第29話 行かない理由が、なかった
準備は、驚くほど早く終わった。
装備は最低限。
武器は、持たない。
拠点資材も、
ほとんど積まない。
「……本当に一人で行くのか」
《オーバーサイト》代表の声は、
抑えているが、重い。
俺は、
頷いた。
「一人じゃないと、
無理だ」
ロシアの状況は、
刻一刻と変わっている。
天使は、
攻撃していない。
だが――
支配が進んでいる。
行政機構の停止
軍の武装解除
市民の誘導
ダンジョン周辺の立入禁止
どれも、
“正しい措置”に見える。
それが、
一番怖い。
「向こうは、
話せる」
「考えている」
「正しさを、
自覚している」
だから――
集団で行くほど、危険だ。
俺は、
それを知っている。
飛行機の中は、
静かだった。
ニュースは、
どのチャンネルも同じ話題。
《新人類宣言》
《ロシア情勢不安》
《天使は敵か味方か》
どれも、
答えを出していない。
出せないのだ。
窓の外。
雲の向こうに、
国境が見える。
「……」
言葉が、
出てこない。
着陸。
空港は、
機能している。
だが、
騒がしくない。
警備兵は、
立っている。
だが、
銃を構えていない。
「……異常だな」
誰もが、
そう感じる。
俺は、
通信端末を切った。
ここから先は、
連絡不要だ。
つながるだけで、
捕捉される。
街を歩く。
破壊は、
ほとんどない。
暴動も、
起きていない。
ただ――
人の流れが、誘導されている。
目に見えない線で。
ダンジョンは、
街の中心にあった。
いや、
街が、ダンジョンを中心に再編されている。
建物の配置。
通行路。
人の導線。
すべてが、
合理的。
そして――
美しい。
「……管理されてるな」
龍とは違う。
恐怖で縛っていない。
理解で、
納得させている。
入口は、
開いていた。
封鎖は、ない。
歓迎している。
それが、
分かる。
中に入った瞬間、
空気が変わった。
静寂。
敵意は、ない。
だが――
逃げ場も、ない。
奥から、
足音がする。
軽い。
人のものだ。
現れたのは、
少女だった。
金髪。
水色の髪。
白い翼。
映像で見た、
そのまま。
少女は、
俺を見て微笑んだ。
「来ましたね」
ロシア語ではない。
日本語だった。
「地下マスター」
一瞬、
息が止まる。
「あなたが来ることは、
分かっていました」
「あなたは、
必ず来る」
理由を、
言わなくても分かるという顔。
俺は、
一歩前に出た。
逃げない。
武器も、ない。
「……拠点を作りに来ただけだ」
正直な言葉。
少女は、
楽しそうに目を細めた。
「それが、
あなたの限界ですね」
次の瞬間。
光。
床が、
閉じる。
翼が、
広がる。
重力が、
奪われる。
気づいたとき、
俺は――
檻の中にいた。
透明な、
光の檻。
通信は、
完全に遮断。
少女は、
檻の外に立つ。
「安心してください」
「殺しません」
「あなたは、
貴重な観測対象ですから」
「……観測?」
俺が問うと、
少女は頷いた。
「あなたは、
人類が生み出した
最も合理的な管理者」
「だからこそ」
一拍。
「なぜ失敗するのか、
見てみたい」
その言葉で、
理解した。
ここは、
戦場じゃない。
実験場だ。
檻が、
閉じる。
少女は、
背を向けた。
「しばらく、
ここで考えていてください」
「人類の未来について」
足音が、
遠ざかる。
通信は、
つながらない。
拠点は、
未完成。
味方は、
いない。
地下マスターは、
地下に閉じ込められた。
最悪の条件で。
だが――
不思議と、
恐怖はなかった。
「……面白い」
小さく、
呟く。
管理される側に回って、
初めて分かることがある。
ここからが、
本当の勝負だ。
(第29話・了)




