Ⅲ62.越境侍女は把握する。
「アレスが……?」
それを、私達が聞いたのは日が暮れた後だった。
夜に合流予定だったカラム隊長とアラン隊長。時間より遥かに早く合図を拾ったステイルが、瞬間移動で私達のいる貧困街へ連れてきてくれたのはカラム隊長一人だけだった。
何かあったのか心配だったけれど、報告を聞けば取り敢えずアラン隊長のことは安心できた。ただ、……アレスのことは。
私から言葉で確かめれば、カラム隊長は神妙な面持ちで頷いた。前髪を指先で押さえながら声を潜めた説明に、私は胸を両手で押さえた。
「申し訳ありません。我々もカードを頂いてからすぐに彼の保護に動きたかったのですが」
その時にはもう、アレスはテントにいなかった。
ステイルがカードをカラム隊長の元へ瞬間移動させた時点で、既にアレスはテントから出ていたらしい。すぐにアラン隊長と情報共有をして身柄確保をしようとしたけれど、アレスは買い物に行ったまま帰ってきていなかった。
少し買い物が長引いているだけだろうとサーカス団の人達も心配する様子はなく、今日が初日のアラン隊長達もアレスの帰りが遅いかいつも通りかの判断がつかなかった。そのまま待ち続け、……流石に遅過ぎるとサーカス団も心配し出したところでステイルに合図を送ってくれた。
アラン隊長はいつ誰が戻ってきても良いように今もサーカス団で待機してくれている。
二人とも潜入自体は順調らしく、アラン隊長もカラム隊長もそれぞれサーカス団に馴染んでいる。
アレスの行き場についても団員の何人かは答えてくれたけれど、皆いつもの買い出しなら市場のどこかだろうとしかわからなかった。本当なら買い出しは下働きの役目だけれど今は特に貧困街で周辺の治安も悪いから、アレスが率先して一人で買い出しに出ていたらしい。
「御命令頂ければ、すぐに私かアランが市場へ捜索に向かいます」
そうはっきりとした口調で指令を待ってくれるカラム隊長は、今すぐにでも市場へ向かうつもりだろう。
確かに同じサーカス団という立場でも、カラム隊長かアラン隊長が探しに出るのが自然だ。今は隙を見て抜け出してきたらしいけれど、仮にも下働きの成人男性として探しに行くのにサーカス団から自然に捜索へ出るのも難しくない。……けれど。
「……いえ、カラムさん達は引き続きサーカス団で任務続行と待機をお願いします。アレスは私達が探し出します」
今は最善と、そして最悪に備えないといけない。
首を横に振り、捜索を断る。アラン隊長やカラム隊長どちらか一人でもやり遂げられるとは思うし信用できる。けれど、ここでサーカス団に控えるのが一人だけというのは避けたい。一度に来れば別だけれど、そうでなければどれだけ優秀な騎士でも身は一つしかない。
私からの答えに、「わかりました」とカラム隊長もすぐに承知してくれた。アーサーとハリソン副隊長への目配せへ追えば、二人もそれぞれ頷いていた。それぞれの役割確認を行う騎士達に、私も〝予知〟の指針を決め確認する。
「本当に、アレスは団長を探しに行くのには反対だったのですよね……?」
「はい。本人も、そして団員達にも証言を取れました」
そこだけが引っかかる。
私の確認に、カラム隊長も自信を持って肯定してくれる。私達が最初に会った時に本人が言っていただけじゃない、団員達もと言うのなら間違いはない。……けれど、それだとゲームで語られた彼の過去とは少し違和感がある。
さっき思い出した、アレスの設定。ゲームでもアレスはいなくなった。……正確には、アレスのゲーム設定でも。
まさか思い出してすぐにこんなことになるなんて思わなかった。本当にあの設定通りのことが今起ころうとしているのかも怪しい。たんに買い物に時間が掛かっているだけかもしれないし、全くの別件が起こっている可能性だって高い。
「ジャンヌ。こちらも一応彼らに尋ねてみましょう。それに市場ならダリオ達との合流もできます」
彼らの方が今は市場にも詳しい筈です、と。
ステイルからの提案に私も振り返る。確かにその通りだ。
まだゲーム通りに〝予知〟と断言できる状況になったとは限らない。ここはまず私達ができる情報収集から詰めていくのが正しい。
そうねと一言返してから、再びカラム隊長の方へと向き直る。これからステイルに再び瞬間移動で返してもらう前に、彼にもそしてステイル達にも伝えておかなければならない。
「最後に、先程の指令について補足を。アランさんにも伝えておいて下さい」
予知、と。その言葉を言わなくても、それだけで全員に伝わった。
