悲劇
卒業論文草稿
研究対象:マティアス(仮名)
学部:芸術学部・映画研究専攻
はじめに
本稿では、俳優マティアスという人物について、彼の出演歴、映画内での演技傾向、メディアの取り上げ方、そして周囲の証言や記録に基づいた性格像を分析対象とする。マティアスという人物は、あらゆる出演作ごとにクレジット上の名前が異なっており、本名は現在に至るまで特定されていない。多くの関係者証言において、彼は「冷静で感情的でない人間」とされ、撮影中や舞台裏で感情的な素振りを見せることは一度としてなかったという。演技時には表現が極めて豊かであり、演出家の要求を即座に満たす柔軟性を示す一方、演技以外の時間では、あたかも思索に沈んでいるような様子で黙々と動き、周囲と必要以上の交流を持たなかった。
本論では、以下の作品における彼の演技内容と劇中での役柄、及びその後の評価を通じて、マティアスという人物像の分析を進めていく。
主要出演作品
・『深淵のアリア』:倫理観の崩壊を描く都市犯罪劇。マティアスは、神父に偽装した殺人者役として出演。内面の揺れを一切見せずに冷徹な正義を語る演技で話題を呼ぶ。
・『仮面の花嫁』:実在事件を基にした法廷劇。彼は弁護士役として登場するが、劇中での論理的な詰問と感情の切り替えの鋭さが評価された。
・『記憶の残響』:記憶喪失の少女を支える謎の男として出演。寡黙だが必要な言葉だけを選び取る演技は、観客の間で「最小の台詞で最大の説得力を持つ」と称された。
・『雪中のカリギュラ』:歴史改変SF作品であり、暴君の役を務める。正気と狂気の境界を曖昧にした演技が話題を呼び、各賞の主演男優賞候補に名を連ねた。
マティアスの演技傾向は、台詞よりも仕草、間、視線といった非言語的表現によってキャラクターの内面を伝えるスタイルにある。演出家のインタビューでは「感情を事前に全て計算して仕込んでくるため、テイク数が少なくて済む」「感情の“正解”を一つしか許容しない」という言葉が残されている。彼のキャリアに関して特筆すべき点は、その出演作品がいずれも「感情の制御」が主題の一つになっていることである。異常者・冷血漢・統率者・指導者など、感情を隠すことを求められる役柄が多く、同時にその演技に対する信頼性も極めて高い。また、公の場での発言は極めて少なく、インタビューに応じた回数は三本の指に収まる。いずれも短文で、明確な意図や政治的立場を示すものではなく、出演作に対して「良い経験だった」とするに留まっている。
マティアスの初期キャリアにおいて特筆すべきは、恋愛作品への出演である。とりわけインディペンデント映画『夜に溺れる声』では、恋人に一方的に別れを告げられた男の役を演じ、台詞をほとんど使わずに喪失感と孤独を表現する演技が高く評価された。観客の間では「沈黙こそが最も雄弁だった」と称され、以後の彼の演技スタイルを象徴する作となった。興味深いのは、この作品にマドンナがエキストラとして出演していたことである。事故以前の姿が映像に残されている数少ない作品の一つであり、二人が同じ画面に登場したのはこの一度きりであるとされる。当時は注目されなかったが、マドンナの引退後に再評価された。
マドンナは、大学時代にマティアスと同じ演劇サークルに所属していた後輩である。演技においては厳格で、特に感情表現に関して妥協を許さない姿勢で知られていた。「目の奥で泣け」「幸福感は背筋で語れ」といった要求を突きつけ、当時のマティアスにとっては強烈な圧力であったとされる。証言によれば、マティアスはしばしば反発しながらも、マドンナの指導を無視することはなかったという。結果として、マティアスの非言語的な演技力の大半は、マドンナとの関係性において培われたものと見る分析も存在する。演出家の一人はインタビューで、「マティアスは感情を破壊された結果、演技に再構成して戻した」と述べている。その後、マドンナは火傷により表舞台を去るが、入院先の病院には匿名の高額支援が継続的に届けられていた。これはマティアスによるものであったと、複数の関係者が非公式に認めている。
