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9. 奪われないもの


カリカリカリ……


暗闇の中、人のいなくなった図書館で、本を書き写す音が響く。

ノートとの摩擦で擦り切れ、包帯を巻いた手から血がにじむ。

痛みこらえ、ランプの光を頼りに必死に手を動かす。


『美貌も財産もいつかなくなる、しかし身に着けた知識だけは誰にも奪われない』


そんな言葉が口癖だった父が先月亡くなった。

人よりも家畜のほうが多かった貧乏領地を立て直し、一代で公爵にまで爵位を上げた父。

幼くして母をなくした、自分にそっくりな見た目の娘に、そんなことを言い聞かせたのはどんな思いがあったのか。


『ミモザは官僚になるといい』


多忙で滅多に会えない父は、ことあるごとにそういって私の背中を押した。


(官僚になれば、女性でも家督を継いで領地を治めることができる)


この国では、女に家督を継ぐ資格はない。

長子であっても、一人娘であっても。

どれだけ優秀で、才能にあふれ、人格者であっても。


男は、男というだけで無条件で認められるというのに。


女が男と同じ権利を手に入れるためには、国内最難関と言われる一級官僚試験に合格しなくてはいけない。


(一級官僚になって、領地は私が継ぐ)


それが幼いころからの私の目標だった。

王立学園に入学後は、教師をつかまえては質問責めにし、寝る間を惜しんで図書館に通い詰めた。


女の身体で男と同じものを手に入れるためには、とてつもない努力が必要だった。


その甲斐あって、学園に入学して以来、首位を走り続けた。


(この調子でいけば、一級官僚も狙える)


だが次期公爵になるためには、それだけでは不十分だ。


学園で人脈を広げるのも忘れなかった。

幸いにして、ここは貴族であればだれでも、優秀であれば庶民でも通うことができる王立学園。

次代を担う人財ばかりだ。


派閥や学年に関係なく、生徒の名前と顔は、すべて頭に叩き込んである。


「牛くさい、成り上がり公爵」「がり勉女」


陰口をたたかれても、父に似たとぼけた顔をしてやり過ごした。

教師にも友人にも恵まれ、順調で幸せな日々だった。


突然、父が急死するまでは。


一人娘だった私は、婿を取るために学園を辞め、領地へ戻ることになった。

学園を卒業して一級官僚となり女公爵になる夢は、あっさりと断たれた。


事務所へ自主退学届けを出しに行くと、教師に呼び止められる。


「御父上のことは残念だった。君ほどの実力があれば、一級官僚試験にも合格できるだろう。来月の試験を受けたらいい」

「受験資格がないのです。学園卒業認定が必要です」

「卒業まで、あと3年か」


教師は難しい顔になる。

ここは学園とはいえ上下関係の明確な貴族社会の縮図だ、実力があっても飛び級は認められない。

3年も爵位が空白のままでは、国に没収されてしまう。


「王子はたしか在学中に合格したと思ったが」

「例外的に、卒業資格がなくても教師3名と皇族の推薦状があれば受験可能らしいですが……」

「教師の推薦状ならいくらでも集められるが」


教師は困った様子で苦笑した。

皇族から推薦状など、不可能だ。


侯爵家とはいえ、皇族に頼めるような伝手も知り合いもいない。

教師に礼を言い、寮に戻り部屋の荷物をまとめる。


(せめて領地だけは守らねば)


領地に戻れば、次期公爵の座を狙う親戚連中が押しかけて来るだろう。

結婚相手に押しつけられそうな、意地悪な従兄弟の顔を思い浮かべるとウンザリする。


(こんな最悪な未来、想像もしていなかった)


明日の朝にはもう、ここにある本には手が届かなくなる。少しでも知識を吸収していきたい。


「もう紙がない……」


書き写す紙がなくなってしまい立ち上がる。

見渡す限りの、王国が誇る蔵書に囲まれた、王立学園の図書館。


(あーあ、これも見納めか。おや?)


暗闇に座っている人影に気づく。

ランプで照らした先にいたのは、制服を着た一人の少女だ。


「ごきげんよう」


月の妖精のように華奢な少女は、深夜の図書室に不釣り合いな優雅さで、こちらへ微笑んだ。


「!!」

「あら、あら」


驚きのあまり、積んでいた本を倒してしまう。

少女は立ち上がると、制服が汚れるのも構わずしゃがんで散らばった本を拾う。


「あなたは?」


見たことのない顔に、警戒する。


(この子は誰? こんな子、学園にはいなかった)


落ち着いた物腰からして、貴族の子女のようだが。


(国内の貴族はすべて頭の中に入っているけれど、この子は知らない)


もしかして留学生だろうか。

繰り返し読んだ周辺国の貴族名鑑を脳内でめくり、頭をフル回転させる。


雲に隠れていた月明かりが、少女の姿かたちをゆっくりと照らし出す。


金色の髪に、トパーズ色の瞳。


この容姿の特徴に合致するのは、まさか。

鳥肌が立つ。


「ユーリ皇太子妃?!」


華奢な少女は、イタズラがバレた子どものようにはにかんだ。


「大変なご無礼をお許しください!」


慌てて臣下の礼をとる。

他国から輿入れした皇太子妃が、どうしてこんなところに!


