Ⅲ63.担う者は間違える。
「クッソ!!昨日の今日でまた奇襲だぁ?!どうなってやがる!!」
……うるせぇ……。
薄ぼんやりとした思考の中で、口も動かす気力もないアレスは頭だけがそう呟いた。割れた頭から血がダパダパと流れる感覚を覚えながらも、これくらいじゃ死なないと妙に冷静な感覚で判断する。頭を殴られるのは、始めてでもない。同じ死にかけるなら、こういう方がわかりやすくて良いと思う。ぐらつく脳で視界までぼやつく中で、何故自分がここにいるのかも一時的にわからなくなった。
隙を突かれて背後から殴られた身体は後ろ手に縛りあげられた。立ちあがるどころか起き上がることも、もう難しい。芋虫のように手足両方縛られ倒れ伏す中で、自分の武器の砕けた残骸が転がっていた。大部分は残り、細かな破片は結晶のまま個体としての輪郭も早々に保てなくなっている。
汚れた靴がいくつも視界に入り、自分を殴った男達だと静かに認識する。「まぁ落ち着け」と仲間が怒り狂う男を宥めているのが耳へと通りそして過ぎていく。
「良いじゃねぇか。今回は特殊能力者だ。フリージア人すら今じゃ滅多に手に入らねぇのに儲けものだぜ!」
「どうせだし裏で商品に出しちまおう。足が付く前にさっさと金にした方が良い」
フリージア。その言葉も、今まで何度も向けられたがアレス自身にはしっくりこない。
間違いなくフリージア王国の血が流れその地で生まれたアレスだが、自身に故郷の記憶はない。特殊能力者もフリージア人も奴隷として価値が高いことは知っていても、自分にその実感はない。
男達のやり取りを聞きながら、半開きの口で息を吸い上げる。頭から垂れた血が視界を邪魔し、口にも入る。鉄の味を感じながら、ここまで手痛くされるのも久々だと思う。サーカス団の一員になってからは、一度もこんな風に血を流すことはなかった。
……団長。団長、団長、団長……
『君は希望だアレス』
頭の激痛と出血でまとまらなかった思考を少し取り戻せれば、最初に浮かんだのはやはり団長だった。本当ならこうやって自分が潰れていたら笑いながらどうしたどうしたと声をかけてくれる存在だ。
サーカス団の団長。その姿と自分達に惜しまず向けてくれた笑い顔が浮かべば、引きずられるように少しずつ自分がこうなっている理由も思い出す。
ああそうだ、やっちまった、クソ、と。淡々とした言葉が浮かんでは消えていく。
頭に血が上り、またやってしまったのだと今更思い知る。力なく垂れたまま結ばれた両手足の縄へ抵抗する気力もない。ここに辿り着くまで噂を知る人間を締め上げ吐かせ、無我夢中で乗り込んだ。最初の数人は良かったが、その後に次々と溢れかえって来た男達が手ごわかった。
夕暮れから人狩りにも興じている男達にとって、特殊能力者とはいえたかが人間一人を無力化するなど難しくない。複数で囲い引き付け、隙を見せたところで起き上がれない威力の一撃を頭へ与えれば簡単だった。
せっかく団長を取返しに来たのに、逆に捕まってしまった自分への嫌悪と情けなさで、その事実に気付いた瞬間にアレスは口の中を噛み切った。ただでさえ血で満ちていた口内がさらに赤が強く、味も濃くなった。
自分が奴隷商に捕まったばかりでも、頭に過るのはやはり最初と変わらず団長の安否だけだ。この後自分がどうなるのかを、目の前の男達の語り合いで聞いたところでどうでも良い。
そんなことよりも、団長を〝あの〟世界に行かせたくないとそればかりを考える。
……まだ、役目も果たせてねぇのに。
『私に任せとけアレス!!〝見せ物小屋〟など低俗なものじゃない!お前に観客の誰もが歓喜を露わにひれ伏す!そんな演目を考えよう!!』
自分を買い取り、そしてサーカス団の一員として仕込んでくれた。その日のうちにあっという間に人らしい名前を与えてくれた。
もう二度とあの世界に戻りたいと思わなかったアレスだが、団長がそうなるよりはずっとマシだと本心から思う。
物心つく前からその他大勢と一緒に家畜のように育てられた。売られ、買われ、教え込まれ、鞭を振るわれた。