奇しくもその沈黙期間中、マティアスは新たな演技対象として、ある一人の女性に着目する。演技経験もなく、カメラの前に立つことすら初めての人物でありながら、彼女に対して異様なまでの情熱を見せた。これが後に、レイナの養母として知られる存在である。なぜ彼女が選ばれたのか、何を見出していたのかは明らかにされていない。だが、この出会いが後の数々の悲劇を呼び込む端緒となったことだけは、否定しようがない。ある時期を境に、マティアスは精神医学関連の資料を大量に収集していたことが、後年の調査で確認されている。複数の精神科医、遺伝学研究者への匿名質問、さらに医療系シンポジウムへの非公式な出席記録など、表向きは「次回作の準備」あるいは「役作りの一環」として処理されていたが、その頻度と範囲の広さは異常ともいえる水準に達していた。
これらの行動の背景には、彼と深い関係を持ったとされる女性──のちにレイナの養母として知られる人物──との間に生まれた子供が、重度の精神疾患を抱えていたという私的事情が存在する。症状は統合失調的傾向、攻撃性の制御困難、幻聴、強迫的行動などが混在しており、長期にわたって専門施設での隔離治療が必要とされていた。マティアスはこの事実を、「精神病の遺伝的連鎖」として重く受け止めていた節がある。当初はその子供の症状に寄り添い、適切な治療や環境提供に努めていたが、やがて「何がこの連鎖を引き起こしているのか」を突き止めようとする思考へとシフトしていった。その結果、彼は家系調査という極めて個人的かつ倫理的にグレーな領域に足を踏み入れることとなる。特に着目されたのは、彼女──レイナの養母──がかつて演劇関係者の一人、舞台俳優レオン・ヴァンダインと接点を持っていたという疑惑である。レオンは過去に精神疾患と診断されており、かつ舞台上での殺人演技を現実と混同し、本物の殺人を繰り返していたという経歴を持つ人物であった。マティアスは、養母とこのレオンの間に「血の混入」があった可能性──すなわち、自身が父でない可能性──を疑うに至る。ここで初めて、彼の調査は“自己防衛”のフェーズに入ったと推察される。精神病の遺伝が自己由来であるという可能性を否定したいがため、彼は逆説的に「他者の血」を証明しようと動いたのだ。
だが皮肉なことに、その調査の終点は、レイナという存在にたどり着く。レイナは、同じ女性から生まれたにもかかわらず、精神的な問題を一切抱えておらず、極めて論理的かつ冷徹な判断力を示す少女だった。彼女の存在は、マティアスにとって“反証”そのものであった。すなわち、「精神疾患は血ではなく、別の因子によって発現するのではないか」という可能性の提示である。この時点から、マティアスは再び“血統”と“選択”の関係に関心を向け、そしてある決断を下す。すなわち──レイナの実母と再び接触し、その経緯と妊娠当時の詳細を確認することで、「何が異常で、何が正常だったのか」を明確にしようとしたのである。
レイナの養母に関して、当初の性格傾向は、現在知られているような病的な狂信性や攻撃性とは異なっていたとする証言が複数確認されている。学生時代の関係者や初期の芸術関係者の談話によれば、彼女は内向的ながら思慮深く、むしろ自己表現に対する抑圧に苦しむ傾向が強かったという。こうした傾向は、マティアスとの関係性によって大きく変化していく。マティアスは当時、まだ俳優としての名をほとんど知られておらず、試験的な舞台出演や学生映画を中心に活動していた段階にあった。彼女はその活動を支える存在であり、時に演出補佐、時に衣装・装飾スタッフとして現場に関わっていたとされる。こうした非公式の関与は、公的な出演記録では一切確認されないが、各映画祭の関係者名簿や裏方スタッフの証言、当時のSNS投稿などから、彼女がマティアスの出演する作品現場に定常的に姿を現していたことが裏付けられている。やがて、彼女はマティアスに対し「過剰な依存状態」とも取れる執着を見せ始める。ある映画監督は、彼女が撮影現場に現れる頻度の高さを「撮影中の彼が見えない日でも、彼の名前がクレジットにあれば来る」と証言しており、実際に業界内では“マティアス出演確認法”として、彼女の動向が非公式に用いられていたという。しかし、この関係はある時点を境に突然断絶される。映画関係者の証言では、彼女が姿を見せなくなった時期と、マティアスが投資家としての活動に転向したタイミングが一致していたとされる。マティアスは俳優業を辞めたわけではなかったが、彼が出演する作品の本数が明らかに増加し、しかもジャンルや配信媒体が急激に多様化していた点は注目に値する。
