6. 立ち上がる勇気
「どうして姉の仕事を」
俺と姉の関係は、誰も知らないはずだ。
にらみつけるがメイド姿の皇太子妃は、平然としている。
「素人の娘が着るにしては少し派手な色の生地だわ」
「前に姉のドレスをつくったときの布地の余りです。よくご存知ですね」
ため息をつき、テーブルの上に腰掛ける。
「たしかに俺の姉は高級娼婦だ」
貧相で見すぼらしいメイドが店に入ってきた瞬間から、警戒していた。
野暮ったいのに、どこか洗練されている。
(この女、隙がない)
ちらりとスカートからのぞいた靴下の紋章に、王家に近い人間かと思っていたが、まさか引きこもりの3人目の妃だとは。
「俺と姉はスラムに捨てられてね。見た目が良かったもんで高級娼館に拾われまして。手先が器用なんで着付けやドレスの直しを手伝ううちに、独学でドレスもつくれるようになりました」
夜の社交界で男の相手をする高級娼婦たちの戦闘服。
彼女たちの装いは、魅惑的で刺激的だ。
自分の身体の魅力を引き出し、武器のようにドレスを纏う姿はとても美しく、誇らしかった。
だが、俺が成人した日。娼館にいる姉と姐さんたちから別れを告げられる。
<あんたはその技術で、表の世界を歩きなさい>
無理やり背中を押すように、自分の店を持たされた。
「姉たちが、この店の資金を出してくれたんです。だから俺は地に足をつけてこの店を守る必要がある」
姉たちが望んで手に入らない、平凡でまっとうな生活。
どんなトラブルがあっても波風を立てず、可愛らしい似たようなドレスをつくり続ける。
(俺がまっとうに生きること。それが姉たちの願いだ)
首にかけたメジャーを握る手に力が入る。
「俺だけはまともな職につかないと」
「まともな職?」
なぜか皇太子妃の眼光がギロリと光る。薄い身体の少女が醸し出す妙な迫力に呑まれる。
「お姉さんが働いている理由はなんだ。お前のためだろ?真っ当な目的のために、自分の腕で稼いでる。それをまともだとか、まともじゃないとか、他人が判断するなんておこがましいんだよ!」
皇太子妃に粗っぽい口調で指摘され、ハッとする。
「まともじゃないのは金や権力で他人の身体を買う奴らだ。そうだろ?」
当たり前のことを断言する少女が、まぶしくみえる。
「あんたのドレスは、街で見かけたドレスとは全然違う。身体のラインの見せ方を熟知しているからこそできるデザインだ。それはあんたが、誰よりも女の身体を考えていたからだ」
そうだ、俺は本当は彼女たちと戦いたかったんだ。
俺を育ててくれた女たちが、醜い欲望や悪意の視線に、負けないように。
汚され、傷つけられても戦えるように。
祈るようにドレスをつくっていたんだ。
「ヒイラギは今の生活に満足しているの?このまま人形の家でごっこ遊びをするつもり?」
「俺は……」
「自由は、戦わなければ手に入らないよ」
こちらを見据える真っすぐな瞳には、あざけりも媚びもない。
娼館の下男でもなく、火遊び相手でもなく、俺という人間を見る目。
(こんな目でみられるのは久しぶりだ)
「俺は、搾取する奴も、搾取されたままの奴も、大嫌いだ」
これは自分へ向けた言葉。
「俺のつくったドレスが本当に自由の翼になるのなら、あんたと手を組もう」
とうに忘れていた、飼いならされた自由ではなく、本物の自由を手に入れるために。
こんな胸の高鳴りは、いつぶりだろう。
「俺は素直にあんたの言うことを聞くタイプじゃないぞ」
「私のことが信頼できないと思ったら、自由にしたらいい」
「あんたはこんな育ちの、よく知りもしない奴を、ほいほい信じていいのかい?」
「私、人を見る目には自信があるの。ダメなら私もそれまでってことよ」
わざと値踏みするような視線をやるが、皇太子妃は正面から受け止めた。
「俺のドレス、あんたに着こなせるかな」
そういうと、少女が嬉しそうに笑う。
姉たちがつくってくれた鳥かごから一歩踏み出したこの先は、天国か地獄かわからないけど。
貴族の令嬢とは思えない、驚くほど軽く、骨ばった手の甲に契約のキスをした。
◇
「ねぇ、なんだか煙くさくない?」
「変だな」
扉を開けると、黒煙に逃げまどう人々で目の前の狭い路地はパニックになっていた。
「火事だ!」
逃げまどっている人は老人や幼い子供が多い。
「急いで避難を」
「あなたは皆の誘導を。ついていくから心配しないで」
ためらうヒイラギの背中を押し、誘導に従い煙の少ないほうへ向かう。
途中の袋小路にうずくまり泣いている子どもを見つける。
「こっちへおいで!」
震えて動けなくなった小さな体を抱き上げる。
正直ユーリの身体では重い。
急いで袋小路から出ようとした瞬間、目の前に火のついた木箱が落ちて出口を塞いでしまう。
「誰か!」
叫ぶが、皆通り過ぎていく。
煙が濃くなっていくが、人の気配もいよいよなくなってしまい、焦り始める。
(ヒイラギが探しに来てくれる可能性にかけよう)
その時を逃してはならない。
パニックになりそうな自分に言い聞かせ、スカートを破り子どもの口にあてる。
煙を吸わないよう身体を低くし、感覚を研ぎ澄ませていると、遠くで人の気配を感じた。
「ここにいるわ!」
叫んだ拍子に肺に煙がはいりこみ、ゲホゲホと咳き込む。
(くるしい、息ができない!!!)
耐えきれず、子どもを抱えその場でしゃがみ込む。
火がまわってきたのか、全身が熱い。
そのとき、清涼な小川のように、低い声が耳に流れ込んできた。
「今たすける」
火のついた木箱を剣で叩き壊し、手を差し伸べてくれたのは――――――
軍服を着た、神がつくったような美しい男だった。
(天からお迎えがきたんじゃないわよね)
差し出された手に、ハッと我に返る。
「私は歩けます!この子を先に!」
子どもを美しい男に預ける。
「早く行って!!」
足手まといになりたくない一心で叫ぶと、男は私を一瞥し、子どもと反対側の肩に私を担いだ。
「~~~~!!!!」
男は人二人抱えているとは思えぬ猛スピードで、火事場を駆け抜けた。
無事に火の届かない場所まで抜けると、ヒイラギが青い顔で駆け寄ってきた。
「お嬢さん!」
私を探しに火元へ戻ろうとしていたのか、水にぬれている。
「ゲホゲホ、水もしたたるイイ男ね」
「ご無事でよかった」
レンと笑いあい、私の腕を支えたままの軍人に頭を下げる。
「あ、ありがとうございました。もう結構ですので」
御礼をいうと、軍人の美しい顔が、皮肉そうにゆがめられる。
「随分と他人行儀だな」
「はい?」
「夫の顔を忘れたか?」