5. 隠された意味
手に入れた店の情報は、三軒。
まず一軒目、王室御用達サロン。
表通りに大きな店を構えている、オートクチュール専門店。
銀座の高級ブティックの雰囲気に近い。
店の扉を開けた瞬間、スタッフに全身を値踏みされ、慇懃無礼に追い出された。
二軒目は、流行りのブティック。
凝ったディスプレイで、店内には可愛らしい手軽なプレタポルテを着たマネキンが並んでいる。
スタッフは愛想がよいものの、私の身体には絶対に似合わないペラペラの背中の空いたドレスを勧められたうえに、ぼったくろうとする。論外だ。
(皇太子妃だと、ここまで気づかれないとはね)
狭い路地で空を仰ぎ、ため息をつく。
(最後の店は、どうかしらね)
三軒目は、今ひそかに若い女性の間で評判だというアトリエだ。
こみいった裏通りを入っていくと、見逃してしまいそうな小さな店があった。
軒先に揺れている小さな白い木板がなければ、見逃してしまっただろう。
看板代わりの板には、流麗な字で店名がかかれている。
(なかなかセンスがいい)
優しい木目の扉を開くと、背の高い男が布に囲まれて仕事をしていた。
「いらっしゃいませ」
こちらへ気づき立ち上がったのは、見目がいい優男だ。
私を一目見て、すぐにカーテンで仕切られた奥の部屋を案内する。
「狭い店で恐縮ですが」
柔らかな物腰でエスコートされソファに腰掛けると、男はお茶を持ってすぐに戻ってきた。
歩き疲れていた私を気遣ってか、ぬるめのハーブティーを出してくれる。
「すっきりしたいい香り」
「お気に召したなら良かったです」
優男は温和な笑顔を浮かべ、こちらの警戒心をほどくよう少し距離をとって話し始める。
「ようこそ足をお運びいただきました。私、サロン・ド・フリュイのヒイラギと申します」
「綺麗な店名ね。どんな意味なのかしら?」
「古語で、蝶という意味です」
「まぁ」
「女性が本来の美しさで羽ばたけるよう、お手伝いをさせていただきます」
男は微笑む。
「本日はなにかお探しのものはありますか?」
「そうね。普段着になるようなものがいいのだけれど」
「それでは、こちらのデザインなどいかがですか?」
男が持ってきたサンプルは、首元からデコルテまで繊細なレースで覆われたAラインのドレスだ。
これなら骨ばった首元も隠せるし、ガリガリの貧相な体形も華奢にみえるだろう。
「とても素敵だわ」
「布はこのあたりがお似合いかと」
ヒイラギが奥の棚から、滑らかな光沢をもつ最高級の布地を出したときだった。
「ヒイラギさまぁ~~~!!」
店の扉から、若い女性が泣きながら店に飛び込んできた。
◇
「少々失礼します」
ヒイラギは動揺をみせず、こちらへ一言断ると柔らかな物腰で女性をアトリエの椅子に座らせる。
カーテンからそっと様子を覗いていると、泣きじゃくり要領を得ない女に嫌な顔一つせず、ハンカチを差し出した。
「どうされましたか?」
「ヒック、私の婚約者がぁ、ヒック」
「あぁ、商工会長のご子息様のことですね」
優しく慰めているようで、一線引いた態度だ。
女に胸を貸すわけでも、甘い言葉で慰めるわけでもない。
(女の扱いがうまいわね)
黒服だったアイツは女に厳しかったから、フォローもせずよく泣かせていたっけ。
ヒイラギの手腕に感心していると、扉が乱暴にひらき、大柄な男性が怒鳴り込んできた。
女性と一緒にいるヒイラギを見て激高する。
「浮気相手はそいつか!この寝取り野郎!」
すごい剣幕で詰め寄り、その勢いでヒイラギに手を上げる。
「きゃあああぁ!!ちがうの、やめてぇ!!」
女性が悲鳴をあげて止めるが、男に殴られたヒイラギは棚に激突し、その衝撃で色鮮やかな布が床に散らばる。
「おい、浮気相手はコイツなんだろ?メイドから、この店に入り浸っていると聞いたぞ!」
「そ、そんな」
婚約者らしき男性に問い詰められ、女性は青ざめ、縋るようにヒイラギのほうをみる。
ヒイラギは血が出ている唇をぬぐうこともせず、情けない顔で両手をあげた。
「旦那様、誤解です。私のような者がお嬢様の心をつかめるはずないでしょう。いつもあなたの話ばかりですよ」
ヒイラギはゆっくり立ち上がると、大きな箱を取り出す。
中から出てきたのは、紅色のプリンセスラインのドレスだ。
スカート部分に広がる花びらの刺繍が見事である。
「こちらが仕立てたドレスです。ちょうど今朝、完成したのですよ」
「ドレス?」
「はい。お嬢様が細かいところまでこだわったドレスです。時間をかけたのは、婚約者様へ綺麗な姿を見てほしかったからですよね?」
女性は赤い顔で気まずそうに俯く。
こりゃ、ヒイラギ目当てにクレームつけて引き延ばしてたな。