この背景には、表向きは「彼女の不倫疑惑」とされる出来事がある。内容は真偽不明であり、調査によって“外部から持ち込まれたフェイク情報”であった可能性が高いことが示唆されている。だがマティアスはこれを契機に、法的には彼女との関係を解消する決断を下す。ただしそれは、彼女を完全に切り捨てるという意味ではなかった。財務記録によれば、マティアスは離婚後も彼女に対し定期的な金銭的支援を行っており、同時に映画関係の仕事斡旋(特殊小道具、美術技術など)に関しても、間接的に関わっていた痕跡がある。すなわち、“表舞台からは切り離しつつ、生活は保障する”という、マティアス特有の冷静さと責任回避の論理がここでも発揮されていたと言える。このような形での「関係の断絶と維持」は、彼が後年に示す他の人間関係にも共通して見られるパターンである。それは一見すると冷酷で、情を持たない選別主義のようにも映るが、裏を返せば「自らの行動によって人が壊れる」ことへの恐れから生じた選択とも読み取れる。
精神疾患の遺伝性についての独自調査を進める中で、マティアスはとある地域──現在は他国からの侵攻を防衛中の国──を何度も訪れている記録がある。そこには、避難民、帰還者、戦災孤児といった「社会的に忘れられた人々」が多く生活しており、マティアスは彼らの生活環境と精神的影響の相関関係を独自に調査していた形跡が残っている。この地で、彼は一人の女性と再会する。その人物こそが、後に“レイナの実母”とされる女性であり、出会い自体はこの戦争地域におけるものではなかったものの、再会がこの地であったことは、いくつかの証言によって補強されている。関係者の証言では、マティアスはこの時期、極度に自己否定的な思想に傾倒していたとされ、「自分が関わる者は全て精神的に壊れる」という強い自責と共に、「ならば自分が壊れる場所に戻るべきだ」と語っていたという。彼女との再接触は、こうした思想の延長にあったと見られる。すなわち、彼にとってその女性──レイナの実母──との関係は、「もう一度間違えること」でしか償えないという形を取った“贖罪”の象徴でもあった。その結果として誕生したのが、レイナである。マティアスはこの事実を公式には一切認めておらず、戸籍上の関係も明示されていない。しかし、出生地の記録や時期的な一致、医療記録などから、彼がレイナの誕生に何らかの形で関与していたことは極めて濃厚である。
注目すべきは、レイナには精神疾患の兆候が一切見られなかった点である。マティアスが、精神疾患を持つ子どもが次々に生まれることを“自らの呪い”と認識していた一方、レイナだけはその例外であった。ここにおいて、彼の中で“矛盾”が発生する。「なぜ、彼女だけが正常だったのか?」この問いが、後年のマティアスにとって最大の関心事であり、同時に彼をしてレイナという存在を「許容できない異物」として捉えさせる要因となる。レイナは、“自分の理解を破壊する存在”であり、“自分の否定”を覆してしまう“希望”そのものであったからこそ、彼はその存在を危険視したのだ。現在、レイナは若手女優として急速に頭角を現している。出演作の数は少ないものの、いずれも主演またはキーパーソンとして重要な役割を担っており、そのいずれもが強い印象を観客に与えている。外見の整い方も相まって、国内外の映画祭で注目を集める存在となっている。特筆すべきは、その“演技の思い切りの良さ”である。特に感情を爆発させるシーンや、倫理的に曖昧な役柄を演じる際の踏み込みには、共演者や監督から高い評価が寄せられている。ある評論家は、「彼女の演技には、過去の全てを断ち切ろうとする決意が見える」と述べた。