自分は自我が強すぎた、と。それだけはサーカスで冷静になれた頭でよく思う。自分を育成した連中が、もっと自分を〝らしく〟教育してくれればあんなに苦しむことなどなかった。
だが、それで良かったのだと。過去の選択を思い出しては思う。
〝二度目〟には、もう期待はしなかった。ただ、全てを道連れにしたくて殺したくて死にたくて暴れ続けた。
……当時の自分には信じられない言葉を放たれる、その時までは。
「っ……んちょ……」
こんなことになるのなら正直に引き留めるんだった。それだけを考え、また後悔する。
小さく呟いただけで赤の液が口から垂れ落ちる。しかしあの夜のことを思い返せば、やはり自分にはこれしかなかった。
だから、団長が捕まったと知った時はわき目も振らず助けに向かった。こんなことになるなんて聞いてない。
せっかく奴隷小屋へ乗り込んだのに、結局団長の影も形もなかった。他の場所なのか、それとももう売られてしまったのかもわからない。締め上げて吐かせたかったのに、今は自分の方が縄で締め上げられている。
「団長はどこだ」と言っても、男達は誰もまともに答えず「知らねぇな!」と武器を振り上げてくるばかり。いっそ捕まるならこのまま団長のいる場所に放り込まれれば一番だと運任せに思う。
話のまとまった男達がニヤニヤと笑いながら芋虫になった自分へと歩み寄ってくる。
取り敢えずは特上用の檻に保管だと、抵抗の力も無く一纏めにされた足を掴みあげ引き摺られ出す。こんな中級以下の檻ではない、ただでさえ正式には売買が違法とされた特殊能力者は隠すしかない。
団長を、せめて団長だけでも逃がしたい。動かなくなった手足と全身の痛みの中で何度も望む。団長が奴隷になるのも嫌だが、団長がこのまま帰ってこなければサーカス団も終わってしまうと、それも確信だった。
まだ所属して月日も浅いが、それでも今の状況じゃ回るわけがないと思う。
今の〝代理〟じゃサーカス団は纏まらない。いくら目玉演目を持つ演者が現れても、サーカス団を束ねる人間がいないと自分達は何処にもいけない。団長が帰ってこない限りこの街からも抜け出せないし目標も何もない。……何処にも行きたくない。
今のサーカス団員に、団長の代わりができるとはアレスには思えない。代理の女などもってのほかだ。あの面倒な団員達を纏めるのも、ただの下働きも演者にも分け隔てなく一つにまとめるのも団長にしかできるわけがない。
自分一人では、抜けようとする団員を引き留めることすらできなかった。あの代理を締め上げることも、説得することもできず、ただ回すだけで精一杯だ。
あの夜の真実を知っても、きっと自分の望む方向に共に動いてくれる団員はいないだろうと確信がある。だからこそ今日まで誰にも事実を語らずあくまでいつも通りに振舞ってきた。
居場所を、残す為に。団長とそして──
「こんばんはご機嫌よう」
キィッ、と。アレスの一纏めにした足を引き摺り運びながら扉を開けた男達は、次の瞬間に動きを止めた。
早口で語られた挨拶にぽかりと口が開いたまま目も丸くする。つい先ほどにアレスが乗り込んできたその扉の前に、再び知らない余所者が佇んでいた。
最初に乗り込んできたアレスが見張りも含めた外の仲間達全員を無力化してしまった為、今動ける面々は全員が奴隷小屋の中だった。新たな侵入者がここまで辿り着けてしまったこともおかしいことではない。
たとえそれが珍客であろうとも、現れたことにはまだ疑問はない。一番の疑問は、その扉の前に立っていた面々だ。
凛とした女性の声に反し、扉を開けたど真ん中に立っていたのは青年だった。鶏のような風貌の青年に、女のような声なだけかとも過ったがすぐに違うとわかった。自分達への挨拶を放ったのは、その背後に立つ女性だ。
客かと、上等な衣服を身にまとう先頭の青年を見て思考したが、そこから先は考えを改める間もなかった。次の瞬間には、青年の〝左右に立つ〟男性二人によって、古屋から出ようとしていたところを逆に中へと吹っ飛ばされた。
骨の芯まで響く鈍い音と衝撃に、攻撃を受けたのだと理解したのは床へ転がった後だった。
