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単純に性格が悪いだけなのに……


 私が前世の記憶を取り戻したのは五歳の時だった。場所はヴァルプルギス伯爵家の庭園。目の前には転んで泣きじゃくる庭師の息子。


私は彼を見下ろしながら、手に持っていた泥団子をその顔面に叩きつけた瞬間、全てを思い出したのだ。

前世の小学校時代、ガキ大将の筆箱を投げつけた時と同じ感覚だったからだろうか。


(ああ、なんだ。私、死んだのか)


前世の私は、某外資系コンサルティングファームのパートナーだった。

部下を数字のみで評価し、無能な人間は即座に切り捨て、クライアントであっても論理のナイフで滅多刺しにする。


ついたあだ名は「歩くギロチン」。


過労か、あるいは恨みを買って刺されたか。

死因はどうでもいい。思い起こす必要もない。


重要なのは、私が今、「エリス・フォン・ヴァルプルギス」という伯爵令嬢になっていること。


そして、この世界にはどうやら「前世のしがらみ」も「コンプライアンス」も存在しないということだ。


「……おい、泣くな」


私はハンカチを取り出した。

庭師の息子が期待に満ちた目を向ける。


私はそのハンカチで自分の汚れた手を拭くと、その場にポイと捨てた。


「私の視界が汚れる。さっさと失せろ、ゴミ」


少年は呆然とし、それから顔を真っ赤にして逃げ出した。


ああ、清々しい。

善人ぶる必要も上司におべっかを使う必要もない。


私は決めた。


この二度目の人生、私の本性のままに、傲慢に、不遜に、他人を踏みつけにして生きてやると。


それがまさか、あんな宗教的な熱狂を生むことになるなんて、この時の私は知る由もなかった。






時は流れ、私は十六歳になった。

ヴァルプルギス伯爵家は私の手によって劇的に変化していた。


まず無能な家令を解雇した。

私の靴を磨く手際が悪かったからだ。


次に領地の税率を上げた。

領民のためではない。

私が新しいドレスを買う資金が欲しかったからだ。


ついでに、領内の森に住む魔物を殲滅させた。

安全のためではない。

夜中に遠吠えがうるさくて、私の安眠を妨害したからだ。氷魔法で森ごと凍結させてやった。


結果、どうなったか。


「エリス様! 今年の収穫物は過去最高です!」

「密かに横領していた前家令一派が一掃され、財政が健全化しました!」

「魔物がいなくなったおかげで新たな街道が開通しました! 全てはエリス様の深慮遠謀!」


……なぜなのか。


屋敷の使用人たちは私を見ると頬を染めて直立不動になる。


私が廊下を歩くだけで、メイドたちが「踏まれたい」と言わんばかりに床に這いつくばって雑巾がけを始める。


「邪魔よ。指、踏み潰されたいの?」

「はっ、はいぃっ! 恐悦至極です!」

「……チッ(気持ち悪い)」


舌打ちをして通り過ぎると、背後から「今の聞いた!?」「舌打ちのご褒美だ!」と黄色い悲鳴が聞こえる。


この屋敷の人間は、全員頭がおかしいらしい。


そんな私の「悪評」は当然ながら王都にも届いていた。


ただし、私が意図した「性格最悪の悪女」としてではなく、「冷徹にして高潔なる氷の華」として。





そして今日。王立学園の卒業パーティー。


私は退屈なシャンパングラスを傾けながら、会場の中央を見下ろしていた。


「エリス・フォン・ヴァルプルギス!貴様のような冷酷な女との婚約はこれをもって破棄させてもらう!」


壇上で声を張り上げたのは、この国の第二王子、カイルだ。


金髪碧眼。見た目だけは童話の王子様だが、中身は驚くほどのお花畑である。


その隣には、庶民あがりの男爵令嬢、リナがへばりついていた。ピンク髪のいかにも庇護欲をそそる小動物系。


「……あら、そうですか」


私はあくびを噛み殺した。

 