一方で、その演技力の背景には過酷な育成環境があったとされる。複数の映像記録や写真では、幼少期のレイナが過度に痩せこけ、目の下に青痣を残していたことが確認されており、虐待を疑う声も存在する。実際、養母との関係は極めて険悪であったと証言する関係者は多く、日常的な言葉の暴力、役作りを名目とした過度な身体鍛錬の強要など、複数の事例が明かされている。だが、マティアスはこの件に関し、報道陣にも関係者にも一切のコメントを拒否し続けている。法的保護者ではなかったことを理由にしているが、それにしては過去にレイナと同席した写真が多く残されているという矛盾も指摘されている。なお、レイナの実母に関しては、映像・音声記録、医療機関の出入り記録などを照合することで、おおよそ特定されている。現在は郊外の邸宅に居住しているとされ、その敷地には複数の常駐警備員が配備されていることが確認されている。屋敷からの外出はほとんどなく、郵便・物流も全て指定業者によって管理されており、個人としての発信や接触は完全に遮断されている。このように、レイナという存在は、その“現在”においても過去と切り離すことができない影を引きずっている。華やかな舞台の裏で、彼女が背負ってきた家庭と出自の複雑さは、いまだ全貌が見えないままである。
レオン・ヴァンダインは、かつて業界内外で話題となった舞台俳優である。彼は「演技とは殺意の延長である」と公言し、自らの役作りのために実際に殺人行為を重ねていたとされる。証拠は常に演出の一部として巧妙に処理され、いかなる訴追も成立しなかった。だが、決定的な転機となったのが、とある映画のメイキング映像とそこに映った“母親の存在”である。その女性は、レイナの養母であり、撮影現場でレオンと接触していた姿が複数の記録に残されていた。当時は関係性が不明であり、偶然の立ち会いとされていたが、後に養母がレオンの運転手として裏方に関わっていた事実が浮上する。問題は、彼女がその関係を徹底的に隠蔽していたことである。関係書類は全て破棄され、証人とされる関係者は退職・失踪などで接触不能となった。業界における養母の発言力は微々たるものだったが、それにも関わらず、彼女がレオンの過去と自身の関係を“何としてでも消し去ろうとしていた”痕跡は明白だった。マティアスは、当時の映像と内部資料からこの関係性を再調査していた。養母の精神疾患が遺伝であるという確信を持っていた彼にとって、レオンとの関係はその根本を揺るがすものであった。もし精神的異常が「遺伝ではなく環境」に起因するものであれば、マティアスの信じてきた論理は崩壊する。あるいは──もっと根本的に、「レイナの精神性に異常がなかった理由」そのものが別の原因によって説明されてしまう可能性が生まれていた。それゆえ、彼は養母がなぜそこまでして隠蔽を図ったのかに執着し始める。そして、ある仮説に至る。──養母は、自らが“ある人物と接触したこと”を知られたくなかったのではないか。その“ある人物”こそが、舞台俳優レオン・ヴァンダイン。彼女は、レオンの狂気に共鳴していたのではないか。あるいは、その行為に巻き込まれていたのではないか。もしそうであれば、精神的な異常は遺伝ではなく、「彼女自身の接触環境によって形成された」ものである可能性すらある。ここで、マティアスの内部にひとつの“疑惑”が芽生える。──もし、異常性が遺伝ではないとすれば。──もし、レイナの異常性が発現しなかった理由が、遺伝的な線では説明できないとすれば。マティアスの論理が揺らぐ。そして、彼は初めて「血縁」というものに対して、疑念を持ち始める。
マティアスが最も注視していたのは、「レイナの精神が異常ではない」という事実だった。彼の身内──具体的には妹──は、明確な精神疾患の既往を持っており、マティアスの視点から見れば、家系的に精神病のリスクは避けられないものであるはずだった。にも関わらず、レイナにはその“兆候”が見られなかった。彼女は歪んではいるが、論理性を保ち、暴走することもなく、抑圧と敵意に対しても正面から立ち向かう意志を見せる。──なぜ、レイナだけが違うのか?養母の精神異常は、遺伝で説明がつくと信じていた。それが崩れた時、マティアスが導き出す答えはひとつだった。「──あれは、自分の子ではないのではないか?」再び浮上する“浮気”という可能性。レイナの実母──あの時、マティアスが感情に押し流されて関係を持った相手。戦争の影響で保護が必要と判断し、自身の管理下に置いたその人物は、第一子である娘に明確な症状が出たことで“自分の血”を受け継いでしまったと確信していた。