらいなら大丈夫ですわ」
「分かった」
お父様は小さく息を吐いた。
「母上とも相談しよう。探してみる」
「ありがとうございます」
部屋へ戻る足取りは軽かった。
今まで縁談がなかったのは、私が望んでいなかったからだ。
お父様もお母様も、身体の弱い私を急かしたくなかったのだろう。
これから探してもらえばいい。
お兄様にも、いつか新しい婚約者ができる。
アルバートお兄様も、いずれ婚約者と結婚する。
そして私にも、ふさわしい方が見つかる。
そうしたらきっと、何もかもうまくいく。