ようやくか。長かった。

このカイルという男、いちいち「愛」だの「平和」だのと耳障りな綺麗事を並べるので一緒にいるだけで蕁麻疹が出そうだったのだ。


「理由を聞かないのか!?」

「興味がありませんもの。貴方のような無能が誰とつるもうと、私の人生には何の影響もありません」


会場が凍りついた。

カイル王子が顔を真っ赤にして震える。


「き、貴様……!リナへのいじめの件も知っているんだぞ!彼女の教科書を燃やし、食堂でスープを頭からかけ、階段から突き落としたそうだな!」


周囲の生徒たちが、さっと私から距離を取る。

軽蔑の視線。ざわめき。

リナが「怖かったですぅ」と嘘泣きを始める。


私はグラスをウェイターのトレイに戻すと、ゆっくりと扇子を開いた。


弁解?するわけがない。


「ええ、やりましたわ」


私は優雅に微笑んだ。極上の冷笑を浮かべて。


「教科書?彼女、授業中に居眠りをしていましたのよ。勉強する気がないなら、燃やして暖炉の燃料にした方が有意義でしょう?スープ?安っぽい香水の匂いが鼻について食事が不味くなりましたの。料理の香りで上書きして差し上げた慈悲ですわ。階段?……あれは単に、彼女が私の前に立っていて邪魔だったから退かしただけです」

「なっ……!狂っている!人の心がないのか!」

「心? ありますわよ。ただ、貴方たちのような『有象無象』に割くスペースがないだけです」


私はカツ、カツ、とヒールを鳴らして壇上に近づいた。


カイル王子が後ずさり、リナが「ひっ」と悲鳴を上げる。

私は彼らの目の前まで歩み寄ると、リナを見下ろした。


「それに、その女。先ほどから『怖い』と震えていますが、私の婚約者の腕に胸を押し付ける計算高さは立派ですこと。娼婦の真似事なら、裏通りでやってくださる? ここは神聖な学び舎ですのよ」

「ひどいっ!私はただ、カイル様にお慰めいただいて……!」

「お黙りなさい、この泥棒猫」


私は扇子でリナの顎をクイと持ち上げた。

物理的に、かなり強めに。


「痛っ……!?」

「貴女のような下賤な者が、私の視界に入ること自体が不敬なのよ。……ああ、汚らわしい」


私は扇子を離すとまるで汚物に触れたかのようにハンカチで扇子の先端を拭った。そしてそのハンカチをカイル王子の胸元に投げつけた。


「殿下。貴方もです。このような女にうつつを抜かし、公衆の面前で婚約者を断罪?王族としての品位以前に、知性を疑いますわ。次期国王の座など夢のまた夢。貴方に国を治める能力はありません」

「き、貴様!!衛兵!誰か、この不敬女を捕らえろ!地下牢にぶち込め!」


カイルが絶叫した。

 

さあ、これで終わりだ。

私は捕らえられ、悪くて処刑、良くて国外追放。

どちらにせよ、飽きてきたこの退屈で馬鹿馬鹿しい貴族社会とはおさらばできる。私は隣国にでも行って、怪しげな闇商売でも始めて大儲けしてやるか。


近衛騎士たちが、ガシャンガシャンと鎧を鳴らして入ってくる。

私は目を閉じて、その時を待った。


しかし。


「___お下がりください、殿下」


低い、地を這うような声が響いた。


目を開けるとそこに立っていたのは近衛騎士団長、ゼイクスだった。


歴戦の猛者であり「鬼のゼイクス」と恐れられる男だ。彼なら私を容赦なく斬り捨てるだろう。


「ゼイクス!やれ!その女を拘束しろ!」


カイルが命じる。

だがゼイクスは動かない。


彼は私をじっと見つめていた。

その瞳には奇妙な光が宿っている。


「……エリス嬢。貴女は、恐ろしくないのですか?この国一番の権力者である王族を敵に回して」

「恐ろしい?冗談でしょう」


私は鼻で笑った。


「権力?地位?そんなもの、私がその気になればいつでも手に入りますわ。私が恐れるのはただ一つ、自分の美学に反する生き方をすることだけ。……無能に頭を下げるくらいなら、誇り高く死を選びます」


これは本心だ。私は誰にも媚びない。

ゼイクスの頬が、ピクリと震えた。


「無能に頭を下げるくらいなら、死を選ぶ……か」


彼はゆっくりと剣を抜いた。

会場に緊張が走る。


ついに来るか。


カキン。

硬質な音が響いた。


ゼイクスが剣を私の足元に投げ出したのだ。


「え?」


カイル王子が間抜けな声を上げる。

ゼイクスはその場に跪き、床に額を擦り付けた。


「……お待ちしておりました」

「は?」

「我々は! 貴女様のような方を!ずっとお待ちしておりました!!」


ゼイクスの絶叫がホールに木霊する。


「腐敗した貴族社会!無能な上層部!事なかれ主義の王宮!我々騎士は、ずっと鬱屈しておりました!しかし今、貴女様はたった一人で!何の武力も持たずに!その気高き精神だけで王族を論破し、己が道を貫かれた!」


