12. 王妃の庭
「よく来てくれたわね」
王城を訪ねると、上品なクリーム色のドレスがよく似合う、完璧な貴婦人が出迎えてくれた。
(彼女が王妃様ね。美しい人だわ)
王妃はギリギリで仕上がったこちらのドレスに目をとめる。
「まぁ、素敵な刺繍のドレスね」
今日のドレスは若草色の少し光沢のあるドレスだ。
一見するとシンプルだが、スカートのすそにはぐるりと薔薇の葉の刺繍が入っている。
(こちらの意図は伝わったみたいね。刺繍職人に御礼をしなくては)
見事な刺繍がほどこされたスカートを持ち上げ礼をとる。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「ちょうど薔薇が咲き始めたのよ」
案内されたのは、想定通り王妃専用のプライベートガーデンだ。
珍しい形や色の薔薇が咲き誇っており、可憐な香りに包まれる。
「まぁ薔薇のアーチ!夢のようですわ!」
「ありがとう。喜んでもらえたらうれしいわ」
「実は王妃様のために、料理人が腕をこらしましたの」
持参したお茶菓子の箱を開くと、王妃は嬉しそうな声をあげた。
「まぁフルーツタルトね!こんな美味しそうな薔薇は初めてよ」
「お庭の薔薇にはかないませんけれど。薔薇の香りに酔ってしまいそうですわ」
「ここには珍しい品種もあるのよ」
うっとりとした表情を浮かべると、王妃様も頬を緩め、薔薇にまつわるエピソードを面白おかしく話してくれる。
(つかみはばっちりだわ)
侍女がティーカップに、深紅のハーブティーを注ぐ。
「このお茶は庭の薔薇を使ったオリジナルブレンドなのよ」
ピンク色の薔薇の絵付けがされたティーカップは、きっと私が好きそうなデザインを選んでくださったのだろう。この気配りはさすが王妃様だ。
しばらく薔薇を眺めながら和やかにお茶を楽しんでいると、王妃が本題を切り出す。
「執事の件、聞いたわ」
「申し訳ございません。私の落ち度ですわ。」
「こちらが手配した執事だもの、お詫びをしなければと思っていたの」
王妃は物憂げな表情だ。
「スイレンも何をしていたの。あなたにつらい思いをさせていたのに気づかないなんて」
(きたな!私が殿下をどう考えているか引き出すつもりね)
「いえ、三宮は私の管轄ですから」
健気を装って微笑むと、王妃の口から出たのは意外な台詞だった。
「あら、夫婦なのですから殿下と一緒に解決しなくては」
「はい?」
想定外の言葉に首をかしげると何がおかしかったのか、王妃はコロコロと笑った。
「一人でがんばらないで。夫婦は支えあうものよ」
「は、はい」
(あれ?おかしいな)
てっきり第一王子の失脚を持ち掛けられるかとおもったのに、これでは若夫婦を応援する姑だ。
年かさの侍女がそっと近寄ってくる。
「御前失礼いたします。王妃様、お耳にいれたいことが」
侍女のささやきに、王妃のティーカップがわずかに揺れる。
どうやら緊急事態のようだ。
「わたくし、お庭の薔薇をみせていただいても?」
王妃の許可を得て席を立ち、別の侍女の案内で庭へ向かう。
入れ替わりにやってきた文官から王妃は何やら報告を受け、指示を出しているようだ。
(王妃が公務を肩代わりしているのは、本当のようね)
侍女のお付きを断り、ひとり薔薇の庭園を散策していると、突然ガサガサっと木から落ちる音がした。
小動物かと思い、茂みをのぞき込む。
「あら?」
そこにいたのは7歳くらいの少年だった。
くるくる巻き毛に、そばかすの散った頬が可愛らしい男の子だ。