今この状況がそれだとはまだわからない。ただ、今回はアレスが無事に帰ってきたとしても今後も彼に留意して欲しい理由がある。
ラスボスとラルクについてはまた今晩話すとして、アレスとそして団長を守らないといけない理由を。
周囲に聞かれないように、声を潜めて話す私に全員が口を結んで耳を傾けてくれた。これからアレスと、そして団長を待ち受ける運命に目を大きく見開き、ぴんと糸を張り詰める。
「ッならばやはり我々も急ぎましょう。この時間ならユミル達も住処に戻っている筈です」
ユミル。元サーカス団、アレスをよく知っている彼女達はここにいる。
団長を探してもいる彼女達なら、街や市場にも私達よりは詳しい筈だ。団長はわからなくてもアレスの行きそうなところが思い当たるかもしれない。
あくまでまだ〝予知〟が始まっているとはわからないとしても、アレス達を待ち受ける先にステイル達も表情を引き締めた。
改めてサーカスでの任務を隊長二人に託し、ステイルがカラム隊長を瞬間移動する。話しやすい物陰から飛び出し、私達が向かう先は貧困街の一角だ。
今朝はもぬけの殻だったそこに走れば、辿り着く前に私達の足音に気付いてかユミルちゃん達が顔を覗かせてくれた。
周囲の貧困街の人達も私達が駆けているのに驚いて目立ってしまったのもあるだろう。目を皿のようにして私達を迎えてくれた彼女達に私からも手を振りたい気持ちをぐっと抑える。先頭を駆けるステイルが「何度も申し訳ありません!」と声を張り、彼女達の前で足を止めた。
見れば、まださっきの洗濯をしていた三人だけだった。一度はアレスのことも打ち明けてくれた彼女達だけなら今は話も早い。
こちらの仲間からアレスがサーカス団から消えたらしいことを聞いたと、だから彼の行きそうな場所に何か覚えはないかと丁寧な口調で尋ねるステイルに、……彼女達の反応は思ってもみないものだった。
「もしかするとアレスも……?」
そう、薄らと青褪めた血色で最初に言葉を溢したのは三人の中では唯一の大人のリディアさんだ。
ちらちらとユミルちゃんとクリフ君の方にも目を向けて確認し判断する。二人も同じように目をぎょろりと大きくしては口まで開いていた。「絶対そうだ」と僅かに枯れた声でクリフ君が呟けば、ユミルちゃんも小刻みに頷いた。
間違いなく、三人とも何か覚えがある。
一体どういう意味ですか、とステイルが落ち着かせる声でゆっくりと尋ねると、リディアさんは周りを見回しながら自分の胸の前で拳をぎゅっと押さえた。まるで自分のなかの不安を必死に押さえつけるような動作に、聞く前からこちらまで心臓が落ち着かなくなる。
「実は、アンガス達も今〝それ〟で出ていて……」
アンガス。彼女達と同じ元サーカス団で、団長を探しに飛び出した屈強な男性だ。達、ということはもう一人の男性も一緒ということだろう。
どこか心許ない声は、一言一言をクリフ君達に発言して良いか確かめながらのようだった。
けれどクリフ君の方はもう言葉にするのにも躊躇がなく「絶対だろ!」「やっぱアレスさんもそうだと思った!」と私達の鼓膜を貫く勢いで声を上げている。ユミルちゃんも不安げに表情を歪める中、リディアさんは声を潜めながら話してくれた。
今朝一番からリディアさんにユミルちゃんとクリフ君を任せ、成人男性二人だけで確かめに向かった
昨夜奴隷商に捕まったという、団長らしき男性の噂を。
「けど、今朝皆さんからお聞きした団長の話が本当なら、別人の可能性が高いかも……」
今朝貧困街まで流れてきた噂。それを耳にしたアンガスさん達は事実を確かめるべく早朝から出ていたらしい。
細い声で目を私達からクリフ君達へと交互に泳がせるリディアさんは、額が汗で湿り出していた。今朝、私達が団長の目撃情報を伝えた時に戸惑った様子だった理由がわかった。
その噂だと、目撃された男性は貴族のような上等な格好をしていたらしい。男性は昨晩、酒場で奴隷狩りと乱闘騒ぎを起こしてそのまま連れて行かれてしまったということだった。
奴隷狩りに捕まった時点で、正式な手続きは踏まずに奴隷送りにされてしまう場合も珍しくない。だからその真偽を確かめるべくアンガスさん達も急ぎ噂の出所とその奴隷狩りの組織や店まで探るつもりで出て行ったらしい。
団長は酒を飲むと絡み酒をする時もあって、もしまだ街にいるなら酒場で酔いに任せてやらかしているのも考えられると。……なんとも身内だからこそとはいえあまりに容赦ないご理解だなぁと思う。
まぁそれでもこうして探しに来ているのだから寧ろ慕われている証拠とも言えるのだろう。