いや、単にムカついたから悪口言っただけなんだけど。


「その冷徹な眼差し!躊躇なき罵倒!そして圧倒的なまでの自信!ああ、なんと美しい……!エリス様、どうか私を、私たち近衛騎士団を、貴女様の靴底の泥にしてください!!」


「「「我ら一同、エリス様に忠誠を誓います!!」」」


ゼイクスの後ろにいた騎士たちが一斉に跪いた。

鎧の音が重なり、壮大なBGMのように響き渡る。


「……はあ?」


私がドン引きしていると、会場の空気が熱を帯び始めた。


「そうだ……エリス様こそが正しい!」

「あんなふらふらした王子より、エリス様の方がよほど王の器だ!」

「私、あの方になら罵られたい……!」

「俺もだ!あのゴミを見るような目で蔑まれたい!」


貴族の子息たちが、令嬢たちが、次々と熱狂の渦に飲み込まれていく。


これまでの私の「悪行」___使用人を顎で使い、領民から搾取(したつもりの税収増)し、邪魔者を排除してきた行為が、すべて「強力なリーダーシップ」として脳内変換されているのだ。アホらし。


「エリス様!万歳!」

「氷鉄の女帝、万歳!」

「愚かなカイル王子に鉄槌を!」


カイル王子とリナは、完全に孤立していた。

群衆の敵意が彼らに向く。

 

「ひ、ひぃ……なんだ、なんなんだこれは!」

「カイル様、助けてぇ!」


私はため息をついた。

扇子をパチリと閉じる。


その瞬間、会場がシーンと静まり返った。

全員が私の次の言葉を待っている。

期待に打ち震えながら。


私はカイル王子を一瞥し、そして騎士団長ゼイクスに視線を移した。


「……ゼイクス」

「はっ!!」

「その男と女、視界に入って不愉快よ。どこかへ捨ててきなさい」


それはただのワガママだった。

しかし、それはこの場において「勅命」となった。


「御意のままに!!おい、その元王子と元男爵令嬢を連れ出せ!エリス様の視界を汚すな!」

「やめろ!離せ!僕は王子だぞー!!」


カイルとリナが騎士たちにズルズルと引きずられていく。

その光景を見ながら会場中が歓喜の拍手に包まれた。







あれから数年。

この国は、クーデター(というか、国民総出の「エリス様擁立運動」)により、女王制へと移行していた。


玉座に座るのは、もちろん私、エリスである。


「報告します! 西の帝国が国境付近で不穏な動きを……」

「は?鬱陶しいわね。国境沿いに氷壁を作って物理的に封鎖しなさい。それと、帝国の皇帝に手紙を書いておきなさい。『次、私の領土に足を踏み入れたら、貴様の国の首都を更地にする』と」

「ははっ!直ちに!」

「女王陛下!国民から『もっと税を上げてください』との嘆願書が来ています!『我々の血税がエリス様のドレスの一部になるなら本望です』とのことです!」

「うげっ、気持ち悪いわね……。却下よ。金ならあるわ。それより、王都の道を全部大理石に変えなさい。私の馬車が揺れるのが不快だから」

「おおお!なんという公共事業!国民も歩きやすくなると涙を流して喜ぶでしょう!」


私はふんぞり返って玉座に足を組んだ。

宰相となった元騎士団長ゼイクスが、うっとりとした顔で私のピンヒールを見つめている。


……どうしてこうなった。


私の2度目の人生、自分の好きなように、ワガママに、他人を見下して生きたいだけなのに。


私が悪辣な命令を下せば下すほど、国は豊かになり、軍は強くなり、国民の忠誠度はストップ高を記録し続けている。別に自分自身、気持ち良くはならない。


「……チッ、どいつもこいつも」


私が不機嫌そうに呟くと、謁見の間にいた大臣たちが一斉に身震いした。


「ああ、陛下が不機嫌であらせられる……!」

「ゾクゾクする……!」

「もっと罵倒を! 我々に罵倒を!」


この国はどこか根本的に狂っている。

呆れながら眼下にひれ伏すドMな臣下たちを見下ろした。


「精々働きなさい、私の奴隷たち」


王城からは、かつてないほどの歓声が上がったという。





どんな物事にも良い面と悪い面がありますよね……

ドMすぎる国民は……

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