4. 人間商売
早速、執事がいるという書斎へ向かう。
ノックをせずに扉を開けると、中にいた痩せぎすな男が慌てて立ち上がる。
「三ノ宮様!」
こいつが執事か。
一見こちらを敬うような態度だが、その実、見下している目をしている。直感的に、嫌な男だと判断する。
(顔相が悪い……コイツは卑屈でずる賢いタイプだな)
銀座で培った人を見る目は大体当たる。
「どうしてここへ」
「ここは私の宮よ。自由に出歩いて、なにか問題が?」
「いえ」
男がちらりと書斎の奥にかけられた絵画に目をやるのを見逃さない。
「なにか御用ですか?」
「ドレスと化粧品が欲しいの」
「外商を呼ぶには、殿下にお伺いしてみなければ」
「では、殿下にお目にかかりたいのだけれど、いつこちらへいらっしゃるのかしら」
「奥様がご存じないことを私共が知りようもなく」
男は、バカにしたように薄ら笑う。
「そう。邪魔したわね」
早々に会話を切り上げてリネン室に寄り、自室へ戻る。
『守護霊様!!なにされてるんですかッ!!』
拝借したメイドの制服に着替える私をみて、ユーリが叫ぶ。
「あら、意外と可愛いじゃない。ちょっと街に出てくるわね」
『その恰好で、何をされるおつもりですか!』
「ドレスを買いに行ってくるわ」
『そんな、お金もないのに』
オロオロしている。
「そうそう、皇太子妃の身分を証明するものってなにかあるの?」
『証明?そうですね……王族が身に着けるものには、王家の紋章が入っています』
「もしかして、この薔薇のこと?」
絹の靴下にはいっている紋を指さす。
銀座の店の名前が「ホワイトローズ」で、ロゴが薔薇だったから気になっていたのだ。
『はい、メディチ王国の建国時の言い伝えで、国の危機には必ず薔薇の乙女が現れると』
「ふーん」
『王国には年中、美しい薔薇が咲いていることでも有名なのですよ』
「そしたらこれみせたらツケでなんとかなるわね」
『無理ですよぅ!逆に皇太子妃だとバレたら大問題ですよ!』
「なんとかなるわよ。それじゃ、いってくるわ」
『誰か止めてーー!!』
◇
鏡の中で泣き崩れるユーリを放って、メイドに変装したまま三ノ宮を出る。
(あの一番立派な城が、王城ね)
三ノ宮と似たような白い小さな王宮が、王城の背後に一列にならび控えている。
どうやら一ノ宮、二ノ宮とつづき、敷地の一番奥に今住んでいる三ノ宮があるようだ。
(ほかの皇太子妃は、どんな方なのかしらね)
いずれ会うこともあるだろう。
そのときのためにも、早く身なりを整えなければ。
整備されたレンガ道を真っすぐ抜けると、あっさり王城の外に出られた。
(セキュリティが甘いわ。まぁ、こんな貧相なメイドが皇太子妃だなんてだれも思わないでしょうけど)
そのまま人の流れにのって、賑やかな方へ向かう。
城下の大通りにはにぎわっており、雰囲気のよいカフェやレストランが並んでいる。
道行く人はオシャレをしている人も、普段着の人もいるが、皆混雑には慣れているようだ。
この感じ、銀座の雑踏に少し似ている。
(そういえばアイツと会ったのも、こんな街角だったな)
ふと、銀座時代の相棒を思い出す。
独立して、裏通りの小さな雑居ビルでクラブを始めたばかりのとき。
経理を任せていた古株に資金を持ち逃げされ、ライバル店に従業員を引き抜かれ、八方塞がりな日々。
アイツに会ったのは、指先が千切れそうに寒い冬の明け方だった。
酒の匂いが残る街を白く照らす朝陽に舌打ちをし、疲れ切った身体でゴミを捨てに行くと。
「おや」
目を閉じた血まみれの青年がゴミに紛れていた。
銀座ではめずらしいことでもない。
面倒ごとはごめんだ。
そのまま背を向けて帰ろうとすると、口笛を吹かれる。
振り返ると、頬には殴られた跡がのこる青年が、こちらをじっと見ていた。
唇は腫れ、目つきも悪いが、なかなか整った顔をしている。
「なぁ、そこのジャケットとってくれないか」
「やだ、生ゴミがしゃべってる」
「いうねぇ」
「私は犬じゃなくってよ」
腹立ちまぎれに仕立ての良いスーツのジャケットを放り投げてやると、男は片手でキャッチし几帳面に折りたたんだ。