だが、二人目に生まれたレイナにはそれがない。彼女は冷酷で、反抗的で、時に過激ではあるものの、「破綻」してはいない。むしろ演技力や感情制御において、極めて高い適応力を示していた。──これは、自分の“特性”ではない。そう確信したマティアスは、ついに彼女の母親に対し「裏切り」を疑い始める。あの時、自分の知らない誰かが──例えばレオン・ヴァンダインのような存在が──あの女と接触していたのではないか?それが事実ならば、レイナは“自分の血を引いていない”。異常性が発現しなかったのも当然だ。だからこそ彼は、レイナを“気に食わない”と感じていたのだと、自分で理解する。それは単なる拒絶ではなく、“外様”に対する排除本能だった。血に裏切られたかもしれないという恐怖と、自らの理論が崩れる不安。だが──それでも、マティアスは「決して調査は進めない」と決めていた。なぜなら、それを確認した瞬間、彼はもう“人間”としての立場を失うことになるからだ。
レオン・ヴァンダインという名を、マティアスが再び検索履歴に打ち込むまで、どれほどの時間が経過していたかは記録に残っていない。かつて俳優として、同じ舞台で名を連ねたことはない。だが、レオンの犯した一連の殺人事件──特に演技と殺人の境界を曖昧にした手口──には、マティアス自身、強い関心を持っていたという証言がある。ただの興味ではない。レオンの犯行記録を読み解こうとした痕跡が、彼の旧式端末にいくつも残っていた。犯行時の演技、脚本構造、舞台道具の処理、目撃証言の一貫性。それらを「証拠隠滅」の観点から検証し続けていたのだ。しかし、どれだけ検証を重ねても、核心だけは見えてこなかった。証拠が存在しない。目撃者の記録は一致しない。しかも、その“矛盾”をマティアス自身が一番理解していた。なぜなら、それらすべての情報源に「彼女」が関与していたからだ。──レイナの養母。かつての舞台運営責任者であり、レオン・ヴァンダインの“最も早期の雇用主”でもあった。彼女はレオンと関係があったとされる期間の証拠を、逐一「失われた資料」として処理していた。職権を利用し、舞台スタッフ名簿、制作台本、演者の映像記録などを破棄または編集していたことが後に判明する。マティアスはその過程で初めて、「自分の知らないところで、誰かが自分を守っていた」ことに気づく。──なぜ養母は、そこまでして事件を隠蔽したのか。自分が“知ってしまったら壊れる”と察していたのか。あるいは──ただ、それが「彼女なりの恩返し」だったのか。だがそれと引き換えに、レイナは虐待されていた。暴言、否定、支配。彼女が見せた屈折した自己否定の多くは、養母による抑圧に端を発していた。マティアスが何も知らないまま演者として名を上げていたあの頃、舞台裏では「彼を守るため」という名目で、少女の人格が抑圧されていた。その事実を知ってなお、マティアスは何も口にしなかった。──なぜなら彼は、それが“本当に自分のためだったかどうか”を、未だに確かめられなかったからだ。
何も分からなかった。この世界の仕組みも、人の感情も、善意の意味も──誰かを愛する方法すら、彼には何一つ分からなかった。マティアスの家庭は、記録の上では「ごく普通の中流家庭」とされている。だが、彼自身が語ることはなかった。特に“親”について、メディアで彼が触れた例は一度もない。ある関係者の話によれば、「必要なこと以外、子供に語らなかった」「感情の話をすると無視された」──そういった家庭だったという。何も分からなかった。なぜ母は一度たりとして、なぜ父は一度たりとして、なぜ家族という形を保っていながら、誰も互いに触れ合わなかったのか。学校では、彼は“変な奴”と呼ばれた。感情の表現が過剰であったり、逆に完全に無だったり。友人はできず、教師との距離も掴めない。褒められても怒られても、反応を“模倣する”ことでしか返せなかった。何も分からなかった。人が笑う理由も、怒るタイミングも、涙を流す意味も。──ただ、演劇だけは違った。「感情には“正解”がある」と、誰かが言った。「そのキャラクターなら、ここで怒る」「ここで泣く」──それは彼にとって初めて与えられた“理解できる感情”だった。