どうやらこの子が木から落ちたらしい。
「あなた大丈夫?」
声をかけると、驚いた様子で逃げ出そうとするが足をひねったらしく、その場でうずくまる。
「早く冷やした方がいいわ、人を呼んでくるわ」
「ダメ!誰も呼ばないで!」
焦る少年の目線の先では、枝に引っかかった銀色のお菓子の缶が光っていた。
「あれを取ろうとしたの?」
「…うん」
木のほらに隠していたのは、どうやら少年の大切なもののようだ。仕方ない。
「ここで待っていて」
ドレスをたくしあげ、ひとつに結ぶ。
(せっかくの刺繍に穴でもあけたら、ヒイラギに怒られちゃうからね)
ヒールと靴下を脱ぎはだしになると、木に登り、缶をつかんでスルスルと降りる。
「はい、どうぞ」
にっこりと笑顔で缶を差し出すと、少年は目をまん丸にする。
「スパイだ!」
「スパイ?」
「この間、兄様にもらった本に出てきた!お姉ちゃん、その身のこなしはスパイでしょ?」
「まさか。ただの田舎育ちよ」
若い頃は酔っぱらうたびに電柱に登って怒られたものだ。黒歴史である。
少年は缶を大事そうに抱え、すぐに中身を確認する。
中には綺麗なリボンやガラス玉、ビーズ細工が入っていた。
「宝物ね」
「うん!」
キラキラしたものを眺めるだけで心が弾む想いには、私にもおぼえがある。
少年もこっそり眺めていたのだろう。
「大事なものなら、もっと別の場所に隠した方がいいんじゃない?」
「見つかったら捨てられちゃう……」
「でもその足じゃ戻せないでしょう?そうだ。治るまで、私が預かっていてあげるわ」
「でも」
不安そうな少年に、つけていた髪飾りを外して渡す。
「代わりにこれを預かっていてくれる?」
「わぁ!」
少年はビーズ飾りのついたバレッタに目を輝かせる。
そう、前王妃が好んでつけていたという髪飾りをつけてきたのだ。
「このビーズ模様はちょっと特別なの、よく見ると星座の形になっているのよ」
「へぇ」
前王妃のために髪飾りをつけたいと相談すると、ミモザが前王妃の名前と同じ星座を図鑑から写しとり、それを基にヒイラギがバレッタに縫い付けてくれたのだ。
(天に召された前王妃の誕生日に、敬意と祈りをこめて)
「それじゃこれは預かるわね」
「うん!」
手のひらサイズの銀缶を、スカートのポケットにすっと収納すると、ふくらみで完全に隠れる。
さすがヒイラギのつくったドレスだ。
銀座時代も着物の袖や帯に、色々仕込んで持ち歩いていたことを思い出す。
それをぽかんと口を開けてみていた少年は、目を輝かせる。
「ねぇ今の暗殺道具いれるところ?!やっぱりスパイでしょ!」
「スパイじゃないわよ。皇太子妃のひとり、ユーリよ」
「妃?嘘だ」
憮然とつぶやいた少年に苦笑し、背を向けてかがむ。
「ほら、乗って!」
「おんぶなんていやだよ!」
「ここに手をかけて」
嫌がる少年を無理やり背中にしょい、城へ戻ると、ちょうど乳母らしき人が探しているところだった。
「ミラ殿下!」
やはりこの子は、第二王子・ミラ殿下だったか。
騒ぎをききつけ、王妃も駆け寄ってくる。
「もう、この子ったら!」
「お庭に見知らぬ人がいて驚かれたのでしょう。転んだ弾みに足を怪我されてしまい」
「あらあら」
背中にいる王子を、王妃の後ろにいた甲冑の騎士がひょいと持ち上げ、抱きかかえてくれる。
「けがは大丈夫か」
心配そうな顔をしている騎士は、なんと。
「あ、お兄ちゃん!」
「殿下……」
氷の美貌の皇太子が、宝石のような温度のない瞳でこちらを見ていた。