「悪かったよ、お嬢さん。その恰好でゴミ出しなんざ、若くして独立したけど軌道に乗らず困ってるクラブのママってとこか?」
この世に興味がなさそうな男は頭の回転が速く、洞察力に長けていた。
「御礼にアドバイスしてやろう。その程度の容姿で銀座で一旗揚げようなんて諦めたほうがいい」
「自分に学も美貌もないことは百も承知だよ」
だから銀座へ行きついたのだ。
銀座で商売をするには、才能、実力、なにより人間的な魅力が試される。
無視して帰ろうとするが、男の聞き捨てならない台詞に足を止める。
「オッサンたちのご機嫌取りをして、触らせて、安酒飲ませてぼったくって何が楽しいのかねぇ?」
「それは三流の仕事だろ」
「自分はちがうってか?」
「うちが提供しているのは、人が人らしくいられる時間だよ」
「人間らしく?」
「そう、特別なお酒と空間で、大人たちが会話や駆け引きを楽しむ。人と人をつなぐのは、人だ。銀座ってのはね、居合わせた人たちとの交流で生まれる刺激的な化学反応を楽しむ場所なのさ」
男はばかにしたように笑う。
「俺は人が嫌いでね。他人で時間をつぶそうだなんて弱いやつばかりだ」
「人と人でしか生まれないものも、この世にはあるだろ。似たような商売じゃないかい、先生?」
先生と呼ばれた男の顔色が変わる。
「ヤクザとけんかして弁護士バッジでも取られたかい」
「どうしてそう思うんだ?」
「あんたジャケットたたむときに、無意識だろうけどフラワーホールを触ってた。この辺でバッジの有無を気にするのは弁護士か議員くらいだ。霞が関の顔は全員頭に入ってるが、あんたの顔は知らないもんでね」
どうやら正解だったらしい。男は楽しそうに笑い出した。
「アハハ!お察しの通り、俺は元・弁護士だ。あんた面白れぇな。俺のこと雇えよ。」
「あいにく、そんな余裕はないね」
「金は要らないよ。しばらく身を隠したくてね。黒服として働いていたこともあるぞ、人手が欲しいだろ?」
そう不敵に笑った男と、あの日から二人三脚で、銀座の一流クラブの仲間入りをするまでに店を大きくしたのだ。事業も拡大していくところだった。
(アイツがいれば経営は問題ないだろうけど。というか私は死んだのかね?)
最後の記憶が曖昧で、思い出せない。
(まぁいい。ユーリの願いをかなえたら、わかるだろう)
年頃の女の子が、ドレス一枚、自由に買えやしないなんて不自由にもほどがある。
怒りを胸に秘め、街を散策する。
ドレスを扱っているブティックを何軒か見かけるが、どこもいまいちだ。
(値段の割に、縫製が甘いね)
銀座で十年以上やってきて、本物も偽物も、たくさん触れてきた。
モノを見る目にはそれなりに自信がある。
(そうだな、年頃の貴族子女が集まりそうな場所へ行ってみるか)
狙いをつけたのは、少し高級な文具店だ。
案の定、店内はメイドを連れた貴族の少女たちで混雑していた。
ちらほら制服姿の子も見かけるが、メイドを連れていないところをみると庶民のようだ。
(貴族に混じって買い物できるってことは、それなりのエリート校ってところかね)
商品棚には、女性が好みそうなガラス製の万年筆や花柄のレターセットが陳列されている。
商品選びに悩む少女たちにまぎれ、近くでドレスを吟味する。
(あの子のドレスは生地と縫製が上等だ、この子はトレンド最先端を詰め込んだ感じね。あちらの子は生地はそこまでだけど刺繍とデザインが身体にあっていて素晴らしいわ。うん、この3着ね)
長い会計の列にメイドが並んだのを狙い、時間つぶしのフリをして話しかける。
「あなたのお嬢様、とっても素敵ね!メイドのあなたも、センスがいいもの!」
「そうでしょ?うちのお嬢様はこだわりがつよくて、王都中のサロンを巡ったわ」
「うちのお嬢様は全然センスがなくて。今日着てらっしゃるドレスのお店を教えてくれない?」
「いいわよ!あそこはね……」
親切なメイドは笑顔で教えてくれる。
そんなことを繰り返して、ドレスメーカーの情報を手に入れる。
(まだ陽も明るいし、このまま行ってみるか)
やけに姿勢のよいメイド服の少女は、慣れた様子で再び雑踏の中へ溶け込んでいった。