3.プロフェッショナル
◇モモの回想◇
私の実家は、もともと城下町で定食屋をしていた。
三国に囲まれたこの国の王都には、民族も文化も様々な人が集まる。
「年越しには、もちもちの米団子をつくんだ」
「うちはキノコを狩った獣の脂で炒めるんだ、うまいぞ」
幼い頃からそんな人たちの郷土料理の思い出を聞いて育った私は、自然と料理が大好きになった。
やがて店の厨房にたつようになり、異国の趣向を取り入れたメニューは王都でも評判となった。
表通りに店を構えるまでになり、私は料理長として忙しい日々を送っていたのだが。
「火事だ!!!!」
店が火事で焼失した。解雇した従業員の腹いせだった。
その時のケガがもとで両親は亡くなり、私は莫大な借金を背負うことになった。
「どうか働かせてください!」
「女の料理人は募集していない」
他の店で働こうとしても、女だからと断られるか、足元を見られ相場の半分以下の賃金を提示された。
このままでは王立学園にいる弟たちの学費どころか、自分の食い扶持すら稼げない。
(両親のもとで好きなだけ料理に打ち込めたときには気付かなかった)
料理人の世界は女に厳しかった。
知り合いに頭を下げ、必死に働き口を探していると、常連客から王宮の仕事を紹介してもらえた。
ところが、王宮の厨房で待っていたのは、料理人ではなく下働きの仕事だった。
(下積みを重ねたら、いつかは料理人になれるはず)
厨房の端で野菜や皿を洗いながら、宮廷料理の技術を横目で必死に吸収し、深夜だれもいなくなった厨房で、捨てられた食材で勉強する日々が何年も続いた。
ところが、料理人へ昇格できるのは、ロクな技術もない若いだけの男ばかり。
(料理を……したい。自分で美味しいものをつくりたい)
大通りに店を構えていた自分の技術が、さびついていく。
なにより自分の料理を食べてもらえないという、行き場のない鬱憤と悔しさに、腐りかけていた。
そんなある日、新しく皇太子妃を迎えることになった三ノ宮へ行くよう指示された。
「他の宮は?」
「他の妃は自国から料理人を連れてきている。三ノ宮は召使ひとり連れてきていないそうだ」
「変わった妃だな」
(自分の都合で、自国から使用人を引き離したくなかったんじゃないのかな)
王城の厄介者たちを押し付けるような形で、やや問題のある女中や料理人が三宮へ移ることになった。
まだ18歳だという異国の優しいお姫様は、時々庭を散策するくらいで、ほとんど姿を見せることはなかった。
「殿下も顔くらい見せたらいいのに。異国で心細いでしょうに」
「あんな貧相な娘ではやる気も出ないわな」
「アッハッハッハ」
厨房の仲間が下品に笑う。
殿下の通いがないために、使用人たちは少女のような皇太子妃を軽んじるようになっていた。
厨房に自ら現れた皇太子妃は、元から華奢なお方だったが、さらに痩せていた。
一国の妃とは思えぬ、骨が浮き出た痛ましい姿。
(どうしてそんな姿になるまで誰も気づかなかったんだ!)
いつしか食事をつくるということの、本来の意味を見失っていた自分を恥じる。
「あなたの野望は?」
久しぶりにみた皇太子妃は以前の儚げな風情は消え、不思議な威厳と活力に満ちていた。
この人のために、料理をつくりたいと思った。
ユーリ様のオーダーは、拍子抜けするほど簡単だった。
朝食はフルーツだけ。昼と夜は柔らかく煮た米と野菜、それに肉か魚を必ずいれること。
人気レストランの料理長として毎日100名以上の食事を作り続けていた私には余裕だ。
(ユーリ様に、早く手の凝った料理をつくって差し上げたい!)
消化に良い食事を続けるうちに、青白い顔をしていた少女も少し精気が戻ってきたようだ。
「少しづつ量も召し上がれるようになって、良かったです!」
「えぇ、本当に食べられないのよね。この身体」
「調子が戻られたら、たくさん美味しいものをご用意しますからご辛抱くださいね!」
そういうと、皇太子妃は悩まし気に頬に手をあてた。
「ユーリ様、なにか問題が?」
目の前のテーブルには、フルーツを盛り合わせた皿が乗っている。
旬のものを、食べやすいよう均等に正方形に切ってある。
毎日同じメニューで、飽きてしまわれたのだろうか
「モモ、皮つきの果物を持っていらっしゃい」
「は、はい」
「それとナイフも頂戴」
「これは危ないですから!」
「いいからよこしなさい」
偶々部屋へ入ってきたメイドが、ナイフで押し問答している光景にギョッとし、慌てて逃げ出していった。
結局、細い身体とは思えない圧に負けて、果物ナイフを差し出す。
ユーリ様はまだまだ細い手で林檎を重たそうに持つと、慣れた手つきで、ナイフを入れていく。
(そんなに皮を薄く?)