掴んでいた新商品の足も手放し、同じように床へ倒れ込みながら何が起こったのか彼らはわからない。気付いた時には衝撃と共に床に叩きつけられていた。
アレスを引き摺っていた男は腹に打ち込まれた蹴りに腹を抱える余裕もなく転がり泡を吹き、アレスを殴り飛ばした時の獲物を構えたまま珍客を睨んだ男は顔面に肘を打ち込まれ倒れた先で前歯の破片が五本分転がった。
足を掴まれていたアレスもまた、蹴れ飛ばされた男の反動に巻き込まれ、部屋中央までゴロゴロと転がった。
またか!!なんだテメェら!!と、小屋の中にいた他の仲間達も再び臨戦態勢へと身構える。
せっかくの特上品を運ぶところだった仲間を蹴り飛ばした銀髪の男と、追ってほぼ同時に武器を身構えていた仲間の歯を折った黒髪の男へ殺気が集合体となり飛ばされる。しかしたかが十数人の殺気など、彼らにとっては痒くもない。
突然の奇襲とはいえ、人狩りの手練れ二名を一瞬で無力化した男達へすぐに飛び掛かるほどの素人はいなかった。
アレスを沈めた時と同じように武器を構え、握り直し、一体どういう要件だと雄々しい声を張り威嚇する。
怒鳴り荒げる彼らに、扉前にいた男達はすぐには答えなかった。まるで客人でもあるかのように屈強な男性二名が左右に分かれ部屋に入れば、真ん中を真っすぐに青年とそして女性、更に男性二名がずらずらと入ってくる。
更に扉の外にまだ人影があったが、彼らは中には入ってこずむしろ外側から静かに扉を閉めた。
パタンと、そっけない音と共に小屋が再び密室へと変えられる。
もともと奴隷商人の彼らの敷地内の一角、戦力全員がアレスの所為でここに集まっている今周囲には誰がいるわけもない。しかし、静かに閉じられた扉の音が男達には妙に気味悪く感じられた。
突然の奇襲者、その殆どは見かけだけで判断すれば大したことのない相手だと経験で彼らは思う。背の高さはあっても体格や容姿からヒョロ長さしか感じない面々だ。
しかし蒼の目を光らせながらバキバキ拳を鳴らす男性と、そして並び今にも飛び込んできそうなほど姿勢を低め紫の眼光を鋭くさせる男性はどちらも明らかに手練れである。
一触即発の空気のまま武器を構え声を荒げ威勢を張り向こうの出方を伺う中、奴隷狩りの一人がそっと屈み、手近な場所に転がったままのアレスの髪を掴み引っ張った。滅多に手に入らない特上品だけは奪わせない壊せないと、最善の手で奇襲者から遠のかせようとしたその時。
「触るな下郎が」
再びあの凛とした声が、この上なく冷たい声で鳴らされた。
他に目撃者もいない密室の中、最前に立っていた青年は静かに彼女へ道を開ける。反対胸に当てかけた手を意識的に止め、腰を落とすのも僅かに抑え道を開ける。まるで膜を開くような緩やかさと共に、背後に隠されていた女性の姿が露わになる。
深紅の髪を揺らめかせ吊り上がった眼差しを更に鋭き研ぎ澄ます女性の姿は、彼らの瞳には別物に映る。しかし、彼女の醸し出す覇気と威厳は変わるものではなかった。
たかが女、と頭では思っていても彼女の放つ声色に無意識にその髪を掴む手がアレスの硬い髪質の茶髪から離れた。
タン、タン、と泥汚れのない靴で歩む女性の眼差しは真っすぐに床に横たわったままの男性に受けられていた。遠目でも痛ましい傷が残された後であることに彼女は静かに顔を顰める。
間に合ったのか間に合わなかったのか、それを知るのはこの場で彼女ただ一人。
「彼を返してもらいます」
たった一言、そうして区切られた声から滲まされる怒りに彼女の周りの男性陣も肌がヒリついた。
丁寧な口調に反し、決定事項と言わんばかりに深みの与えられた声に、誰かもわからず敵意を向けられた男達は喉を鳴らす。彼女〝が従える〟男達二人だけでも自分達には明らかな脅威である。たかが鈍器を振り回し力任せに暴れた男とは比べ物にならない。
しかしその脅威には気付いても、彼らはわかっていない。今自分達が二本の足で立っていられるのも全ては彼女の意思で攻撃が止められているだけ。戦闘や乱闘、という言葉が不相応なほど彼らが動けば結果は五分も掛からない。たとえ彼女一人であろうとも
─ アレスはもう、奴隷なんかじゃないのだから。
決定的な差が、そこにある。