ゲームのアレスは団長の酒癖については話していなかったけれど、レオンとヴァルの目撃情報でもなかなか絡み酒の部分は実証されている。確かにそれを思い返せば、酒の勢いのまま奴隷狩りとは思わずに絡んでひと悶着してからの騒動も容易に想像できる。実際、元裏稼業のヴァルが「ぶっ殺したくなった」と溢していたほどだ。
その男性は団長が普段来ている私服と同じように上等な衣服を身に纏っていて、更には大体の年齢も綺麗に当てはまったらしい。アンガスさん達もきっと団長に違いないと慌てて噂のその男性を探しに行ったと。……なんだか、聞いたことがあるような。
妙な既視感に、自分の頭を片手で押さえる。ゲームの設定がガンガンと遠くから私に呼びかけてくる。アンガスさん達が攻略対象者かとも一瞬思ったけれど、違う。これはアレスの──
「……あっ」
ピリリッ、と。頭の中で電線が繋がったような感覚が走る。
思わず声が上がってしまった途端、そこまで大きな声ではなかった筈なのにステイル達全員がこちらに振り返った。足元へ傾きがちになっていた視界のまま、彼らの注目が集まってくるのが肌でわかる。侍女らしく「失礼致しました」の一言は言わないといけないのに、今は思考がまとまらない。
「ジャンヌさん」とアーサー達が囁くような声で呼びかけてくれるけれど声が出ない。そうだ、アレスがいなくなったのは、彼が自分を責めたのはと。今リディアさん達から聞いた話が綺麗にゲームで語っていた彼と重なる。もう間違いない、やっぱり今この時にゲームの設定は動いている。
アレスがいなくなったのは、団長の噂を聞いたからだ。
彼が、団長を助けたくないわけがない。もしリディアさん達と同じような噂を聞いたなら、クリフ君の言う通り彼が探しに飛び出さないわけがない。
ユミルちゃん達と同じように、彼にとっても団長は大事な人だ。団長を今日まで探しに行こうとしなかったのも、彼女達に探しに行くのを止めようとしたのも決して団長が必要ないと思ったからじゃない。彼だってずっと団長の帰りを待っていたのだから。
「っ……その、団長らしき男性を捉えた奴隷狩りについては、どこの誰かはまだ……?」
逸る心臓に口の中をぐっと噛みながら、顔を上げる。さっきまで視線が落ちていた私に、いつの間にかリディアさん達も心配するように目を向けてくれていた。
当たり前の質問を思わずかける私に、やはり答えは「まだ」だった。当然だ、今朝からアンガスさん達は帰ってきていないのがその証拠だ。最初からどこの奴隷商がその男性を捕まえたかわかれば今頃乗り込んでいるに決まっている。…………まずい、アレスはもう乗り込んでいるかもしれない。
ゲームでも確か噂をしていた人を締め上げて聞き出したと語っていた。あの子なら手段選ばず最短距離で辿りついているかもしれない。この世界がゲームの強制力通りならきっと誰よりも間違いなく!!
一人両足は地面に刺さったまま頭だけが真相に近付いていけば、心臓が走った後みたいにバクバク鳴り始めた。まずい、まずい、ならアレスは今頃……!!
ジャンヌ、とステイルが振り返ったまま私の肩に触れようとしたところで弾かれるように我に返る。とにかく今は動かないといけない!!!
「ッアレスを探しにいきましょう!!!今すぐ彼らと合流すべきだと思います!!」
なんとか侍女としての体裁を保ちながら、緊張感が爆発するように喉を張る。
目の色を変えた私にステイルも驚愕に両眉を上げながら戸惑い気味に二度連続で頷いてくれた。「そう、ですね」と少しかすれ気味の声で、リディアさん達へも挨拶を告げる。
急ぎ瞬間移動できるように人影のない場所へ急ごうとする私達にユミルちゃんが「アレスお兄ちゃんがどうしたの?!」と叫ぶ。ごめんなさい今は答える時間ももうない。一秒でも早くアレスへ駆けつけないと。
気付けば急ぐあまりに率いるように先頭を走りだす私に、素早くアーサーとハリソン副隊長が並走してくれた。ステイルは、と思って振り返ろうとすればステイルもすぐに私を抜かすようにして足を速めて斜め前方まで駆けてくれた。ローランドもきっと傍にいるだろうと信じ、私は彼らに遠慮なく全力疾走で走る。
貧困街の通りを注目を受けながら走り抜け、人影のない場所を見つけた瞬間にへ飛び込むように左足へ力を込める。互いに目配せの必要もなかった。
私が見つけたそこに全員が駆けてくれ、一度周囲の視線から抜けきった瞬間にステイルが「俺の手を!!」と叫ぶ。私達に、というよりも主にローランドへ向けての合図だろう。
ステイルの合図に私達も伸ばされた手を掴み触れ、次の瞬間に視界が切り替わった。