「あなたへのプレゼントも用意されていたのですよ」
「プレゼントだと?」
「えぇ、揃いのハンカチーフとネクタイです。ぜひあなたと一緒に身に着けたいと」
「え?!」
「なんだ、そうだったのか!」
ドレスの色地と同じ紅色のネクタイセットのことなど、女は知らなかったのだろう。
目を見張る女に気づかないまま、男は上機嫌になる。
「なんだ、お前は本当に可愛い奴だな。今度の婚約披露パーティは是非これにしよう」
「え、えぇ」
「実にお似合いの二人でいらっしゃる」
「そうか?!いや、勘違いで殴ってしまって悪かったな。血が出ている」
「軟弱な私が悪いのです。どうぞお幸せに」
ヒイラギは迷惑料として男からドレスの代金を多めに受け取ると、笑顔でお騒がせカップルを見送った。
「お騒がせして申し訳ありません」
血をぬぐって戻ってきたヒイラギは、先ほど殴られたとは思えない穏やかな顔だ。
「あなた、わざと殴られたわね」
そう指摘すると、苦笑いをする。
ヒイラギは殴られた瞬間、自分から後ろに吹っ飛んだのだ。派手な音はしたが急所は避けている。
身のこなしからして手荒いことにも慣れているとみた。
「彼女はあなたに気があったみたいだけど?」
「結婚前のマリッジブルーというやつでしょう」
好意を寄せられるのには慣れているようで、困ったように肩をすくめる。
優し気で自分の要望を聞いてくれる男は、箱入りのお嬢様には魅力的にうつるだろう。
「あのネクタイは、わざわざ用意していたの?」
「男の嫉妬は厄介ですからね。ちょっと保険をかけておいただけです」
「機転が利くわね」
温和な物腰なのに、妙に肝が据わっている。
優しいというよりも、洞察力の高さで人を操る男だ。
(まるで狡猾な獣が、平凡なウサギの皮をかぶっているようだわ)
だからこそ、もったいない。
「あなた、面白いわね」
「はい?」
「どうかしら、私の専属になる気はない?」
突然の提案に、ヒイラギは面食らった顔をする。
「ありがたいお話ですが……お嬢様は本来、このような場所へいらっしゃる方ではないようにお見受けします」
やはりヒイラギは、私の正体をちゃんと見抜いていた。
今はメイド服を着ているが、靴下は王家の紋章が入った高級シルクの品だ。
お客様の足元を見るのは基本中の基本。
(社交界では、身に着ける服飾品がすべて意味を持つ)
その意味を正しく理解できなければ、淑女の資格はない。
地味な着物だと馬鹿にされた女性が着ていたのが大島紬で、実は誰よりも格が高かったというのは銀座で無知を笑う、笑えない話だ。
知らなかったでは、すまされない世界がある。
(たかが服、されど服)
普通のメイドではないと察し、一流の品を勧めてきたヒイラギはそのことをちゃんと理解していた。
「改めまして、皇太子妃ユーリよ。身分が偉いだけで、私が偉いわけじゃないの。対等に話して頂戴」
「三ノ宮様……」
ヒイラギがつぶやく。
「私には、あなたが必要なの」
「皇太子妃様のお求めのものは、この店ではご用意が難しいかと」
「あら、火遊びの相手がほしいわけじゃないのよ!」
口説き文句に警戒するヒイラギに、あわてて否定する。
「あなたのセンスと技術が欲しいのよ」
「皇太子妃様ならすでにお抱えのデザイナーがいらっしゃるでしょう」
「あなたのデザインするドレスは、ただ着飾るためのものではなく、戦うための服でしょう?」
私の目から本気を感じ取ったらしい。ヒイラギはじっと黙り込む。
「あなたのドレスは身体を縛り付けない。動きを制限しない。そのままを美しく見せ、女を羽ばたかせてくれる服だわ」
先ほどの紅色のドレスも、女性の雰囲気に合わせて甘く可愛らしいが、締め付けのないデザインだった。
あれだったら長時間の立食パーティでも動きやすいだろう。
「おふざけではなさそうですね」
「私は本気よ。あなたの技術は女の生き方を変えるわ」
「大袈裟ですよ」
「私が買っているのは、ドレスづくりの技術だけじゃないわよ」
「あいにく私はここを離れるわけにいかないのです」
「あなたは町の仕立て屋でおさまる器ではないでしょう」
「買いかぶりすぎです」
ヒイラギは、柔和な態度を崩さず、頑なに拒否をする。
ちらりと見えたスケッチブックに無数に書かれたデザイン画を、今のまま実現できるとは思えない。
「あなたは一体、何に縛られているのかしら」
ため息をつき席を立つと、床に散らばったままの艶やかで鮮やかな彩色の布を手に取る。
「もしかして、あなたのお姉様のお仕事が関係しているのかしら?」
それまで穏やかな笑みを崩さなかった男の顔つきが変わった。
(彼の姉の職業はおそらく―――)