第3話
「そいつから何を聞いたのか知らないけどな、そんなのはそいつの妄想だ! 被害妄想!」
怒りに顔を真っ赤にした父親が少女に向かって怒鳴るように言う。
「俺はちゃんと反省して更生した。それは弁護士先生も裁判官様も、仮出所の審査をした裁判所の誰だか様も認めてる。反省も更生も偽物ってことは判決や仮出所を認めた連中、誰も彼もの目が節穴だったってことになる」
「そうだったのだろうと今は思っています」
裁判官の言葉に父親は訝し気に眉を顰め、そのうちに苦虫を噛み潰したような顔になった。
「できることなら私は……この裁判を担当したくなかった。もしかしたら。いいや、大丈夫だ。間違っていなかった。振り子のように行ったり来たりする気持ちとどうにか折り合いをつけて、あと一年で定年というところまで来たというのに……」
俯き、唇を噛む裁判官を見れば――少女や父親の話を聞けば、事情を知らない傍聴人でも察しがつく。
少女の父親はかつて事件を起こした。その事件の判決を下した裁判官の一人が今、目の前にいる裁判官であり、その事件の被害者である少女こそが今、目の前にいる被告人の娘だったのだろう、と。
被告人が少女にした残虐な行為の数々は少女の父親が被告人の娘にしたことなのだろう。娘がされたことを紙に書き出して、一つ、また一つと実行したのだろう、と。
「あの時の裁判官さんだったか。三十年も前のことだから気付かなかったよ。大丈夫だって。あんたの判決に間違いは……!」
「あなたはバカですか」
立場に不相応な一言を言い放ち、裁判官は唇を震わせてヘラヘラと笑っている父親を睨みつけた。
「この裁判ではあらゆる証拠や証言を時間遡行機で検証しています。被告人の犯行はもちろん、犯行動機となった出来事も……あなたの過去の事件や行動もすべて過去に戻って検証しているんです」
深く深く息を吐き出して感情を抑え込み、裁判官は背筋を伸ばすと少女の父親を――かつては少年だった男を見据えた。
「被告人の犯行時の発言から裏取りを行い、居酒屋で飲んでいたあなたの近くの席に被告人も居合わせたことを確認しました。犯行の五日前の夜のことです。覚えていますか?」
裁判官に問われて男は腕組みをして拗ねた子供のようにそっぽを向いた。男に構わず裁判官は話を続ける。
「前科があることや当時の犯行内容を一緒に飲んでいた仲間たちに誇らしげに話していましたね。警察や検事、裁判官を騙すなんて簡単だ、反省しているフリをしたら十年で出てこれた、とも」
「酒の席での話だろ! そんなのは酔った勢いで言っただけだ! 冗談だよ、冗談!」
「〝娘が同じ目に遭ったら発狂するかもしれない、俺もヒトの親だからな〟って笑いながら言ったのも?」
責めるような口調に男は顔を真っ赤にして声の主を睨み付け――。
「その一言がなければこの人はお父さんが結婚してることも、娘がいることも知らないままだった。だいたい……発狂なんてしてないじゃない、お父さん」
声の主の――娘の渇いた声に口をつぐんだ。
「この人が私にしたことはお父さんがこの人の娘さんにしたこと。だったら、どんな風か少しは想像できるでしょ?」
「三十年も前のことだ! そんな昔のこと……!」
「よく覚えてない? そんなことないでしょう。だって、飲み友達に誇らしげに、詳細に語っていたじゃない」
口をはさんできた車椅子の老婦人を男は目をつりあげて睨んだ。
でも――。
「それと同じことを私はされたのにお父さんは発狂してない。この人は発狂したけどお父さんは少しも」
娘の言葉にまた口をつぐむ。
それにね、と娘は呟いた。
「どうしてこんなことができるんだって泣き喚いて、床や壁に頭を打ちつけて獣みたいに部屋を歩きまわって、狂ったみたいに叫びながらこの人が一日に実行したのは紙に書かれていたことの一つか二つ」
それが限界だったのだろう。
「ノルマを終えたら這うように仏壇の前に行って、また泣き喚いて……」
衝立を挟んだすぐそばでは被告人で、かつては被害者の父親だった男が体を前後に揺らし、呟き続けている。どうしてこんなことができるんだ。どうしてこんなことができるんだ。どうしてこんなことができるんだ。規則正しく手錠の金属音が響く。
「でも、お父さんはこの人の娘さんに何度も、繰り返し、あの紙に書かれてたことをした。あの紙に書かれてないこともした。笑いながら、何度も、繰り返し、躊躇うことなく。だから、私は生きていて、彼女は死んで――」
そして、本物の獣を模倣しようとした偽物の獣は狂って正気を失った。
その言葉の代わりに少女はゆっくりと息を吐き出し、裁判官を見上げた。痛みがあるのだろう。緩慢な動きだ。良くはなっても元通りになることは永遠にない。
そんな体で少女は背筋を伸ばして言った。
「私が望むのは父の精巣の全摘出です。この人の娘さんを殺した罪で服役中の、三十年前の父の精巣の全摘出です」