「やっと私のことを分かってくれる子がいたわ」


皇太子妃は満足そうに笑う。


「あなたの名は?」

「リーブル伯爵の娘、ミモザと申します」

「噂通り、優秀なようね」


慌てて本を受け取ろうと手を差し出すと、皇太子妃は右手の包帯に気づき悲しそうな顔をする。


「勉強熱心なのはいいけれど、自分の身体は大事にしなきゃ」

「……ここが使えるのは今日までなので。明日には遠い領地へ帰らねばいけないのです」

「また戻ってくるのよね?」

「いえ、もうこちらには戻りません。父が亡くなったので私は婿を取り、領地経営を支えなくてはなりません」


そう言うと、少女は首をかしげる。


「どうして?あなたは、この学園で見た誰より優秀だわ。あなたが継げばよろしいのに。それとも旦那様を支えるのが夢なのかしら?」


少女の無邪気な言葉に、父が亡くなってからずっとこらえていた涙がこみ上げる。


「私の夢は、次期伯爵として父の跡を継ぎ、領地の人々の暮らしをよくすることでした」

「あなたには叶える力があるわ」


続きを促すような少女の親身な態度と静かな瞳に、抑えていた激情があふれ出す。


「父が死んだら私にはなにも残らない!!どうせなら男に生んでくれればよかったものを!無責任だ!こんなことなら無知のままいたかった!お人形でいられたらこんな想いせずにすんだ!」


頬を伝う、涙が熱い。

皇太子妃がそっとハンカチを差し出してくれる。


「あなたの御父上は、あなたに領地を守れと言ったの?」

「……いえ、官僚になるとよい、とだけ」


そういえば、爵位を継げとは言われたことがない。


「もしかしたら、最初から期待されていなかったのかもしれませんね」

「妻を亡くされた方が、自分の死んだ後の、可愛い一人娘の将来を考えない訳はないわ」


少女は優しく私の手を包む。母がいたら、こんな感じだったのだろうか。

同じ年頃の少女にそんなことを思う。


「あなたを官僚にしたかったのは、なにがあっても一人で生きていける力をあげたかったのよ」


そんなこと考えたこともなかった。

たしかに官僚になれば、身分も稼ぎも保証されるので、女一人で生きていける。


「てっきり官僚になり跡を継いで、領地を守れということかと」

「あなたは、どうしたい?」


真っすぐな瞳で見つめられる。


「あなた自身がかなえたい願いは、何かしら?」


爵位をあきらめ、領地には戻らずこのまま学園に残り、卒業後は官僚として生きる道。

官僚をあきらめ、学園を退学し結婚して伯爵夫人として領地運営を支える道。


そして今。もう一つの道が開けた。


「私は、伯爵になるために生きてきました。今もその気持ちに変わりはありません」

「そう」

「父が与えてくれたこの力を、私は領地のために使いたい」


父の想いを知り、改めて誓う。


「ユーリ妃様。お願いがございます」

「なにかしら?」


床に膝をつくと、皇太子妃はキョトンとする。


「私は必ず官僚試験に合格し、伯爵を継ぎます」

「そう」

「そのために、どうか推薦状をいただけないでしょうか?私にできることなら、どのようなことでもいたします!」


ユーリ妃は小さく笑った。


「あなたが愛されている理由がわかるわ」

「え?」

「実は、あなたの先生にも推薦状を頼まれたの」


担任の先生の顔が、思い浮かぶ。


「私の試験に合格したら推薦状を書くと言ったのだけど」

「どんな試験でも受けます!」

「あら、もうそれは合格しているわよ」

「はい?」


今までの会話でなにか問題でも出されただろうかと首をかしげると、皇太子妃は面白そうな顔をする。


「数百名以上集うこの学園で、私の正体に気づいた生徒はあなただけだった。資質は十分よ」

「貴族として、最低限の情報を持っておくのは当たり前のことです」

「ふふ。あなたにとってはそうでしょうね」


皇太子妃は膝をつき、私と同じ目線になる。


「先ほど無知でいいなんて言ってたけれど、あなたはその知識で、自分の人生の選択肢を手に入れたのよ」

「ありがとう……ございます!」


優しい言葉に、目頭が熱くなる。


人生をあきらめなくていいということが、自分で人生を決められるということが、こんなにも嬉しい。


父の死後、初めて生きていると、実感できた気がする。


涙を流す私にじっと寄り添ってくれていたユーリ妃が、静かに切り出す。


「もしよかったら、その力を私にも貸してくれると嬉しいわ」

「えっ?」

「三ノ宮付きの執事にならない?あなたの教養と人脈が必要なの」


執事はたしかに官僚試験に合格したものしか就けない職業だが。


(どうして私を?)


「私は、自由に生きる力が欲しいの」


ユーリ皇太子妃の力強く煌めく瞳に、私は同じ光を見た。



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