見事な手捌きで、林檎の皮をリボンのように薄く剥くと細工をほどこしていく。
あっという間に林檎は蝶になった。
「すごい…」
「これが銀座の飾り切りよ」
飾り切り?初めて見る技術だ。
銀座というのはユーリ様の故郷の地名だろうか。
ユーリ様は、他のフルーツにもナイフを入れていく。
オレンジの皮に幾重も切り込みをいれて鳥の羽をつくったり、イチゴを薄切りにし中心巻いて薔薇の花びらに見立てたり。
いつの間にか、皿の上には美しい庭園のようなフルーツの盛り合わせができていた。
こんな美しい一品、見たことがない。
「素晴らしい!!もはや芸術ですわ、ユーリ様!」
「同じ林檎でも、付加価値をつけて提供するのがプロよ」
それに比べて、先ほどの自分が切った皿は子どものおままごと同然だ。
なんの工夫も趣向もない、ただ果物を切っただけの皿。
「お金や時間を好きなだけかけて最高級のものを提供するだけがプロではないのよ」
制限のある中で、常に最善を尽くすこと。
それこそがプロだと、ユーリ様の瞳は語っていた。
お金がない、厨房に立てない、食べられない……いつしかそんな言い訳をして、料理をあきらめていた自分に気付く。奢っていた自分が恥ずかしい。
「申し訳ありません!!ユーリ様に最高の食事をご用意できないのは、自分の甘えでした」
「あなたなら、もっとできるはずよ」
ユーリ様は信頼してくれている。
「あなたがこれから相手にするのは、銀座で一流の店を知るこの私よ」
「はい!」
「相手に不足はないわね?」
コクコクと頷くと、ユーリ様は片目をつぶり、チャーミングに笑う。
「料理の腕だけでなく、美しいものをみて、審美眼も磨きなさい」
ユーリ様と話していると、時々、熟練の婦人と対面しているかのような気分になる。
年若い少女なのに、そこが知れない。
三ノ宮の皇太子妃は、不思議なご主人様だ。
◇
『どうして裸になるんですかぁああ!!』
朝陽に照らされた、鏡の中のユーリが頬を赤らめ泣いている。
朝起きてまず、鏡の前で裸になりボディラインをチェックするのが日課である。
ちょっと前の骸骨のような不健康さはなりを潜め、随分と人間らしくなってきた姿にうなずく。
「いい加減慣れなさいよ。自分の身体のことをちゃんと把握しておくのは大事よ!うーん、肉がつきにくい身体ね」
『ひーーーー』
「でも回復は早いわね。そういえば、ユーリはいくつなの?」
『今年、十八になります』
「あら!思ったより若いわね」
やつれて老けてみえた女は、まだ未成年だったらしい。
「ん?嫁いだのは3年前、ということは十五歳で嫁いだの!」
『私は……本来ここに嫁げる立場ではなかったのです』
「どういうこと?」
『皇太子には一番上の姉が嫁ぐはずでしたが、突然、一番歳が若い者を出すように言われたのです』
「若い女ぁ?なにそれロリコン!?」
『美しい姉であれば殿下の御心に添えたのでしょうに、なんの教育も受けていない私では殿下の御心はつかめませんでした』
ユーリの泣きごとを聞きながら、全裸のまま鏡台でパックをかき混ぜて髪と顔に塗り付ける。
『守護霊様。それ、オイルとはちみつですよね。食べ物ですよね。』
「そうね」
『どうして身体に塗り付けるんですかぁああ!!』
「あら、この特製パックは髪と肌に良いのよ。モモの手のあかぎれも治ってきたでしょう」
『最初は顔が引きつってましたけどね。はぁ、最近モモさんの私を見る目が痛いです』
不規則な夜型生活をしていた分、美容にはうるさいのだ。
この特製パックのおかげで髪と肌にも少しづつ艶が戻ってきた。
(正直、ここまで身体を改造するのも、一苦労だったわ)
少し背筋を伸ばしただけで、翌日筋肉痛で立てなくなったのは苦い思い出である。
朝は日の出とともに起き、目覚めのストレッチ。
軽く汗をかいたところで、ビタミンCたっぷりの朝食をとり、血糖値を下げるため庭の散歩をする。
昼食を食べたあとは、筋肉がつきすぎないようインナーマッスルを意識した運動をし、しっかり水分をとって昼寝。
起きたらヨガで身体をほぐし、半身浴で長めに湯舟につかり、早めに就寝する。
『あのぉ、こんなのんびりしていていいのでしょうか』
「腸から肌まで美しく!女らしいボディメイキングには、これが一番よ」
体幹とくびれがないとドレスが綺麗に着こなせないからね。
順調に鍛えられている体にニンマリするが、鏡の中のユーリは不思議そうな顔をしている。
「そろそろ新しいドレスと化粧品が欲しいわね」
『でも殿下もお越しにならないのに、必要ないと執事が……』
「はぁ?」
地雷を踏んだと思ったのか、ユーリが鏡の中でビクつく。
「ちっ、女が着飾るのは男のためだと思っている馬鹿が」
(一度も御用聞きにこない執事とは、いい度胸ね)
「ふーん、顔でも拝みにいこうじゃないか」
『ひぃいい!嫌な予感がします~~~~!』