舞台上でなら、愛を叫んでもよかった。憎しみを吐いても、罵声を浴びせても、誰も傷つかなかった。“自分”という不完全な器を離れ、“他人”になれる場所。そこにこそ、彼は“人として生きる術”を見出した。──そして、マドンナに出会う。感情を徹底的に解剖し、演技に昇華する彼女の姿は、最初、彼にとって不快でさえあった。なぜそこまで感情にこだわるのか?演技とは構造と手順ではないのか?だが──その問いすら、彼女の表現の前では滑稽だった。“感じたままに演じる”。その意味を、彼は初めて“理解”ではなく“体感”で知った。初めて知った。“分からない”ままでいても、“分かろうとする”ことに意味があるのだと。
誰よりも、何よりも。あの女を最優先してきた。それが“間違い”だと気づくまでは。彼女は、マティアスの人生で最も長く傍にいた存在だった。最初は精神を病んだ小動物のようで、次に女優を気取り、やがて聖女を演じ始めた。何をやらせても長続きはしなかったが──それでもマティアスは“最も安全な距離”で、彼女の人生を支えてきた。金を渡した。住む場所を与えた。役も与えた。スキャンダルの揉み消しも、不倫の火消しも、愛人役の配役も。そこに感情はなかった。ただ、彼女が壊れないように“継ぎ足していた”だけだった。──だが。火薬。あの量。あの配置。何かがおかしい。いや、おかしいと“感じた”瞬間、すべてが疑わしくなった。あれは、自分を殺すためだったのではないか?どこで何を間違えた?いつから彼女は、“愛すべき存在”ではなく“終わらせるべき何か”になっていた?──それとも、最初からそのつもりだったのか?彼女がそう望んだのか、それとも自分がそう望んでいたのか。分からなかった。いや、分かりたくなかった。愛と憎しみと保護と依存が、ひとつの渦になって彼の中で混ざり合い、感情がねじれ始めた。感情の演技には正解がある──そう信じてきたのに。今の自分の表情は、どの役にも当てはまらない。それどころか、どの役にもなれない人間になっていた。鏡を見る。そこに映るのは“役者”でも“男”でも“人”でもない。ただ一つ、“失った者”だけだ。……だが、まだ一つだけ分かることがある。イオ。あの少女は知っているはずだ。誰よりもレイナの傍にいた。あの火薬を、あの暗殺を、あの爆破を。そして何より──自分の“疑念”が真実かどうか。マティアスは、イオに接触するための“演出”を用意し始めた。感情を壊された人間が、“何を求めて動くか”を、あらゆる劇で演じてきた自分自身の手で。だが、今回は台本がない。だからこそ──演じる価値がある。
──もう、理由は要らないのかもしれない。過去は説明できる。虐待された。裏切られた。守ろうとして失った。その全てに、言葉を与えることはできる。だが、今、マティアスの中にあるのは、そういった“正当な怒り”とは違うものだった。ただ、気に食わないのだ。レイナの目が。声が。存在そのものが。何がどうしてそうなったのかは、もはや説明不能だった。──自分の血が混じっているから?──精神病の遺伝を否定する証明になったから?──養母の失敗を象徴する存在だから?どれも、正しいようで、違う。最初に感じたのは、演技だった。レイナが舞台の上で、表情を作るその一瞬。「それは自分ではできなかったものだ」と気づいた瞬間。演技とは、誰かを演じること。だが彼女は、「誰でもない自分自身」を感情のままに演じていた。──それが、許せなかった。マティアスの人生は、感情を削って築いた舞台だった。だがレイナは、それを一足飛びに超えていった。努力ではない、理屈でもない、“何か”を持って。その何かが、今も彼を見下ろしている。嘲笑している。無自覚に、無邪気に、そして美しく。それだけで、十分だった。十分すぎた。殺すべきだ。これが正しいことだと、誰にも言えない。でも間違っているとも、思わなかった。──この感情は、擁護できない。──この衝動は、理性では止められない。──それでも。マティアスは静かに身支度を整えた。撮影所の裏で、レイナの予定を“調整”する。次に彼女が人前に立つとき、舞台には“観客”がいないように。これは、計画ではない。演出だ。主役が降りる時、その理由は誰にも語られない。ただ、幕が降りるだけだ。