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第2話

「刑の執行日を過去の日付にすることはできますか」


 少女の質問の意図がわからずに裁判官は首を傾げた。でも、意図を聞き出すより答えを出す方が先だ。


「先生」


 裁判員裁判なら裁判員が座る位置にいる有識者の一人に呼びかける。顔をあげたのは時間遡行研究の第一人者であり、時間遡行機の開発者である八十余才の車椅子の老婦人だ。


「過去に戻って刑を執行することは技術的には可能です。現在や未来に与える影響も一日二日いただければ精度の高い予測が出せます。法的、倫理的に妥当かについては他の先生方の見解を伺ってください」


 老婦人の答えに裁判官は頷く。見ると少女は安堵の息をついていた。

 倫理的な見解についてはさておき、法的な見解についてはすでに裁判官のあいだで話し合われている。少女の反応を想像して裁判官は唇を噛み、それでも口を開いた。


「刑罰の目的は加害者に相応の報いを与えること、加害者が再び罪を犯さないよう教育することです。過去に戻って刑を執行することは技術的には可能ですが、まだ罪を犯していない者に刑を執行することはできません。のちに加害者になるとしても、です」


 この答えに少女は肩を落として項垂うなだれるだろうか。


「ですから、犯行前の……あなたに危害を加える前の被告人に刑を執行することはできません」


 少女から目を背けるように裁判官は俯いた。

 でも――。


「つまり、すでに罪を犯している人物にであれば可能ということですね」


 少女は迷いのない声で確認した。


「え、ええ。……そうですね」


「わかりました」


 頷く少女を見て裁判官は戸惑いの表情を浮かべた。一体、少女はどんな求刑をするつもりなのか。


「この人にこれ以上の刑罰を求めるつもりはありません」


 裁判官の疑問を察したかのようにそう言って少女は衝立越しで見えないはずの被告人を見つめた。

 被告人は相変わらず体を前後に揺らしている。それに合わせて手錠の鎖が規則正しい金属音を立てる。自身の手のひらを見つめて何かを呟いている。繰り返し、繰り返し、同じ言葉を呟いている。

 何を呟いているのか――。


「〝どうしてこんなことができるんだ。どうしてこんなことができるんだ。どうしてこんなことができるんだ〟」


 衝立越しに聞こえているのだろうか。

 それとも――。


 裁判官の耳にも傍聴人の耳にもはっきりと届く声で少女が言った。少女の言葉を聞いた後で被告人の唇を見れば確かにそう言っているのだとわかる。


「紙に書かれたリストを食い入るように見返して、散々に呟いてわめいて泣いて吐いて床や壁に頭を打ちつけて獣みたいに部屋を歩きまわって、大きく深呼吸したその後で狂ったみたいに叫び、ながら……」


 そこで少女の声が途切れたのは後に続く言葉を口にすることができなかったからだ。口にするために何をされたか思い出すことを少女の体が拒否したからだ。

 少女の口から聞かなくてもすでに犯行内容の詳細は語られている。どれだけ残虐な行為が繰り返されたかは語られている。裁判官や検察官、弁護人や有識者にいたっては時間遡行して実際の現場を見ている。

 少女が体を震わせながら思い出して語る必要はない。


 その場にいる全員が少女の次の言葉を黙って待った。


「……そんなこと」


 背中を丸めて、呼吸を整えて――少女がようやく顔をあげた。


「そう言うなら、そう思うなら、やめてくれればいいのに。そんな風になるくらいならやめてくれればいいのに。そう思ったけどこの人はやめなかった」


 どうしてこんなことができるんだ。

 どうしてこんなことができるんだ。

 どうしてこんなことができるんだ。


 少女が話すあいだも被告人は体を前後に揺らし、規則正しい金属音を立て、同じ言葉をひたすらに呟いている。すでにその手にない紙を見つめて同じ言葉を繰り返している。


「自分自身がしんどい思いしてまでなんでって……」


「そんなの決まってんだろ! そいつが人でなしのけだものだからだよ!」


 言葉を遮ったのはまたもや傍聴席に座る父親だった。


「傍聴人は静粛に」


「そんな奴に同情なんざしてやることはねえ! 心臓でも脳みそでも奪い取ってやれ!」


「静粛に!」


 裁判官にピシャリと言われて父親は舌打ちして椅子にふんぞり返った。そんな父親にわずかに顔を傾け、しかし、目は合わせずに少女は言う。


「確かにこの人がやったことは人でなしの獣のやることだった。でも、この人は偽物の獣。獣の真似をしただけの模倣犯」


「はぁ!? 偽物ぉ?」


「そう、偽物」


 威嚇するような大きな声にまわりの傍聴人たちはビクリと肩を震わせたが、少女にとっては十六年間、〝こういう人〟として接してきた父親だ。怯えた様子はない。

 ただ――。


「もしも、本物の獣だったら私はきっと死んでた。彼女・・と同じように」


 そう言った少女の声は硬く冷たかった。

 〝彼女〟という言葉に父親は眉をひそめ、そのうちに目を見開き、みるみるうちに顔を真っ赤にした。怒りか、羞恥か、それとも別の感情か。

 でも――。


たちの悪い店に出入りして、質の悪い仲間と付き合って、巻き込まれたんだよ。若気の至りってやつだ。逆らったら連中にボコボコにされて下手したら俺の方が死んでた。仕方なかったんだよ、あれは」


 父親は引きつった笑みでその感情を覆い隠した。娘にか、周囲にか。ぎこちないけれど媚びるような父親の笑みを少女は見ようともせず、逆に裁判官はじっと見つめる。


「十六から十年間をムショで過ごしたんだぞ? 一番楽しい時期だ。その一番楽しい時期をムショで過ごして、きちんと刑期を終えて、反省も更生もした。十分だろ!」


「被害者の命を奪い、一番楽しい時期どころかすべての時間を奪ったのに?」


「い、いや、十分ってことはないが!」


 裁判官の低い声に父親は慌てて言い直す。


「でも、だからって俺の娘が自分の娘と同じ十六になるまで待って復讐するってのはやっぱり人間がやることじゃねえだろ! 娘は関係ないんだからさぁ!」


「待っていたわけじゃないと思う」


 父親の言葉を否定したのは少女の冷めた声だった。


「復讐したいと思ったことなんて一度もない……わけじゃないと思う。でも、そんな風に思ってもこの人は唇を噛んでずっとずっと堪えてきたんだと思う。そんな人のタガを笑いながら壊したのはお父さんでしょ」


 体が痛むのだろう。少女は車椅子の肘掛けにもたれかかり、きつく目をつむった。


「お父さんの反省や更生が偽物じゃなかったらこの人も獣にならないで済んだかもしれない。私も……こんな体にならないで済んだかもしれないのに」

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